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連れていって
1
大浴場の手前にあるトイレで、まだ生理になっていないことを確かめると、峰子はほっとした。
(お風呂から出たら、慧一さんに報告しなくちゃ)
そう思いながら脱衣所に入ろうとした時、先ほどの女性とバッタリ出くわす。たった今、慧一をやり込めてきた唯である。
「あら、さっきはどうも」
唯は大きな目を丸く見開き、笑顔になった。
「あっ、あの、はじめまして。私は……」
「いいのよ」
峰子が自己紹介しようとすると、唯が遮った。
「慧一さんの今の恋人でしょ。それで充分よ。でもこれも何かのご縁ね。一緒に温泉に入りましょうか」
「は、はい」
唯の態度に峰子は戸惑うが、大人しく付いて行く。脱衣所に入り、ロッカーの前で浴衣の帯を解こうとして、ふと、鋭い視線に気付く。
「……?」
「あら、ごめんなさいね。すっごくきれいな肌をしてるから、見とれちゃった」
「えっ? いえ、そんな……」
赤らむ峰子に、唯は気まずそうな顔をするが、ぱっぱと洋服を脱いでいく。今度は峰子が、彼女の体に見惚れた。
素晴らしいプロポーションだ。細いのに胸がしっかりと大きく、腰のくびれも見事でメリハリがある。
峰子は思わず眼鏡を外した。もうまともに見ていられない。
(慧一さんは、この人と恋人だった。こんなにきれいな女性と、どうして別れたんだろう。年齢も釣り合ってるし、口調もはきはきとして頭の回転がよさそうで、私よりもずっと会話が弾みそうな相手なのに)
峰子は下着まで脱ぎ終えると、すぐにタオルで前を覆った。慧一は褒めてくれたが、自分の体など痩せっぽちで、どこにも魅力がないように思える。
脱衣所の大きな鏡越しに、唯の女らしく艶かしい背中を見やった。
(慧一さんはかつてあの人を愛し、あの体を抱いたのね……)
頭を横に振り、浴場に入った。
二人は洗い場で体を洗うと、申し合わせたように湯船に浸かった。
細胞のひとつひとつにしみわたるような、気持ちの良い温泉である。湯煙の中、互いに口も利かず目を閉じていた。
「ああ、気持ちいい。最高ね」
唯が声を漏らすと、峰子も頷く。
「ええ、いいお湯です」
「……あなた、おいくつ?」
唯は峰子をちらりと見て、さして気のない口ぶりで訊ねた。
「ハタチです」
「え……」
唯は愕然とした。
あの男、とうとうこんなおぼこ娘に手を出して。しかも、こんな大人しそうな、男の言いなりになりそうなタイプを――
唯はムカムカしてきた。
滝口慧一は、いまや何の関わりもない男である。
しかし、峰子の控え目な横顔を見るうち、どうにもこうにもイライラが募ってきた。
カッカする唯の頭に、慧一の顔が浮かんだ。
(あの男、彼女にあることないこと吹き込むなって言ったわ。でも、あることぐらいは教えるべきよ。それが今の彼女に対する、元カノの親切ってものじゃない?)
唯は私情を大いに交えた正義感に目をぎらつかせると、峰子の手をいきなり握った。
「あっ、何を……」
凶暴なイタチに捕食される雛鳥のような眼で、峰子は怯えた。
「あのね、今から話すことは嘘じゃないわ。あの男の近所に住む、その土地のことなら何でも知ってる妖怪ジジイから聞いた話よ。あの男とこれからも付き合うつもりなら、心して聞きなさい。聞いた上でどうするかは、あなたに任せるわ」
すごい顔つきで前置きをすると、唯はかつて自分も聞かされた、慧一の実態について語った。
つまり、石田の爺から聞いた話、そのままである。
「……というわけ。呆れるでしょ?」
唯は一気に話し終えると、すっきりした顔で湯船を上がった。
「あなた、まだ若いんだから、これからのことは、よーく考えなくちゃ。女癖は直らないって言うからね。では、お先に。さよなら」
引き戸を開けて唯が出ていく音を聞きながら、峰子はそのままお湯の中にいた。
彼女がなぜあんな話をしたのか、冷静に考えてみる。
おそらく彼女は、慧一と気まずくなるような別れ方をしたのだろう。それは、あの二人の態度から何となく見えてくる。
だから彼女は、慧一が女にだらしない酷い男だと、彼をおとしめるようなことを言って聞かせたのだ。
その妖怪ジジイと呼ばれるおじいさんが語ったことは、実際とは違う話のような気がする……
それが正解だと、頭で判断する。だけど心は別の感情に支配されていた。
不安のほうが大きく、とても理路整然とは片付けられない。
実際、慧一の女性経験が豊富なのは、彼の普段の言動に表れている。
峰子はそれを、意識的に見ないようにしていた。
仕方のないことだと。
でも……
峰子は深くお湯に浸かり、自分の肩を庇うように抱いた。
慧一のセックスにかける意気込みと、求めてくる激しさ。それは元カノの話を裏打ちする証拠ではないのか。
もうすぐ夜の帳が下りる。今夜はどうなるのだろう。
(やっぱり、生理になったって言おうかな)
峰子はぐるぐると考えあぐね、終いには慧一を信じきれない自分が嫌でたまらなくなり、迷いを立ち切るように湯船から出た。
(もう一度、彼女に問いただそう。慧一さんはそんな人じゃない。本当のことを言ってくださいと……)
