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夢のビジョン
1
峰子の母親は、娘の趣味を知っていた。男同士の恋愛を描いた漫画や小説を愛好し、収集することを。
慧一は驚きつつも、自分も「知っている」と伝えた。
「あれを見つけた時は、まさかと思ったわ」
薄暗い街灯のもと、慧一の車にもたれるようにして立つ母親は、少し蒼ざめて見える。
「大丈夫ですか?」
慧一が車から出ようとすると、彼女はそれを止めた。
「大丈夫。すぐに戻らなきゃいけないから」
母親はさらに声をひそめ、娘の秘密を発見した日の衝撃を語った。
それは、一か月前のこと。平日の午前中。
母親は、カーテンを洗おうとして峰子の部屋に入った。よく晴れた、青空がきれいな日だった。
「あの子って、どこか抜けた所があって。引き出しの鍵を掛け忘れたんでしょうね、少し開いていたの。私はきちんと閉まっていないと気になる性質だから、閉めようとした。もちろん、中を見るつもりはまったく無かったのよ。あの子のプライバシーだし。でも、引き出しの隙間から目に入ってきたものに、私は心底驚いて、つい……見てしまった……」
一度言葉を途切れさせると、母親は小さく息をついた。
「まあ、それがあなた……男同士のあれが……描かれた本がいっぱい入っているじゃない」
BLの同人誌だ――
慧一には母親のショックが想像できる。峰子と、あの倒錯した世界をどうやって結びつければ良いのか……と、混乱したのだろう。
母親は背後を気にしている。
峰子の部屋と思われる二階の窓は暗い。今、風呂に入っているらしい。
「それで、もう腰が抜けそうになって、あの子が帰ってきたら……いいえ、今すぐ会社に電話して問いただそうかと思ったわ」
母親は強い調子で言うが、頭を左右に振る。
「でも、できなかった。あの大量のいかがわしい本を眺めるうちに、あの子をあんな風にさせたのは、もしかしたら私と夫なのではと思えてきて」
「あんな風?」
慧一は眉根を寄せた。
だが、それは母親の目には映らない。彼女は、峰子の部屋の窓を見上げ、話している。
「私達は……特に私は、長子である峰子を厳しく躾けました。その結果、確かに真面目で良い子にはなりました。でも反面、あの子は親に合わせてばかりで、自分の意思を表さない。家ばかりでなく学校でも、我慢して、周りに気を遣ってばかりいると、担任の教師から何度も指摘された」
慧一は、峰子の堅実な仕事ぶりや、人当たりの良さ、その社会性がどうして身に付いたのか分かった気がする。
そしてまた、人と親密に付き合うのを苦手とする、二面性の理由も。
峰子は両親にとって、素直で世話の掛からない、大人しい女の子だった。
いや、今でも……
「躾を厳しくし過ぎたのでは。その結果が、あの倒錯した趣味なのではないかと。慧一さん」
母親はこちらに向き直り、黙ったままの慧一を、必死な声で呼んだ。
「あの子は、大丈夫でしょうか」
慧一は胸を衝かれた。
ついさっきまで、きちんと整頓されたリビングで、てきぱきとお茶を出し、朗らかに笑っていた母親。穏やかでありながら気丈に見えたこの人が、頼りなく狼狽している。
そして、つい最近見知ったばかりの男に、娘を案じる心を、ありのまま吐露している。それは取りも直さず、他に相談する相手がいないといった、差し迫った状況を示しているのだ。
峰子の家庭環境は、表面を見ただけでは分からない複雑なものがあるようだ。
もっとも、何処の家庭も大なり小なり問題はあるだろうし、それが普通なのかもしれないが。
「峰子さんは……」
慧一は、無難な言い方を考える。
だが、心を開いてくれた相手にそれは不誠実だと感じ、はっきりと口にした。
「僕にとっては、それほど良い子じゃありません」
「えっ?」
母親は怪訝な表情になった。
「それは、どういう意味でしょうか」
慧一は母親に、本当に思っていることを言った。
「峰子さんは、なかなか意思表示をしてくれません。かと思うと、驚くほど大胆な発言をして、僕を振り回します」
「まあ……」
母親は口ごもり、気まずそうにする。躾が至らずすみません、といった顔だ。
「でも、僕は彼女が好きですよ。ぜんぶ、ひっくるめて」
「ええっ?」
母親は疑っている。あばたもえくぼだと言いたそうだ。
「ちなみに、ノロケではありません」
慧一が注釈を入れると、気まずそうに笑う。母親の頭越しに、峰子の部屋の明かりが点くのが見えた。
慧一はふと思いつき、母親に提案した。
「お母さん、今度の日曜日は空いていますか?」
「日曜日?」
「はい。峰子さんの趣味のイベントがあるんです。もし良ければ、僕と行ってみませんか」
「あら、そうなんですか。まあ、そんな行事があるのですか」
母親は、ぴんとこない様子。
峰子は親に隠れて、同人活動をしているのだ。
「峰子さんには内緒で行きましょう。時間と場所は、またご連絡します」
「え、ええ……」
母親は、よく分からないなりに頷いている。慧一はスマートフォンを取り出し、母親の電話番号を聞いて、登録した。
「そういえば、峰子さんの趣味について、お父さんもご存じなんですか?」
母親は顔を曇らせる。
「いいえ、あの人は何も知りません。あんな同人誌ものを見せたら、峰子を勘当するかもしれません」
「……」
慧一は、黙ってエンジンをかけた。両親とも、峰子と別世界にいる人なのだ。
「それでは、失礼します。今夜はありがとうございました」
「こちらこそ……あの、よろしくお願いいたします」
慧一は車を出し、ふとバックミラーを見る。
夜の中で、母親が途方に暮れたように、立ちすくんでいた。
十四日の日曜日――
峰子は怒るかもしれない。
それでも慧一は、世話を焼くことに決めた。あの子が自由になるために、それは通るべき道だと思えたから。
慧一は驚きつつも、自分も「知っている」と伝えた。
「あれを見つけた時は、まさかと思ったわ」
薄暗い街灯のもと、慧一の車にもたれるようにして立つ母親は、少し蒼ざめて見える。
「大丈夫ですか?」
慧一が車から出ようとすると、彼女はそれを止めた。
「大丈夫。すぐに戻らなきゃいけないから」
母親はさらに声をひそめ、娘の秘密を発見した日の衝撃を語った。
それは、一か月前のこと。平日の午前中。
母親は、カーテンを洗おうとして峰子の部屋に入った。よく晴れた、青空がきれいな日だった。
「あの子って、どこか抜けた所があって。引き出しの鍵を掛け忘れたんでしょうね、少し開いていたの。私はきちんと閉まっていないと気になる性質だから、閉めようとした。もちろん、中を見るつもりはまったく無かったのよ。あの子のプライバシーだし。でも、引き出しの隙間から目に入ってきたものに、私は心底驚いて、つい……見てしまった……」
一度言葉を途切れさせると、母親は小さく息をついた。
「まあ、それがあなた……男同士のあれが……描かれた本がいっぱい入っているじゃない」
BLの同人誌だ――
慧一には母親のショックが想像できる。峰子と、あの倒錯した世界をどうやって結びつければ良いのか……と、混乱したのだろう。
母親は背後を気にしている。
峰子の部屋と思われる二階の窓は暗い。今、風呂に入っているらしい。
「それで、もう腰が抜けそうになって、あの子が帰ってきたら……いいえ、今すぐ会社に電話して問いただそうかと思ったわ」
母親は強い調子で言うが、頭を左右に振る。
「でも、できなかった。あの大量のいかがわしい本を眺めるうちに、あの子をあんな風にさせたのは、もしかしたら私と夫なのではと思えてきて」
「あんな風?」
慧一は眉根を寄せた。
だが、それは母親の目には映らない。彼女は、峰子の部屋の窓を見上げ、話している。
