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藤谷 郁

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寒稽古

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寒稽古は宮野川の河原で行われる。

川の水温は2度と聞いて、稽古の参加者も見学者も震え上がった。

集まった練習生は150名ほど。それぞれ支部ごとにストレッチをしたり、型の動きをしたり、寒さに負けないよう準備している。


「では彩子さん、自由に見学していて下さい。この辺りなら日当たりがいいし、大丈夫でしょう」


原田は見学者用スペースまで彩子を送ると、後輩二人とともに川辺に走って行った。


「いよいよ始まりますね」


彩子の隣で見学する女性が話しかけてきた。彼女は少年部の保護者とのこと。


「基本、移動、型、それが終わると川に入るのよね~。風邪引かなきゃいいけど」

「基本、移動、型……ですか?」


彩子が聞き返すと、女性は「あれっ?」という顔をする。


「練習生のご家族では?」

「いえ、知り合いが参加するので、初めて見学にきたんです」

「そうなんだ~。あのね、基本って言うのは……」


女性は親切に、稽古のあらましを教えてくれた。


「それでね、師範と、指導員と、一般部の人達が最後に川に入るのね。あと、男は子どもからお年寄りまでみんな上半身裸になって稽古するの。うふふっ」


女性は彩子の肩をぽんぽん叩き、嬉しそうに笑う。


「若い子に何教えてんのよ」


母親仲間が横から口を出すと、近くにいた他の母親達もどっと笑った。彩子はどういう顔をすればいいのか分からず、困ってしまう。



「それでは寒稽古を始めます。男性は上を脱いで、女性はTシャツになって下さい!」


スピーカーで指示が飛ぶと、母親達の元に子どもらが次々と駆けてきて、空手着を預けていく。

彩子はそれを微笑ましく見守っていたが、ふと河原に目をやり、原田を見つけると硬直した。

原田は痩身ではなかった。

極端に着痩せするタイプの人が居るが、彼がまさにそうだ。

均整がとれた筋肉質の身体は、適度な厚みがある。きつい打撃にも耐え得るよう鍛え上げたのだろう。腰周りも逞しく、頑丈そうだ。

穏やかで優しい原田のイメージとは真反対の、猛々しさすら感じられる肉体だった。


「……」


彩子は言葉もなく、一人で動揺する。

そして上気した頬を両手で押さえ、うっとりとした眼差しで彼の身体に見とれた。

水辺に近い側に、黒帯を締めた人達が一列に並ぶ。先ほどの母親が、彼らは各道場の指導員だと教えてくれた。


「せいれーつ!」


鉢巻をした大柄な男性が声を張り上げると、散らばっていた練習生がザーッと集まり、整列する。川に背を向けた指導員と向き合い、高段位の者から順に並ぶのだという。

原田と後輩二人は前列に揃っている。

支部長の挨拶が終わると、基本から順番に稽古が始まった。

彩子にとって初めて見る空手の稽古は新鮮で、迫力の光景はまさに壮観だった。

また、空手の型が何とも言えず美しい。

「武は舞に通ず」と表現されるのは本当だと、彩子は思った。


基本、移動、型が終わると、指導員と一般部の大人達から順に川に入っていく。

大人は腰の辺りまで、お年寄りや小さな子どもは足首まで水に浸かり、冷たさに耐える。見ているだけで、心身が引き締まる思いだ。

気合とともに、全員で正拳突きを100本決めると太鼓が鳴り、寒稽古は無事終了した。

彩子は原田の笑顔を見つめ、たくさんの拍手を送った。

稽古のあと、練習生のために蒸しタオルが配られた。河原に設営されたテントで各々体を拭って、着替えを行う。

原田はスポーツウェア姿で、彩子のもとに走ってきた。


「彩子さん! これからぜんざいが振舞われます。行きましょう」


バーベキューの設備がある広場で、大鍋にぜんざいが用意されたらしい。


「当番の支部が早朝から準備しています。毎年恒例ですよ」

「そうなんですか。私もいただいてしまって、大丈夫ですか」

「もちろん! 彩子さんは俺の……」


原田は言いかけて、頭を掻いた。うまい言葉が見つからないらしい。


「うふふっ……あ、ごめんなさい」

「ひどいな」


彩子の反応に原田は困った顔をするが、気分は悪くなさそうだ。


「久しぶりにしっかり基本稽古ができた」

「他にはどんな練習をするんですか?」

「まだ組手がある。あと、技のコンビネーションの練習も、ミット打ちも」


原田は目を輝かせた。本当に空手が好きなんだなと、彩子には羨ましいくらいに映る。


「そう言えば、川の水は冷たかったでしょう。寒くないですか?」


原田はTシャツにトレーニングウェアの上下という薄着だ。


「いや、大丈夫ですよ」

「すごい。寒さに強いんですね。あ、そういえば平田さん達はどこに?」


彩子は平田と木村の姿が無いのに気が付く。


「先に食ってますよ。真っ先に走って行きましたから」

「えっ、そうなんですか」


二人の様子が目に浮かび、彩子は楽しくなって笑った。


彩子は原田達とぜんざいをいただいたあと、車に戻った。その途中、いかつい顔をした男達に原田が呼び止められ、何か話していた。


「部長と師範、何だったんですか」


車に乗り込むと、平田と木村が原田に尋ねた。


「いつもの話ですか。師範代の講習とか」

「ああ」

「出てみたらいいじゃないですか」


木村が身を乗り出し、平田もうんうんと頷いている。


「俺は稽古量の点で無資格なんだよ」


原田は素っ気なく答えて、エンジンをかけた。


「それでも勧められてるんでしょう。稽古量を補う方法はあるんですよ」

「挑戦してほしいッス。原田さんなら師範になってもおかしくないのに」


二人の後輩は声を揃えて言うが、


「まともに務められない免状はいらないの」


平田と木村は顔を見合わせると、肩をすくめる。

原田の横顔は頑なだった。
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