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失恋
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慧一は、峰子について何もかも話した。
休憩室での出会い。進藤から聞き出した話。彼女の同人仲間である伊上京子のこと、そして……
「十回付き合う約束? キ……キスしただって?」
驚きっぱなしの真介だが、とりわけ最後のエピソードには、度肝を抜かれたようだ。
「ああ、した。というより、された」
慧一は平静を装い、余裕の顔で教える。
そして、馬鹿になったつもりで、こんなことを付け加えた。
「モースのネタになったお前にも、その権利はある。峰子を口説いてみるといい」
慧一は同人誌に目を落としたまま、できるだけさりげなく言う。自分が本当はどう考えているのか、悟られるのが怖かった。
「馬鹿っ! 見損なうな」
真介は突然大声で怒鳴ると、力いっぱいテーブルを叩いた。カップがひっくり返り、飲みかけのブレンドがテーブルに広がる。
周囲の客が注目する中、おばちゃんが慌てて飛んできた。
「あらあら、どうしたのよ」
二人をなだめるように声をかけ、手早くコーヒーを拭き取る。
「ごめん、騒がせたね」
慧一が謝ると、真介もハッとして、
「すみません」
おばちゃんに頭を下げた。
「いいのよ。仲良くしなさいよ、ねっ」
おばちゃんは笑顔を見せ、カウンターへと戻っていった。
再び二人は向き合い、数秒沈黙する。
やがて真介が、慧一を睨みつける。
「お前は三原さんを脅したのか」
まずはそう解釈するだろうと、慧一は覚悟していた。この清廉潔白なおぼっちゃんは、そう受け取るだろう。
「無理強いはしてない」
「よせ、取り消せ」
「嫌だね」
「何だと? お前それでも男か」
慧一は、真介の怒りに満ちた目を見据え、はっきりと言い切った。
「俺はあの子が好きだ。なんと言われようと、絶対に手に入れる」
その真剣な口調と顔つきに、真介は怒りながらも驚きを隠せない。
大学時代から女をとっかえひっかえしてきた軽佻浮薄な男が、かつてない本気の顔で、一人の女に執着している。
しかも、今までの女とは全く違うタイプだ。
いくつも年下の、『女の子』といってもいい相手に血道を上げている。
真介は椅子に深く座ると、シャツの釦をひとつはずした。
そして、改めて慧一に目を当てる。大学以来の腐れ縁で、飽きるほど見慣れた顔だ。
彼は思った。
こいつは確かに軽佻浮薄だが、誰かを脅したり強引に見返りを要求するような男ではない。本当は、そんなこと良く分かっている。
真介は『モース』を見やり、峰子を思い浮かべる。何年ぶりかで彼の心を温かく満たした女性が、こんな本を作っていた。
彼は心の奥深くで嘆息する。これは失恋に当たるのだろうか。
彼女を好きな気持ちはあるが、この本だけはどうしても理解できない。目の前にいる慧一という男は、これも含めて、まるごと彼女を好きだと断言しているというのに。
背後に設置されたエアコンの風が、熱を冷ましてくれる。
全くこの男には、いつも興奮させられる――
「分かった」
真介は口元に微笑を浮かべ、返事をした。
何が分かったのか判然とせず、慧一は次の言葉を待つ。
「お前と俺は、そこのところが違うんだ」
「ん?」
「三原さんに会ったら、俺は普通に接するし、この本についても不問に付すよ」
真介の目つきが穏やかになったのを、慧一は見とめた。
「今聞いた限り、彼女は難攻不落の相手だ。容易にはいかないと俺は見るが、まあ頑張れよ。 『女たらしの慧一』が大失恋して泣くのを、楽しみにしてる」
二人は姿勢を正すと、互いを眺め合った。
なんともいえない可笑しさがこみ上げてきて、それぞれの表情を崩していく。
「なにが可笑しいんだよ」
「お前こそ」
彼らが挟むテーブルには、峰子の『モース』が置かれている。
何も知らないといった風に、それでいて彼らを繋ぐように、静かに……
喫茶ロマンを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
見上げると、夜空には夏の星座が瞬いている。ひときわ輝くのは、デネブ・ベガ・アルタイルの大三角形。真介はしばらく星を仰いだ後、慧一に言った。
「俺は今日、初めて三原さんと口を利いたんだ」
今日の朝、真介が峰子に挨拶したのを慧一は思い出す。そわそわと落ち着かず、声がひっくり返っていた。
休憩室での出会い。進藤から聞き出した話。彼女の同人仲間である伊上京子のこと、そして……
「十回付き合う約束? キ……キスしただって?」
驚きっぱなしの真介だが、とりわけ最後のエピソードには、度肝を抜かれたようだ。
「ああ、した。というより、された」
慧一は平静を装い、余裕の顔で教える。
そして、馬鹿になったつもりで、こんなことを付け加えた。
「モースのネタになったお前にも、その権利はある。峰子を口説いてみるといい」
慧一は同人誌に目を落としたまま、できるだけさりげなく言う。自分が本当はどう考えているのか、悟られるのが怖かった。
「馬鹿っ! 見損なうな」
真介は突然大声で怒鳴ると、力いっぱいテーブルを叩いた。カップがひっくり返り、飲みかけのブレンドがテーブルに広がる。
周囲の客が注目する中、おばちゃんが慌てて飛んできた。
「あらあら、どうしたのよ」
二人をなだめるように声をかけ、手早くコーヒーを拭き取る。
「ごめん、騒がせたね」
慧一が謝ると、真介もハッとして、
「すみません」
おばちゃんに頭を下げた。
「いいのよ。仲良くしなさいよ、ねっ」
おばちゃんは笑顔を見せ、カウンターへと戻っていった。
再び二人は向き合い、数秒沈黙する。
やがて真介が、慧一を睨みつける。
「お前は三原さんを脅したのか」
まずはそう解釈するだろうと、慧一は覚悟していた。この清廉潔白なおぼっちゃんは、そう受け取るだろう。
「無理強いはしてない」
「よせ、取り消せ」
「嫌だね」
「何だと? お前それでも男か」
慧一は、真介の怒りに満ちた目を見据え、はっきりと言い切った。
「俺はあの子が好きだ。なんと言われようと、絶対に手に入れる」
その真剣な口調と顔つきに、真介は怒りながらも驚きを隠せない。
大学時代から女をとっかえひっかえしてきた軽佻浮薄な男が、かつてない本気の顔で、一人の女に執着している。
しかも、今までの女とは全く違うタイプだ。
いくつも年下の、『女の子』といってもいい相手に血道を上げている。
真介は椅子に深く座ると、シャツの釦をひとつはずした。
そして、改めて慧一に目を当てる。大学以来の腐れ縁で、飽きるほど見慣れた顔だ。
彼は思った。
こいつは確かに軽佻浮薄だが、誰かを脅したり強引に見返りを要求するような男ではない。本当は、そんなこと良く分かっている。
真介は『モース』を見やり、峰子を思い浮かべる。何年ぶりかで彼の心を温かく満たした女性が、こんな本を作っていた。
彼は心の奥深くで嘆息する。これは失恋に当たるのだろうか。
彼女を好きな気持ちはあるが、この本だけはどうしても理解できない。目の前にいる慧一という男は、これも含めて、まるごと彼女を好きだと断言しているというのに。
背後に設置されたエアコンの風が、熱を冷ましてくれる。
全くこの男には、いつも興奮させられる――
「分かった」
真介は口元に微笑を浮かべ、返事をした。
何が分かったのか判然とせず、慧一は次の言葉を待つ。
「お前と俺は、そこのところが違うんだ」
「ん?」
「三原さんに会ったら、俺は普通に接するし、この本についても不問に付すよ」
真介の目つきが穏やかになったのを、慧一は見とめた。
「今聞いた限り、彼女は難攻不落の相手だ。容易にはいかないと俺は見るが、まあ頑張れよ。 『女たらしの慧一』が大失恋して泣くのを、楽しみにしてる」
二人は姿勢を正すと、互いを眺め合った。
なんともいえない可笑しさがこみ上げてきて、それぞれの表情を崩していく。
「なにが可笑しいんだよ」
「お前こそ」
彼らが挟むテーブルには、峰子の『モース』が置かれている。
何も知らないといった風に、それでいて彼らを繋ぐように、静かに……
喫茶ロマンを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
見上げると、夜空には夏の星座が瞬いている。ひときわ輝くのは、デネブ・ベガ・アルタイルの大三角形。真介はしばらく星を仰いだ後、慧一に言った。
「俺は今日、初めて三原さんと口を利いたんだ」
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