迷宮の果てのパラトピア

hakusuya

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クインカ・アダマス大迷宮調査日誌(プレセア暦2811年5月11日~)

遭難、そして男の最期

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 しばらく坑道を進んだ。鍾乳洞があったところへ一本道で通じている。あそこにはクラゲ型やコウモリ型のモンスターがいたが、どうにかかわして通り抜けられるはず、と思っていた。しかしなぜか鍾乳洞になかなか行き当たらない。
「おかしいな、こんなに離れていたか」騎士団長が呟くように言った。
「時空が歪んでいるために距離感と時間の感覚がおかしいのかもしれません」
 違和感を感じつつも我々は進んだ。そしてその違和感が現実となって現れた。
「こんなところに二又ふたまたがあったか?」
 行く先の道が見事に二つに分かれていた。来るときに気づかなかったのだろうか。
「どちらへ行くべきか」
 二つの道は全く同じ幅、同じ高さだ。照明魔法で照らしても、ずっと先まで見通せるものではなかった。
「左に行ってみよう。おかしいと思ったら引き返して右の道だ」
 騎士団長が言う通り我々は左へと進んだ。
 どのくらい進んだかわからない。引き返そうと思うようなきっかけを掴めないまま我々は前へと進んでいた。
 天井から水が滴り落ちる。地面にはちょろちょろと水が流れていた。
「また下っているのか」
 川の音が聞こえてきた。
「川に沿って横へ移動していたのか?」
 その頃には我々は道を誤ったと確信した。
 行く先に大きな穴があり、その向こうに先ほどの川が流れていた。
 穴を通って川縁かわべりに出た。
 先ほどと同じく十名程が並び立てる踊り場のようなところがあった。我々の人数は七人になっていたが。
「戻りましょう」
 また何かモンスターが川から現れないとも限らない。我々は引き返した。
 先ほどの分岐点に戻り、我々はもう一つの道を進んだ。しかしその先もまたあの川に辿り着くのだ。我々は再び道を誤ったと思い知らされた。
「遭難したな」騎士団長が吐露するように言った。
 暫しの間立ち止まって我々は考えを巡らせた。
「もとの道に戻ることはほぼ不可能だろう。この洞窟や隧道が水脈の跡だとしたら、上り坂を行こう。そうすればいずれどこかの『迷宮への扉』に行きつくかもしれない」
「その『迷宮への扉』は封印されてはいないのでしょうか」
「もし封印されていたとしたらその時考えよう」
 封印を解く力を持っていそうな魔法師は巨大モンスターによって川へと落とされた。残っている二人は戦闘特化型の魔法師だ。
 騎士団長の一言で我々は地表へと向かうためにできるだけ上り坂を行くことにした。
 しかしそれは口で言うほど簡単なことではなかった。坑道にしろ鍾乳洞にしろ起伏が激しく、しかも右に左に折れているのだ。登っている道だと思っていたら下り坂にさしかかることなど頻繁にあった。それでも我々はただ黙って歩き続けた。


ストーリーテリングが中断

「彼の容態が……」フレッドがジョセフを振り返った。
 傍にいた医師が駆け寄る。「間もなく息を引き取ると思われます」
「どうにかならないのか?」
「老衰にともなう心不全で血圧が下がっています。心拍数が三十ほどになっています。どうにもできません」
「彼の記憶を……」ジョセフはフレッドに顔を向けた。
「可能な限り彼の『ダイアリー』を私の脳内に複製します」
 フレッドの体が光り、魔法陣が浮かんだ。
 ストーリーテリングを打ち切り、フレッドは短時間で男の「ダイアリー」を複製していった。
 男が目を開いた。最後の力を振り絞って男は何か言葉を口にした。
 そのれた目にうっすらと涙がにじみ、やがて男は静かにその目を閉じた。
「臨終です」医師が宣告した。
末期まつごに彼は何を言ったのだ?」
「はっきりとは聞き取れませんでした。しかし私には何となく女性の名を呼んだように聞こえました」医師が答えた。
「彼の愛妻か恋人だったのだろうな」
 医師が男の両手をとり胸の上で組ませた。そこにいた者全員が亡き骸に向けて黙祷した。

 男の体を埋葬することはなかった。遺体はその後短時間でみるみるうちに灰となり形を失った。
 脱け殻のように着ていたものだけが残り、灰は少しずつ確実に消えてなくなった。
 彼がそこにいたという証はすっかり消え去っていた。
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