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素足
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もうすぐタクシーが来る。
私はパンツスーツに着替えると、リュックを肩に掛けて玄関に向かった。
山賀さんのお見舞いに行くことは、見張り役の刑事と、東松さんと瀬戸さんにも報告してある。昨日の今日なので東松さんに怪訝な顔をされたが、それらしい理由をつけてごまかした。
「これが一番、大切なもの」
東松さんたちが帰った後、レザーソールのパンプスを磨いて玄関に出しておいた。智哉さんと初めて会った日に履いていた、特別な靴だ。お気に入りのデザインとソールは、私の大切なアイデンティティである。
いつものように、しっくりと足に馴染む。踵を鳴らして、ホテルをあとにした。
予定どおり、午後6時にR病院のロータリーに到着。受付を済ませて、山賀さんの病室へと向かう。エレベーターを降りて6階の廊下を歩く私を、刑事がチェックしているだろう。
だが、病室に入ればモニターから消える。いよいよ脱出計画の実行だ。
「道具は黒のゴミ袋に入れて洗面台の下に隠しておくと、おじいさんが言っていました」
病室に入ると、山賀さんがドアにつっかい棒をしながら私に伝えた。おじいさんというのは、清掃スタッフの老人のことだ。
「大丈夫? 無理しないで」
「これぐらい平気です。ゆっくりだけど、歩けますし」
山賀さんは怪我の後遺症で、右脚に痺れが残っている。彼女に肩を貸し、ベッドに戻るのを手伝った。
「午後6時30分までに降りてください。雨が降ってるから、早く始めても大丈夫だそうです」
「分かった」
日没まで間があるが、外は既に薄暗い。私は小さく深呼吸してから、行動開始した。
洗面台の下から道具を運び出して、中身を確認した。ロープ梯子と滑り止め付きのシューズ。あとはグローブと、ベルトのようなものが入っている。
「カラビナでザイルみたいな紐が繋げてある……これは?」
「ベルトを体に巻いて、梯子を降りる前に紐の先端を窓から垂らしてください。おじいさんが下で固定してくれます」
「命綱ってこと?」
山賀さんがうなずくのを見て、心の底から安堵する。てっきり、命綱なしでやると思っていた。
(私が死んだら、元も子もないものね)
そんなことを考えながらベルトを巻こうとすると、山賀さんがベッドを離れ、手伝おうとした。
「自分でやるわ。山賀さんは病人なんだから、ベッドで休んでなさい」
「でも、しっかり装着しないと」
「一人で出来るって」
命綱は単純なつくりだった。万が一を考えての、保険みたいなものだろう。無いよりマシていどに考えたほうが良さそうだ。
「ほら、出来た」
「ほんとだ。さすが一条さんですね」
山賀さんがベッドに戻るのを見て、夕飯のトレイがテーブルに置いてあることに気づく。食器の蓋が閉じたままだ。
「私のことはいいから、ごはんを食べて。こんな時でも、ちゃんと栄養を摂らなきゃ」
「お腹も空いてないし、いりません。それに、『夕飯も食べずに寝てしまった』という設定なので」
「……設定?」
「あの人の指示です」
三国仁志は、山賀さんにも指示を出していた。
「一条さんが脱出したあと、7時ごろに警察が踏み込んでくるだろうから、『ずっと眠っていたので、何も気づきませんでした』って、とぼけるよう言われたんです。そのほうが、下手に嘘をつくよりマシだからと。あとは、密室にするとかえって怪しまれるから、鍵はかけないようにと指示されました」
「なるほど……」
脱出を手伝ったとバレたら追及される。いずれバレるとしても、遅いほうがいいと判断したのだ。
「要するに、山賀さんが寝ている間に、私が消えたことにするのね」
「そうです」
山賀さんがダンマリを決め込めば、時間稼ぎにはなる。しかし、普通の人間がそこまで考えるだろうか。
あの男は本当に、何者なんだろう?
