2 / 8
本編
鴫野亜実の憂鬱
しおりを挟む
あたしの名は鴫野亜実。御堂藤学園高等部一年H組、部活は文芸部に籍をおいている。
読書などほとんどしたことのないあたしが文芸部なんてちゃんちゃら可笑しい。しかしいろいろ縁あって辞めることもなく今も週に何度か部室に顔を出している。
今日はある理由があって不本意ながら昼休みに部室を訪れることにした。
それにしても憂鬱だ。
「失礼しま~す」あたしは部室の扉をノックしておもむろに開いた。
中には部室の主とも言うべき但馬一輝先輩が一人でいた。
予想していたが但馬先輩と二人きりになって部室にいるのは非常にストレスを感じる。
部員の多くがそう思うからこそ但馬先輩がいるであろう部室から遠のくのだ。
しかし今日、但馬先輩は奥のボロいソファーに横になっていて、あたしが声をかけてもなかなか起きなかった。
「但馬先輩、具合悪いのですか? でしたらまた改めます」
「ん、鴫野か?」
起きなくても良いのに但馬先輩は熊のような大きな体を起こした。
いつもかけている大きな黒メガネを外した目は死んでいる。
起き上がった但馬先輩は慌てて近くに置いていたティッシュ箱からティッシュを掴み出し洟をかんだ。
「但馬さん、風邪引きました?」
あたしはジト目を向けた。「風邪引きさん」とはできるだけ距離をおきたい。
「まあ、ちょっとな」声が少し嗄れている。「のどか痛くて、鼻水が出て、だるいと思っていたら昨日熱が出た。そして今日は声がかすれて咳が出て、痰もからむ。節々が痛いな」
「もろ、風邪じゃないですか! しかも悪そう!」
「すまんけど水用意してくれんか? そこにペットボトルがあるだろ」
天然水のペットボトル一ケースがあり、箱はすでに開いていた。
「こんなのありましたっけ?」
「これから暑くなるだろ。脱水予防で用意しておいた」
「先輩が運び込んだのですか?」
「ん? 誰かに運ばせたな。誰だったかな? 最近物忘れが激しゅうなって」じじいだ。
「あ、もういいです」あたしはペットボトルを一本但馬先輩のそばに置いてすぐに離れた。
「そんなバイ菌みたいな扱いをしなくても」
「うつりたくありませんから。うつさないで下さいね」
「つれないなあ……」
但馬先輩はどこからか薬を取り出して飲んだ。そしてペットボトルの水を美味しそうにごくごく一気飲みだ。
まさに野獣。弱っていても迫力は半端ではない。
襲われたらあたしは何もできないだろう。せいぜい急所蹴りだ。
「それ漢方薬ですか?」沈黙が耐えられないのであたしは訊いた。
「ああ、これか」但馬先輩は空袋をあたしに見せた。「麻黄附子細辛湯だ」
「魔王武士砕身刀……」あたしは復唱した。「すごい武器ですね」
「お前、適当に文字変換したな。よく見たまえ」
但馬先輩は空袋をあたしの目の前に突きつけたが、あたしは見もしないで後ろに飛び退いた。
「見よ!」
但馬先輩が寄る。あたしは引く。
但馬先輩が迫る。あたしは逃げる。
「元気じゃないですか」
「薬が効いたな」
「そんなすぐに効くわけないでしょ!」
「可愛い後輩にいじられて目が覚めた」
「良かったですね、感謝してください」
「ありがとう」
漫才はさておき、あたしと但馬先輩は必要な距離を置いて腰かけた。但馬先輩はソファー、あたしはスチール椅子だ。
「ちなみに麻黄附子細辛湯はこう書く」
あたしが漢方薬の空き袋を見ないものだから、但馬先輩は近くにあったメモ用紙代わりのプリントの裏に字を書いた。
「附子というのはトリカブトの一種らしい」
「毒じゃないですか!」
「薬と毒は紙一重。何らかの鎮静効果を持つものは麻痺させる効果を持っている」
「なるほど」
「この附子がブスの語源だとも言われている」
「ブス?」
「君みたいな美少女には縁のない言葉だろう。不細工のブスだ」
「どういう関係なんですか?」
「トリカブトの毒で顔の筋肉が麻痺して不細工になるところから来たらしい。知らんけど」
「知らないなら言わなくて良いです」
「『附子』は漢方では『ぶし』と読むが、毒の場合は『ぶす』と読む。『毒』と書いて『ブス』と読むのもここから来ている。毒島さんて人がいるだろ」
「なるほど、なるほど」どうでもいい。
「さらにちなみに附子は狂言にもなっている」あたしは嫌な予感がした。「狂言の『附子』、知ってるか?」
「知りません」と答えるしかない。
知っていると答えれば言ってみろと言われるからだ。
しかしあたしの「知りません」を聞いて但馬先輩は楽しそうに笑った。
「ならば教えよう」
「良いです、また今度で」
「今度聞くのなら今でも良いではないか」
但馬先輩の「良いではないか」攻撃が始まった。但馬先輩はうんちくを聞かせるのを趣味にしている。
あたしを含めて後輩たちはその餌食になっていた。だからふだん部室は但馬先輩しかいないのだ。
そんな先輩を頼ることになるなんて、あたしは不幸だ。そして憂鬱だ。
