先生

藤谷 郁

文字の大きさ
102 / 104
先生

5【完】

しおりを挟む
時々、想像して怖くなる。

あなたと出会わなかったら、今頃どうしていたのか。

寂しくて、やるせなくて、泣きそうになる。

知っていますか、こんなにもあなたを求めているのを。

あの黄昏の教室、出会いの瞬間を憶えていますか。



大好きな、島先生――






夜明け前に目が覚めた。

海の音が聞こえる。

ここは、秀一さんのふるさと。


起き上がって見回すと、隣に眠っていたはずの人はおらず、ドアの隙間から細い光が漏れている。


「秀一さん?」

「ごめん、起こしたかな」


ドアを開けて現れた秀一さんは、既に洋服に着替え、髪もきれいに整えていた。


「どこかに行くの?」


ベッドの端に腰掛けた彼に訊く。


「うん。でも、あまり気持ちよさそうに寝てるから、起こすのを迷ってた」


毛布を掛けてくれながら笑った。今日初めての優しい笑顔に、蕩けそうになる。


「浜を一緒に歩きたいなと、思って」

「浜……?」


窓の外は暗いが、朝の気配がする。私はもちろん頷いた。


「行きたいです。すぐに着替えますね」


彼のキスを受けると、急いで支度をした。




潮風は冷たいけれど、清々しい。

誰も居ない浜辺。

波のざわめきの他に音はなく、静かだった。

水平線に目を凝らすと、うっすらと明るい。もうすぐ夜が明けるのだ。

コートを着た私を、ジャケット姿の秀一さんが大事そうに包み、歩いている。彼の身体は温かい。ぽかぽかと、心地よいほどに。


渚までくると、彼は立ち止まった。

海の彼方をじっと見つめている。

何もかも忘れてしまいそうに、二人きりだった。


「君の裸婦画が完成した」

「ほんとに?」


私をモデルにした裸婦画。モデルを終えた私は、彼が最後に行うという仕上げを待っていた。


「正確に言えば、今から完成する」

「?」


首を傾げる私に、彼は言葉を継ぐ。


「あとはタイトルだけ。ずっと考えていたけど、なかなか思い浮かばなくて。考えちゃ駄目なんだな」

「タイトル……」


仕上げというのはタイトルだったのだ。でも、今から完成するというのは……


「見てごらん」


水平線が明るくなってきた。

青のグラデーションが薄れていく。


「夜明けだ」


秀一さんは私を解放すると、あらためて言った。


「夜明けだよ、薫。新しい未来への、始まりの一歩だ」

「秀一さん?」


彼は私に背を向け、渚に沿って歩き始めた。頼もしく広い背中を朝陽が照らす。

新しい未来への、始まりの一歩。

裸婦画のタイトルは……


「夜明け」


秀一さんの声。

私はどきどきしながら、彼の告白を思い出す。


――君の素肌が、僕の黎明のばら色なんだ。

 
秀一さんが立ち止まり、海を指差した。今しも太陽が昇りつつある、黎明の海。


「きれい……」


少年の日に、彼が見つめ続けた故郷の海。

息を呑むほどの、自然のいろどり


「秀一さん」


涙が零れた。

様々な光景が、夜明けの空に映し出される。

短くも長い、恋の旅路。関わり合ったすべての人々。導いてくれたすべての出来事。

何もかもが鮮やかに蘇る。


「秀一さん!」


あなたを好きになり、世界がばら色に変わった瞬間。

あの日がすべての始まりだった。

何度も泣いた。悲しみもあった。

だけど、私はいつだって、あなたのことを想ってる。忘れたことなんてない。

結ばれる日を夢に見て、憧れの気持ちは膨らむばかり。

恋なんて、辛くて、苦しくて、逃げ出したくなったけれど、それ以上に幸せでいっぱい――


「薫!」


砂浜の上、胸を広げたあなたに身体中で応える。

迷わずに駆けていく。あなたに向かって、私の憧れの人、大好きな人に。


抱きついた私を受け止める。あなたのすべてで受け止めてくれる。

いつだって幸せでした。

今も、これからも、永遠にあなたは私の先生。

大好きな秀一さん。



ばら色の空と海。

ひとつに重なるシルエット。

幸せに溶け合い、恋は愛に結ばれた――










<完>
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

強引な初彼と10年ぶりの再会

矢簑芽衣
恋愛
葛城ほのかは、高校生の時に初めて付き合った彼氏・高坂玲からキスをされて逃げ出した過去がある。高坂とはそれっきりになってしまい、以来誰とも付き合うことなくほのかは26歳になっていた。そんなある日、ほのかの職場に高坂がやって来る。10年ぶりに再会する2人。高坂はほのかを翻弄していく……。

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛

ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。 そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う これが桂木廉也との出会いである。 廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。 みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。 以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。 二人の恋の行方は……

高嶺の花の高嶺さんに好かれまして。

桜庭かなめ
恋愛
 高校1年生の低田悠真のクラスには『高嶺の花』と呼ばれるほどの人気がある高嶺結衣という女子生徒がいる。容姿端麗、頭脳明晰、品行方正な高嶺さんは男女問わずに告白されているが全て振っていた。彼女には好きな人がいるらしい。  ゴールデンウィーク明け。放課後にハンカチを落としたことに気付いた悠真は教室に戻ると、自分のハンカチの匂いを嗅いで悶える高嶺さんを見つける。その場で、悠真は高嶺さんに好きだと告白されるが、付き合いたいと思うほど好きではないという理由で振る。  しかし、高嶺さんも諦めない。悠真に恋人も好きな人もいないと知り、 「絶対、私に惚れさせてみせるからね!」  と高らかに宣言したのだ。この告白をきっかけに、悠真は高嶺さんと友達になり、高校生活が変化し始めていく。  大好きなおかずを作ってきてくれたり、バイト先に来てくれたり、放課後デートをしたり、朝起きたら笑顔で見つめられていたり。高嶺の花の高嶺さんとの甘くてドキドキな青春学園ラブコメディ!  ※2学期編4が完結しました!(2025.8.4)  ※お気に入り登録や感想、いいねなどお待ちしております。

Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜

葉月 まい
恋愛
ーー私はあの夜、一生分の恋をしたーー あなたとの思い出さえあれば、この先も生きていける。 見ると幸せになれるという 珍しい月 ブルームーン。 月の光に照らされた、たったひと晩の それは奇跡みたいな恋だった。 ‧₊˚✧ 登場人物 ✩˚。⋆ 藤原 小夜(23歳) …楽器店勤務、夜はバーのピアニスト 来栖 想(26歳) …新進気鋭のシンガーソングライター 想のファンにケガをさせられた小夜は、 責任を感じた想にバーでのピアノ演奏の代役を頼む。 それは数年に一度の、ブルームーンの夜だった。 ひと晩だけの思い出のはずだったが……

処理中です...