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6 あの町へ
6_②
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傾いてきた陽は、まだ黄色い。夕焼けというには早い時間なのに、近くで見る工房はやけに暗く感じた。森が近いから、この辺りは影に飲まれるのが早い。カーテンの隙間からのぞくと、なんとなく荒らされたように見える。
「ねえ、みんな、聞こえる?」
内側から鍵のかかった玄関にくっついて、ユッポは呼びかけた。
「わたし、ユッポだよ。帰ってきたよ」
ばさばさと騒がしい音の方へ目を向けると、森に向かって鳥の群れが帰ってきたところだった。工房の中は、いたって静かだ。ユッポの夢の通りだっていうのか?
「どこか、中に入れる場所を探そう。様子が変だ」
町の子どもが肝試しに来たのなら、鍵がかかった玄関の他に、開いている場所があるはずだ。カーテンが揺れて見えたのは、そのせいかも。玄関の反対側は、確か大きな掃きだし窓になっている。玄関を通れない大型の家具などを運ぶときは、そこから出し入れしていた。
工房の外周に沿って回り込むと、全く手を入れていない庭が広がっていた。かつては、彫刻モチーフのスケッチのために植物を植えていたのにな。
玄関の反対側まで行くと、枯れた雑草と土を踏む以外に、何かじゃりじゃりした感触が靴底を伝わってくる。
「われてる……なんでだろう」
掃きだし窓は、ガラスを割って鍵を外し、開かれたようだった。さっき踏んだのはガラスの破片で、ずいぶん細かくなっている。子どもの力で、こんな粉々に割れるだろうか。僕の頭は色々な方向に疑いを巡らせるけど、ユッポはすぐさま工房に足を踏み入れようとする。
「待って、誰かが窓を壊したんだ。まだ、その人が中にいるかもしれないよ」
窓際に雨の跡はないから、天気のいいこの何日かの間に、侵入者がいたことになる。注意を促すと、ユッポはうなずいた。そろりと、工房の中に足を踏み入れる。
「……これは」
気がはやるユッポに続いて中へ入ろうとして、僕は立ち尽くした。売り物の家具を展示していた一階。師が人形作りを始めると、新たな家具が並ばなくなった。だから、ここは柱があるだけ、空っぽな広い部屋だと思ったのに。
そこには、数多く師の作品があった。
家具ではない。動物を象った置物や、子どもが遊ぶような木馬だ。どれも丸みを帯びて、モチーフをいくらか単純化している。心にはなぜか、師が作った姿見を初めて見た時の、感動がよみがえる。
「セコ、荷物をかして。その方が通りやすいよ」
僕と違い、ユッポは静寂に腰が引けたようだ。少し落ち着きを取り戻して、こちらを振り向く。どんどん奥に行って、何者かに殴られるよりずっといい。
「ああ……ありがとう」
促されて中に入るとき、窓枠に残ったガラスにコートの端を引っかけた。師の作品から目が離せなかったから。これではまずい。冷静でいないと、土砂崩れの時と同じく後悔することになる。
しかし、かつての微細な彫刻と比べたら見劣りするのに、どうしてこの作品たちに惹かれる? 足元に落ちていた積み木を拾い上げたら、手袋ごしでも温かいような気がした。ただ滑らかに整えてあるだけの、単純な形のおもちゃも、師の手にかかると……? いいや、違う。そういうことじゃない。自分が浮かべた疑問の答えを、僕は知っていた。
「これは、ユッポ達のために作られたおもちゃなんだね」
ガラスが飛び散っていない所を選んで、床に荷物を下ろしたユッポは、深くうなずいた。
「そうだよ。パパが、わたしたちみんなに作ってくれたの」
ユッポは改めて一階を見渡す。僕も、不審な物音や人影がないか目を凝らした。陽の光は、だんだん赤みを帯びてきている。
いやに静かだ。見ず知らずの人間が来たら、みんなが警戒するのは当然だけど、ユッポが一緒にいても顔を出さないのはおかしいよな。
「……ねえ、みんなー!」
「わ」
ユッポが急に声を張り上げたので、驚いた。
「アンバー! ビッテー!」
畑仕事を切り上げた後の夕刻だし、この位の声なら届く民家もないから、妙だと思われることもないかな。
「ムウタ、トロット!」
呼びかけて、ゆっくり踏み出したユッポは、一足早く闇に包まれた隅に目をやれず、おそるおそる進んで行く。
「ティピカ、コーダ! みんな出てきて。ユッポだよ。カガミを見つけて、帰ってきたんだよー!」
風が吹き、工房裏の森から葉擦れの音が届く。工房の中は誰の応答もなく、床に映るおもちゃの影はほとんど消えてきた。話に聞いただけでも、ユッポの悪夢に重なる光景を見ていると、妙な寒さを感じる。
