雪の日に

藤谷 郁

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希望

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部屋に入ると、東吾さんはジャケットを脱いだ。

暖房が効いているので寒くはないけれど、私はコートを着たまま動けない。

「雪さん」

「はい」

「君に会いたかった」

「……」

彼は私に近づき、そっと抱きしめる。ふわりと、雪の匂いがした。

「そんなに会いたいなら、僕から会いに行けばいい。でも、それはできなかったんです」

どういう意味かわからず、私は何も答えられず、腕の中でじっとしている。

東吾さんから私に会いに来なかったのはなぜか。

温もりに包まれながら、考えた。

少年の彼が私に「会わない」と言ったのは、私のことを嫌いなわけではなく、幼すぎる相手に違和感があったから。では、大人の彼は? 大人同士なら躊躇うこともないはず。

恋愛対象として、会えばいいのに。

「私の……心が、決まったから?」

車の中で彼が無口だったのは、興奮していたから。今も興奮している?

訊くまでもないことだった。私は微かに震えながら、東吾さんの文字を思い出す。

「僕はこう見えて、かなり貪欲です。君の決意が固まる前に会って、もしも無茶なことをしてしまったら取り返しがつかない。わかりますか?」

「東吾さん」

「すべては君を守るため。今だって、守りたいと思っていますよ」

熱が伝わってくる。この人は、素朴で温かくて、でもそれだけじゃない。丁寧だけど力強く、男の人らしい筆跡にそれを感じていた。

「このまま、駅に戻ってもいい」

伏せられた睫毛に、胸が疼いた。どうしてそんなことを言うのかと、責めたくなってしまう。今朝、駅で初めて会った時、私がなぜ泣いたのかわからないなんて。

「私も、望んでいました」

ゆっくりと開かれた彼の目を覗き込む。

「東吾さんがいるから、誰のものにもなりたくなかったんです」

「雪さん……」

名前を呼びながらのキスは熱く激しく、私の緊張も怯えも溶かしてしまった。




「何年待ったかな。かなり、辛かったけど」

「そうなの?」

愛情を交わしたあと、東吾さんの腕枕で休んだ。心地よい疲れが、互いを親密にさせる。大人らしい落ち着きがあった。

「でも、ようやくこうして肌を合わせることができた。それだけで、僕は満足なんだ」

「東吾さん……」

彼の肌は日焼けして、どこもかも引き締まっていた。東吾さんの年齢なら普通なのか、それともよく鍛えられているのか、わからない。

きれいで、しなやかで、野生の香りがする。裸の彼は、野生動物の雄なのだと感じた。悦びと怖さとがない交ぜになった衝動のまま、夢中でしがみついた。

私達は繋がっている。それは身体だけではないと、彼の眼差しが教えていた。

「私も、満たされています」

だけど――

切ない心を伝えるように、東吾さんの胸に甘えた。



十五分ほどベッドに横たわっているとアラームが鳴った。東吾さんの腕時計だ。

「雪さん、起きてる?」

「うん……」

もっとゆっくりしたいけれど、電車の時間は待ってくれない。


シャワーを浴びたあと、私は髪を乾かし、化粧ポーチの道具で簡単にメイクをすませる。私が洋服を身に着けるのを、東吾さんはベッドに腰掛け、まぶしげに見つめた。

「お待たせしました」

「うん」

東吾さんに見下ろされ、私は俯き加減になる。さっきまで、この人に抱かれていたのだ。熱いため息が降りてきて、私の首筋を吸った。素肌が合わさる感覚が再現されて、思わず瞼を閉じる。

「行かせたくないな」

「……」

「でも、すぐに会えるよ。大丈夫」


自分に言い聞かせるように彼はつぶやく。

私の顎を支えると、唇を落とした。





駅のホームで、二人は向かい合う。雪が舞い、街は白く霞んでいる。

「東吾さん、元気で」

「雪さんも」

泣いてしまいそうになり、鼻をこすった。東吾さんはなぜか、そんな私を見てにこにこしている。

なんだか、ひどいと思った。

「しばらく会えないんですよ?」

「そうです。しばらくの間だけです」

「でも……」

これまで二人は、長い年月を会わずに過ごしたのだ。会いたくても、会いたくても我慢した。春までの数か月くらい、なんということもない。そういうことだろう。

「でも、寂しいもの」

「雪さん」

もうすぐ電車が出発する。早く車両に乗らなければ。わかってはいるけれど……

「春まで待つこともない。もう、あなたに会うのを僕は躊躇しませんから」

「えっ?」

東吾さんは私の背中に腕を回し、乗降口へと連れて行く。やはり、嬉しそうな顔をして。

「ご両親によろしく。正月に、ご挨拶に伺いますと伝えてください」

「……東吾さん」

この人は、私を守ってくれる。いつでも、どこにいても私を支えてくれる。

「次は、雪さんが東京を案内してくださいね。楽しみにしています」

「は、はいっ。待ってます」


扉が閉まり、車両が動き出す。窓ガラスに顔を寄せて、東吾さんに手を振った。涙が滲んだけれど、私は微笑むことができた。


東吾さんと、駅のホームが遠くなる。

でも、これまでのどんな時より、彼と、雪の街を近くに感じている。

希望と喜びを胸に、白い景色をいつまでも見つめていた。

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