恋の記録

藤谷 郁

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春菜と智哉

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「そうだったの……」


カーナビの目的地を、あんな山道の途中に設定したわけが分かった。すべては三国が立てた、綿密な計画である。


「崖崩れの土砂で、側坑口は完全に塞がっただろうな。警察は僕らが助からなかったと判断して、今頃必死になって掘り起こしてるよ。遺体なんか、出てこないのに」


智哉さんの口ぶりは小気味よさげだ。それはきっと、まんまと警察を欺いたから。


「三国は一体、何者なの?」


なぜそこまでして智哉さんに協力するのか、不思議でならない。三国と会って以来、ずっと気になっていた。


「あの男は、いろんな人間に貸しがある。だけど、僕だけは別なんだ」

「どういう意味?」

「こっちに貸しがある。この機会に、僕の人生に対する責任を取ってもらうのさ」


智哉さんはつぶやき、飲みかけのカップを置いた。気のせいか、恨みのこもる声に聞こえた。


そういえば、三国も同じようなことを言っていた。世の中は理不尽だとか、正義など役に立たないとか、前置きして。


『……だから、俺には責任がある。彼の人生に対して』


二人の間に何か、とてつもない出来事があったのだ。それはたぶん、深い因縁。深い恨み。


「なあ、ちょっと散歩しないか」

「えっ……散歩?」


急に話が変わり、ぽかんとした。彼は返事を待たず、サッと立ち上がる。


「行こう。その辺を案内するよ」

「で、でも、まだ話の途中なのに……」

「歩きながら話せばいい。それより、その靴じゃ滑って危ないから、何とかしよう」


急にどうしたのだろう。よく分からないが、私も飲みかけのカップを置いて、彼と一緒に玄関へと向かった。




外に出る前に、智哉さんが私のパンプスに滑り止めを付けてくれた。


「とりあえず、これでいいだろ」


輪ゴムを使っての、応急処置だ。パンプスに巻いた輪ゴムは物資の梱包に使われていたもので、幅が広い。


「知らなかった。こんな方法があるのね」

「あくまでも応急処置だから、ムリしないように。それにしても、せっかくゴム底の靴を履いていたのに。なんであの時、裸足になったんだ?」

「あ、ああ……うん」


智哉さんがガードレールを乗り越えようとした時、私はスリッポンを脱ぎ捨ててダッシュした。どうしてか、もういらないと思ったのだ。パンプスさえあれば、それでいいと。


「分からない。夢中だったし、よく覚えてないわ」

「ふうん?」


首を傾げるが、深く追及しない。素足で立つ私の足もとに、パンプスを揃えてくれた。


「ありがとう」

「よし、行こうか」


智哉さんが私に背を向け、スッとしゃがんだ。


「な、何?」

「外は雑草だらけだ。歩きやすい場所に出るまで、おんぶするよ」

「ええっ?」


確かに外は雑草だらけで歩きにくそうだが、それではまるで子どもである。

ためらう私に、彼は「早く」と催促した。


「恥ずかしがるな。ちょっとの辛抱だ」

「べ、別に恥ずかしくはないけど……じゃあ、お願いします」


仕方なく智哉さんの背中に身体を預けた。彼はひょいと立ち上がると玄関を出て、どんどん進んでいく。


(温かい……)


久しぶりに感じる、彼の体温だった。頼もしくて力強い男性の身体に、心ならずもドキドキする。


「ヘリの音がするな」

「え?」


耳を澄ますと、遠くでパラパラと音が聞こえる。崖崩れの取材、あるいは私たちの捜索だろうか。


(いずれ警察が探しにくる。三国について徹底的に調べれば、分かるはずだから……智哉さんはどうするつもりだろう)


広い背中に揺られつつ、ぐるぐる考える。


(私はハルではなく一条春菜。未来を共にする相手ではないと認識したのよね。どうしてまだ一緒にいるのかしら)


智哉さんの心情が掴めなかった。


(逃げるのはやめて、罪を償ってほしい。でも私には無理。どう頑張っても、説得できそうにない……)


「この辺ならいいだろ」


雑草が途切れたところで、智哉さんがしゃがんだ。ゆっくり降りて地面に足を付ける。輪ゴムのおかげで、レザーソールのパンプスでも、なんとか歩けそうだ。


「雑木林だね」

「人の手が入ってないから、伸び放題だな」


上を見ると、木々が覆いかぶさり、太陽の光を遮っている。草はほとんど生えていない。


「落ち葉が濡れてるから気を付けて」

「うん」


智哉さんが先に立って歩く。ザーザーと音がする。坂を少し下ると、細い川があった。水量は少ないが、流れが速い。


「この川で洗濯を?」

「そう。流れが速すぎて、この前なんか靴下を持っていかれたよ」

「そうなの?」


思わず笑った。

そんな場合じゃないのに、なぜかすごく可笑しくて。

智哉さんも微笑んでいる。


「こっちだよ。坑道の入り口が、すぐそこにある」


彼が私の手を取り、ゆっくりと進んでいく。こんな歩きにくい場所を、智哉さんは私を担いで運んだのだ。


(一条春菜なんて、放っておけばいいのに)


彼の心情が不可解だった。でも、ちょっぴり嬉しくもある。情けないけれど、私はまだ惹かれているのだろう。

水樹智哉という、一度は愛した男性に。


やがて辿り着いたのは、熊のねぐらのようなほら穴。智哉さんが懐中電灯を取り出し、身体を屈めて中に入っていく。明かりに照らされたのは、トンネルのような通路だった。


「これが坑道?」

「ああ」


狭いのは入り口だけで、奥へ進むと天井が高くなった。やがて入り口が遠くなり、真っ暗な空間になる。懐中電灯がなければ、自分の手すら見えないだろう。


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