その時、研ぎ澄ました耳に新たな音が。ドアのノック? 立てかけてあった木材が、倒れた音にも似ている。ユッポは部屋の真ん中あたりで足を止めて皆を呼んでいたが、音の出所に向かって駆け出す。
「トロット?」
末の弟の名前は、期待を込めて呼ばれた。彼のお気に入りの場所、木材の乾燥室のドアを、小さな手はためらいなく開く。
すると、ユッポの足元に、今度はゴトリと重い音が落ちた。
「トロット」
引きつったような声に変わる。トロットは倒れてきたんだ。受け止めるのが間に合わず、ユッポの手は宙をさまよう。そのまま、少しのあいだ硬直してしまった。様子を見ているばかりで、僕も、足が前に出ない。師が作ったおもちゃとか、集まったカガミのこととか、頭の中にあった色々なことが抜け落ちて、一瞬、空っぽになった。
「……どう、したの?」
震える手をゆっくりとおろし、ユッポは床に座り込んだ。倒れた弟を抱き上げようとするが、うまく力が入らない。
「だれ……? だれが、こんなこと。トロット、いつものお昼寝じゃないの? ねえ?」
明らかに動揺した横顔を見て、僕はやっとユッポのそばに行った。
掃きだし窓の他にも割れた窓があって、ガラスの破片を踏む音がする。やっぱり他の物音はないから、侵入者は去った後なんだろう。
トロットは、明らかに「壊されて」いた。右腕が肘の下で折れ、乾燥室の隅にその先が転がっている。もう片方の腕や顔にも、ささくれた傷があった。姉が肩を揺すっても、首ががくがく振られるだけ。
初めて見るユッポの弟は、カガミとずいぶん違う姿だった。布張りをする前の、木がむき出しの人形に服を着せた感じ。
でも……だからこそ、と思った。急に景色が鮮明に見えてくる。
「僕に見せて。直せるかもしれない」
ここは工房なんだ。師が、皆を作り出した場所でもある。手持ちの道具で間に合わなくても、直せる見込みはある。
「なおったら、起きるかなあ。トロット、大丈夫なの?」
「……わからない」
下手な期待はさせまいと淡白な答えをして、損傷の具合を確かめる。ここは窓が大きいから、夕方でも少しは明るい。
僕にトロットを預けて立ち上がったユッポは、他の弟妹を探しに行くのかと思ったが、乾燥室の奥から何かを抱えてきた。
「わたしも、おてつだい、する」
本当に健気だな。こんなときでも、直してもらえるのが当たり前、という態度にならない。いや、なれないのか。僕の手をわずらわすのが、心苦しいって顔。
ユッポが持ってきたのは、人形の部品だった。腕らしいものを、いくつか選んできたんだ。この部屋には、作り始めの頃のいびつな、あるいは使われなかった部品が集めてあった。トロットの腕は叩き折られた感じだったから、切断面がひどく毛羽立って、つなぐことはできない。合う部品と交換すれば、木材から削り出すより早く直せる。
ただ、見た目を元通りにして、トロットが目を覚ますのかは疑問だ。動かないのが、人間で言う気を失った状態だとしたら、たぶん大丈夫だよな。そうであってほしい。
僕が荷物を広げて道具を出している間に、ユッポは抱えてきた部品を床に並べる。その手は、小刻みに震えていた。
寒さのせいじゃない。海を渡ったら、僕でもしのぎやすい気候になっているんだ。理由を問うのは、やめておこうか。
「セコ……」
声もまた震えて、いつもより低音だ。きっと、やり場のない感情と、その正体が、わかってしまったんだ。
「イカりって、イタいんだね」
突然に姿を消し、皆を悲しませている師を、恨むことのないユッポ。こんなに深い怒りを持つのは、初めてだろう。トロットを壊した誰かを憎み、部屋の隅の暗がりを睨む横顔は辛そうだ。僕は、うなずくことで目を逸らした。
こうして、感情の触れ幅が大きくなるのは、暑い寒いの感覚を得るのと同じく、人間に近付いた証に思える。反対に、強すぎる怒りと憎しみは「悪い子」になる引き金でもあった。その感情に任せた行動は、暴力になりがちだ。ユッポは、懸命に怒りを抑えようとしている。
トロットの小さな体に合いそうな腕を選んで、僕は顔を上げた。道具の中から、予備の作業手袋とやすりを取り出す。
「ユッポ、手伝ってくれるかな」
ささくれた顔と腕をきれいにするのは、ユッポに任せよう。ただ待っているだけの時間は長い。弟のために動いていれば、気が紛れるはずだ。
「うん」
僕の目を見返して、ユッポはしっかりやすりを手に取った。
「ねえ、みんな、聞こえる?」
内側から鍵のかかった玄関にくっついて、ユッポは呼びかけた。
「わたし、ユッポだよ。帰ってきたよ」
ばさばさと騒がしい音の方へ目を向けると、森に向かって鳥の群れが帰ってきたところだった。工房の中は、いたって静かだ。ユッポの夢の通りだっていうのか?
「どこか、中に入れる場所を探そう。様子が変だ」
町の子どもが肝試しに来たのなら、鍵がかかった玄関の他に、開いている場所があるはずだ。カーテンが揺れて見えたのは、そのせいかも。玄関の反対側は、確か大きな掃きだし窓になっている。玄関を通れない大型の家具などを運ぶときは、そこから出し入れしていた。
工房の外周に沿って回り込むと、全く手を入れていない庭が広がっていた。かつては、彫刻モチーフのスケッチのために植物を植えていたのにな。
玄関の反対側まで行くと、枯れた雑草と土を踏む以外に、何かじゃりじゃりした感触が靴底を伝わってくる。
「われてる……なんでだろう」
掃きだし窓は、ガラスを割って鍵を外し、開かれたようだった。さっき踏んだのはガラスの破片で、ずいぶん細かくなっている。子どもの力で、こんな粉々に割れるだろうか。僕の頭は色々な方向に疑いを巡らせるけど、ユッポはすぐさま工房に足を踏み入れようとする。
「待って、誰かが窓を壊したんだ。まだ、その人が中にいるかもしれないよ」
窓際に雨の跡はないから、天気のいいこの何日かの間に、侵入者がいたことになる。注意を促すと、ユッポはうなずいた。そろりと、工房の中に足を踏み入れる。
「……これは」
気がはやるユッポに続いて中へ入ろうとして、僕は立ち尽くした。売り物の家具を展示していた一階。師が人形作りを始めると、新たな家具が並ばなくなった。だから、ここは柱があるだけ、空っぽな広い部屋だと思ったのに。
そこには、数多く師の作品があった。
家具ではない。動物を象った置物や、子どもが遊ぶような木馬だ。どれも丸みを帯びて、モチーフをいくらか単純化している。心にはなぜか、師が作った姿見を初めて見た時の、感動がよみがえる。
「セコ、荷物をかして。その方が通りやすいよ」
僕と違い、ユッポは静寂に腰が引けたようだ。少し落ち着きを取り戻して、こちらを振り向く。どんどん奥に行って、何者かに殴られるよりずっといい。
「ああ……ありがとう」
促されて中に入るとき、窓枠に残ったガラスにコートの端を引っかけた。師の作品から目が離せなかったから。これではまずい。冷静でいないと、土砂崩れの時と同じく後悔することになる。
しかし、かつての微細な彫刻と比べたら見劣りするのに、どうしてこの作品たちに惹かれる? 足元に落ちていた積み木を拾い上げたら、手袋ごしでも温かいような気がした。ただ滑らかに整えてあるだけの、単純な形のおもちゃも、師の手にかかると……? いいや、違う。そういうことじゃない。自分が浮かべた疑問の答えを、僕は知っていた。
「これは、ユッポ達のために作られたおもちゃなんだね」
ガラスが飛び散っていない所を選んで、床に荷物を下ろしたユッポは、深くうなずいた。
「そうだよ。パパが、わたしたちみんなに作ってくれたの」
ユッポは改めて一階を見渡す。僕も、不審な物音や人影がないか目を凝らした。陽の光は、だんだん赤みを帯びてきている。
いやに静かだ。見ず知らずの人間が来たら、みんなが警戒するのは当然だけど、ユッポが一緒にいても顔を出さないのはおかしいよな。
「……ねえ、みんなー!」
「わ」
ユッポが急に声を張り上げたので、驚いた。
「アンバー! ビッテー!」
畑仕事を切り上げた後の夕刻だし、この位の声なら届く民家もないから、妙だと思われることもないかな。
「ムウタ、トロット!」
呼びかけて、ゆっくり踏み出したユッポは、一足早く闇に包まれた隅に目をやれず、おそるおそる進んで行く。
「ティピカ、コーダ! みんな出てきて。ユッポだよ。カガミを見つけて、帰ってきたんだよー!」
風が吹き、工房裏の森から葉擦れの音が届く。工房の中は誰の応答もなく、床に映るおもちゃの影はほとんど消えてきた。話に聞いただけでも、ユッポの悪夢に重なる光景を見ていると、妙な寒さを感じる。
その時、研ぎ澄ました耳に新たな音が。ドアのノック? 立てかけてあった木材が、倒れた音にも似ている。ユッポは部屋の真ん中あたりで足を止めて皆を呼んでいたが、音の出所に向かって駆け出す。
「トロット?」