智哉さんの味方であることは確かだが、あとは謎だ。警察も詳しく教えてくれなかった。
「でも、一条さんが来ると分かってるのに、ぐっすり寝ちゃうのは不自然な気がするような……」
山賀さんは少し不安そうだ。
警察は細かいところに突っ込んでくる。答えに詰まれば追及されるだろう。
「じゃあ、約束は明日だったことにしようよ。それなのに私が来たと知って、山賀さんが驚くの」
「なるほど。それなら自然ですね」
嬉しそうな山賀さんを前に、複雑な気持ちになる。しかし今は、話を合わせるしかない。
(私は必ず、智哉さんを連れてくる。そして、あなたを救ってみせる)
彼女への『プレゼント』であるオーディオプレイヤーを棚に置き、脱出の準備を再開した。
私はパンツスーツに着替えると、リュックを肩に掛けて玄関に向かった。
山賀さんのお見舞いに行くことは、見張り役の刑事と、東松さんと瀬戸さんにも報告してある。昨日の今日なので東松さんに怪訝な顔をされたが、それらしい理由をつけてごまかした。
「これが一番、大切なもの」
東松さんたちが帰った後、レザーソールのパンプスを磨いて玄関に出しておいた。智哉さんと初めて会った日に履いていた、特別な靴だ。お気に入りのデザインとソールは、私の大切なアイデンティティである。
いつものように、しっくりと足に馴染む。踵を鳴らして、ホテルをあとにした。
予定どおり、午後6時にR病院のロータリーに到着。受付を済ませて、山賀さんの病室へと向かう。エレベーターを降りて6階の廊下を歩く私を、刑事がチェックしているだろう。
だが、病室に入ればモニターから消える。いよいよ脱出計画の実行だ。
「道具は黒のゴミ袋に入れて洗面台の下に隠しておくと、おじいさんが言っていました」
病室に入ると、山賀さんがドアにつっかい棒をしながら私に伝えた。おじいさんというのは、清掃スタッフの老人のことだ。
「大丈夫? 無理しないで」
「これぐらい平気です。ゆっくりだけど、歩けますし」
山賀さんは怪我の後遺症で、右脚に痺れが残っている。彼女に肩を貸し、ベッドに戻るのを手伝った。
「午後6時30分までに降りてください。雨が降ってるから、早く始めても大丈夫だそうです」
「分かった」
日没まで間があるが、外は既に薄暗い。私は小さく深呼吸してから、行動開始した。
洗面台の下から道具を運び出して、中身を確認した。ロープ梯子と滑り止め付きのシューズ。あとはグローブと、ベルトのようなものが入っている。
「カラビナでザイルみたいな紐が繋げてある……これは?」
「ベルトを体に巻いて、梯子を降りる前に紐の先端を窓から垂らしてください。おじいさんが下で固定してくれます」
「命綱ってこと?」
山賀さんがうなずくのを見て、心の底から安堵する。てっきり、命綱なしでやると思っていた。
(私が死んだら、元も子もないものね)
そんなことを考えながらベルトを巻こうとすると、山賀さんがベッドを離れ、手伝おうとした。
「自分でやるわ。山賀さんは病人なんだから、ベッドで休んでなさい」
「でも、しっかり装着しないと」
「一人で出来るって」
命綱は単純なつくりだった。万が一を考えての、保険みたいなものだろう。無いよりマシていどに考えたほうが良さそうだ。
「ほら、出来た」
「ほんとだ。さすが一条さんですね」
山賀さんがベッドに戻るのを見て、夕飯のトレイがテーブルに置いてあることに気づく。食器の蓋が閉じたままだ。
「私のことはいいから、ごはんを食べて。こんな時でも、ちゃんと栄養を摂らなきゃ」
「お腹も空いてないし、いりません。それに、『夕飯も食べずに寝てしまった』という設定なので」
「……設定?」
「あの人の指示です」
三国仁志は、山賀さんにも指示を出していた。
「一条さんが脱出したあと、7時ごろに警察が踏み込んでくるだろうから、『ずっと眠っていたので、何も気づきませんでした』って、とぼけるよう言われたんです。そのほうが、下手に嘘をつくよりマシだからと。あとは、密室にするとかえって怪しまれるから、鍵はかけないようにと指示されました」
「なるほど……」
脱出を手伝ったとバレたら追及される。いずれバレるとしても、遅いほうがいいと判断したのだ。
「要するに、山賀さんが寝ている間に、私が消えたことにするのね」
「そうです」
山賀さんがダンマリを決め込めば、時間稼ぎにはなる。しかし、普通の人間がそこまで考えるだろうか。
あの男は本当に、何者なんだろう?
智哉さんの味方であることは確かだが、あとは謎だ。警察も詳しく教えてくれなかった。
「でも、一条さんが来ると分かってるのに、ぐっすり寝ちゃうのは不自然な気がするような……」
山賀さんは少し不安そうだ。
警察は細かいところに突っ込んでくる。答えに詰まれば追及されるだろう。
「じゃあ、約束は明日だったことにしようよ。それなのに私が来たと知って、山賀さんが驚くの」
「なるほど。それなら自然ですね」
嬉しそうな山賀さんを前に、複雑な気持ちになる。しかし今は、話を合わせるしかない。
(私は必ず、智哉さんを連れてくる。そして、あなたを救ってみせる)
彼女への『プレゼント』であるオーディオプレイヤーを棚に置き、脱出の準備を再開した。
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