だが、峰子が脱衣所に戻った時、そこにはもう唯の姿は無かった。
(お風呂から出たら、慧一さんに報告しなくちゃ)
そう思いながら脱衣所に入ろうとした時、先ほどの女性とバッタリ出くわす。たった今、慧一をやり込めてきた唯である。
「あら、さっきはどうも」
唯は大きな目を丸く見開き、笑顔になった。
「あっ、あの、はじめまして。私は……」
「いいのよ」
峰子が自己紹介しようとすると、唯が遮った。
「慧一さんの今の恋人でしょ。それで充分よ。でもこれも何かのご縁ね。一緒に温泉に入りましょうか」
「は、はい」
唯の態度に峰子は戸惑うが、大人しく付いて行く。脱衣所に入り、ロッカーの前で浴衣の帯を解こうとして、ふと、鋭い視線に気付く。
「……?」
「あら、ごめんなさいね。すっごくきれいな肌をしてるから、見とれちゃった」
「えっ? いえ、そんな……」
赤らむ峰子に、唯は気まずそうな顔をするが、ぱっぱと洋服を脱いでいく。今度は峰子が、彼女の体に見惚れた。
素晴らしいプロポーションだ。細いのに胸がしっかりと大きく、腰のくびれも見事でメリハリがある。
峰子は思わず眼鏡を外した。もうまともに見ていられない。
(慧一さんは、この人と恋人だった。こんなにきれいな女性と、どうして別れたんだろう。年齢も釣り合ってるし、口調もはきはきとして頭の回転がよさそうで、私よりもずっと会話が弾みそうな相手なのに)
峰子は下着まで脱ぎ終えると、すぐにタオルで前を覆った。慧一は褒めてくれたが、自分の体など痩せっぽちで、どこにも魅力がないように思える。
脱衣所の大きな鏡越しに、唯の女らしく艶かしい背中を見やった。
(慧一さんはかつてあの人を愛し、あの体を抱いたのね……)
頭を横に振り、浴場に入った。
二人は洗い場で体を洗うと、申し合わせたように湯船に浸かった。
細胞のひとつひとつにしみわたるような、気持ちの良い温泉である。湯煙の中、互いに口も利かず目を閉じていた。
「ああ、気持ちいい。最高ね」
唯が声を漏らすと、峰子も頷く。
「ええ、いいお湯です」
「……あなた、おいくつ?」
唯は峰子をちらりと見て、さして気のない口ぶりで訊ねた。
「ハタチです」
「え……」
唯は愕然とした。
あの男、とうとうこんなおぼこ娘に手を出して。しかも、こんな大人しそうな、男の言いなりになりそうなタイプを――
唯はムカムカしてきた。
滝口慧一は、いまや何の関わりもない男である。
しかし、峰子の控え目な横顔を見るうち、どうにもこうにもイライラが募ってきた。
カッカする唯の頭に、慧一の顔が浮かんだ。
(あの男、彼女にあることないこと吹き込むなって言ったわ。でも、あることぐらいは教えるべきよ。それが今の彼女に対する、元カノの親切ってものじゃない?)
唯は私情を大いに交えた正義感に目をぎらつかせると、峰子の手をいきなり握った。
「あっ、何を……」
凶暴なイタチに捕食される雛鳥のような眼で、峰子は怯えた。
「あのね、今から話すことは嘘じゃないわ。あの男の近所に住む、その土地のことなら何でも知ってる妖怪ジジイから聞いた話よ。あの男とこれからも付き合うつもりなら、心して聞きなさい。聞いた上でどうするかは、あなたに任せるわ」
すごい顔つきで前置きをすると、唯はかつて自分も聞かされた、慧一の実態について語った。
つまり、石田の爺から聞いた話、そのままである。
「……というわけ。呆れるでしょ?」
唯は一気に話し終えると、すっきりした顔で湯船を上がった。
「あなた、まだ若いんだから、これからのことは、よーく考えなくちゃ。女癖は直らないって言うからね。では、お先に。さよなら」
引き戸を開けて唯が出ていく音を聞きながら、峰子はそのままお湯の中にいた。
彼女がなぜあんな話をしたのか、冷静に考えてみる。
おそらく彼女は、慧一と気まずくなるような別れ方をしたのだろう。それは、あの二人の態度から何となく見えてくる。
だから彼女は、慧一が女にだらしない酷い男だと、彼をおとしめるようなことを言って聞かせたのだ。
その妖怪ジジイと呼ばれるおじいさんが語ったことは、実際とは違う話のような気がする……
それが正解だと、頭で判断する。だけど心は別の感情に支配されていた。
不安のほうが大きく、とても理路整然とは片付けられない。
実際、慧一の女性経験が豊富なのは、彼の普段の言動に表れている。
峰子はそれを、意識的に見ないようにしていた。
仕方のないことだと。
でも……
峰子は深くお湯に浸かり、自分の肩を庇うように抱いた。
慧一のセックスにかける意気込みと、求めてくる激しさ。それは元カノの話を裏打ちする証拠ではないのか。
もうすぐ夜の帳が下りる。今夜はどうなるのだろう。
(やっぱり、生理になったって言おうかな)
峰子はぐるぐると考えあぐね、終いには慧一を信じきれない自分が嫌でたまらなくなり、迷いを立ち切るように湯船から出た。
(もう一度、彼女に問いただそう。慧一さんはそんな人じゃない。本当のことを言ってくださいと……)
だが、峰子が脱衣所に戻った時、そこにはもう唯の姿は無かった。
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