末の弟の名前は、期待を込めて呼ばれた。彼のお気に入りの場所、木材の乾燥室のドアを、小さな手はためらいなく開く。
すると、ユッポの足元に、今度はゴトリと重い音が落ちた。
「トロット」
引きつったような声に変わる。トロットは倒れてきたんだ。受け止めるのが間に合わず、ユッポの手は宙をさまよう。そのまま、少しのあいだ硬直してしまった。様子を見ているばかりで、僕も、足が前に出ない。師が作ったおもちゃとか、集まったカガミのこととか、頭の中にあった色々なことが抜け落ちて、一瞬、空っぽになった。
「……どう、したの?」
震える手をゆっくりとおろし、ユッポは床に座り込んだ。倒れた弟を抱き上げようとするが、うまく力が入らない。
「だれ……? だれが、こんなこと。トロット、いつものお昼寝じゃないの? ねえ?」
明らかに動揺した横顔を見て、僕はやっとユッポのそばに行った。
掃きだし窓の他にも割れた窓があって、ガラスの破片を踏む音がする。やっぱり他の物音はないから、侵入者は去った後なんだろう。
トロットは、明らかに「壊されて」いた。右腕が肘の下で折れ、乾燥室の隅にその先が転がっている。もう片方の腕や顔にも、ささくれた傷があった。姉が肩を揺すっても、首ががくがく振られるだけ。
初めて見るユッポの弟は、カガミとずいぶん違う姿だった。布張りをする前の、木がむき出しの人形に服を着せた感じ。
でも……だからこそ、と思った。急に景色が鮮明に見えてくる。
「僕に見せて。直せるかもしれない」
ここは工房なんだ。師が、皆を作り出した場所でもある。手持ちの道具で間に合わなくても、直せる見込みはある。
「なおったら、起きるかなあ。トロット、大丈夫なの?」
「……わからない」
下手な期待はさせまいと淡白な答えをして、損傷の具合を確かめる。ここは窓が大きいから、夕方でも少しは明るい。
僕にトロットを預けて立ち上がったユッポは、他の弟妹を探しに行くのかと思ったが、乾燥室の奥から何かを抱えてきた。
「わたしも、おてつだい、する」
本当に健気だな。こんなときでも、直してもらえるのが当たり前、という態度にならない。いや、なれないのか。僕の手をわずらわすのが、心苦しいって顔。
ユッポが持ってきたのは、人形の部品だった。腕らしいものを、いくつか選んできたんだ。この部屋には、作り始めの頃のいびつな、あるいは使われなかった部品が集めてあった。トロットの腕は叩き折られた感じだったから、切断面がひどく毛羽立って、つなぐことはできない。合う部品と交換すれば、木材から削り出すより早く直せる。
ただ、見た目を元通りにして、トロットが目を覚ますのかは疑問だ。動かないのが、人間で言う気を失った状態だとしたら、たぶん大丈夫だよな。そうであってほしい。
僕が荷物を広げて道具を出している間に、ユッポは抱えてきた部品を床に並べる。その手は、小刻みに震えていた。
寒さのせいじゃない。海を渡ったら、僕でもしのぎやすい気候になっているんだ。理由を問うのは、やめておこうか。
「セコ……」
声もまた震えて、いつもより低音だ。きっと、やり場のない感情と、その正体が、わかってしまったんだ。
「イカりって、イタいんだね」
突然に姿を消し、皆を悲しませている師を、恨むことのないユッポ。こんなに深い怒りを持つのは、初めてだろう。トロットを壊した誰かを憎み、部屋の隅の暗がりを睨む横顔は辛そうだ。僕は、うなずくことで目を逸らした。
こうして、感情の触れ幅が大きくなるのは、暑い寒いの感覚を得るのと同じく、人間に近付いた証に思える。反対に、強すぎる怒りと憎しみは「悪い子」になる引き金でもあった。その感情に任せた行動は、暴力になりがちだ。ユッポは、懸命に怒りを抑えようとしている。
トロットの小さな体に合いそうな腕を選んで、僕は顔を上げた。道具の中から、予備の作業手袋とやすりを取り出す。
「ユッポ、手伝ってくれるかな」
ささくれた顔と腕をきれいにするのは、ユッポに任せよう。ただ待っているだけの時間は長い。弟のために動いていれば、気が紛れるはずだ。
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