靴に縛られる

えにけりおあ

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後編

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 それから三年経った今日、あの日のことを思い出したのは、当たり前かもしれない。
 私は今、あの日面接を受けた会社に入社が決まって、OLとして働いている。私服可の職場なので服装は自由なのだけど、仕事でも休みの日でも、毎日あの日浅米くんに見繕ってもらった黒いパンプスを履き続けていた。新しい物を買おうとも思ったのだけれど、浅米くんに連れられて行った店の場所も覚えていなくて、あれきり他に私の足に合う靴が見つからなかったからだ。
3年も使い続けたので当たり前なんだけど、もうボロボロで、先日とうとう右足のアウトソールが禿げたので、ようやく心を決めて新しい靴を今日、買いに行くと決めていた。
 本当はあの後すぐ、普段使いの靴も見繕ってもらいたくて浅米くんにお願いして一緒に靴選びに行きたかったのだけれど、なぜかあの日以降浅米くんは大学に来なくなってしまって、連絡先も知らないため会う事ができなくなってしまったのだった。
 今日靴を買いに行くのは、計測した足の形に合わせて一人一人靴の木型から作ってくれるフルオーダーのお店だ。大学時代の友人がそこで靴を作って、デザインもサービスもとっても良かった! とSNSで投稿していたので調べてみたら、なんと一足5万円から作ってくれるらしい。浅米くんは30万円なんて言ってたけどそんなの嘘なんじゃん……と思って調べたら、どうやらオーダーメイドってピンキリらしく、こだわれば100万円する靴も作れるらしい。恐ろしい世界だ。
 そのお店では、昔からの高級フルオーダーとは別に、生地やデザインの自由度は少ない代わりに価格を抑えたフルオーダーを比較的お手頃価格で実現して、けれど品質は妥協せずに提供すると書いてあったので、ここにお願いすることにした。
「おじゃまします……あの、予約していた内河です」
「いらっしゃいませ内河様、お待ちしておりました。どうぞこちらにおかけください」
「ありがとうございます」
 店に入ると年配の方が出迎えてくれた。きちっとした服装で、店内も控えめな高級感が漂っている。服も鞄も近所の量販店で買っている私はこんな格式の高いお店に来るのは初めてで、恐縮しつつ案内された高そうなソファに腰掛けた。
「担当の者を呼んで来ますので、少々お待ちください」
「あっ、はい……」
 一人きり残されて、そわそわと店内を見回しながら待つ。そんなに広いわけではないが、壁が一面棚になっており、様々な靴がオシャレに並べられていた。見た事が無い様な装飾や素材の靴もあれば、男性物の何が違うのか分からない革靴が10足くらい並べられていたりもする。おそらく一足一足お値段が違うんだろうなぁという雰囲気を感じてぞっとした。もしかしたらあの中に100万円の靴が紛れているかも知れないのだ。恐ろしい。
 しばらく待っていたら、店の奥から今度は若い男性の方がやってきた。彼が先ほどの人が言っていた担当の者なのだろうか。
「……あれ、浅米くん?」
「内河先輩、覚えててくださったんですか? 嬉しいです」
 それは大学にいた頃とは雰囲気はだいぶ変わっていたが、間違いなく後輩の浅米くんだった。
「えっここで働いてるの? すごいじゃん!」
「ありがとうございます」
「大学、急に居なくなったから心配してたんだよ。でも浅米くんなら安心して任せられるね。頼りにしてるよ!」
「心配、してくれてたんですか……ありがとうございます。俺に、任せてください。全部」
「うん!」
 初めてのオーダーメイドで緊張していたけれど、あの時私の靴の悩みをあっという間に解消してくれた浅米くんなら安心して任せられる。3年前だって異様に足や靴について詳しかったし、天職だと思うんだよね。
「じゃあ、まず、サイズから測らせてもらいますね」
「よろしくお願いします」
 靴を丁寧に脱がされて、布製のメジャーを当てられて採寸される。ちょっとくすぐったい。しかもなんか、その、撫でられているような……?
「あの、浅米くん?」
「靴、ずっと使ってくれてるんですね」
「あっ、うん、他に合う靴が見つからなくて……」
 ボロボロになってしまったけれど、それでも他のどの靴より圧倒的に履きやすかったこの靴は、私にとって奇跡みたいな靴だ。あの日自分の足にあったこの靴を履いてから、もう痛みや違和感を我慢して他の靴を履くという選択肢は私の中から無くなってしまった。
「俺が、もっと内河先輩に合う靴を用意します」
「すごいね、そんなのできるの?」
「出来ますよ。俺がこの仕事を始めたのは、内河先輩がきっかけなんで」
「えっ、そうだったんだ」
「3年前、祖父がやってた店を継ぎたくなくて、大学に行ってたんです。それなのに、内河先輩がまるで靴を作ってもらうために生まれたような、奇跡みたいな足をしてるから……俺の実家が靴屋だったのは、このための運命だったんだって思って。それからずっと、先輩の足に合う靴のことを考えながら生きてました」
「へえ、そうなんだ」
 自分が誰かの進路のきっかけになるとか考えたことも無かったので、素直に嬉しかった。家業の靴屋を継ぐのが嫌だったけど、靴に悩んでた先輩を助けた事がきっかけで継ぐことを決心したとか、テレビのドキュメンタリーに出演できそうなくらいめっちゃ良い話じゃん。
「先輩、履いて欲しい靴があるんです。俺が初めて作った靴なんですけど」
「えっ、いいけど……私履けるの? 珍しい足の形なんでしょ?」
「先輩以外には履けない靴なんで、先輩に履いてもらえなきゃただのゴミですよ」
「そうなの? まあ、時間はあるし、いいよ?」
 靴のオーダーにどれくらいの時間がかかるか分からなかったので、今日は他に何の予定も入れていない。
「ありがとうございます」
 浅米くんは薄く笑って、お店の奥に行った後、すぐに手に靴を持って帰ってきた。
「これなんですけど」
「えっ、かわいい」
 それは足首で留めるアンクルストラップのパンプスに、リボンと銀色の長いチェーン、それからレースが付いた可愛い靴だった。
「なんかドレスみたいだね。こんな靴もあるんだ」
「気に入ってもらえましたか?」
「うん! 私こういうの好きだなぁ。めっちゃ可愛い」
「履いてもらっても、いいですか?」
「履きたい履きたい!」
 童話の中にしか存在しないようなこんなかわいい靴、女の子なら一度は履いてみたいものだ。浅米くんがしゃがんで片足ずつ丁寧に履かせてくれる。その様子がまるで王子様みたいで、なんだか相対的に自分がお姫様にでもなったかのような錯覚に陥って、照れる。
「サイズは変わってないみたいなんで、多分合ってると思うんですけど、どうですか? キツかったりします?」
「ううん、すごいピッタリ。歩いてみてもいい?
「どうぞ。ヒール高いんで、足元気をつけてくださいね」
 差し出された浅米くんの手を支えにして立ち上がると、確かにヒールが高い。今までとは世界の気圧が違うみたいでちょっとびびる。
「これヒール何センチ?」
「12センチです」
「わあ」
 12センチヒールの靴なんてあるんだ。さっき見せてもらった時はリボンとかの装飾に紛れて気付かなかったけど、道理で立って見える世界が違うわけだ。
 体験したことのないヒール高で足元がぐらぐらするけど、確かにサイズ自体は合っていると思う。足が靴の中に固定されてる気がする。でも無理に足を踏み出すと、たとえ浅米くんの支えがあっても簡単にこけて足を挫きそうな気配がするので、大人しく着席することにした。
「サイズ、どうです?」
「すごいピッタリだった! なんか中でホールドされてる感じがする!」
「内河先輩は足長に比べて足囲が極端に小さいんで、他の靴だと前滑りしてつま先が詰まっちゃうんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「だから、この靴は先輩以外には足を入れることも出来ないんです。なんか、シンデレラみたいですね」
「そう、だね?」
 話が専門的でよく分からないけど、私の足が小さくて特徴的だってことはなんとなく理解できた。ただ、浅米くんが靴を脱がそうともせずこちらをじっと見ているのが、なんだかとても言いようのない不安を湧き立たせる。
「あの、もう脱いでもいい?」
「脱げませんよ」
「……え?」
「もう、その靴脱げないですよ」
 靴のアンクルストラップについている金具に手を触れる。でも外すためのボタンもスイッチも付いていなくて、引っ張ってもガチャガチャいじっても取れる気配はない。
 靴自体もストラップが足首に引っかかって脱げない。なまじピッタリと足に引っ付いているので、隙間を作って滑らせることすら不可能だ。
「えっ、本当に取れないんだけど。どうするの? これ」
「脱がなきゃいいじゃないですか」
「え……困るよ……」
「大丈夫。俺に、任せてください。ぜんぶ」
 怖くなって逃げ出そうと立ち上がるが、慣れない高さのヒールでは走り出すことはおろか歩くこともままならない。なんとか椅子の背もたれに捕まりすり足で距離を取るが、ストラップから伸びている銀色のチェーンを床から拾い上げた浅米くんが、それを思いっきり引っ張った。
「きゃあ!!」
 足首が引かれて立っていられなくなり、尻餅をついた。硬い床に強く叩きつけられたのでお尻が痛い。
「先輩、逃げないでください。ヒール高いんで、危ないですよ」
「いまのは浅米くんが悪くない……?」
 私が転けたのは明らかにチェーンを引っ張った浅米くんのせいだ。ただのデザインだと思っていた長いチェーンがこんなふうに使われるなんて思ってなかった。咄嗟にしてはちょっと都合良くない? もしかして最初からこういうつもりだったの? まさか浅米くんって私より頭良い?
 とりあえず、あのチェーンを浅米くんに握られているとここから逃げ出せそうにない。とりあえずこの靴を脱ぎたいけど、ハサミなども近くにはないため革製の靴を素手で引きちぎれたりしない限りは無理そうだ。……そこまで考えて、あの細い飾りのチェーンくらいなら素手で破壊できるのでは? と思いついた。
 一か八かでチェーンを両手で掴んでぎゅっと力を入れて引っ張る。ひっぱ……んー……!! 硬っ!? 無理!!
「これ、ステンレスの強いチェーンなんで、細くても簡単には千切れないですよ。」
「それは早く言ってよ!!?」
 手が痛くなっただけでなんの収穫も無かった。
取れない金具だったりステンレス製のチェーン飾りだったり、計画性を感じて怖くなる。
「ずっと用意してたんですよ、先輩のために。だから今日、俺の作った靴を先輩に履いてもらえて嬉しいです。これでずっと、いっしょですね。先輩」



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