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図書室で出会った女性教師
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もう下校して良いことになったが、遼は気まぐれを起こして図書室へ行った。
年間二百冊ほど本を読む遼は、本好きと見られる。しかし遼自身は特に本が好きという自覚はなかった。
現実世界に生きるのが面倒くさいので仮想世界の住人になっているのだ。ライトノベルも結構読んでいる。しかし図書室に入り浸るのは、そこでしかなかなか遭遇できない分野の本があるからだった。古典的な純文学などは街中の書店で見かけることはない。歴史やら植物学といった資料的書物もしかりだった。
閲覧室には生徒たちの姿があった。二、三人のグループがいくつか。
遼は書庫に入った。さすがに始業式の日から本を借りようとする輩は珍しい。半ば無人の書庫で遼は自由気儘に本を漁った。
ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」第一巻を手にとる。はじめの数ページをチラ見して、本を閉じた。これを読むのは一苦労だろう。「ダブリナーズ」や「若い芸術家の肖像」と違い、読みにくい。「ユリシーズ」のゲール語で書かれた部分の翻訳の方がまだ読めた、と遼は思った。
読んだ生徒がいるのか、と遼は貸し出しカードを見た。
そこには一人の名前しかなかった。それも五年以上前の日付だ。
五年以上誰にも読まれていないことになる。そういう本なら、いつか挑戦してみたいとは思ったが、今日のところはもとの場所に戻した。
「読んでみないの?」声がする方を向くと、スーツ姿の若い女性がいた。
艶のある黒髪を後ろで束ねた、おそらくは百六十センチに少しとどかないくらいの背丈の女性。
遼は眠そうな目が久しぶりに開くのを感じた。
透き通った白い肌に整った顔立ち。美人は見慣れているが胸を打つほどの美貌は滅多に出くわさない。
「新任の先生ですか?」
胸に付けられたICカード型ネームカードには「白砂レイナ」という名が印字され、ストレートの銀髪を下ろした美女の写真があった。髪が銀色に見えるのは光が強く当たったからだろうか。
「この四月赴任してきたの。そしてここは私の母校」
「先輩でもあるのですね」
「そういうこと」
白砂は、遼が戻した「フィネガンズ・ウエイク」の一巻を手に取った。
「誰も借りてないわね」
「五年以上前に一人借りただけですよ」
「そう、私が借りただけ」
「先輩でしたか」
貸し出しカードに書かれたのは白砂の名前だったようだと遼は今さらのように思い出した。
「先輩よりも先生、と呼んで欲しいかな」白砂は少し口を尖らせるような顔をした。「まあ、まだ授業もしていない新米だから仕方がないけれど」
「教科は何です?」
「英語の会話文ね、君の学年の担当よ、香月君」白砂は遼の名札を見て言った。
「それはお手柔らかに」
「こちらこそ。本が好きなの? 『フィネガンズ・ウエイク』を手に取ってみる生徒は珍しいわ。ジョイスなら『ユリシーズ』よね」
「『ユリシーズ』は読みました。途中眠くなって、字だけ目で追っていることに何度も気づきました。プルーストの『失われた時を求めて』を読んだ時も同じ感覚を覚えました。本は読みますが、好きというほどでもないです」
「そう言うけど、結構長編を読んでるわね、好きでもないのに」
「他にすることがないからですよ」
「そうなの?」
「何にも興味が持てない人間なんです」
「それも、なんだか、悲しいね」
「オレは悲しくないですが」
「そう……」
美貌を鑑賞するのは良いが、話をするのは面倒だ。それが顔に出ているようで、白砂が困惑しているのがわかった。
「何か、打ち込めるものができたら良いね」
「いや、別に今のままで良いですよ」
白砂のあわれむような目に遼は手を振って顔を背けた。「ではまた」
もう少し書庫にいたかったが、白砂の相手をする気にはなれなかった。観賞用の花はめでるだけで良い。花が口を利くなどもっての他だ。
年間二百冊ほど本を読む遼は、本好きと見られる。しかし遼自身は特に本が好きという自覚はなかった。
現実世界に生きるのが面倒くさいので仮想世界の住人になっているのだ。ライトノベルも結構読んでいる。しかし図書室に入り浸るのは、そこでしかなかなか遭遇できない分野の本があるからだった。古典的な純文学などは街中の書店で見かけることはない。歴史やら植物学といった資料的書物もしかりだった。
閲覧室には生徒たちの姿があった。二、三人のグループがいくつか。
遼は書庫に入った。さすがに始業式の日から本を借りようとする輩は珍しい。半ば無人の書庫で遼は自由気儘に本を漁った。
ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」第一巻を手にとる。はじめの数ページをチラ見して、本を閉じた。これを読むのは一苦労だろう。「ダブリナーズ」や「若い芸術家の肖像」と違い、読みにくい。「ユリシーズ」のゲール語で書かれた部分の翻訳の方がまだ読めた、と遼は思った。
読んだ生徒がいるのか、と遼は貸し出しカードを見た。
そこには一人の名前しかなかった。それも五年以上前の日付だ。
五年以上誰にも読まれていないことになる。そういう本なら、いつか挑戦してみたいとは思ったが、今日のところはもとの場所に戻した。
「読んでみないの?」声がする方を向くと、スーツ姿の若い女性がいた。
艶のある黒髪を後ろで束ねた、おそらくは百六十センチに少しとどかないくらいの背丈の女性。
遼は眠そうな目が久しぶりに開くのを感じた。
透き通った白い肌に整った顔立ち。美人は見慣れているが胸を打つほどの美貌は滅多に出くわさない。
「新任の先生ですか?」
胸に付けられたICカード型ネームカードには「白砂レイナ」という名が印字され、ストレートの銀髪を下ろした美女の写真があった。髪が銀色に見えるのは光が強く当たったからだろうか。
「この四月赴任してきたの。そしてここは私の母校」
「先輩でもあるのですね」
「そういうこと」
白砂は、遼が戻した「フィネガンズ・ウエイク」の一巻を手に取った。
「誰も借りてないわね」
「五年以上前に一人借りただけですよ」
「そう、私が借りただけ」
「先輩でしたか」
貸し出しカードに書かれたのは白砂の名前だったようだと遼は今さらのように思い出した。
「先輩よりも先生、と呼んで欲しいかな」白砂は少し口を尖らせるような顔をした。「まあ、まだ授業もしていない新米だから仕方がないけれど」
「教科は何です?」
「英語の会話文ね、君の学年の担当よ、香月君」白砂は遼の名札を見て言った。
「それはお手柔らかに」
「こちらこそ。本が好きなの? 『フィネガンズ・ウエイク』を手に取ってみる生徒は珍しいわ。ジョイスなら『ユリシーズ』よね」
「『ユリシーズ』は読みました。途中眠くなって、字だけ目で追っていることに何度も気づきました。プルーストの『失われた時を求めて』を読んだ時も同じ感覚を覚えました。本は読みますが、好きというほどでもないです」
「そう言うけど、結構長編を読んでるわね、好きでもないのに」
「他にすることがないからですよ」
「そうなの?」
「何にも興味が持てない人間なんです」
「それも、なんだか、悲しいね」
「オレは悲しくないですが」
「そう……」
美貌を鑑賞するのは良いが、話をするのは面倒だ。それが顔に出ているようで、白砂が困惑しているのがわかった。
「何か、打ち込めるものができたら良いね」
「いや、別に今のままで良いですよ」
白砂のあわれむような目に遼は手を振って顔を背けた。「ではまた」
もう少し書庫にいたかったが、白砂の相手をする気にはなれなかった。観賞用の花はめでるだけで良い。花が口を利くなどもっての他だ。
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