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ヘンタイ同人誌
1
終業後の更衣室。
慧一は私服に着替えると、髪を丁寧に整え、姿見の前で全身をチェックした。
洗いざらしのオックスフォードシャツに白のデニム。梅雨の鬱陶しさをはらうような、爽やかな出で立ちだ。
「ヨシ、決まった!」
ポージングを決めて悦に入る。
それを見ていた同僚が、冷やかすように声をかけた。
「何だ滝口、デートか。気合入ってるな」
慧一は真面目な顔のまま、ふざけて返す。
「彼女もいないワタシにデートができると思って?」
後ろで着替える後輩社員達が、クスクス笑っている。
「嘘つけ。この前見たんだぞ、クルマに女乗っけてるの」
「あれは彼女じゃないよ」
「そうなのか? お前に女のきょうだいなんていたっけ」
「弟が結婚してるから義理の妹はいるけどね。ヤバい、遅れちまう!」
慌てて飛び出してゆく慧一の背中に、同僚の拗ねた声が飛んだ。
「ほら見ろ、やっぱりデートだ!」
いつものように守衛のおじさんと軽く冗談を交わしてから正門を出ると、坂を下りたところにある駐車場に向かった。
エーフォーに乗り込んだところで、計ったようにスマートフォンが鳴る。番号を確認すると、慧一は片方の眉を無意識に上げた。
「はいはい、俺ですよ」
『川本です。今、よろしかったかしら?』
女以外の何者でもないといった声が、耳に絡み付いてきた。
「少しならね」
エンジンをかけたとたん大音量のラップが鳴り、相手が何か言ったのを聞き逃した。
「何?」
『ううん、何でもない。ところで、日曜日のドライブ楽しかったわ。あなたってホントに運転が上手なのね』
「ああ、俺はいろんな運転が上手いんだよ」
『やだ……うっふふ』
慧一は時計を見た。もうすぐ約束の午後7時だ。ルーズを嫌う真介を待たせるのはまずい。
「それでお姉さん、用件は? 手短にね」
『あ、ごめんなさい。今度の土曜日、食事でもどうかなって思って』
「メシね、いいよ」
『良かった。六本木でいいお店を見つけたの』
「あー、また出て行くのか。千葉じゃ駄目なのかい。こっちにも美味い店はいっぱいある。君だって帰るのに便利だろう」
『お願い、絶対気に入ると思うから。インド料理よ、好きでしょ』
「うーん、そりゃ高度な誘惑だな……わかったよ」
慧一は駅での待ち合わせを約束すると通話を切り、真介の待つロマンへと車を走らせた。
◇ ◇ ◇
喫茶ロマンはオートキャンプ場の入り口に設けられた広い駐車場の一角に立つ。慧一は身軽な動作で車から降り立ち、レンガ塀に囲まれた洋館風の建物へと歩いた。
うっそうとした木々の影が屋根に落ちるさまなど、古典的ホラー映画を髣髴とさせる、ちょっと近寄り難い外観である。
だが一歩中に入れば照明も明るく小ぎれいな、普通の喫茶店だ。
「あら、いらっしゃいませ。お待ちかねよお」
顔見知りのバイトのおばちゃんが、元気に迎えてくれた。
「どーも。俺、いつものね」
「はあい、カフェオレひとつね。了解了解」
観葉植物の向こう側に、泉真介が腕組みをして座っている。不機嫌というより、どこか疲れたような表情だ。
慧一が向かいに座ると、
「遅いなあ、何やってたんだよ」
開口一番文句が出た。
「すまんな。女から電話があってさ」
真介は眉をピクリとさせる。
「あの美人のフリーターか」
「いや、今度はキャリアウーマン。美人は美人だけどね。都心にお勤めの二十九歳」
「今度はひとつ年上か……ってそうじゃない。そんな事よりこれだ。おい、これを見てくれ」
真介はテーブルに置いた茶封筒を取り、慧一の胸の前に突き出す。
「何だ?」
「いいから、とにかく見てくれ」
焦れたように言われ、慧一は訝しげな顔で封筒を開け、中にあるものを取り出した。
「冊子か?」
淡い緑色の表紙の、B6サイズの本だ。
レタリングされたタイトルを目でなぞる。
モース4
「中を見てみろ。ああ……ショックを受けるなよ」
心配そうに忠告する真介が、少し滑稽に感じる。一体何がショックなんだ。
慧一はとりあえず全体をパラパラとめくった。五十ページほどの薄っぺらいものだが、各ページに文字が高密度に並んでいる。
「小説かな。ああ、高校の時に文芸部の女の子からもらったのに似てるな。同人誌ってやつじゃないの」
慧一は、一時付き合っていた文学少女の面影を懐かしく浮かべ、同時にその子が綴ったポエムを一行も理解できなかった事実も思い出していた。
「そうだ、同人誌だ。読んでみろ」
急かす真介に頷き、適当なところを選んで読んでみた。
慧一は私服に着替えると、髪を丁寧に整え、姿見の前で全身をチェックした。
洗いざらしのオックスフォードシャツに白のデニム。梅雨の鬱陶しさをはらうような、爽やかな出で立ちだ。
「ヨシ、決まった!」
ポージングを決めて悦に入る。
それを見ていた同僚が、冷やかすように声をかけた。
「何だ滝口、デートか。気合入ってるな」
慧一は真面目な顔のまま、ふざけて返す。
「彼女もいないワタシにデートができると思って?」
後ろで着替える後輩社員達が、クスクス笑っている。
「嘘つけ。この前見たんだぞ、クルマに女乗っけてるの」
「あれは彼女じゃないよ」
「そうなのか? お前に女のきょうだいなんていたっけ」
「弟が結婚してるから義理の妹はいるけどね。ヤバい、遅れちまう!」
慌てて飛び出してゆく慧一の背中に、同僚の拗ねた声が飛んだ。
「ほら見ろ、やっぱりデートだ!」
いつものように守衛のおじさんと軽く冗談を交わしてから正門を出ると、坂を下りたところにある駐車場に向かった。
エーフォーに乗り込んだところで、計ったようにスマートフォンが鳴る。番号を確認すると、慧一は片方の眉を無意識に上げた。
「はいはい、俺ですよ」
『川本です。今、よろしかったかしら?』
女以外の何者でもないといった声が、耳に絡み付いてきた。
「少しならね」
エンジンをかけたとたん大音量のラップが鳴り、相手が何か言ったのを聞き逃した。
「何?」
『ううん、何でもない。ところで、日曜日のドライブ楽しかったわ。あなたってホントに運転が上手なのね』
「ああ、俺はいろんな運転が上手いんだよ」
『やだ……うっふふ』
慧一は時計を見た。もうすぐ約束の午後7時だ。ルーズを嫌う真介を待たせるのはまずい。
「それでお姉さん、用件は? 手短にね」
『あ、ごめんなさい。今度の土曜日、食事でもどうかなって思って』
「メシね、いいよ」
『良かった。六本木でいいお店を見つけたの』
「あー、また出て行くのか。千葉じゃ駄目なのかい。こっちにも美味い店はいっぱいある。君だって帰るのに便利だろう」
『お願い、絶対気に入ると思うから。インド料理よ、好きでしょ』
「うーん、そりゃ高度な誘惑だな……わかったよ」
慧一は駅での待ち合わせを約束すると通話を切り、真介の待つロマンへと車を走らせた。
◇ ◇ ◇
喫茶ロマンはオートキャンプ場の入り口に設けられた広い駐車場の一角に立つ。慧一は身軽な動作で車から降り立ち、レンガ塀に囲まれた洋館風の建物へと歩いた。
うっそうとした木々の影が屋根に落ちるさまなど、古典的ホラー映画を髣髴とさせる、ちょっと近寄り難い外観である。
だが一歩中に入れば照明も明るく小ぎれいな、普通の喫茶店だ。
「あら、いらっしゃいませ。お待ちかねよお」
顔見知りのバイトのおばちゃんが、元気に迎えてくれた。
「どーも。俺、いつものね」
「はあい、カフェオレひとつね。了解了解」
観葉植物の向こう側に、泉真介が腕組みをして座っている。不機嫌というより、どこか疲れたような表情だ。
慧一が向かいに座ると、
「遅いなあ、何やってたんだよ」
開口一番文句が出た。
「すまんな。女から電話があってさ」
真介は眉をピクリとさせる。
「あの美人のフリーターか」
「いや、今度はキャリアウーマン。美人は美人だけどね。都心にお勤めの二十九歳」
「今度はひとつ年上か……ってそうじゃない。そんな事よりこれだ。おい、これを見てくれ」
真介はテーブルに置いた茶封筒を取り、慧一の胸の前に突き出す。
「何だ?」
「いいから、とにかく見てくれ」
焦れたように言われ、慧一は訝しげな顔で封筒を開け、中にあるものを取り出した。
「冊子か?」
淡い緑色の表紙の、B6サイズの本だ。
レタリングされたタイトルを目でなぞる。
モース4
「中を見てみろ。ああ……ショックを受けるなよ」
心配そうに忠告する真介が、少し滑稽に感じる。一体何がショックなんだ。
慧一はとりあえず全体をパラパラとめくった。五十ページほどの薄っぺらいものだが、各ページに文字が高密度に並んでいる。
「小説かな。ああ、高校の時に文芸部の女の子からもらったのに似てるな。同人誌ってやつじゃないの」
慧一は、一時付き合っていた文学少女の面影を懐かしく浮かべ、同時にその子が綴ったポエムを一行も理解できなかった事実も思い出していた。
「そうだ、同人誌だ。読んでみろ」
急かす真介に頷き、適当なところを選んで読んでみた。
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