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6 あの町へ
6_④
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あとひとり、見つかっていないムウタが心配だ。負けず嫌いで無鉄砲な性格、先陣を切って粉々にされてしまいそうだ。希望をつないでいるのは、アンバーの倒れた位置だった。そこより奥の大部屋が無事であれば、斜め向かいにある師の寝室も、守られたのでは?
「ムウ兄ちゃん!」
思考を切り裂いたのは、トロットの悲鳴に近い声だった。コーダの無事を確認してから、一足先に寝室をのぞいたようだ。残念ながら、再会を喜んだとは思えない。
コーダもユッポもはっと顔を上げて、僕と共にすぐ寝室へ向かった。
ドアが開いた下には、床に座り込むトロットがいた。
「どうしたの、ムウタは……! ああ……」
中を見て、ユッポもがくりと両膝をついた。大部屋と廊下からこぼれた明かりと、僕の手にあるランプが照らす中で、ムウタはうつぶせに倒れていた。
部屋は荒らされていないが、やはりムウタは壊されたようだった。すねを強く打たれたのか、片方の足はひざの下でひしゃげている。もう一方は、無理に引きちぎった風にひざ下がなかった。恐らく、ここまで壊して、廊下から寝室に投げ込まれたんだろう。ドアを閉めて立ちはだかるアンバーを粉々にし、侵入者は気が済んだ。それでコーダは気付かれなかった。兄が、姉が、壊れていく音を聞きながら、床を叩いて悔しがったのかな。固く握った拳と額は、何度も床に打ち付けたせいで、ひどくささくれ立っている。しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
ユッポが、そうっとムウタを抱き上げる。姉の気持ちがわかるのか、トロットとコーダは、寄り添ってうなずいた。皆が、ゆっくりと僕に向き直る。
「セコ……おねがい、してもいいかな」
思えば、ユッポが自分から頼みを口にしたことがあっただろうか。いつだって、誰かのために何かをしようと走り回って、人の頼みを聞いてばかりだ。増えていくカガミを僕と分け持つことも、故障した手足の修理にも、ユッポは負い目を感じてうつむいていた。
自分では、誰かのために何かをすると言うのに。ユッポのために、誰かが何かしてはいけないのか? 何度か、そんなことを問いかけそうになった。「いい子はきっと、自分で何でもできるんだ」と答えが返ってくる気がして、飲み込んだけれど。
「もちろん」
ユッポの頼みなら、僕は快く引き受けよう。君は今だって、重大な決意をした目で僕を見上げている。自分の頼み事は、他人に迷惑だと思い込んでいる節があるから、口に出すのは勇気が必要だっただろう。続く言葉が楽に出せるよう、僕はしゃがんでユッポと目線を合わせた。
「ムウタを……なおしてほしいの。おねがい……」
深く深く頭を下げる姉につられて、トロットとコーダもぺこりとする。
「ああ。……直して見せるさ」
ムウタは、あきらかにトロットよりも損傷が激しい。わずかな明かりで見ただけでは、直せるかどうかはわからなかった。だけど、何としても直す。
本当は、できることなら皆を直したいんだ。思っても、そんなこと言えなかった。空しくなるだけだから。
かつての作業場所は一階だったが、ガラスの破片が散らかっている。修理には、二階の大部屋を使うことにした。ベッド横の棚を中央に集めて、即席の作業台にした。それから皆で、閉め切ったカーテンの上にシーツを張る。白い布で明かりを反射させ、少しでも明るくするためだ。
準備ができたところで、ムウタの状態を詳しく見る。手や顔は、やすりで綺麗にできるだろう。
しかし、足は難しいな。もし僕が、純粋に家具造りを志した職人なら、修理を諦めていた。捨て切れなかった夢に、今は価値を見出せた。
「ユッポおねえちゃん、パパは?」
作業が始まると、不意にコーダが首をかしげた。姿は変わり果てていても、皆が見つかったので、他のことを考える余裕ができたらしい。