読書などほとんどしたことのないあたしが文芸部なんてちゃんちゃら可笑しい。しかしいろいろ縁あって辞めることもなく今も週に何度か部室に顔を出している。
今日はある理由があって不本意ながら昼休みに部室を訪れることにした。
それにしても憂鬱だ。
「失礼しま~す」あたしは部室の扉をノックしておもむろに開いた。
中には部室の主とも言うべき但馬一輝先輩が一人でいた。
予想していたが但馬先輩と二人きりになって部室にいるのは非常にストレスを感じる。
部員の多くがそう思うからこそ但馬先輩がいるであろう部室から遠のくのだ。
しかし今日、但馬先輩は奥のボロいソファーに横になっていて、あたしが声をかけてもなかなか起きなかった。
「但馬先輩、具合悪いのですか? でしたらまた改めます」
「ん、鴫野か?」
起きなくても良いのに但馬先輩は熊のような大きな体を起こした。
いつもかけている大きな黒メガネを外した目は死んでいる。
起き上がった但馬先輩は慌てて近くに置いていたティッシュ箱からティッシュを掴み出し洟をかんだ。
「但馬さん、風邪引きました?」
あたしはジト目を向けた。「風邪引きさん」とはできるだけ距離をおきたい。
「まあ、ちょっとな」声が少し嗄れている。「のどか痛くて、鼻水が出て、だるいと思っていたら昨日熱が出た。そして今日は声がかすれて咳が出て、痰もからむ。節々が痛いな」
「もろ、風邪じゃないですか! しかも悪そう!」
「すまんけど水用意してくれんか? そこにペットボトルがあるだろ」
天然水のペットボトル一ケースがあり、箱はすでに開いていた。
「こんなのありましたっけ?」
「これから暑くなるだろ。脱水予防で用意しておいた」
「先輩が運び込んだのですか?」
「ん? 誰かに運ばせたな。誰だったかな? 最近物忘れが激しゅうなって」じじいだ。
「あ、もういいです」あたしはペットボトルを一本但馬先輩のそばに置いてすぐに離れた。
「そんなバイ菌みたいな扱いをしなくても」
「うつりたくありませんから。うつさないで下さいね」
「つれないなあ……」
但馬先輩はどこからか薬を取り出して飲んだ。そしてペットボトルの水を美味しそうにごくごく一気飲みだ。
まさに野獣。弱っていても迫力は半端ではない。
襲われたらあたしは何もできないだろう。せいぜい急所蹴りだ。
「それ漢方薬ですか?」沈黙が耐えられないのであたしは訊いた。
「ああ、これか」但馬先輩は空袋をあたしに見せた。「麻黄附子細辛湯だ」
「魔王武士砕身刀……」あたしは復唱した。「すごい武器ですね」
「お前、適当に文字変換したな。よく見たまえ」
但馬先輩は空袋をあたしの目の前に突きつけたが、あたしは見もしないで後ろに飛び退いた。
「見よ!」
但馬先輩が寄る。あたしは引く。
但馬先輩が迫る。あたしは逃げる。
「元気じゃないですか」
「薬が効いたな」
「そんなすぐに効くわけないでしょ!」
「可愛い後輩にいじられて目が覚めた」
「良かったですね、感謝してください」
「ありがとう」
漫才はさておき、あたしと但馬先輩は必要な距離を置いて腰かけた。但馬先輩はソファー、あたしはスチール椅子だ。
「ちなみに麻黄附子細辛湯はこう書く」
あたしが漢方薬の空き袋を見ないものだから、但馬先輩は近くにあったメモ用紙代わりのプリントの裏に字を書いた。
「附子というのはトリカブトの一種らしい」
「毒じゃないですか!」
「薬と毒は紙一重。何らかの鎮静効果を持つものは麻痺させる効果を持っている」
「なるほど」
「この附子がブスの語源だとも言われている」
「ブス?」
「君みたいな美少女には縁のない言葉だろう。不細工のブスだ」
「どういう関係なんですか?」
「トリカブトの毒で顔の筋肉が麻痺して不細工になるところから来たらしい。知らんけど」
「知らないなら言わなくて良いです」
「『附子』は漢方では『ぶし』と読むが、毒の場合は『ぶす』と読む。『毒』と書いて『ブス』と読むのもここから来ている。毒島さんて人がいるだろ」
「なるほど、なるほど」どうでもいい。
「さらにちなみに附子は狂言にもなっている」あたしは嫌な予感がした。「狂言の『附子』、知ってるか?」
「知りません」と答えるしかない。
知っていると答えれば言ってみろと言われるからだ。
しかしあたしの「知りません」を聞いて但馬先輩は楽しそうに笑った。
「ならば教えよう」
「良いです、また今度で」
「今度聞くのなら今でも良いではないか」
但馬先輩の「良いではないか」攻撃が始まった。但馬先輩はうんちくを聞かせるのを趣味にしている。
あたしを含めて後輩たちはその餌食になっていた。だからふだん部室は但馬先輩しかいないのだ。
そんな先輩を頼ることになるなんて、あたしは不幸だ。そして憂鬱だ。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる