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アプローチ
1
慧一の工場では毎週月曜日に、放送での朝礼が行われる。そのさい、各部署持ち回りで「私について」というスピーチをすると決まっていた。
昨日は海の日だったので、朝礼は今日火曜日に持ち越された。
今朝のスピーチは、試験室と組合事務所の担当だ。
慧一は事務机の前に立ち、欠伸を堪えている。
日勤になってからこれまで、毎週このスピーチを聞いてきたが、どれも当たり障りのない内容で、退屈だった。
「たまにはスカッと突き抜けた話を聞きたいもんだ」
生真面目な顔で放送に耳を傾ける真介に、小声で話しかけた。
真介の席は真後ろにある。
「静かにしろ。たった数分のことだ。我慢しろ」
実に素っ気ない。慧一は仕方なく、一昨日の夜に見た夢を思い出すことにする。
三原峰子を抱く夢だった。
夢の中の彼女は、いつもどおり黒髪をお下げにし、蛍石の飾りの付いた眼鏡を掛けていた。どんな表情だったかは覚えておらず、姿も不明瞭だ。
ただ、彼女が描く『モース』の挿絵のように、正常位だった気がする。
その夢は強い印象と、深い余韻を残した。
目が覚めてからもぼんやりして、しばらく起きることができないほど。
あの夢を見てからこっち、少しでも暇が出来ると、峰子のことを考えている。こんな青くさい現象は何年ぶりだろうかと、多少恥ずかしくもあった。
『それでは次に、組合事務所の三原さんのスピーチです』
司会の声に、慧一の全身は電気が走ったように反応した。
自分でも驚くような過剰反応だ。
彼は動揺し、誰かに勘付かれたのではと、思わず周りを見回す。峰子に対する異様な好奇心が、ばれたのではないか。
「どうかしたのか」
後ろから真介が顔を覗かせた。
慧一は顔をぶんぶんと振り、神妙な顔つきで放送に耳を集中させる。
『おはようございます。私は労働組合事務所の三原峰子といいます』
少女のような初々しい声が聞こえ、慧一は胸を押さえた。それが罪悪感からくるものだと思い至り、背中に汗を滲ませる。
峰子は自分の携わる仕事について概要を簡単に説明してから、本題に入った。
『私の趣味は、図書館に通ったり、博物館を見学することです。自分が知らない世界の本を読み、文物に触れることで、イマジネーションを膨らませるのが好きなのです』
ほとんどの社員は、彼女のスピーチに関心がないようだ。仕事が始まる時間が迫り、皆、そちらに気を取られている。
ただ、慧一の後ろに立つ真介だけは、「ほお、なるほど」と、いやに聞き入っていた。
『いつか世界中の図書館や博物館を見学してまわりたいと思っています』
スピーチのテーマを将来の夢にする社員は多い。峰子もその一人のようだが、慧一は続く言葉に引っ掛かりを覚えた。
『そんな一人旅が夢です』
峰子のスピーチが終わるやいなや、社訓が唱和され、朝礼は慌ただしく締めくくられた。社員らは本日の業務を開始するため、各々持ち場へと散っていった。
◇ ◇ ◇
「なあ、慧一。今の三原さんって子、なかなか知的だよな。お前見たことあるか? どんな子かな」
職場に行こうとするのをわざわざ呼び止めて訊く真介に、慧一は内心可笑しくなる。
お前をネタに小説を書いてる子だよ――
そう教えてやりたい衝動に駆られるが、何とか引っ込めた。
「あの子なら組合事務所にいるよ。ちょっとばかり地味だが、ごく普通の子さ」
「ふうん」
真介がはにかむのを見て、慧一は「おっ」と声を上げる。
「なんだ、気になるのか。これから組合の前を通るんだろ。受付にいるから見てみろよ。お下げに眼鏡の子だから、すぐにわかる」
「いやそんな……ただ俺は、いまどき珍しい子だなと……ま、いいよそんなことは!」
慌てて持ち場に急ぐ真介に、慧一は「分かりやすい奴だ」と笑みを浮かべるが、すぐ真顔に戻った。
学生時代からの付き合いで、真介の好む女のタイプは知っている。三原峰子はそれに当てはまるかもしれない。ただし、それは峰子の表面上の話だ。
(三原峰子……か)
慧一は自分の中で、好奇心がふつふつと音を立て、活発に動き始めるのを感じた。そわそわと落ち着かず、居ても立ってもいられない。
峰子と直接言葉を交わしたい。
なぜいきなりこんな気持ちになるのか分からないまま、慧一は昼休憩の時間が彼女と重なっているのを思い出した。
昨日は海の日だったので、朝礼は今日火曜日に持ち越された。
今朝のスピーチは、試験室と組合事務所の担当だ。
慧一は事務机の前に立ち、欠伸を堪えている。
日勤になってからこれまで、毎週このスピーチを聞いてきたが、どれも当たり障りのない内容で、退屈だった。
「たまにはスカッと突き抜けた話を聞きたいもんだ」
生真面目な顔で放送に耳を傾ける真介に、小声で話しかけた。
真介の席は真後ろにある。
「静かにしろ。たった数分のことだ。我慢しろ」
実に素っ気ない。慧一は仕方なく、一昨日の夜に見た夢を思い出すことにする。
三原峰子を抱く夢だった。
夢の中の彼女は、いつもどおり黒髪をお下げにし、蛍石の飾りの付いた眼鏡を掛けていた。どんな表情だったかは覚えておらず、姿も不明瞭だ。
ただ、彼女が描く『モース』の挿絵のように、正常位だった気がする。
その夢は強い印象と、深い余韻を残した。
目が覚めてからもぼんやりして、しばらく起きることができないほど。
あの夢を見てからこっち、少しでも暇が出来ると、峰子のことを考えている。こんな青くさい現象は何年ぶりだろうかと、多少恥ずかしくもあった。
『それでは次に、組合事務所の三原さんのスピーチです』
司会の声に、慧一の全身は電気が走ったように反応した。
自分でも驚くような過剰反応だ。
彼は動揺し、誰かに勘付かれたのではと、思わず周りを見回す。峰子に対する異様な好奇心が、ばれたのではないか。
「どうかしたのか」
後ろから真介が顔を覗かせた。
慧一は顔をぶんぶんと振り、神妙な顔つきで放送に耳を集中させる。
『おはようございます。私は労働組合事務所の三原峰子といいます』
少女のような初々しい声が聞こえ、慧一は胸を押さえた。それが罪悪感からくるものだと思い至り、背中に汗を滲ませる。
峰子は自分の携わる仕事について概要を簡単に説明してから、本題に入った。
『私の趣味は、図書館に通ったり、博物館を見学することです。自分が知らない世界の本を読み、文物に触れることで、イマジネーションを膨らませるのが好きなのです』
ほとんどの社員は、彼女のスピーチに関心がないようだ。仕事が始まる時間が迫り、皆、そちらに気を取られている。
ただ、慧一の後ろに立つ真介だけは、「ほお、なるほど」と、いやに聞き入っていた。
『いつか世界中の図書館や博物館を見学してまわりたいと思っています』
スピーチのテーマを将来の夢にする社員は多い。峰子もその一人のようだが、慧一は続く言葉に引っ掛かりを覚えた。
『そんな一人旅が夢です』
峰子のスピーチが終わるやいなや、社訓が唱和され、朝礼は慌ただしく締めくくられた。社員らは本日の業務を開始するため、各々持ち場へと散っていった。
◇ ◇ ◇
「なあ、慧一。今の三原さんって子、なかなか知的だよな。お前見たことあるか? どんな子かな」
職場に行こうとするのをわざわざ呼び止めて訊く真介に、慧一は内心可笑しくなる。
お前をネタに小説を書いてる子だよ――
そう教えてやりたい衝動に駆られるが、何とか引っ込めた。
「あの子なら組合事務所にいるよ。ちょっとばかり地味だが、ごく普通の子さ」
「ふうん」
真介がはにかむのを見て、慧一は「おっ」と声を上げる。
「なんだ、気になるのか。これから組合の前を通るんだろ。受付にいるから見てみろよ。お下げに眼鏡の子だから、すぐにわかる」
「いやそんな……ただ俺は、いまどき珍しい子だなと……ま、いいよそんなことは!」
慌てて持ち場に急ぐ真介に、慧一は「分かりやすい奴だ」と笑みを浮かべるが、すぐ真顔に戻った。
学生時代からの付き合いで、真介の好む女のタイプは知っている。三原峰子はそれに当てはまるかもしれない。ただし、それは峰子の表面上の話だ。
(三原峰子……か)
慧一は自分の中で、好奇心がふつふつと音を立て、活発に動き始めるのを感じた。そわそわと落ち着かず、居ても立ってもいられない。
峰子と直接言葉を交わしたい。
なぜいきなりこんな気持ちになるのか分からないまま、慧一は昼休憩の時間が彼女と重なっているのを思い出した。
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