26 / 41
二人目の求婚者
11
しおりを挟む
「瑤子さん、どうかした?」
「えっ!?」
信号待ちの交差点で、嶺倉さんが私の顔を覗き込んできた。
「いや、さっきから元気がないなと思って」
「う、ううん、そんなことないです。ただ、久しぶりに遠出したから、結構体力使ったみたいで……心地良い疲れっていうのかな」
「ふうん。なら、いいけど」
苦しい言いわけだが、彼はそれ以上追及せず身体を離した。
私は知らず知らず、無口になっていたらしい。
信号が青に変わると、車は再び走り出す。
海沿いの道は、月明かりに照らされて幻想的な風景に見えた。
夢の世界のような……
「ひょっとして、蓮にスカウトされたとか」
「はいっ?」
シートの上で、跳び上がった。
海藤さんの名前が急に出るので、驚いてしまう。
「ス、スカウトって……」
「あいつ、瑤子さんの仕事に興味ありげだったし、優秀な事務員がほしいっていつも言ってるからさ。もしかしたら、君を引き抜くつもりなのかなと、思っただけ」
「ああ、そういう意味で……」
内心、胸を撫で下ろす。海藤さんとの一件が、ばれたのかと思った。
(そうよね。プロポーズされたなんて、想像もつかないよね、普通)
「いいえ、まさか。私は、引き抜かれるほど優秀じゃありませんし」
「そうかなあ。でも、もしスカウトされても嫌なら断ればいいぞ。そんなことで気を悪くするようなやつじゃないから」
「え、ええ……」
カーブの多い道を、嶺倉さんはスピードを控えめに走行する。
しばらく無言でいたが、ふいに口を開いた。
「蓮の親父さん……海藤観光ホテルの前社長はやり手だが、その反面、金遣いの荒い道楽者だった。リニューアル用に貯めておいた会社の資金を、投資の名のもとに使い潰し、その上酒が原因で身体を壊し、二年前に亡くなってしまった」
「海藤さんの、お父様が……」
思わぬ話に、私は言葉を失くす。
「親父さんは借金こそ残さなかったが、ホテルを再建する資金はゼロ。蓮は当時、海外のホテルに修行に出ていたが、突然の訃報を受けすぐに戻ってきた。自分が社長になり、ホテルを経営するためにね」
「そうだったんですか」
黒ずんだホテルの壁と、色褪せたロビーの様子を思い出す。
私はハッとして、あることに思い至った。
海藤さんは、『あなたのような女性にパートナーになってほしい』と私に言った。傍にいて、力を貸してくれと。彼は大仕事を成し遂げるために、支えてくれる伴侶を求めているのだ。
そういえば支配人が、嶺倉さんが結婚すると聞いて『嶺倉水産も安泰ですな』と、羨ましそうに漏らした。あれは、社長の実情を表す言葉だったのかもしれない。
「蓮のお袋さんは身体が弱く、ホテル業には一切関わっていない。兄弟もおらず、蓮は独りで何もかも背負い込むことになった。後継ぎだから覚悟はしていたろうが、ホテルの歴史、従業員の生活、守るものが多すぎて、一時は本当に参っていたな。だから、俺も仲間達も心配して、おせっかいを焼いてるわけ」
それはまさしく、男の友情だった。
嶺倉さんは心から、海藤さんのことを心配している。
(あの人も、それは分かっているはず。それなのに……)
どうして、私にプロポーズなんてしたの。
嶺倉さんとの友情は関係ないと言っていたが、そんなふうに割り切れるものだろうか。
初めて会った女を、しかも親友の恋人を、そこまで好きになれるだろうか――
私は頭を振り、深く考えるのをやめた。
いずれにしろ海藤さんの求婚に応えるつもりはない。
嶺倉さんの横顔が、月に照らされている。とても優しく、とても男らしい輪郭が浮かび上がる。
多くの女性を惹きつける、太陽みたいなこの人を、私は好きになってしまった。
誰に何と言われても、もうどうしようもないのだ。
「でも、海藤観光ホテルは好立地で、ロケーションも素晴らしいですよね。それに、古くても清潔感がありました。資金さえあれば、じゅうぶん立て直せるのに」
「そうだな。瑤子さんの言うとおりだ」
嶺倉さんはため息をついた。あきらめたような表情は、かなり珍しい。
「蓮のやつ、外見こそクールで考え方もビジネスライクなんだが、肝心なところで仁義に拘るというか、融通が利かないというか……」
嶺倉さんは急に、クスクス笑い出した。表情をころころ変える彼に、私はきょとんとする。
「蓮と瑤子さんって、ちょっと似てるよな。ふふ……」
「そ、そうですか?」
融通が利かないと言われたら、そうかもしれない。
「でも、あの人に比べたら、私はずいぶん感情的だと思いますが」
