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三原家
2
「ええ、僕は製造課の所属です。峰子さんと部署は違いますが……」
正直に話そうとして、慧一は迷った。
つい最近名前を聞いたばかりの男に、いきなり娘と恋人関係だと言われて、この父親はどう思うだろう。ストレートに表現して、いいものかどうか。
だが、いずれ明らかになる。変に誤魔化すのは、不誠実というもの。
僕は娘さんの恋人だと、はっきり告げておこう。
「僕は……」
慧一が言いかけると、隣に座る峰子が身を固くするのが分かった。まだ言わないでほしいと、全身でアピールする気配が伝わってくる。
(峰子?)
父親は次の言葉をじっと待っている。
正直に言ってしまいたい。誤魔化すなど自分らしくもない。
だが、そういう問題ではないと分かっている。ここは、峰子の気持ちを優先させるべきだ。
「僕は、部署は違いますが、峰子さんとご縁があり、良いお付き合いをさせていただいております」
中途半端な表現だ。
嘘ではないが、もっとしっかりと、現状をありのままに告げたい。
しかし自重した。
峰子と、峰子とのこれからのために。
父親は無言のまま腕組みすると、何か考える風に膝の辺りへと目を凝らした。
慧一は審判でも待つかのように緊張する。
隣に座る峰子の表情がどんなものか分からない。
今の返事が正解であるようにと、切実に願った。
その時、リビングの扉が開いた。
三人同時に顔を上げ、飲み物を運んできた母親に注目する。
「あら、どうかしました?」
母親は首を傾げつつ、木製のコースターをテーブルに並べた。お茶を淹れたタンブラーを、その上に置いていく。
母親の話し方は穏やかだが、動作はてきぱきとしている。
鷹揚な峰子と、実は反対の気性かもしれない。慧一は何となく、そう思った。
「麦茶です。どうぞ、滝口さん」
「すみません、いただきます」
一口飲むと、ちょうど良い冷たさだった。
「どうですかね、滝口さん。峰子は会社でちゃんとやっていますかね」
父親が峰子のほうをチラリと見てから、不意に訊いた。
慧一は、話題が変わったのを理解するとタンブラーを置き、きちんと答えた。
「はい。峰子さんは真面目で、とても丁寧な仕事ぶりだと、社員に評判が良いですよ」
「ほお、そうかね」
父親は顔を綻ばせた。
「この子は少し頼りないところがあるので、日頃から心配しています。会社の方にご迷惑をお掛けしていないかと」
「全然信用してくれないんです」
峰子が不満げに口を挿んだ。
「そう言われても、な」
「ええ」
両親が目を合わせ、苦笑する。どうやら峰子は家庭内では半人前扱いのようだ。親からすれば、子どもはいつまでたっても子ども。まだまだ頼りなく見えるのだろう。
慧一は麦茶を飲みながら、ふと、コースターに目を留めた。白く可憐な花が描かれている。
「エーデルワイスですね」
何気なく呟くと、母親が「あら」と言って、嬉しそうに微笑んだ。
「そうそう、エーデルワイス。この前、親戚がスイスに旅行してね、その時のお土産なの。スイスの国花だそうね」
「実は、僕の弟も新婚旅行でスイスを訪れて、同じ絵柄の土産を買ってきたんです」
「えっ? 弟さんは既にご結婚を?」
両親は驚いた顔になる。
「はい。今年の春に」
「まあ、そうなの。まだお若いのよね?」
「今年で二十四歳になります」
「二十四歳?」
両親が顔を見合わせる。
晩婚化傾向の昨今、珍しく思うのだろう。しかも弟は就職して間もなくの結婚だ。男にしては、随分と早い決断といえる。
「実は、私も二十四歳で所帯を持ったんですよ」
「えっ?」
父親の言葉に、慧一はハッとする。
「そうなんですか?」
「見合い結婚です。私は兄弟が多くて、上から順に早く落ち着かせようと親がやっきになり、あれよあれよと言う間に一緒になっていました」
母親も笑いながら、
「私のほうは、さらに二つ年下の二十二歳でしたけど。お付き合いもそこそこに話がまとまって、まあ幸いに気が合ったから良かったんですけど、生活のほうは始めは大変で……あら、ご免なさいね、こんなこと。おほほほ」