「ごめんね。パパは、まだ見つからないの」
修理の材料を見立てに、一度下へ降りたとき、荷物も大部屋へ運んできた。ユッポはその中から、カガミを取り出す。
「でも、ほら……みんなのカガミは、見つけたよ」
皆が待っていた再会の半分だけど、今はアンバー達の姿を見るのが辛い。僕とユッポは、遺影を仕立てるために額縁を作ったんじゃないのに。
かぶりを振って、作業用の手袋をしっかりとはめ直す。僕が今やるべきことは、感傷に蓋をして、ムウタを直すことだ。
修理に集中していたせいか、本当に静かだったのか、長く沈黙が続いた。時々、手元や頬に視線を感じる。夜が深まっても、皆ムウタを心配して起きているんだ。
ちぎられた方の足は、部品の中を通っていた、伸縮性の紐も切れていた。工房に材料の残りがあったから、腿のパーツをいったん継ぎ目で開き、付け根の関節を成す所に新たな紐を付ける。それから、トロットが乾燥室から持ってきた、ひざ下の足をつなぎ直した。
もう一方のひしゃげた足は、合う大きさの部品がなかったので、僕の手で削りだしている。前後に分けて作って、紐を通せるようにするから、少々てこずった。
およそ、足らしい形を作り、木くずを払って一息ついた時、起きているのはユッポだけだった。トロットとコーダは、ベッドのひとつに並んで眠っていた。窓に張ったシーツをよけて空を見ると、時間は、もう夜半といったところだ。
「疲れたら、ユッポも休んで」
うなずいた……いや、うつむいたのか。ユッポはゆるく首を横に振った。
「どうしたら休めるのか、わからなくて」
前に、眠るのかと聞いた時は、眠るのは当然として、夢を見るのだと答えたはずだ。カガミを並べた布団の真ん中に、ひざを抱えて座ったユッポは、きゅっと手を握って身を縮めた。
「ココロも、疲れるんだね。だけど、眠ってくれないの。まだまだ、イカりと悲しみで、イタいまま……」
そうか、眠れないんだ。感情を涙に流し、落ち着くことができればいい。例えば物に八つ当たりができたら、それでも少しは気が晴れる。思いつくのは、かけられない言葉ばかりだ。僕は、旅の中で何度も同じように悩んだ。明かりの揺らぎと一緒に揺れる目を見て、かける言葉のないまま、時間は過ぎた。
作業は夜通しになりそうだ。土砂崩れで傷だらけになった手の完治はまだだけど、休む気はない。ムウタが元気になれば、ユッポの怒りは少し収まるかな。悲しみも少しは和らぐんじゃないかな。その気持ちが、集中を高めているのがわかる。くすぶる夢を覆うため、自分に強いていた没頭とは違う感覚だ。
今更だけど、これが職人としての気持ちなのだと確信している。この手が必要とされる喜びと感謝が力になり、必要としてくれる人のために、何かを作り出していく。
足の長さや太さを微調整して合わせる作業は、時間がかかった。立って歩くとき、バランスが悪くては困るから、急いでいても手は抜けない。関節になる球体が、別の部品から持ってこられたのは幸いだった。
「セコ……おてつだい、してもいい?」
そう言って、ユッポはささくれた顔や手のやすりがけを始めた。本当は、作業が始まってすぐにそうしようと思ったらしい。怒りで手元が狂いそうなので、我慢していた。
今も、気を抜けば力が入りすぎる手を、どうにか優しく動かしている。
「元気になってね……ムウタ」
弟にかける声は、ふんわりと大部屋に響いた。
足の修理より先に、やすりがけは終わった。傍でユッポがそわそわしているのがわかる。僕は少しだけ手を止めて、今、どうしても気になることを聞いてみる。
「ユッポ。旅を始めたのを、後悔することはないかい?」
いたちごっこで、焦れてばかりの旅。傷付いて、歯がゆい思いをして辛かったよな。僕が同行しなければ、こんなに長く歩き続けることもなく、諦めて家に帰れたんじゃないか。
「コーカイ?」
きょとんとして、ユッポがぱちくりと瞬きをするのは、言葉が難しいせいではなかった。小さく笑って、すぐに答えが返ってくる。