「うーん、ところがそうじゃないんだなあ。まあ、そのうち分かるだろうけど」
「はあ……」
(海藤さんも、実は感情的ってことかな。ううん、とてもそうは思えない。あの人は、腹が立つほど冷静な男性だ。だから、割り切った考え方ができるのだ、きっと)
「俺も、いろいろ提案してるんだけどね。ビジネスはほんと、難しいよ」
大らかな笑い声が車内に響く。
どんな深刻な事態でも、嶺倉さんなら何とかしてくれる。
誰もがそう信じてしまいそうな、頼りがいのある体躯と存在感に、私はあらためてときめくのだった。
嶺倉さんはアパートの横に車を停めた。私はバッグを持つと、車を降りる前にデートのお礼を言う。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「ああ、俺も。一日があっという間だったな」
別れを惜しむように彼は私を見つめ、手のひらを重ねてくる。
「また近々デートしようぜ」
「ええ、ぜひ」
快諾すると、嬉しそうに目尻を垂らす。あまりにも素直な反応なので、こちらが照れてしまう。
「あっ、そういえば来週の水曜日に、ウイステリアに行く予定がある。ライセンス契約について、専務達と話し合うんだった」
「そうなんですか?」
「夕方からの会議だから、終わるのは7時くらいかな。その後のスケジュールは空いてるし、瑤子さんの都合が良ければ食事でもしないか」
予定を確認するまでもなく、私に用事はない。
「分かりました。7時には仕事を終えるよう調整しますね」
嶺倉さんは「やったね」と喜び、ふいにキスをしてきた。
アパートの誰かに見られたらどうしよう――と、うろたえつつも私は抵抗せず、彼の愛情を受け止めた。
「大好きだよ、瑤子さん」
「私も……」
甘く囁かれ、耳まで熱くなる。
車を降りてからも、胸がドキドキしていた。
「それじゃ、水曜日に」
「ええ。楽しみにしています」
走り去る車を見送り、私はスキップするみたいに部屋へと戻る。
嶺倉さんのキスは、魔法のキス。
頭の中は恋人のことでいっぱいになり、海藤さんのプロポーズなどきれいに忘れてしまった。
「えっ!?」
信号待ちの交差点で、嶺倉さんが私の顔を覗き込んできた。
「いや、さっきから元気がないなと思って」
「う、ううん、そんなことないです。ただ、久しぶりに遠出したから、結構体力使ったみたいで……心地良い疲れっていうのかな」
「ふうん。なら、いいけど」
苦しい言いわけだが、彼はそれ以上追及せず身体を離した。
私は知らず知らず、無口になっていたらしい。
信号が青に変わると、車は再び走り出す。
海沿いの道は、月明かりに照らされて幻想的な風景に見えた。
夢の世界のような……
「ひょっとして、蓮にスカウトされたとか」
「はいっ?」
シートの上で、跳び上がった。
海藤さんの名前が急に出るので、驚いてしまう。
「ス、スカウトって……」
「あいつ、瑤子さんの仕事に興味ありげだったし、優秀な事務員がほしいっていつも言ってるからさ。もしかしたら、君を引き抜くつもりなのかなと、思っただけ」
「ああ、そういう意味で……」
内心、胸を撫で下ろす。海藤さんとの一件が、ばれたのかと思った。
(そうよね。プロポーズされたなんて、想像もつかないよね、普通)
「いいえ、まさか。私は、引き抜かれるほど優秀じゃありませんし」
「そうかなあ。でも、もしスカウトされても嫌なら断ればいいぞ。そんなことで気を悪くするようなやつじゃないから」
「え、ええ……」
カーブの多い道を、嶺倉さんはスピードを控えめに走行する。
しばらく無言でいたが、ふいに口を開いた。
「蓮の親父さん……海藤観光ホテルの前社長はやり手だが、その反面、金遣いの荒い道楽者だった。リニューアル用に貯めておいた会社の資金を、投資の名のもとに使い潰し、その上酒が原因で身体を壊し、二年前に亡くなってしまった」
「海藤さんの、お父様が……」
思わぬ話に、私は言葉を失くす。
「親父さんは借金こそ残さなかったが、ホテルを再建する資金はゼロ。蓮は当時、海外のホテルに修行に出ていたが、突然の訃報を受けすぐに戻ってきた。自分が社長になり、ホテルを経営するためにね」
「そうだったんですか」
黒ずんだホテルの壁と、色褪せたロビーの様子を思い出す。
私はハッとして、あることに思い至った。
海藤さんは、『あなたのような女性にパートナーになってほしい』と私に言った。傍にいて、力を貸してくれと。彼は大仕事を成し遂げるために、支えてくれる伴侶を求めているのだ。
そういえば支配人が、嶺倉さんが結婚すると聞いて『嶺倉水産も安泰ですな』と、羨ましそうに漏らした。あれは、社長の実情を表す言葉だったのかもしれない。
「蓮のお袋さんは身体が弱く、ホテル業には一切関わっていない。兄弟もおらず、蓮は独りで何もかも背負い込むことになった。後継ぎだから覚悟はしていたろうが、ホテルの歴史、従業員の生活、守るものが多すぎて、一時は本当に参っていたな。だから、俺も仲間達も心配して、おせっかいを焼いてるわけ」
それはまさしく、男の友情だった。
嶺倉さんは心から、海藤さんのことを心配している。
(あの人も、それは分かっているはず。それなのに……)
どうして、私にプロポーズなんてしたの。
嶺倉さんとの友情は関係ないと言っていたが、そんなふうに割り切れるものだろうか。
初めて会った女を、しかも親友の恋人を、そこまで好きになれるだろうか――
私は頭を振り、深く考えるのをやめた。
いずれにしろ海藤さんの求婚に応えるつもりはない。
嶺倉さんの横顔が、月に照らされている。とても優しく、とても男らしい輪郭が浮かび上がる。
多くの女性を惹きつける、太陽みたいなこの人を、私は好きになってしまった。
誰に何と言われても、もうどうしようもないのだ。
「でも、海藤観光ホテルは好立地で、ロケーションも素晴らしいですよね。それに、古くても清潔感がありました。資金さえあれば、じゅうぶん立て直せるのに」
「そうだな。瑤子さんの言うとおりだ」
嶺倉さんはため息をついた。あきらめたような表情は、かなり珍しい。
「蓮のやつ、外見こそクールで考え方もビジネスライクなんだが、肝心なところで仁義に拘るというか、融通が利かないというか……」
嶺倉さんは急に、クスクス笑い出した。表情をころころ変える彼に、私はきょとんとする。
「蓮と瑤子さんって、ちょっと似てるよな。ふふ……」
「そ、そうですか?」
融通が利かないと言われたら、そうかもしれない。
「でも、あの人に比べたら、私はずいぶん感情的だと思いますが」
「うーん、ところがそうじゃないんだなあ。まあ、そのうち分かるだろうけど」
「はあ……」
(海藤さんも、実は感情的ってことかな。ううん、とてもそうは思えない。あの人は、腹が立つほど冷静な男性だ。だから、割り切った考え方ができるのだ、きっと)
「俺も、いろいろ提案してるんだけどね。ビジネスはほんと、難しいよ」
大らかな笑い声が車内に響く。
どんな深刻な事態でも、嶺倉さんなら何とかしてくれる。
誰もがそう信じてしまいそうな、頼りがいのある体躯と存在感に、私はあらためてときめくのだった。
嶺倉さんはアパートの横に車を停めた。私はバッグを持つと、車を降りる前にデートのお礼を言う。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「ああ、俺も。一日があっという間だったな」
別れを惜しむように彼は私を見つめ、手のひらを重ねてくる。
「また近々デートしようぜ」
「ええ、ぜひ」
快諾すると、嬉しそうに目尻を垂らす。あまりにも素直な反応なので、こちらが照れてしまう。
「あっ、そういえば来週の水曜日に、ウイステリアに行く予定がある。ライセンス契約について、専務達と話し合うんだった」
「そうなんですか?」
「夕方からの会議だから、終わるのは7時くらいかな。その後のスケジュールは空いてるし、瑤子さんの都合が良ければ食事でもしないか」
予定を確認するまでもなく、私に用事はない。
「分かりました。7時には仕事を終えるよう調整しますね」
嶺倉さんは「やったね」と喜び、ふいにキスをしてきた。
アパートの誰かに見られたらどうしよう――と、うろたえつつも私は抵抗せず、彼の愛情を受け止めた。
「大好きだよ、瑤子さん」
「私も……」
甘く囁かれ、耳まで熱くなる。
車を降りてからも、胸がドキドキしていた。
「それじゃ、水曜日に」
「ええ。楽しみにしています」
走り去る車を見送り、私はスキップするみたいに部屋へと戻る。
嶺倉さんのキスは、魔法のキス。
頭の中は恋人のことでいっぱいになり、海藤さんのプロポーズなどきれいに忘れてしまった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
331
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる