モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
19 / 82
必ず捕まえる

 女性向けのイベントとはつまり、男性同士の恋愛を扱った同人誌などを売買するマーケットであり、趣味の交歓会である。

 と、慧一が話しかけたスタッフが教えてくれた。午前中から大盛況だと、彼女は満足そうな笑みを浮かべていた。


 なるほど、参加者は確かに女性ばかり。比較的若い層が目立つが、年季の入った者も散見される。


「えっと、峰子ちゃんはBの11です。西の壁際のスペースにいますよ」


 パンフレットに閉じ込みのサークル配置図を見せながら、京子が指をさす。


「ふうん」


 慧一は背伸びしたが、ここからは人垣が邪魔して、峰子の姿を見ることはできない。


「よく見ると男もいるな」

「ええ。男性でも好きな人がいますから。ちなみに彼らは腐男子とか腐兄とか呼ばれています」

「ふ……それも当て字で?」

「はい。腐女子と同じです。あと、他にもいろいろあるんですよ。腐女子が年齢を重ねると、貴腐人と呼ばれたりします」

「ほう、ワインみたいだな」

「または腐レディーとか、あるいはこういうのもあります。腐ェニックス」

「あっはは!」


 慧一はこの世界における言葉のセンスに感銘すら覚える。

 自らそう呼んだか、それとも外野から呼ばれたのか不明だが、実に面白い。ユニークで、洒落が効いている。


「慧一さん、それよりもびっくりしないで下さいね。同人誌の中にはかなり過激なものもありますから。もっとも最近はイベント側もチェックが厳しいから、過激と言ってもぬるいもんですけど」


 京子に注意されるまでもなく、そこここに並ぶ本の表紙に、慧一は驚いている。

 男同士が半裸で絡み合うもの、片方が緊縛されるもの、さまざまな倒錯的欲望が美麗なタッチで表現されている。

 コンセプト的にはレンタル屋のアダルトコーナーを連想させる。が、やはり違う。描き手が女性のためか、独特の美意識があるようだ。


 西側の壁まで来ると、慧一はふと思いついて京子に見向く。


「京子ちゃん、ちょっと待っててくれないか。俺一人で、彼女のところに行きたいんだ」


 京子は意外そうな顔で慧一を見上げる。


「大丈夫ですか」

「ああ。まあ見ててくれよ」


 心配する京子に微笑むと、峰子のスペースへと迷いのない足取りで進んだ。


「……居た!」


 慧一は、とうとう峰子を見つけた。

 長テーブルに自作の同人誌を並べ、訪れる客達と言葉を交わしながら、楽しそうに笑っている。

 会社での彼女とはかなり雰囲気が違う。服装も態度も。

 三つ編みをほどいて、背中にウエーブのかかった髪を下ろしている。眼鏡はそのままだが、きちんと化粧をしているようだ。いつものほとんど色のない口紅ではなく、遠目にも分かる薔薇色である。

 シンプルなワンピースは襟ぐりが広く、普段はブラウスに隠れた素肌が露わだった。その白い胸元には小さな青い石が飾られ、奥ゆかしい色香を演出している。


「いいね」


 慧一は満足そうに頷くと、客がひけたのを見計らって彼女の正面に立つ。

 峰子は段ボール箱から同人誌を取り出し、それをテーブルに並べている。慧一はズボンのポケットに両手を突っ込んだ格好で、上から彼女を見つめた。


「どうぞご覧になってくださ……」


 峰子は不意に手を止め、ゆっくりと顔を上げる。スペースの前に無言で突っ立っている人物を、不自然に感じたようだ。

 そして、その人物を瞳に映すと、雷に打たれたかのようにビクッと震えた。


「こんにちは、三原峰子さん」


 慧一の口調も眼差しも、これ以上無いぐらいやさしく温かなものだった。こんな態度を女性に対して取りうるのだと、彼自身が驚いている。

 峰子が絶句する間にも、新しい客が一人二人と寄って来る。

 客らはテーブルの上の『モース』と、スペースの前で場を取っている背の高い男を、交互に見やった。

 そして暫しの後、数人の客がその関係性に気が付く。


「ケイ……!?」


 一人が叫び、その連れや周りにいる峰子のファンと思しき女性らも、あらためて慧一を見上げた。慧一は堂々とした態度で、視線を浴びている。


「やだ! 嘘! 本当だ、そっくり」

「ミイさん、この人がモデルなんですか? ケイにモデルがいたの?」

「じゃあ、シンにもモデルが? どこかに来てるの?」


 口々に質問され、峰子はひたすら頭を振っていたが、いきなり立ち上がるとテーブルの脇から出てきた。


「こっちに……」


 慧一の腕を引っ張り、速足で歩き出した。

 途中で京子とばったり出くわすと、峰子は慌てふためき、


「あっ、京子ちゃんゴメン! ちょっと……ハプニングが起こって……あの、店番頼んでいいかな」


 何も知らずにそう言って、ただただ頷く京子の横を通り抜ける。

 慧一は腕を引っ張られながらも、不安げな京子にニヤリと笑い、サムアップで合図を送った。

あなたにおすすめの小説

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

虐げられた令嬢は、耐える必要がなくなりました

天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私アニカは、妹と違い婚約者がいなかった。 妹レモノは侯爵令息との婚約が決まり、私を見下すようになる。 その後……私はレモノの嘘によって、家族から虐げられていた。 家族の命令で外に出ることとなり、私は公爵令息のジェイドと偶然出会う。 ジェイドは私を心配して、守るから耐える必要はないと言ってくれる。 耐える必要がなくなった私は、家族に反撃します。

【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています。

曽根原ツタ
恋愛
 ロベリア・アヴリーヌは前世で日本人だった。恋愛小説『瑠璃色の妃』の世界に転生し、物語には登場しない公爵令嬢として二度目の人生を生きていた。  ロベリアには、小説のエピソードの中で気がかりな点があった。それは、主人公ナターシャの幼馴染で、尚且つ彼女に恋心を寄せる当て馬ポジションのユーリ・ローズブレイドについて。彼は、物語の途中でナターシャの双子の妹に刺殺されるという数奇な運命を迎える。その未来を知るのは──ロベリアただひとり。  お人好しの彼女は、虐げられ主人公も、殺害される当て馬も、ざまぁ予定の悪役も全員救うため、一念発起する。 「ユーリ様。あなたにはナターシャに──愛の告白をしていただきますわ!」 「…………は?」  弾丸令嬢のストーリー改変が始まる──。 ----------------- 小説家になろう様でも更新しております。 (完結保証)

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

結婚する事に決めたから

KONAN
恋愛
私は既婚者です。 新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。 まずは、離婚してから行動を起こします。 主な登場人物 東條なお 似ている芸能人 ○原隼人さん 32歳既婚。 中学、高校はテニス部 電気工事の資格と実務経験あり。 車、バイク、船の免許を持っている。 現在、新聞販売店所長代理。 趣味はイカ釣り。 竹田みさき 似ている芸能人 ○野芽衣さん 32歳未婚、シングルマザー 医療事務 息子1人 親分(大島) 似ている芸能人 ○田新太さん 70代 施設の送迎運転手 板金屋(大倉) 似ている芸能人 ○藤大樹さん 23歳 介護助手 理学療法士になる為、勉強中 よっしー課長(吉本) 似ている芸能人 ○倉涼子さん 施設医療事務課長 登山が趣味 o谷事務長 ○重豊さん 施設医療事務事務長 腰痛持ち 池さん 似ている芸能人 ○田あき子さん 居宅部門管理者 看護師 下山さん(ともさん) 似ている芸能人 ○地真央さん 医療事務 息子と娘はテニス選手 t助 似ている芸能人 ○ツオくん(アニメ) 施設医療事務事務長 o谷事務長異動後の事務長 雄一郎 ゆういちろう 似ている芸能人 ○鹿央士さん 弟の同級生 中学テニス部 高校陸上部 大学帰宅部 髪の赤い看護師(川木えみ) 似ている芸能人 ○田來未さん 准看護師 ヤンキー 怖い

【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。