7 / 7
希望
しおりを挟む
部屋に入ると、東吾さんはジャケットを脱いだ。
暖房が効いているので寒くはないけれど、私はコートを着たまま動けない。
「雪さん」
「はい」
「君に会いたかった」
「……」
彼は私に近づき、そっと抱きしめる。ふわりと、雪の匂いがした。
「そんなに会いたいなら、僕から会いに行けばいい。でも、それはできなかったんです」
どういう意味かわからず、私は何も答えられず、腕の中でじっとしている。
東吾さんから私に会いに来なかったのはなぜか。
温もりに包まれながら、考えた。
少年の彼が私に「会わない」と言ったのは、私のことを嫌いなわけではなく、幼すぎる相手に違和感があったから。では、大人の彼は? 大人同士なら躊躇うこともないはず。
恋愛対象として、会えばいいのに。
「私の……心が、決まったから?」
車の中で彼が無口だったのは、興奮していたから。今も興奮している?
訊くまでもないことだった。私は微かに震えながら、東吾さんの文字を思い出す。
「僕はこう見えて、かなり貪欲です。君の決意が固まる前に会って、もしも無茶なことをしてしまったら取り返しがつかない。わかりますか?」
「東吾さん」
「すべては君を守るため。今だって、守りたいと思っていますよ」
熱が伝わってくる。この人は、素朴で温かくて、でもそれだけじゃない。丁寧だけど力強く、男の人らしい筆跡にそれを感じていた。
「このまま、駅に戻ってもいい」
伏せられた睫毛に、胸が疼いた。どうしてそんなことを言うのかと、責めたくなってしまう。今朝、駅で初めて会った時、私がなぜ泣いたのかわからないなんて。
「私も、望んでいました」
ゆっくりと開かれた彼の目を覗き込む。
「東吾さんがいるから、誰のものにもなりたくなかったんです」
「雪さん……」
名前を呼びながらのキスは熱く激しく、私の緊張も怯えも溶かしてしまった。
「何年待ったかな。かなり、辛かったけど」
「そうなの?」
愛情を交わしたあと、東吾さんの腕枕で休んだ。心地よい疲れが、互いを親密にさせる。大人らしい落ち着きがあった。
「でも、ようやくこうして肌を合わせることができた。それだけで、僕は満足なんだ」
「東吾さん……」
彼の肌は日焼けして、どこもかも引き締まっていた。東吾さんの年齢なら普通なのか、それともよく鍛えられているのか、わからない。
きれいで、しなやかで、野生の香りがする。裸の彼は、野生動物の雄なのだと感じた。悦びと怖さとがない交ぜになった衝動のまま、夢中でしがみついた。
私達は繋がっている。それは身体だけではないと、彼の眼差しが教えていた。
「私も、満たされています」
だけど――
切ない心を伝えるように、東吾さんの胸に甘えた。
十五分ほどベッドに横たわっているとアラームが鳴った。東吾さんの腕時計だ。
「雪さん、起きてる?」
「うん……」
もっとゆっくりしたいけれど、電車の時間は待ってくれない。
シャワーを浴びたあと、私は髪を乾かし、化粧ポーチの道具で簡単にメイクをすませる。私が洋服を身に着けるのを、東吾さんはベッドに腰掛け、まぶしげに見つめた。
「お待たせしました」
「うん」
東吾さんに見下ろされ、私は俯き加減になる。さっきまで、この人に抱かれていたのだ。熱いため息が降りてきて、私の首筋を吸った。素肌が合わさる感覚が再現されて、思わず瞼を閉じる。
「行かせたくないな」
「……」
「でも、すぐに会えるよ。大丈夫」
自分に言い聞かせるように彼はつぶやく。
私の顎を支えると、唇を落とした。
駅のホームで、二人は向かい合う。雪が舞い、街は白く霞んでいる。
「東吾さん、元気で」
「雪さんも」
泣いてしまいそうになり、鼻をこすった。東吾さんはなぜか、そんな私を見てにこにこしている。
なんだか、ひどいと思った。
「しばらく会えないんですよ?」
「そうです。しばらくの間だけです」
「でも……」
これまで二人は、長い年月を会わずに過ごしたのだ。会いたくても、会いたくても我慢した。春までの数か月くらい、なんということもない。そういうことだろう。
「でも、寂しいもの」
「雪さん」
もうすぐ電車が出発する。早く車両に乗らなければ。わかってはいるけれど……
「春まで待つこともない。もう、あなたに会うのを僕は躊躇しませんから」
「えっ?」
東吾さんは私の背中に腕を回し、乗降口へと連れて行く。やはり、嬉しそうな顔をして。
「ご両親によろしく。正月に、ご挨拶に伺いますと伝えてください」
「……東吾さん」
この人は、私を守ってくれる。いつでも、どこにいても私を支えてくれる。
「次は、雪さんが東京を案内してくださいね。楽しみにしています」
「は、はいっ。待ってます」
扉が閉まり、車両が動き出す。窓ガラスに顔を寄せて、東吾さんに手を振った。涙が滲んだけれど、私は微笑むことができた。
東吾さんと、駅のホームが遠くなる。
でも、これまでのどんな時より、彼と、雪の街を近くに感じている。
希望と喜びを胸に、白い景色をいつまでも見つめていた。
暖房が効いているので寒くはないけれど、私はコートを着たまま動けない。
「雪さん」
「はい」
「君に会いたかった」
「……」
彼は私に近づき、そっと抱きしめる。ふわりと、雪の匂いがした。
「そんなに会いたいなら、僕から会いに行けばいい。でも、それはできなかったんです」
どういう意味かわからず、私は何も答えられず、腕の中でじっとしている。
東吾さんから私に会いに来なかったのはなぜか。
温もりに包まれながら、考えた。
少年の彼が私に「会わない」と言ったのは、私のことを嫌いなわけではなく、幼すぎる相手に違和感があったから。では、大人の彼は? 大人同士なら躊躇うこともないはず。
恋愛対象として、会えばいいのに。
「私の……心が、決まったから?」
車の中で彼が無口だったのは、興奮していたから。今も興奮している?
訊くまでもないことだった。私は微かに震えながら、東吾さんの文字を思い出す。
「僕はこう見えて、かなり貪欲です。君の決意が固まる前に会って、もしも無茶なことをしてしまったら取り返しがつかない。わかりますか?」
「東吾さん」
「すべては君を守るため。今だって、守りたいと思っていますよ」
熱が伝わってくる。この人は、素朴で温かくて、でもそれだけじゃない。丁寧だけど力強く、男の人らしい筆跡にそれを感じていた。
「このまま、駅に戻ってもいい」
伏せられた睫毛に、胸が疼いた。どうしてそんなことを言うのかと、責めたくなってしまう。今朝、駅で初めて会った時、私がなぜ泣いたのかわからないなんて。
「私も、望んでいました」
ゆっくりと開かれた彼の目を覗き込む。
「東吾さんがいるから、誰のものにもなりたくなかったんです」
「雪さん……」
名前を呼びながらのキスは熱く激しく、私の緊張も怯えも溶かしてしまった。
「何年待ったかな。かなり、辛かったけど」
「そうなの?」
愛情を交わしたあと、東吾さんの腕枕で休んだ。心地よい疲れが、互いを親密にさせる。大人らしい落ち着きがあった。
「でも、ようやくこうして肌を合わせることができた。それだけで、僕は満足なんだ」
「東吾さん……」
彼の肌は日焼けして、どこもかも引き締まっていた。東吾さんの年齢なら普通なのか、それともよく鍛えられているのか、わからない。
きれいで、しなやかで、野生の香りがする。裸の彼は、野生動物の雄なのだと感じた。悦びと怖さとがない交ぜになった衝動のまま、夢中でしがみついた。
私達は繋がっている。それは身体だけではないと、彼の眼差しが教えていた。
「私も、満たされています」
だけど――
切ない心を伝えるように、東吾さんの胸に甘えた。
十五分ほどベッドに横たわっているとアラームが鳴った。東吾さんの腕時計だ。
「雪さん、起きてる?」
「うん……」
もっとゆっくりしたいけれど、電車の時間は待ってくれない。
シャワーを浴びたあと、私は髪を乾かし、化粧ポーチの道具で簡単にメイクをすませる。私が洋服を身に着けるのを、東吾さんはベッドに腰掛け、まぶしげに見つめた。
「お待たせしました」
「うん」
東吾さんに見下ろされ、私は俯き加減になる。さっきまで、この人に抱かれていたのだ。熱いため息が降りてきて、私の首筋を吸った。素肌が合わさる感覚が再現されて、思わず瞼を閉じる。
「行かせたくないな」
「……」
「でも、すぐに会えるよ。大丈夫」
自分に言い聞かせるように彼はつぶやく。
私の顎を支えると、唇を落とした。
駅のホームで、二人は向かい合う。雪が舞い、街は白く霞んでいる。
「東吾さん、元気で」
「雪さんも」
泣いてしまいそうになり、鼻をこすった。東吾さんはなぜか、そんな私を見てにこにこしている。
なんだか、ひどいと思った。
「しばらく会えないんですよ?」
「そうです。しばらくの間だけです」
「でも……」
これまで二人は、長い年月を会わずに過ごしたのだ。会いたくても、会いたくても我慢した。春までの数か月くらい、なんということもない。そういうことだろう。
「でも、寂しいもの」
「雪さん」
もうすぐ電車が出発する。早く車両に乗らなければ。わかってはいるけれど……
「春まで待つこともない。もう、あなたに会うのを僕は躊躇しませんから」
「えっ?」
東吾さんは私の背中に腕を回し、乗降口へと連れて行く。やはり、嬉しそうな顔をして。
「ご両親によろしく。正月に、ご挨拶に伺いますと伝えてください」
「……東吾さん」
この人は、私を守ってくれる。いつでも、どこにいても私を支えてくれる。
「次は、雪さんが東京を案内してくださいね。楽しみにしています」
「は、はいっ。待ってます」
扉が閉まり、車両が動き出す。窓ガラスに顔を寄せて、東吾さんに手を振った。涙が滲んだけれど、私は微笑むことができた。
東吾さんと、駅のホームが遠くなる。
でも、これまでのどんな時より、彼と、雪の街を近くに感じている。
希望と喜びを胸に、白い景色をいつまでも見つめていた。
23
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
好きな人
はるきりょう
恋愛
好きな人がいます。
「好き」だと言ったら、その人は、「俺も」と応えてくれました。
けれど、私の「好き」と彼の「好き」には、大きな差があるようで。
きっと、ほんの少しの差なんです。
私と彼は同じ人ではない。ただそれだけの差なんです。
けれど、私は彼が好きだから、その差がひどく大きく見えて、時々、無性に泣きたくなるんです。
※小説家になろうサイト様に掲載してあるものを一部修正しました。季節も今に合わせてあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる