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しおりを挟む番になった日から、グレースはグレース・ド・ベクレルと名前を変えて、正式にベクレル公爵家の一員となった。貴族の妻として行う仕事についてはグレースも知っていて、一通りこなすことが出来る。
その旨をシルヴァンに伝えたが彼は、グレースには何も期待していないから余計なことはしないでほしいと冷たく言われた。
番として夫婦として話し合うべきことも沢山あるはずなのだが、シルヴァンに用事があってグレースが部屋に訪れるとき以外は彼はグレースに会わない。
仕事も与えられず、番との時間も裂いてもらえない、その冷え切った関係にグレースは日に日に元気をなくす……わけでもなかった。
そんなこと言ったって貴族としての生活は保障してくれているのだから万々歳である。デジレというお付きの従者ももらったことだし話し相手には困らない。
それにシルヴァンは頑なだ、そんな奴に言葉を尽くして縋りつくのも面倒だし、遊んで暮らしていいというのならその通り遊んで暮らす。
公的な手続きもすべてシルヴァンがやってくれたし家具だって届いた。ついでに約束通りドレスもたくさん買ってもらった。彼は冷たいが律儀な男であるということは確かだと思う。
ただしかし、何もしてないというのも後から誰かに文句を言われた時にめんどくさそうだったので、デジレに頼んでこの国の事、領地の事を少しずつ勉強している。それに対してシルヴァンも何も言うわけでもなく、ただ時は過ぎていった。
番になったことによって体が作り替わり、少々だるい日々が続いたが、それも特別気にしていない。それに、今日は天気も良く、気分もいい、なので庭園へ遊びに出かけた。
デジレと二人で外廊下を歩き春の風が吹き抜けるのを感じる。太陽が暖かい日差しを落としていて眩しいような光景が春らしいと感じる。
「わっ、ふふ」
風がスカートを攫って持ち上げ、それを押さえながら髪を耳にかける。いつも通りの女声で笑みをこぼすと、デジレがグレースの方を見て固まっていた。
「なに、どうかした?」
「あっ、いえ、そうしていると本当に女性みたいだって思ってました!」
庭園に出て、美しい花々が咲き乱れるのを見つつ聞くと、デジレは素直に思ったことを言う。彼はめんどくさくなくてとてもいい。そしてそれにグレースも本音で「ありがとう」と答える。
今日は、シルヴァンからもらったドレスの中でも一番のお気に入りになった金の刺繍が美しいドレスなのだ。お揃いのヘッドドレスもつけている。それを褒められるのはとてもうれしい。
「はい!……それでどのお花を摘まれますか? 僕がとります!」
それから花壇に咲いている花たちを見て、デジレがグレースに問いかける。それにグレースは少し歩きながら考えた。
今日は休日なので外に出て散歩をした後に、部屋に戻ってシルヴァンのところに行こうと思っていたのだが、せっかく外に出るのなら、花を摘んで持っていくなんてどうだろうかとデジレが提案してくれたのだ。
その提案にグレースは乗っかって二人で花を摘みに来た。勝手に摘んで怒られないかともデジレに聞いたが、屋敷内の花瓶に飾っている花はここから調達されているらしいので自由にして問題ないそうなのだ。
「じゃあ、薔薇をいくつかと……」
それから種類はわからないけれども、バランスが良くなるようにデジレに指定して花を取ってもらう。彼は持ってきたバスケットを地において園芸用のはさみとシートを広げる。
「こちらと、こちらですね! 」
「うん」
「きっとかわいい花束になりますよ!」
「そうだといいな」
笑みを浮かべて手際よく花を切り出し、サイズをそろえていくのをグレースは感心しつつも見つめていた。ひらりと、視線の端を蝶が舞って、それを視線だけで追いかけているとすぐに「出来ました!」と声が聞こえて視線をもどす。
グレースの想像通りの花束に思わず表情をほころばせると「直しがありましたら言ってください!」と言いつつデジレが、右手をすっと後ろに下げた。
「……手、怪我してる?」
すぐに指摘すれば彼は少し驚いて、それからしょんぼりした顔でグレースの方を見て小さな切り傷が出来ている手を見せた。
「申し訳ありません! 見苦しいものを見せてしまってっ」
少しだけ血がにじんでいてグレースはその手を取って首を振った。それから親指でゆっくりと傷口をなぞる。
「ちゃんと言って欲しい。あまり使いどころのない魔法だから、使えるときに使いたいの」
魔力を込めて傷を治す。デジレの手についていた傷はあっという間になくなり、それをすごく不思議そうに彼は眺めた。それから顔を赤くして茶色の地味な瞳に涙を浮かばせる。
「どうかした?」
グレースがそう聞くと彼はぐっと顔をしかめてそれから、グレースに治してもらった傷があった場所を摩りながら言う。
「こんなに素敵な魔法を持った素敵なグレース様なのに、シルヴァン様が冷たく接する理由がわかりません!」
「……」
「番にしたのにあんまりです!」
苦し気にそんな風に言いながら、拳を握る彼にグレースは言いたいこともわからなくないと思った。しかし、そう思ったうえで、花束を抱え直して香りを楽しみながらデジレに言った。
「私は、そんな風に思ってない。だからデジレも悩む必要ないから」
「そ、そうなんですか?」
「うん」
「どうしてですか?」
踏み込んで聞いてくる彼に、一言めんどくさいからと返したくなったが、それでは誤解を生むだろうと思い。グレースは言葉を変える。
「自分で変えられない事で悩むつもりも、苦しむつもりもない。私は私。気負っても気負わなくても変わらないなら、楽な方を選ぼう」
……その方がめんどくさくないし。
そう心の中で付け加えてグレースは、言わなかった言葉をごまかすように少しだけ目を細めた。
「グ、グレース様ぁ!ご立派すぎますっ!」
デジレはすぐに感激したとばかりに声を大きくしてそう言って、だからさっさとお散歩の続きをしようと言おうとしたグレースをたじろがせた。しかし、その声よりも大きな声が庭園に響き渡る。
「グレースというごく潰しはお前か!!!」
怒号のような声だった。突然の事にびくっと反応して振り返ると、屋敷から繋がっている外廊下の付近に腕を組んでふんぞり返るように立っている女性がいるのが見えた。デジレはすっと後ろに下がって恭しく頭を下げる。
彼女はグレースが振り向いたのと同時に歩き出して、ずんずんとグレースに向かって歩いてくる。それを硬直してみていれば、すぐに間近まで迫ってきて、気がついたら巨大な胸がグレーズの目の前に広がっていた。
近くに来てみると彼女はとても背が高い。きっとシルヴァンよりも大きいんじゃないだろうか。
そう言ったわけで胸元にグレースの視線が来るわけなのだ。もしかすると今日は朝から散歩に行くからと低いヒールを履いているせいで身長差が顕著になっている可能性もあるがとにかく主張の激しい胸が目の前にある。
そんなグレースを見下すようにして彼女はさらに言う。
「婿入りしてきたのはいいが、シルヴァンが有能なことに胡坐をかき、仕事もせずに遊び惚けているのはお前か!!」
「……」
「答えろ!! ごく潰し!!」
厳しい声音にびりびりと鼓膜が震える。そんなに大きな声を出さずとも聞こえているのだが困ったものだ。
「……」
何と答えればいいのかわからずに、グレースが彼女を見上げるだけでいると、彼女もまたじっとグレースを見つめる。
彼女はシルヴァンとよく似たクリーム色の髪をしているのでデジレから聞いていた王都に住んでいる姉上ではないかと思う。それに、ドレスを着ていない、男性の服に似たような作りのスラックスとジャケットを着ていて腰には剣を刺している。
きっとアルファだとすぐにわかる。番がいる状態であっても服装や体格から案外わかるものだななんてグレースは考えた。
「口を利けないのか!!」
そんな余計なことを考えて答えなかったグレースに、彼女は苛立ってグレースの両肩をがっしりとつかんだ。
「っ、」
その手は力強く、アルファの性を持つ者に乱暴にされた記憶が新しいグレースは否応なしに体がビクついた。そうして花束を落としてしまう。
「……」
バサッと花束が地について、せっかく持っていこうと思っていたのにと残念な気持ちに視線を伏せる。すると、グイっと体を離されて、彼女は真上からではなく、グレース全体を見るように少し距離を置いてじっとグレースを見つめた。
「…………人違いか? グレースは男オメガだと聞いていたんだが、お前は女オメガだもんな」
彼女はとても深刻そうな顔でそういった。しかし明確に問われてグレースは一応自分だと示すために肩の手をのけてから、しゃがんで花束を拾い上げつつ言う。
「グレースは私。でもごく潰しじゃない」
それだけは否定する。そんな不名誉なあだ名で呼ばれるなんて困る。
驚いていた気持ちを落ち着かせて、グレースは彼女を見上げて目を合わせる。
「あなたの名前を聞いても?」
花を整え直してから抱えて彼女に問う。すると驚いた表情のまま彼女は二歩、三歩と、後ずさった。
そのおかげでグレースも彼女の大きなお胸に視界を遮られずにすむ。それに改めて適正な位置で彼女を見るととても女アルファらしい理想的な体系をしていて顔も強気でかっこいい。
シルヴァンとはまた違ったタイプのアルファだ。
そんな彼女は、固まってグレースの問いには答えない。代わりにカッと色白の肌を赤くさせて、ばっと口元を覆った。
「……アンジェル……アンジェル・ド・ベクレルだ」
「アンジェル様、始めまして」
短く挨拶をしてアンジェルに話を聞こうと考えたが、すっかり固まってしまって彼女は動かなくなった。それから無言の時間がいくらか続き、グレースがお茶でも飲むかと誘うとアンジェルは静かについてきた。
あんなに自信満々に登場したのに、急な態度の変化に妙だなと思いながらも花束は自分の部屋に飾ろうと思い直しながら部屋へと戻った。
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