15 / 82
腐女子峰子
2
「今、ケイって言ったね?」
確認する慧一に、女性はぎこちなく首を横に振る。
「いや、言った。俺を見て、確かに言ったよ」
今度は断言し、彼女をじろりと見下ろす。
「うわあ、どうしよ……」
女性は明るく染めた短い髪を片手でかきむしった。目の前に立ちはだかる男をちらりと見上げ、困り果てた様子になる。
「モースの愛読者?」
慧一のストレートな問いに、彼女は「うわっ!」と声を上げた。
期待以上の反応だ。
「静かに」
慧一は口の前に指を立てた。人々の耳目がこちらに集まり、迷惑そうな空気がたちこめる。
二人は頷き合うと、揃って階段を上がった。
◇ ◇ ◇
喫茶室は階段を上って右手奥にあった。女性は勝手知ったるという調子で、慧一の先に立って歩く。
言葉を交わさずとも、こちらの求めるところを察してくれたようだ。勘の良い子だなと、慧一は面倒が省けたのを有難く思う。
喫茶室はテーブル席が五つほどの、簡素な空間だった。
二人ともサンドイッチと飲み物のセットを頼み、まずは黙々と食べる。何とも味気ないランチタイムだが、新鮮な食材を使ったサンドイッチとコーヒーの香り高さに、慧一はとりあえず満足した。
「あのう……」
アイスティーの残りを長いことかき混ぜていた女性が、やがておずおずと切り出す。もちろん、話題は一つだけ。
「やっぱり、峰子ちゃんの本を拾ったのは、あなただったのですね」
慧一は椅子の背にもたれ、雨に濡れた駐車場を窓越しに眺めている。
「峰子ちゃんが言ってました。あなたに拾われたと思うって」
峰子ちゃんという響きに、かなりの親しみが感じられる。彼女が三原峰子の友人であるのは間違いない。慧一は内心、ほくそ笑んだ。
「どうして俺が拾ったと思うのかな」
彼女に向き直り、分かりきったことを訊いてみる。
「会社の休憩室に『モース』の入った封筒を探しに行ったらあなたがいたので、もしかしたらと思ったらしいです。決定的だったのは、今までまともに口も利いたことが無いのに、あなたのほうから話しかけてきたこと。あれは絶対におかしいって、狼狽してました。これは先週、峰子ちゃんから聞いた話です」
そう、先週の食堂でのこと。
あの時の峰子を思い出し、慧一は一人で頷く。
「なるほどね。ところで、君は俺についてどのくらい知ってる? 三原さんと同じ会社で働く“モースのネタになった男”それ以上のことは?」
彼女はアイスティーをひと口含んでから答える。
「えっと、滝口慧一さん二十八歳、独身……って聞いています」
「あとは?」
峰子の意見が気になる。俺のことをどう見ているのか――そこのところが知りたい。
「うーん、どうだろう。峰子ちゃん、あまり言わないんですよね。あなたのことも、あと、もう一人のモデルさんのことも」
もう一人のモデルとは泉真介のことだ。
慧一は軽く落胆したが、それでもさらに追及する。
「どうしてだろうね。君……ええと」
「あ、申し遅れました。私、伊上京子といいます。峰子ちゃんより二つ年上の二十二歳で、書店員やってます」
「うん、伊上さん。どうして三原さんは、俺達のことを何も言わないんだと思う?」
京子は、今度は即答した。
「それはもちろん、慧一さんも真介さんも、峰子ちゃんにとって純粋なネタ以外の何者でもないからだと思います」
予期せぬ答えに、慧一は面食らった。
「純粋なネタ?」
「はい。腐女子として、あなたと真介さんのことを書きたい。ただ純粋にネタにしたいと思っているだけです。個人的に関心があるとか、そういった次元であなた達を見てはいないと、彼女の性格から私は推測します」
「ちょっと待ってくれよ」
今聞いたことを、急いで整理する。
(峰子は俺と真介に個人的な感情は無い。ただネタに使っただけだと、つまりはそういうことだ)
あと、気になる言葉が二つ出てきた。
「今、婦女子とか言ったけど、どうして婦女子として俺達を書きたいんだ? どういう意味か、よく分からんのだけど」
「あ、慧一さんは一般人ですもんね。すみません、説明します。ふじょしというのは、腐った女子と書いて腐女子なんです。私達のような、男同士の恋愛をテーマに漫画や小説を書いたり読んだりするのが好きで、はまっている女子を、腐女子というのです。同人なんかで使う俗称ですから……同人誌の世界については、何もご存知ありませんか」
京子は急に早口で喋りだした。
質問に頷きつつも、慧一はいきなり別世界に引っぱりこまれたような、奇妙な感覚に囚われている。
「しかし、腐った女子って……ずいぶん酷い当て字じゃないか」
「そうですか? 私も峰子ちゃんも気にしてませんよ。むしろ楽しんでるくらいです」
京子はにっこり笑い、胸を反らせた。
「楽しむ?」
好奇心がむくむくと湧いてきた。
腐女子と呼ばれ、それを楽しむと言う彼女達の感性は普通じゃない。当たり前でない返事に、恵一は強い興味を覚える。
確認する慧一に、女性はぎこちなく首を横に振る。
「いや、言った。俺を見て、確かに言ったよ」
今度は断言し、彼女をじろりと見下ろす。
「うわあ、どうしよ……」
女性は明るく染めた短い髪を片手でかきむしった。目の前に立ちはだかる男をちらりと見上げ、困り果てた様子になる。
「モースの愛読者?」
慧一のストレートな問いに、彼女は「うわっ!」と声を上げた。
期待以上の反応だ。
「静かに」
慧一は口の前に指を立てた。人々の耳目がこちらに集まり、迷惑そうな空気がたちこめる。
二人は頷き合うと、揃って階段を上がった。
◇ ◇ ◇
喫茶室は階段を上って右手奥にあった。女性は勝手知ったるという調子で、慧一の先に立って歩く。
言葉を交わさずとも、こちらの求めるところを察してくれたようだ。勘の良い子だなと、慧一は面倒が省けたのを有難く思う。
喫茶室はテーブル席が五つほどの、簡素な空間だった。
二人ともサンドイッチと飲み物のセットを頼み、まずは黙々と食べる。何とも味気ないランチタイムだが、新鮮な食材を使ったサンドイッチとコーヒーの香り高さに、慧一はとりあえず満足した。
「あのう……」
アイスティーの残りを長いことかき混ぜていた女性が、やがておずおずと切り出す。もちろん、話題は一つだけ。
「やっぱり、峰子ちゃんの本を拾ったのは、あなただったのですね」
慧一は椅子の背にもたれ、雨に濡れた駐車場を窓越しに眺めている。
「峰子ちゃんが言ってました。あなたに拾われたと思うって」
峰子ちゃんという響きに、かなりの親しみが感じられる。彼女が三原峰子の友人であるのは間違いない。慧一は内心、ほくそ笑んだ。
「どうして俺が拾ったと思うのかな」
彼女に向き直り、分かりきったことを訊いてみる。
「会社の休憩室に『モース』の入った封筒を探しに行ったらあなたがいたので、もしかしたらと思ったらしいです。決定的だったのは、今までまともに口も利いたことが無いのに、あなたのほうから話しかけてきたこと。あれは絶対におかしいって、狼狽してました。これは先週、峰子ちゃんから聞いた話です」
そう、先週の食堂でのこと。
あの時の峰子を思い出し、慧一は一人で頷く。
「なるほどね。ところで、君は俺についてどのくらい知ってる? 三原さんと同じ会社で働く“モースのネタになった男”それ以上のことは?」
彼女はアイスティーをひと口含んでから答える。
「えっと、滝口慧一さん二十八歳、独身……って聞いています」
「あとは?」
峰子の意見が気になる。俺のことをどう見ているのか――そこのところが知りたい。
「うーん、どうだろう。峰子ちゃん、あまり言わないんですよね。あなたのことも、あと、もう一人のモデルさんのことも」
もう一人のモデルとは泉真介のことだ。
慧一は軽く落胆したが、それでもさらに追及する。
「どうしてだろうね。君……ええと」
「あ、申し遅れました。私、伊上京子といいます。峰子ちゃんより二つ年上の二十二歳で、書店員やってます」
「うん、伊上さん。どうして三原さんは、俺達のことを何も言わないんだと思う?」
京子は、今度は即答した。
「それはもちろん、慧一さんも真介さんも、峰子ちゃんにとって純粋なネタ以外の何者でもないからだと思います」
予期せぬ答えに、慧一は面食らった。
「純粋なネタ?」
「はい。腐女子として、あなたと真介さんのことを書きたい。ただ純粋にネタにしたいと思っているだけです。個人的に関心があるとか、そういった次元であなた達を見てはいないと、彼女の性格から私は推測します」
「ちょっと待ってくれよ」
今聞いたことを、急いで整理する。
(峰子は俺と真介に個人的な感情は無い。ただネタに使っただけだと、つまりはそういうことだ)
あと、気になる言葉が二つ出てきた。
「今、婦女子とか言ったけど、どうして婦女子として俺達を書きたいんだ? どういう意味か、よく分からんのだけど」
「あ、慧一さんは一般人ですもんね。すみません、説明します。ふじょしというのは、腐った女子と書いて腐女子なんです。私達のような、男同士の恋愛をテーマに漫画や小説を書いたり読んだりするのが好きで、はまっている女子を、腐女子というのです。同人なんかで使う俗称ですから……同人誌の世界については、何もご存知ありませんか」
京子は急に早口で喋りだした。
質問に頷きつつも、慧一はいきなり別世界に引っぱりこまれたような、奇妙な感覚に囚われている。
「しかし、腐った女子って……ずいぶん酷い当て字じゃないか」
「そうですか? 私も峰子ちゃんも気にしてませんよ。むしろ楽しんでるくらいです」
京子はにっこり笑い、胸を反らせた。
「楽しむ?」
好奇心がむくむくと湧いてきた。
腐女子と呼ばれ、それを楽しむと言う彼女達の感性は普通じゃない。当たり前でない返事に、恵一は強い興味を覚える。
あなたにおすすめの小説
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
虐げられた令嬢は、耐える必要がなくなりました
天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私アニカは、妹と違い婚約者がいなかった。
妹レモノは侯爵令息との婚約が決まり、私を見下すようになる。
その後……私はレモノの嘘によって、家族から虐げられていた。
家族の命令で外に出ることとなり、私は公爵令息のジェイドと偶然出会う。
ジェイドは私を心配して、守るから耐える必要はないと言ってくれる。
耐える必要がなくなった私は、家族に反撃します。
【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています。
曽根原ツタ
恋愛
ロベリア・アヴリーヌは前世で日本人だった。恋愛小説『瑠璃色の妃』の世界に転生し、物語には登場しない公爵令嬢として二度目の人生を生きていた。
ロベリアには、小説のエピソードの中で気がかりな点があった。それは、主人公ナターシャの幼馴染で、尚且つ彼女に恋心を寄せる当て馬ポジションのユーリ・ローズブレイドについて。彼は、物語の途中でナターシャの双子の妹に刺殺されるという数奇な運命を迎える。その未来を知るのは──ロベリアただひとり。
お人好しの彼女は、虐げられ主人公も、殺害される当て馬も、ざまぁ予定の悪役も全員救うため、一念発起する。
「ユーリ様。あなたにはナターシャに──愛の告白をしていただきますわ!」
「…………は?」
弾丸令嬢のストーリー改変が始まる──。
-----------------
小説家になろう様でも更新しております。
(完結保証)
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
【完結】見えてますよ!
ユユ
恋愛
“何故”
私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。
美少女でもなければ醜くもなく。
優秀でもなければ出来損ないでもなく。
高貴でも無ければ下位貴族でもない。
富豪でなければ貧乏でもない。
中の中。
自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。
唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。
そしてあの言葉が聞こえてくる。
見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。
私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。
ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。
★注意★
・閑話にはR18要素を含みます。
読まなくても大丈夫です。
・作り話です。
・合わない方はご退出願います。
・完結しています。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
結婚する事に決めたから
KONAN
恋愛
私は既婚者です。
新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。
まずは、離婚してから行動を起こします。
主な登場人物
東條なお
似ている芸能人
○原隼人さん
32歳既婚。
中学、高校はテニス部
電気工事の資格と実務経験あり。
車、バイク、船の免許を持っている。
現在、新聞販売店所長代理。
趣味はイカ釣り。
竹田みさき
似ている芸能人
○野芽衣さん
32歳未婚、シングルマザー
医療事務
息子1人
親分(大島)
似ている芸能人
○田新太さん
70代
施設の送迎運転手
板金屋(大倉)
似ている芸能人
○藤大樹さん
23歳
介護助手
理学療法士になる為、勉強中
よっしー課長(吉本)
似ている芸能人
○倉涼子さん
施設医療事務課長
登山が趣味
o谷事務長
○重豊さん
施設医療事務事務長
腰痛持ち
池さん
似ている芸能人
○田あき子さん
居宅部門管理者
看護師
下山さん(ともさん)
似ている芸能人
○地真央さん
医療事務
息子と娘はテニス選手
t助
似ている芸能人
○ツオくん(アニメ)
施設医療事務事務長
o谷事務長異動後の事務長
雄一郎 ゆういちろう
似ている芸能人
○鹿央士さん
弟の同級生
中学テニス部
高校陸上部
大学帰宅部
髪の赤い看護師(川木えみ)
似ている芸能人
○田來未さん
准看護師
ヤンキー
怖い
【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~
葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。
「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。
小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。
若くしてプロジェクトチームを任される彼は、
かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、
遠く、眩しい存在になっていた。
優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。
もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。
それでも——
8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。
これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。