東野君の特別

藤谷 郁

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未来への岐路

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「もしもーし、佐奈ちゃん今どこ? 渉君はそばにいる?」
 いきなり質問を重ねる彼女の声は大きく、携帯をあてがっている耳にビーンと響いた。
「佐奈ちゃん、聞こえてますかー」
「はい、ええっと、今は長良川サービスエリアにいます。東野君は先に車に乗ってるから、そばに居ません」
 喋りながら樹木の陰になる場所に移動した。ここも暑いけれど、日向に比べれば楽である。蝉時雨が賑やかだが、真理ちゃんの声も大きさでは負けていないから構わない。

「それなら、話しても大丈夫ね」
 東野君がそばに居ては話せないことだろうか。私は無意識に警戒し、身構えていた。
「少しだけなら」
「そう。なら、単刀直入に言うね」
 真里ちゃんは断りを入れるまでもなく常に単刀直入だ。前置きをするということは、さらにストレートに来るだろう。
 私は構えを崩さないよう、全身に力を入れて姿勢を固めた。
「さっきのこと、ごめん」
「えっ?」

 予期せぬ言葉に、かくんと力が抜ける。
 どうして謝るのだろうと考える間もなく、彼女は理由を後に続けた。
「感じ悪かったでしょ、私。渉君とは仲良しで、いかにも『昔から知ってるのよっ』みたいな態度で」
「う……」
 返しようがなく口ごもる。
 でも、確かに当たってはいるけれど、真里ちゃんが謝るのは違うと思う。真里ちゃんと東野君は本当に幼馴染みで仲良しなんだから、仕方のないこと。
 積極的で遠慮のない接し方は羨ましくて嫉妬してしまうけれど、理性ではちゃんと分かっているつもりだ。

「渉君、何か言ってたでしょ」
「何かって、真里ちゃんのこと?」
 彼女はコホンと咳払いをすると、声を落とした。
「真里さんとは男同士みたいな関係だ、とか」
「ええっ」
 小さく叫んでしまった。
 ついさっき東野君が言ったことを、そのまま真里ちゃんが口にしたから。

「そっ、それは」
「あはは、やっぱりね。分かりやすいなあ、渉君も」
「えっ、でもでも、どうして分かるの?」
 不思議だった。
 幼馴染みという存在は、そこまで言動を見抜いてしまえるのか?
 東野君のほうをそれとなく見ると、カーナビの設定のためか、リモコンを操作している。

「単純な男の子の心理だよ。彼、佐奈ちゃんに私との関係を変に勘繰られたくないから、男女の感情は一切ありませんよーって、それとなく伝えてるんだよ」
「そ、そうなの?」
「うん。だって、渉君と私が仲良く話してるとき、佐奈ちゃん元気なかったもの」
 かあーっと、顔が熱くなる。

 表に出ていた? 二人のやり取りを面白くないと感じていた、その感情が。
 自分では普通に振舞っていたつもりで、話に合わせて笑ったりもしていたのに、そんな……いや、それよりも。
(東野君は、そんな私の気持ちに気付いてたの?)

「やきもち焼いてるんだなって、渉君も分かってたよ。まあ、私がわざと焼かせちゃったんだけど」
「それって、まさか」
 真里ちゃんがどうして謝ったのか、徐々に理解してきた。この人は昔から負けず嫌いで、私とも他の従兄弟とも、何かにつけてよく張り合っていた。東野君も言ったように、ささいなことでもムキになって。
「そう、わざと渉君とベタベタして、佐奈ちゃんに当て付けたの」

 ええーっ!

 と、叫びそうだった。
 
 今頃、彼女は舌を出しているだろう。私と東野君が恋人関係であることを、おちょくっていたあの時と同じく。
「もう、どうしてそんなこと!」
 さすがに呆れ、怒れてきた。私は本気で妬いて、疎外感に苛まれていたのに。

 真里ちゃんはごめんごめんと繰り返した。
 だけど、どこかおちゃらけた様子が携帯越しにありありと見えるようで、さすがに腹が立つ。
「切っちゃうからね」
「わーっ! ちょっと待って」
 真里ちゃんは慌てて真面目な声になり、言い訳を述べた。

「だって、あの渉君が女の子と付き合うなんて想像もしなかったから、はじめは興味本位だったのよ」
 子供の頃の彼のイメージをそのまま持っているからだと、前にも聞いた。それゆえに、私と彼のことをおちょくったのだ。
「でも、なんだかさ、段々と悔しくなって来ちゃって」
「悔しい?」
「そう、私の知ってる彼は男の子らしくて硬派で、女の子で一番仲の良い子は私だったはずでしょ。だから、今の渉君は渉君じゃないみたいで、なんて言うか、こう」
 真里ちゃんはうーんと唸る。彼女がこんなに言葉に詰まるのは珍しかった。
「だからもう……だからね、とにかく悔しかったのよ」
 それ以外に理由が見つからないという、投げやりな“白状”だった。

 時間や距離が離れていても、言動が把握できてしまう幼馴染みの関係。彼女の“渉君”では無くなってしまったことで生じる、複雑な感情があるのだろう。
 本人にもそれは曖昧で、日頃はっきりとした性格の真里ちゃんでさえ、どう表現すればいいのか分からないのかもしれない。

