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奉納の儀
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4日ぶりに牢屋から出ると、空は晴れていた。
それも当然だ、奉納は雨上がりの良く晴れた日に行うと決まっている。
私を牢屋から出した思浪は、慣れたように私の両手を縄で縛った。
前を歩く思浪の後に続いて、私は歩く。
神遣達が忙しそうに奉納の儀の支度をしているのが、遠目に見えた。
都に住むものであれば、奉納の儀について知らぬものはいない。
供えるのは生贄と酒と米と、豪勢な料理だ。
生贄は箱に入れ、外から鍵をかける。
その箱と食べ物を奉船に乗せて、都の水路に浮かべる。
それに乗って船は都の中心へ流れ、そのまま国神の住む聖域へと至る。
そこからの事は、神と生贄のみぞ知るところだ。
奉納の儀の最中に、聖域へ行けるのは生贄のみなのだから。
奉納の儀の最中でなくとも、聖域への立ち入りを許された人間はごくわずかだ。
神遣の、ひいては人間の頂点に坐する仕水家の直系だけがそこへ入り、戻ってくることを許される。
それでも、幼い頃の私は奉船を見るたびに、その行く先を想像した。
国の隅々まで水を送り、また汚れた水を集め浄化する、まさに国の心臓たる聖域はどのような仕組みになっているのだろう。
聖域に住み、国を守っている国神『玲泉』はどんなふうに生贄を食べるのだろうか。
長年の疑問が今、明かされようとしている。
まさか自分がその当事者になるとは、その頃は思いもしなかったが。
そんな事を考えていると、箱の前に辿り着いた。
その白い木箱は、小さい頃の想像よりずっと大きかった。
両開きの扉には細かい彫りが刻まれ、一切の汚れもなくそこにたたずむ木箱はまさに神への捧げものを入れる箱としてふさわしい器に思えた。
今まで何人の罪人が、この箱に入ったのだろうか。
少し箱を眺めた後、私は靴も脱がずに箱の中に自分の体を横たえる。
柔らかい敷物が私を受け止めた。
思浪は片方の扉を閉めると、もう片方に扉に手をかけて、箱の近くにしゃがみ込む。
彼は私の縄を切って回収すると、感情の読めない瞳で囁いた。
「何か、言っておきたいことはあるか」
私は二回ほど瞬きをする。
この男に親切にされたのは、これが初めてだったからだ。
「永里様をよろしく」
そう言うと、彼は忌々し気に顔を歪めた。
「言われなくても」
そう思っているなら、何故不快に感じるのだろうか。
やはり彼の思考はよく分からない。
「貴方は誤解されやすいから、もっと言葉を尽くした方がいいですよ」
そう言うと、イライラしたようにため息をつく。
「分かってるっつの」
そう言い捨てる思浪は、いつになく憔悴している。
こんな状態で、親しい人物を二人、立て続けに失うことになった永里を支えることができるのだろうか。
私は強い不安に駆られる。
しかし死にゆく私にできることは、もうほとんど残されていない。
だからこそ、自分が今できることを考える。
「時間に解決できないものはない、と思う」
誰かを慰めた経験がないせいで、上手く言葉が見つからない。
もっと人を言葉で慰める練習を、しておくべきだっただろうか。
しかしこんな後悔も思考も、もうじき全てなくなる。
「だから、まあ、気楽にやったら?」
そう言うと、思浪は呆れをその瞳に浮かべる。
「死ぬやつは」
とまで言って、口をつぐむ。
がすぐに口を開けた。
「気楽でいいよな」
私は少し笑った。
思浪も少し笑った。
その隙に、私は素早く言った。
「あと、櫂もよろしく」
「はあ?」
思浪がたちまち顔を歪ませる。
「櫂って癒術師のガキか?」
私が頷くと、思浪は更に大きいため息をついた。
その顔には『なんで俺が』と大きく書かれている。
それでも思浪は、頷いた。
「わーったよ」
それは私にとって嬉しい誤算だった。
思浪がここまで義理堅い人間だったとは。
「ありがとう」
『さようなら』と言うのははばかられて、最終的に無責任な言葉に辿り着いた。
「頑張ってね」
思浪は少し恨めしそうに、私を見つめた。
「…おう」
彼はそう力なく呟くと、扉を閉める。
かちゃりと軽く鍵がかかった。
私は大きく伸びをすると、そのまま脱力する。
箱の中は案外快適だ。
自然と欠伸がもれる。
ボーっとしている間に、箱が持ち上げられて移動させられる。
小さい頃に寝たふりをして、母や父に運んでもらったことを思い出した。
二人に手紙は届いた頃だろうか。
手紙には私が生贄に選ばれるに至った簡単な経緯と、短い感謝だけを書いた。
本当は謝罪もしたかったがやめた。
謝罪して許されるようなことではないから。
箱が優しく置かれると、足音は遠ざかった。
ゆらゆらと、穏やかに船は揺れる。
その上で箱に収まる私の体も、ゆらゆら揺れる。
きっと船出の時は近い。
私は箱の木目を見るのにも飽きて、目を閉じた。
真っ暗になった視界の中で、私が裏切ってしまった多くの人々の顔を浮かべる。
人を一人、殺めた。
世界で一番大切な女の子を泣かせた。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」
彼女は私に抱き着いて、泣いていた。
「ありがとう」
世界で一番大切な男の子も泣かせた。
「許しません」
彼は私を睨んで、泣いていた。
「貴方が死んでも、貴方の事を許さない」
それでも私はあの人を殺めたことに、一切の後悔はなかった。
それも当然だ、奉納は雨上がりの良く晴れた日に行うと決まっている。
私を牢屋から出した思浪は、慣れたように私の両手を縄で縛った。
前を歩く思浪の後に続いて、私は歩く。
神遣達が忙しそうに奉納の儀の支度をしているのが、遠目に見えた。
都に住むものであれば、奉納の儀について知らぬものはいない。
供えるのは生贄と酒と米と、豪勢な料理だ。
生贄は箱に入れ、外から鍵をかける。
その箱と食べ物を奉船に乗せて、都の水路に浮かべる。
それに乗って船は都の中心へ流れ、そのまま国神の住む聖域へと至る。
そこからの事は、神と生贄のみぞ知るところだ。
奉納の儀の最中に、聖域へ行けるのは生贄のみなのだから。
奉納の儀の最中でなくとも、聖域への立ち入りを許された人間はごくわずかだ。
神遣の、ひいては人間の頂点に坐する仕水家の直系だけがそこへ入り、戻ってくることを許される。
それでも、幼い頃の私は奉船を見るたびに、その行く先を想像した。
国の隅々まで水を送り、また汚れた水を集め浄化する、まさに国の心臓たる聖域はどのような仕組みになっているのだろう。
聖域に住み、国を守っている国神『玲泉』はどんなふうに生贄を食べるのだろうか。
長年の疑問が今、明かされようとしている。
まさか自分がその当事者になるとは、その頃は思いもしなかったが。
そんな事を考えていると、箱の前に辿り着いた。
その白い木箱は、小さい頃の想像よりずっと大きかった。
両開きの扉には細かい彫りが刻まれ、一切の汚れもなくそこにたたずむ木箱はまさに神への捧げものを入れる箱としてふさわしい器に思えた。
今まで何人の罪人が、この箱に入ったのだろうか。
少し箱を眺めた後、私は靴も脱がずに箱の中に自分の体を横たえる。
柔らかい敷物が私を受け止めた。
思浪は片方の扉を閉めると、もう片方に扉に手をかけて、箱の近くにしゃがみ込む。
彼は私の縄を切って回収すると、感情の読めない瞳で囁いた。
「何か、言っておきたいことはあるか」
私は二回ほど瞬きをする。
この男に親切にされたのは、これが初めてだったからだ。
「永里様をよろしく」
そう言うと、彼は忌々し気に顔を歪めた。
「言われなくても」
そう思っているなら、何故不快に感じるのだろうか。
やはり彼の思考はよく分からない。
「貴方は誤解されやすいから、もっと言葉を尽くした方がいいですよ」
そう言うと、イライラしたようにため息をつく。
「分かってるっつの」
そう言い捨てる思浪は、いつになく憔悴している。
こんな状態で、親しい人物を二人、立て続けに失うことになった永里を支えることができるのだろうか。
私は強い不安に駆られる。
しかし死にゆく私にできることは、もうほとんど残されていない。
だからこそ、自分が今できることを考える。
「時間に解決できないものはない、と思う」
誰かを慰めた経験がないせいで、上手く言葉が見つからない。
もっと人を言葉で慰める練習を、しておくべきだっただろうか。
しかしこんな後悔も思考も、もうじき全てなくなる。
「だから、まあ、気楽にやったら?」
そう言うと、思浪は呆れをその瞳に浮かべる。
「死ぬやつは」
とまで言って、口をつぐむ。
がすぐに口を開けた。
「気楽でいいよな」
私は少し笑った。
思浪も少し笑った。
その隙に、私は素早く言った。
「あと、櫂もよろしく」
「はあ?」
思浪がたちまち顔を歪ませる。
「櫂って癒術師のガキか?」
私が頷くと、思浪は更に大きいため息をついた。
その顔には『なんで俺が』と大きく書かれている。
それでも思浪は、頷いた。
「わーったよ」
それは私にとって嬉しい誤算だった。
思浪がここまで義理堅い人間だったとは。
「ありがとう」
『さようなら』と言うのははばかられて、最終的に無責任な言葉に辿り着いた。
「頑張ってね」
思浪は少し恨めしそうに、私を見つめた。
「…おう」
彼はそう力なく呟くと、扉を閉める。
かちゃりと軽く鍵がかかった。
私は大きく伸びをすると、そのまま脱力する。
箱の中は案外快適だ。
自然と欠伸がもれる。
ボーっとしている間に、箱が持ち上げられて移動させられる。
小さい頃に寝たふりをして、母や父に運んでもらったことを思い出した。
二人に手紙は届いた頃だろうか。
手紙には私が生贄に選ばれるに至った簡単な経緯と、短い感謝だけを書いた。
本当は謝罪もしたかったがやめた。
謝罪して許されるようなことではないから。
箱が優しく置かれると、足音は遠ざかった。
ゆらゆらと、穏やかに船は揺れる。
その上で箱に収まる私の体も、ゆらゆら揺れる。
きっと船出の時は近い。
私は箱の木目を見るのにも飽きて、目を閉じた。
真っ暗になった視界の中で、私が裏切ってしまった多くの人々の顔を浮かべる。
人を一人、殺めた。
世界で一番大切な女の子を泣かせた。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」
彼女は私に抱き着いて、泣いていた。
「ありがとう」
世界で一番大切な男の子も泣かせた。
「許しません」
彼は私を睨んで、泣いていた。
「貴方が死んでも、貴方の事を許さない」
それでも私はあの人を殺めたことに、一切の後悔はなかった。
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