峰子が慧一に肩をすくめてみせる。いつも聞かされる話なのかもしれない。
弟の話は、三原家に馴染むいいきっかけになった。雰囲気が和み、それからは、かなり打ち解けて話すことができた。
(春彦よ、感謝するぜ)
遠くに暮らす弟に、胸の内で礼を言った。
慧一は二杯目の麦茶を飲み切ったのを潮に、暇を告げた。
「何のお構いもできず」
玄関まで送りながら、母親が済まなそうに言う。
「いえ、とんでもないです。こちらこそ夜分に失礼しました」
「はあ、でも……」
母親はなおも言葉を継ごうとした。まだ引きとめたい様子であるのが、慧一には有難かった。
靴を履くと、慧一はあらためて両親にお礼を述べた。
両親は柔らかい笑顔だ。峰子も嬉しそうに慧一を見つめている。
今夜は上出来な対面になった。
慧一は喜ぶが、慎重にコントロールする。三原家との関係は、まだまだこれからなのだ。
峰子が見送ろうとするが、彼女の体調を思い、遠慮した。
玄関ドアを丁寧に閉めて、アプローチを通り門扉を出るまで、慧一は気を抜かなかった。重要な取引先を辞する営業マンといった気分である。
車に乗り込むと、ようやくほっとした。
「さてと、帰るか」
独り言を呟き、エンジンをかける。
静かな住宅街に、その音は大げさに響く。慧一は早くこの場から立ち去らねばとアクセルを踏みかけるが、窓をコツコツと叩く者がいた。
「えっ?」
峰子かと思って顔を向けると、それは母親だった。
ちょっとびっくりして、慌てて窓を下ろしてからエンジンを切る。母親はなぜか、そわそわした様子だ。
「ごめんなさいね、慧一さん。あ、そのまま車に乗ってて」
「あ、はい」
辺りをはばかるようなヒソヒソ声に釣られ、慧一も声を落とす。
それにしても、わざわざ表に出て来るとは、一体何事だろう。不思議に思いながら、母親の真面目な顔に目を当てた。
母親は家のほうをちらちらと見ながら、
「慧一さん。あなた、峰子の趣味をご存知?」
正直に話そうとして、慧一は迷った。
つい最近名前を聞いたばかりの男に、いきなり娘と恋人関係だと言われて、この父親はどう思うだろう。ストレートに表現して、いいものかどうか。
だが、いずれ明らかになる。変に誤魔化すのは、不誠実というもの。
僕は娘さんの恋人だと、はっきり告げておこう。
「僕は……」
慧一が言いかけると、隣に座る峰子が身を固くするのが分かった。まだ言わないでほしいと、全身でアピールする気配が伝わってくる。
(峰子?)
父親は次の言葉をじっと待っている。
正直に言ってしまいたい。誤魔化すなど自分らしくもない。
だが、そういう問題ではないと分かっている。ここは、峰子の気持ちを優先させるべきだ。
「僕は、部署は違いますが、峰子さんとご縁があり、良いお付き合いをさせていただいております」
中途半端な表現だ。
嘘ではないが、もっとしっかりと、現状をありのままに告げたい。
しかし自重した。
峰子と、峰子とのこれからのために。
父親は無言のまま腕組みすると、何か考える風に膝の辺りへと目を凝らした。
慧一は審判でも待つかのように緊張する。
隣に座る峰子の表情がどんなものか分からない。
今の返事が正解であるようにと、切実に願った。
その時、リビングの扉が開いた。
三人同時に顔を上げ、飲み物を運んできた母親に注目する。
「あら、どうかしました?」
母親は首を傾げつつ、木製のコースターをテーブルに並べた。お茶を淹れたタンブラーを、その上に置いていく。
母親の話し方は穏やかだが、動作はてきぱきとしている。
鷹揚な峰子と、実は反対の気性かもしれない。慧一は何となく、そう思った。
「麦茶です。どうぞ、滝口さん」
「すみません、いただきます」
一口飲むと、ちょうど良い冷たさだった。
「どうですかね、滝口さん。峰子は会社でちゃんとやっていますかね」
父親が峰子のほうをチラリと見てから、不意に訊いた。
慧一は、話題が変わったのを理解するとタンブラーを置き、きちんと答えた。