「後味が悪くて、いても立ってもいられなくて電話したの。嫌な感じだったと思う。ごめんね、佐奈ちゃん」
 悪いことをしたと思ったら、速やかかつ率直に謝るのは真里ちゃんの良いところだ。私の好きな、かっこいい従姉妹の真里ちゃんだった。
「いいよ、もう。気にしてないから」
「ほんとに?」
「うん」
 ホッとした気配が伝わってきて、私も安堵する。子供の頃、けんかをしてもすぐに仲直りした。東野君とも、こんな感じだったのだろう。

「それにしてもさ、びっくりしたよ。渉君は佐奈ちゃんのことを凄く大事にして、細やかに気遣ってるんだね」
「そ、そっかな?」
 急に話の向きを変える真里ちゃんだが、おちょくった口調ではない。からかいではなく、彼女の本音のようだった。
「だって……そうそう、佐奈ちゃんの膝にコーヒーが零れた時、渉君が拭いてくれたでしょ。それも、サッと素早く動いて。つまり佐奈ちゃんのことを細やかに観察して、気遣ってるってことよね」
 真里ちゃんの言い方にどきりとして、もう一度東野君のほうを見る。
 携帯を耳に当て、誰かと話しているようだ。

「渉君って、結構一途なんだね。ちょっぴり羨ましいな」
「は、はあ」
 この場合どう返せばいいのだろう。真里ちゃんに羨ましがられるなんて滅多にない状況だ。
「だから夢のこと、思い出したのよね。渉君の夢は、佐奈ちゃんとなら叶えられそうだなって」
「え……」

 蝉時雨が消え、彼の声が反響する。眉を曇らせ、拒絶して、教えてくれなかった。

 ごめん、佐奈
 今は、ちょっと言えない

「子供の頃からの夢を、ずっと温めてるのね」
「あの、真里ちゃん。私、実はそのことは」
 彼女は、私がその夢について知ってると思い込んでいる。恋人なのだから当然、知っているはずだと。
「子供の発想にしてはロマンチストでしょ。夜明けの香りかあ、いいよねえ」
 嬉しそうに話す真里ちゃんには打ち明けにくいが、このままではますます言えなくなってしまう。
「ごめん、真里ちゃん。その話、私は知らないの。東野君から、聞いたことがなくて」

“夜明けの香り”
 その意味を私は知らない。

「へ?」
『なに言ってるの』『まさか、嘘でしょ』というニュアンスが含まれていた。私だって分からない。どうして東野君が話してくれないのか。

「ええーっ、知らないの?」
「う、うん。訊いてみたけど、今は言えないって」
 しばし沈黙し、気まずい空気が流れる。
 真里ちゃんから見て、私のことを一途に想ってくれているはずの東野君なのに。

「そうなんだ、ふうん」
 いっそ真里ちゃんにここで訊いてしまおうかと考えるが、口に出せなかった。東野君が私を見ている気がして、動けなかった。
 だが真里ちゃんは、そんな私の心境を知ってか知らずか、突拍子もないことを言ったのだ。
「佐奈ちゃん、どれだけあなたが渉君のことを想っているのか教えてあげなよ。ぶっちゃけ、今夜は泊まりでもいいじゃない。とことん話して、愛し合って、自信を持たせて」
「はい?」
 間の抜けた返事をし、それからぽかんと口を開けたまま。

「男って、頼りになりそうで案外迷うところがあるからね」
「あの、でも、その……」
「大丈夫、お母さんには私から上手く言っとくから。頑張りなさいよ、いいね!」
「は、はいっ」
 って、そうじゃなくて!
 勢いに押されて返事をした私に、真里ちゃんは「よし」と納得する。
「それじゃ、またね。あ、渉君にもメールしといてあげる」
「あ、待っ」

 真里ちゃんらしく、言いたいことを言うと通話を切ってしまった。
「もう!」
 携帯を睨むが、こちらから再度かけても彼女は出ないだろう。あきらめてポケットに収めた。

 それにしても。
「と、泊まりでもって」
『とことん話して、愛し合って……』
 ただでさえ暑いのに、さらに熱くなり、汗が滲み出る。
 真里ちゃんの散りばめた言葉を拾い集め、順番に並べようとするが、考えがまとまらない。どういうことなのか分からなかった。
「ああっ」
 彼女が付け加えた『東野君にメールをする』という言葉を最後に拾い、飛び上がって車に走った。

 マスターに借りた車は濃紺のセダン。
 一目散に走りながら、そのフロントガラス越しで携帯を手にする東野君を発見する。通話ではなく、メールを確認する仕草だった。

「真里ちゃん、速過ぎ!」

 太陽に焼かれ、触れたら火傷しそうに熱を持つ車のボディ。恐々と助手席のドアを開ける私に彼が見せたのは、なんとも言えない表情だった。

「遅くなって……ごめんなさい」
 息荒いまま、とりあえず待たせたことを詫びた。真里ちゃんからのメールについては、どう言い出せば良いのか整理がつかず。
 東野君は、壊れ物でも扱うように慎重に携帯電話を閉じた。
「いいよ、ゆっくり行こう」
 いつものように、笑いかける。不自然なくらい、いつもと同じ態度でいる。

 助手席に収まっても、メールについて訊くことができず、それどころか、今の東野君の言葉が気になって、余裕が持てなくなってしまった。

(ゆっくり? ゆっくり行こうって、それはつまり)

 頭の中をぐるぐると、疑問が渦を巻いたまま、さらに北へと走り続けた。


 

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