「私達は……特に私は、長子である峰子を厳しく躾けました。その結果、確かに真面目で良い子にはなりました。でも反面、あの子は親に合わせてばかりで、自分の意思を表さない。家ばかりでなく学校でも、我慢して、周りに気を遣ってばかりいると、担任の教師から何度も指摘された」
慧一は、峰子の堅実な仕事ぶりや、人当たりの良さ、その社会性がどうして身に付いたのか分かった気がする。
そしてまた、人と親密に付き合うのを苦手とする、二面性の理由も。
峰子は両親にとって、素直で世話の掛からない、大人しい女の子だった。
いや、今でも……
「躾を厳しくし過ぎたのでは。その結果が、あの倒錯した趣味なのではないかと。慧一さん」
母親はこちらに向き直り、黙ったままの慧一を、必死な声で呼んだ。
「あの子は、大丈夫でしょうか」
慧一は胸を衝かれた。
ついさっきまで、きちんと整頓されたリビングで、てきぱきとお茶を出し、朗らかに笑っていた母親。穏やかでありながら気丈に見えたこの人が、頼りなく狼狽している。
そして、つい最近見知ったばかりの男に、娘を案じる心を、ありのまま吐露している。それは取りも直さず、他に相談する相手がいないといった、差し迫った状況を示しているのだ。
峰子の家庭環境は、表面を見ただけでは分からない複雑なものがあるようだ。
もっとも、何処の家庭も大なり小なり問題はあるだろうし、それが普通なのかもしれないが。
「峰子さんは……」
慧一は、無難な言い方を考える。
だが、心を開いてくれた相手にそれは不誠実だと感じ、はっきりと口にした。
「僕にとっては、それほど良い子じゃありません」
「えっ?」
母親は怪訝な表情になった。
「それは、どういう意味でしょうか」
慧一は母親に、本当に思っていることを言った。
「峰子さんは、なかなか意思表示をしてくれません。かと思うと、驚くほど大胆な発言をして、僕を振り回します」
「まあ……」
母親は口ごもり、気まずそうにする。躾が至らずすみません、といった顔だ。
「でも、僕は彼女が好きですよ。ぜんぶ、ひっくるめて」
「ええっ?」
母親は疑っている。あばたもえくぼだと言いたそうだ。
「ちなみに、ノロケではありません」
慧一が注釈を入れると、気まずそうに笑う。母親の頭越しに、峰子の部屋の明かりが点くのが見えた。
慧一はふと思いつき、母親に提案した。
「お母さん、今度の日曜日は空いていますか?」
「日曜日?」
「はい。峰子さんの趣味のイベントがあるんです。もし良ければ、僕と行ってみませんか」
「あら、そうなんですか。まあ、そんな行事があるのですか」
母親は、ぴんとこない様子。
峰子は親に隠れて、同人活動をしているのだ。
「峰子さんには内緒で行きましょう。時間と場所は、またご連絡します」
「え、ええ……」
母親は、よく分からないなりに頷いている。慧一はスマートフォンを取り出し、母親の電話番号を聞いて、登録した。
「そういえば、峰子さんの趣味について、お父さんもご存じなんですか?」
母親は顔を曇らせる。
「いいえ、あの人は何も知りません。あんな同人誌ものを見せたら、峰子を勘当するかもしれません」
「……」
慧一は、黙ってエンジンをかけた。両親とも、峰子と別世界にいる人なのだ。
「それでは、失礼します。今夜はありがとうございました」
「こちらこそ……あの、よろしくお願いいたします」
慧一は車を出し、ふとバックミラーを見る。
夜の中で、母親が途方に暮れたように、立ちすくんでいた。
十四日の日曜日――
峰子は怒るかもしれない。
それでも慧一は、世話を焼くことに決めた。あの子が自由になるために、それは通るべき道だと思えたから。
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