「はい。峰子さんは真面目で、とても丁寧な仕事ぶりだと、社員に評判が良いですよ」
「ほお、そうかね」
父親は顔を綻ばせた。
「この子は少し頼りないところがあるので、日頃から心配しています。会社の方にご迷惑をお掛けしていないかと」
「全然信用してくれないんです」
峰子が不満げに口を挿んだ。
「そう言われても、な」
「ええ」
両親が目を合わせ、苦笑する。どうやら峰子は家庭内では半人前扱いのようだ。親からすれば、子どもはいつまでたっても子ども。まだまだ頼りなく見えるのだろう。
慧一は麦茶を飲みながら、ふと、コースターに目を留めた。白く可憐な花が描かれている。
「エーデルワイスですね」
何気なく呟くと、母親が「あら」と言って、嬉しそうに微笑んだ。
「そうそう、エーデルワイス。この前、親戚がスイスに旅行してね、その時のお土産なの。スイスの国花だそうね」
「実は、僕の弟も新婚旅行でスイスを訪れて、同じ絵柄の土産を買ってきたんです」
「えっ? 弟さんは既にご結婚を?」
両親は驚いた顔になる。
「はい。今年の春に」
「まあ、そうなの。まだお若いのよね?」
「今年で二十四歳になります」
「二十四歳?」
両親が顔を見合わせる。
晩婚化傾向の昨今、珍しく思うのだろう。しかも弟は就職して間もなくの結婚だ。男にしては、随分と早い決断といえる。
「実は、私も二十四歳で所帯を持ったんですよ」
「えっ?」
父親の言葉に、慧一はハッとする。
「そうなんですか?」
「見合い結婚です。私は兄弟が多くて、上から順に早く落ち着かせようと親がやっきになり、あれよあれよと言う間に一緒になっていました」
母親も笑いながら、
「私のほうは、さらに二つ年下の二十二歳でしたけど。お付き合いもそこそこに話がまとまって、まあ幸いに気が合ったから良かったんですけど、生活のほうは始めは大変で……あら、ご免なさいね、こんなこと。おほほほ」
峰子が慧一に肩をすくめてみせる。いつも聞かされる話なのかもしれない。
弟の話は、三原家に馴染むいいきっかけになった。雰囲気が和み、それからは、かなり打ち解けて話すことができた。
(春彦よ、感謝するぜ)
遠くに暮らす弟に、胸の内で礼を言った。
慧一は二杯目の麦茶を飲み切ったのを潮に、暇を告げた。
「何のお構いもできず」
玄関まで送りながら、母親が済まなそうに言う。
「いえ、とんでもないです。こちらこそ夜分に失礼しました」
「はあ、でも……」
母親はなおも言葉を継ごうとした。まだ引きとめたい様子であるのが、慧一には有難かった。
靴を履くと、慧一はあらためて両親にお礼を述べた。
両親は柔らかい笑顔だ。峰子も嬉しそうに慧一を見つめている。
今夜は上出来な対面になった。
慧一は喜ぶが、慎重にコントロールする。三原家との関係は、まだまだこれからなのだ。
峰子が見送ろうとするが、彼女の体調を思い、遠慮した。
玄関ドアを丁寧に閉めて、アプローチを通り門扉を出るまで、慧一は気を抜かなかった。重要な取引先を辞する営業マンといった気分である。
車に乗り込むと、ようやくほっとした。
「さてと、帰るか」
独り言を呟き、エンジンをかける。
静かな住宅街に、その音は大げさに響く。慧一は早くこの場から立ち去らねばとアクセルを踏みかけるが、窓をコツコツと叩く者がいた。
「えっ?」
峰子かと思って顔を向けると、それは母親だった。
ちょっとびっくりして、慌てて窓を下ろしてからエンジンを切る。母親はなぜか、そわそわした様子だ。
「ごめんなさいね、慧一さん。あ、そのまま車に乗ってて」
「あ、はい」
辺りをはばかるようなヒソヒソ声に釣られ、慧一も声を落とす。
それにしても、わざわざ表に出て来るとは、一体何事だろう。不思議に思いながら、母親の真面目な顔に目を当てた。
母親は家のほうをちらちらと見ながら、
「慧一さん。あなた、峰子の趣味をご存知?」
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