恋の記録

藤谷 郁

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幸せの部屋

15

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「悩みというのは、職場の人間関係?」


どこから話すべきか考えていると、智哉さんが先に口を切った。


「どうしてわかるんですか?」

「僕の店でも、スタッフの悩みごとの大半は人間関係だよ。些細なことでも、放っておくと問題がこじれて、やっかいな事態になる。いろいろと経験済みだ」


上手く調整しないと、退職に至る場合も珍しくないと智哉さんは言う。


「ハルが職場の上司ではなく僕に相談するということは、その上司が問題なんだな。古池店長か」


ズバリと言い当てられてびっくりする。


「そう、そうなんです。店長が悩みの種なんです」


上司を悪く言うのは憚られるが、智哉さんは大体察してくれているようなので、相談に入りやすい。冷静な態度がありがたかった。


「あの店長、とんでもない人だったんです。最初はわからなかったけど、だんだんと本性が見えてきて」


カシスオレンジを一口飲んで、気を落ち着かせる。

智哉さんは椅子を半回転させて、私のほうへ体を向けた。


「全部、話してくれ。僕なら君の憂いをはらうことができる」


自信にあふれた言葉が頼もしい。

私は安堵した気持ちで、職場の現状と問題について打ち明けた。


「なるほどね。それは酷いな」


私の話を聞いた後、智哉さんは考え込んだ。口を付けていない彼のグラスは、汗をかいている。


「人は見かけによらないものだ。不倫するような男に見えなかった。ましてや、相手が邪魔になったら配置転換を名目に店から追い出すとは、卑劣極まりない行為だ。それに……」


智哉さんは、怖い顔になった。


「次の不倫相手としてハルに目を付けるなんて、許せないな」

「智哉さん……」


本気で怒っている。

私は、そんな場合ではないのに喜びを感じた。女としての、久しぶりに得る感動だった。


「しかし、その土屋さんという社員も困ったものだ。仕事に私情を持ち込み、君に嫌がらせするなどお門違いだろう。店長に捨てられ、店を追い出されるのは気の毒だが、自業自得だし、そんな扱いをされても仕方のない人間だ」

「ええ……」


私も同感だ。

でも、智哉さんはもっと冷徹に土屋さんを斬り捨てている。少し、怖いくらいに。


「それで、ハル。古池店長は、具体的にどんな方法で君にアプローチしてるんだ。詳しく聞かせてくれないか」

「あ、うん……」


私は智哉さんに、店長のセクハラ行為をアプローチと表現した。具体的なことを知れば彼が不快になるだろうし、何より言いにくい。


「大事なことだよ。僕個人としても、把握しておく必要がある」


内容によっては、古池店長に直接抗議するということだろうか。気持ちは嬉しいけれど、智哉さんをそこまで巻き込むのは本意ではない。

私はとっさに、今の時点で全て話すのは止そうと判断した。


「初めのうちは店長らしく、仕事がしやすいようにアドバイスしてくれたり、親切な態度だったわ。でも、近頃は妙に距離が近くて、目つきが違うというか。あと、服装を褒めたり、プライベートなことを聞き出そうとしたり」

「他には?」

「え、あの、それだけです……はい」

「……」


智哉さんは、私の顔をじっと見ている。表情の変化を読み取ろうとする姿勢は、事情聴取する刑事に似ていた。


「プライベートなことって、例えばどんな?」

「それは……」


これは言ったほうがいいだろう。私は縋りつくように、智哉さんを見つめ返した。


「恋人の有無を訊かれました。それに今朝なんて、駅前通りを歩いて出勤する私をどこかで見ていたのか、彼氏の家に泊まったのかと詮索するんです。もう、気持ち悪くて……」


話すうちに、本当にゾッとしてきた。店長の行いは、鳥宮優一朗のつきまとい行為となんら変わらない。


「なるほど、まともな上司ではないな。それでハルは、彼の詮索にどう答えた?」

「もちろん、個人情報は渡しません。事情があって友人の家に身を寄せているとだけ答えて、あとは突っぱねました。どんな友人なのかと、しつこく訊かれたけど、シャットアウトです」

「詮索はやめろと、はっきり告げたんだな」

「はい」


智哉さんは私の対応にとりあえず満足したようだ。グラスを取り上げて、酒を一口飲んだ。


「しかし、いかにも図々しい男だな。お世辞にも見栄えがいいとは言えない中年男が、なぜ異動して間もない君に、そこまで迫ることができるのか……」


会話が途切れ、静かな時が流れる。智哉さんは、どうにも解せないといった風に考え込んだ。

そして、長い沈黙のあと……


「一つ、質問させてくれ。これまでに何か、店長とプライベートな話をしたことは?」

「えっ?」
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