「全然しないよ。セコ、へんなこと聞くんだね」
「だって、歯がゆさも、痛みも、怒りも、知らない方がよかったかもしれないと思って」
「人間は、ハガユイし、イタいし、イカるんでしょ?」
ほとんどオウム返しの言葉に、はっとした。
「つらいことは、あるの。できないことも、わかんないことも、いっぱい。だけど、いいこともいっぱいなんだよ。セコが、わたしにココロがあるって言ってくれたの、すーっごく、うれしかったもん」
それなら、よかった。自然と口元がほころび、僕はまた手を動かす。そこへ、僕は後悔をするのかと、ユッポから問い返される。今度は手を止めずに、自分の気持ちを確かめた。
「いいや。この旅で、僕にもいいことがたくさんあった。後悔なんてしないよ」
明け方、やっとムウタの両足がつながった。修理を終えた途端、目覚めを心配する間もなく飛び起きる。
「なんでだよっ」
悔しさをにじませて荒らげた声は、兄に向かって叫び続けた想いか。驚いて、トロットとコーダも起き上がる。
行けなかった兄のもとへと駆け出すムウタを、ちょうど目の前にいた僕が止める。腕で胴を抱えて、前へ行けないようにしただけだから、ぽこぽこ頭を叩かれた。けっこう痛いが、あと一歩前に出たら、ムウタは作業台から落ちるので離せない。
「落ち着け、そいつは……もう、ここにはいない!」
「なんだそれ! おまえが、アンバーも、ビッテも……」
どうやら、僕を侵入者と勘違いしているらしい。
胴体を抱えたままムウタを床に下ろすと、ユッポがすかさず弟の頬を両手で包む。
「ただいま、ムウタ! おそくなって、ごめんね」
「あれ、姉ちゃん……なんで?」
時の流れを知り、ムウタは呆然とした。それでも、僕が足を直したと聞くと、ぶっきらぼうにお礼を言ってくれる。
「へへ、兄ちゃん、ありがとな」
元気な様子を見て、ユッポは悲哀を残しながらも穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、セコ。ありがとう……」
「どういたしまして。元気になってよかった」
やっと肩の力が抜ける。僕は床に足を投げ出すように座って、大きく息をついた。
まずは、ムウタの回復を喜ぼう。ここで起きたことを、より詳しく知るのはそれからだ。
「ムウ兄ちゃん!」
思考を切り裂いたのは、トロットの悲鳴に近い声だった。コーダの無事を確認してから、一足先に寝室をのぞいたようだ。残念ながら、再会を喜んだとは思えない。
コーダもユッポもはっと顔を上げて、僕と共にすぐ寝室へ向かった。
ドアが開いた下には、床に座り込むトロットがいた。
「どうしたの、ムウタは……! ああ……」
中を見て、ユッポもがくりと両膝をついた。大部屋と廊下からこぼれた明かりと、僕の手にあるランプが照らす中で、ムウタはうつぶせに倒れていた。
部屋は荒らされていないが、やはりムウタは壊されたようだった。すねを強く打たれたのか、片方の足はひざの下でひしゃげている。もう一方は、無理に引きちぎった風にひざ下がなかった。恐らく、ここまで壊して、廊下から寝室に投げ込まれたんだろう。ドアを閉めて立ちはだかるアンバーを粉々にし、侵入者は気が済んだ。それでコーダは気付かれなかった。兄が、姉が、壊れていく音を聞きながら、床を叩いて悔しがったのかな。固く握った拳と額は、何度も床に打ち付けたせいで、ひどくささくれ立っている。しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
ユッポが、そうっとムウタを抱き上げる。姉の気持ちがわかるのか、トロットとコーダは、寄り添ってうなずいた。皆が、ゆっくりと僕に向き直る。
「セコ……おねがい、してもいいかな」
思えば、ユッポが自分から頼みを口にしたことがあっただろうか。いつだって、誰かのために何かをしようと走り回って、人の頼みを聞いてばかりだ。増えていくカガミを僕と分け持つことも、故障した手足の修理にも、ユッポは負い目を感じてうつむいていた。
自分では、誰かのために何かをすると言うのに。ユッポのために、誰かが何かしてはいけないのか? 何度か、そんなことを問いかけそうになった。「いい子はきっと、自分で何でもできるんだ」と答えが返ってくる気がして、飲み込んだけれど。
「もちろん」
ユッポの頼みなら、僕は快く引き受けよう。君は今だって、重大な決意をした目で僕を見上げている。自分の頼み事は、他人に迷惑だと思い込んでいる節があるから、口に出すのは勇気が必要だっただろう。続く言葉が楽に出せるよう、僕はしゃがんでユッポと目線を合わせた。
「ムウタを……なおしてほしいの。おねがい……」
深く深く頭を下げる姉につられて、トロットとコーダもぺこりとする。
「ああ。……直して見せるさ」
ムウタは、あきらかにトロットよりも損傷が激しい。わずかな明かりで見ただけでは、直せるかどうかはわからなかった。だけど、何としても直す。
本当は、できることなら皆を直したいんだ。思っても、そんなこと言えなかった。空しくなるだけだから。
かつての作業場所は一階だったが、ガラスの破片が散らかっている。修理には、二階の大部屋を使うことにした。ベッド横の棚を中央に集めて、即席の作業台にした。それから皆で、閉め切ったカーテンの上にシーツを張る。白い布で明かりを反射させ、少しでも明るくするためだ。
準備ができたところで、ムウタの状態を詳しく見る。手や顔は、やすりで綺麗にできるだろう。
しかし、足は難しいな。もし僕が、純粋に家具造りを志した職人なら、修理を諦めていた。捨て切れなかった夢に、今は価値を見出せた。
「ユッポおねえちゃん、パパは?」
作業が始まると、不意にコーダが首をかしげた。姿は変わり果てていても、皆が見つかったので、他のことを考える余裕ができたらしい。
「ごめんね。パパは、まだ見つからないの」
修理の材料を見立てに、一度下へ降りたとき、荷物も大部屋へ運んできた。ユッポはその中から、カガミを取り出す。
「でも、ほら……みんなのカガミは、見つけたよ」
皆が待っていた再会の半分だけど、今はアンバー達の姿を見るのが辛い。僕とユッポは、遺影を仕立てるために額縁を作ったんじゃないのに。
かぶりを振って、作業用の手袋をしっかりとはめ直す。僕が今やるべきことは、感傷に蓋をして、ムウタを直すことだ。
修理に集中していたせいか、本当に静かだったのか、長く沈黙が続いた。時々、手元や頬に視線を感じる。夜が深まっても、皆ムウタを心配して起きているんだ。
ちぎられた方の足は、部品の中を通っていた、伸縮性の紐も切れていた。工房に材料の残りがあったから、腿のパーツをいったん継ぎ目で開き、付け根の関節を成す所に新たな紐を付ける。それから、トロットが乾燥室から持ってきた、ひざ下の足をつなぎ直した。
もう一方のひしゃげた足は、合う大きさの部品がなかったので、僕の手で削りだしている。前後に分けて作って、紐を通せるようにするから、少々てこずった。
およそ、足らしい形を作り、木くずを払って一息ついた時、起きているのはユッポだけだった。トロットとコーダは、ベッドのひとつに並んで眠っていた。窓に張ったシーツをよけて空を見ると、時間は、もう夜半といったところだ。
「疲れたら、ユッポも休んで」
うなずいた……いや、うつむいたのか。ユッポはゆるく首を横に振った。
「どうしたら休めるのか、わからなくて」
前に、眠るのかと聞いた時は、眠るのは当然として、夢を見るのだと答えたはずだ。カガミを並べた布団の真ん中に、ひざを抱えて座ったユッポは、きゅっと手を握って身を縮めた。
「ココロも、疲れるんだね。だけど、眠ってくれないの。まだまだ、イカりと悲しみで、イタいまま……」
そうか、眠れないんだ。感情を涙に流し、落ち着くことができればいい。例えば物に八つ当たりができたら、それでも少しは気が晴れる。思いつくのは、かけられない言葉ばかりだ。僕は、旅の中で何度も同じように悩んだ。明かりの揺らぎと一緒に揺れる目を見て、かける言葉のないまま、時間は過ぎた。
作業は夜通しになりそうだ。土砂崩れで傷だらけになった手の完治はまだだけど、休む気はない。ムウタが元気になれば、ユッポの怒りは少し収まるかな。悲しみも少しは和らぐんじゃないかな。その気持ちが、集中を高めているのがわかる。くすぶる夢を覆うため、自分に強いていた没頭とは違う感覚だ。
今更だけど、これが職人としての気持ちなのだと確信している。この手が必要とされる喜びと感謝が力になり、必要としてくれる人のために、何かを作り出していく。
足の長さや太さを微調整して合わせる作業は、時間がかかった。立って歩くとき、バランスが悪くては困るから、急いでいても手は抜けない。関節になる球体が、別の部品から持ってこられたのは幸いだった。
「セコ……おてつだい、してもいい?」
そう言って、ユッポはささくれた顔や手のやすりがけを始めた。本当は、作業が始まってすぐにそうしようと思ったらしい。怒りで手元が狂いそうなので、我慢していた。
今も、気を抜けば力が入りすぎる手を、どうにか優しく動かしている。
「元気になってね……ムウタ」
弟にかける声は、ふんわりと大部屋に響いた。
足の修理より先に、やすりがけは終わった。傍でユッポがそわそわしているのがわかる。僕は少しだけ手を止めて、今、どうしても気になることを聞いてみる。
「ユッポ。旅を始めたのを、後悔することはないかい?」
いたちごっこで、焦れてばかりの旅。傷付いて、歯がゆい思いをして辛かったよな。僕が同行しなければ、こんなに長く歩き続けることもなく、諦めて家に帰れたんじゃないか。
「コーカイ?」
きょとんとして、ユッポがぱちくりと瞬きをするのは、言葉が難しいせいではなかった。小さく笑って、すぐに答えが返ってくる。
「全然しないよ。セコ、へんなこと聞くんだね」
「だって、歯がゆさも、痛みも、怒りも、知らない方がよかったかもしれないと思って」
「人間は、ハガユイし、イタいし、イカるんでしょ?」
ほとんどオウム返しの言葉に、はっとした。
「つらいことは、あるの。できないことも、わかんないことも、いっぱい。だけど、いいこともいっぱいなんだよ。セコが、わたしにココロがあるって言ってくれたの、すーっごく、うれしかったもん」
それなら、よかった。自然と口元がほころび、僕はまた手を動かす。そこへ、僕は後悔をするのかと、ユッポから問い返される。今度は手を止めずに、自分の気持ちを確かめた。
「いいや。この旅で、僕にもいいことがたくさんあった。後悔なんてしないよ」
明け方、やっとムウタの両足がつながった。修理を終えた途端、目覚めを心配する間もなく飛び起きる。
「なんでだよっ」
悔しさをにじませて荒らげた声は、兄に向かって叫び続けた想いか。驚いて、トロットとコーダも起き上がる。
行けなかった兄のもとへと駆け出すムウタを、ちょうど目の前にいた僕が止める。腕で胴を抱えて、前へ行けないようにしただけだから、ぽこぽこ頭を叩かれた。けっこう痛いが、あと一歩前に出たら、ムウタは作業台から落ちるので離せない。
「落ち着け、そいつは……もう、ここにはいない!」
「なんだそれ! おまえが、アンバーも、ビッテも……」
どうやら、僕を侵入者と勘違いしているらしい。
胴体を抱えたままムウタを床に下ろすと、ユッポがすかさず弟の頬を両手で包む。
「ただいま、ムウタ! おそくなって、ごめんね」
「あれ、姉ちゃん……なんで?」
時の流れを知り、ムウタは呆然とした。それでも、僕が足を直したと聞くと、ぶっきらぼうにお礼を言ってくれる。
「へへ、兄ちゃん、ありがとな」
元気な様子を見て、ユッポは悲哀を残しながらも穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、セコ。ありがとう……」
「どういたしまして。元気になってよかった」
やっと肩の力が抜ける。僕は床に足を投げ出すように座って、大きく息をついた。
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