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しおりを挟むヒートが終わり、どちらともなく別れて自分の部屋で一晩過ごし、身なりを整えて二人は顔を突き合わせた。すでにベクレル公爵が襲来した時のような殺伐とした雰囲気はない。
しかしヒートの時のようなべったりとした距離感でもなく向かい合ってお茶を飲む程度で、シルヴァンはいつものように笑みを浮かべていて、何を考えているのかグレースにはわからなかった。
あれほど、ヒートの時には沢山面倒を見てくれてずっと付き合ってくれたのに、日常に戻ると遠い存在になってそれが悲しくて、傷ついたり悩んだり…………は、やっぱりしないグレースだった。
というわけで、あの時の続きを話そうと気持ちを切り替えて、シルヴァンと目を合わせた。二人の間には美しい薔薇の花が飾られていて、今朝取ってきたばかりのみずみずしさを主張している。
「シルヴァン、俺は……あなたを嫌いでもないし、むしろ今は少し好きなぐらいで、邪魔をするつもりも嫌がらせをするつもりもない」
「……唐突に話し始めるんですね。まぁ、なんの話をするかはわかっているのでそれで構いませんけど」
「うん」
特に、何の感情も表さずに彼は笑みを浮かべたまま、グレースにそう返す。それから、目のまえにある薔薇の花を見て、笑みを消す。真剣な表情をしていてそれにグレースは少し身を固くした。
しかし、その緊張とは裏腹に、シルヴァンは申し訳なさそうに顔を歪めた。
「俺から先に、謝らせてください。……グレース、君の事をちゃんと理解していませんでした。自分の物差しですべてを見て、君の言葉を曲解して、傷つけてしまったこと、申し訳ありませんでした」
謝罪を口にするシルヴァンにグレースは、少し目を見開いて、これからまた好きだ嫌いだ、女のふりをするしない、という問答をすると思っていたので、驚いてしまったのだっだ。
「グレースはそれを意識してやっているわけではない事に、あの時気がついたんです。俺は俺だと言っていた言葉の意味、今は理解できていると思います。ですから、本当に悪い事をしたと思います。グレース」
眉間に少しだけ皺を寄せて、苦しそうにする彼にグレースは瞳を瞬かせる。それから、思わず言った。
「鉄仮面じゃ、無かったんだ」
「……なんて言いました?」
「シルヴァンの顔、ちゃんとシルヴァンの気持ちで動くんだ」
「……俺の話、聞いてました?」
「うん」
呆然とするシルヴァンにグレースはきちんと返す。ちゃんと聞いていた。それに自分で気がついて、謝罪までするだなんてやっぱりアルファは優秀だなとサラっと思って、それと比べたりするようなグレースではなく、彼が困惑するのが面白くて「ふふ、ははっ」と笑う。
「なんで笑うんですか。謝罪だけでは許せないという事ですか?」
「……」
さらにいう彼に、グレースはフルフルと頭を振って、それから彼になら言ってもいいかと思ったままを口にする。
「俺はそんな面倒くさい事で、やなんでないし、怒ってない。だから気にしなくていいよ」
「面倒くさい……ですか、本当に?」
「うん。めんどくさい、終わったことを思い返して苦しんだりしない……でも謝罪はありがとう。分かってもらえてうれしい」
「……」
自然と笑みがこぼれた。彼の謝罪が終わったのなら次は、グレースの勝手にした行為の方だ。
これは説明しないといけない義務があるだろう。それに、グレースは正しいと思ってやったが、それを納得してもらえるかどうかはまた別の問題だ。
怒られるかもしれない、お門違いだと言われるかもしれない、しかし、それでも、特に悩まずにグレースは背筋をのばして真剣に言う。
「シルヴァンの話は分かったけど、俺がベクレル公爵に嘘をついたことは怒ってる、よね」
「怒るというか複雑な気持ちです。もう何もできないという虚無感とか、脱力感とか、君に対する不信感もあります」
「うん」
「意図が分からない上に俺の不利益になることでしたから……」
シルヴァンの言葉を聞いて、二人共の気持ちがきちんと同じことに安心して返した。
「ちゃんと説明する。……っていうか、そんなに複雑な思いがあってやったわけじゃないけど」
少しだけ、座りが悪くてシルヴァンから目線をそらしてグレースは横髪を耳にかけて、その時の事を思いだした。シルヴァンはベクレル公爵に復讐感情があってああして、当てつけのようなことをしていた。
確かにそれは、ベクレル公爵にストレスを与えて苦痛に思わせていたのかもしれない。
「俺は、シルヴァンがどんな風にあの人に苦しめられていたか知らないし、どんな苦痛だったのかもわからない」
「そうですね」
「うん。だから、復讐を止める権利もないし、意味ないとか言わない」
「……」
「でも、やって、面倒くさいこと考えなくなる復讐じゃなくて、結局、嫌な面倒くさい気持ちを増やすだけの事なんてやる意味ない」
あの時、ベクレル公爵に傷を作るのと同時に、シルヴァンだって傷ついてた。彼がそういう風に顔に出していたわけでも、グレースにそう言ったわけでもないけれど、そうでなければおかしい。
だって、シルヴァンはベクレル公爵にこだわって、自分の趣向で決めるはずの番を当てつけの為だけに選んだ。
性別の事を言われて嫌な思いをして、それにこだわった彼女を否定したいと思いながらシルヴァンが一番こだわってる。
それってすごく、いびつで、ベクレル公爵はシルヴァンの考えの基盤でやっぱり親で、シルヴァンが一番、気持ちの重心を置いている。自分の番を持ったら親子の縁より、番の縁を多くの人が大切にする。
そうできる可能性があるのに、人生をかけて、ベクレル公爵に振り回されてる。
「復讐とか当てつけの為にシルヴァンが一番重要視してるのはあの人で、でも、あの人が憎くてたまらなくて、解消したくてそうしてるんだと思う」
シルヴァンの方に視線を向けると、彼は笑みを消して、グレースの言葉を理解しようとじっと見ていた。それに今度はグレースが笑みを浮かべてつづける。
「でも、そうやってあの人に振り回され続けて、悩んで苦しんで、傷つけた分、傷つけられて、また解消したくて自分の好きなことととか、望みを無視して」
「……」
「それじゃいつまでたっても、めんどくさいしがらみから逃げられない。ずっと面倒ばっかりになっちゃうと思う」
やってスッキリ勝ちぬけられる復讐なんて対人関係では滅多にないのだ。とくに家族の事については、ずっとついてくる。グレースだってそれを知ってる。
「俺も、沢山否定された、もしかしたら、今の俺は元の俺じゃないのかもしれない。でも、それって悪い事じゃない、そのおかげで好きなものもある」
言いながらドレスを撫でる。
「それなのに、傷つけられた分傷つけることに執着してたら、新しい傷が増えるたびに永遠に終わらない。そんなのに悩み続けるなんてめんどうだ。シルヴァン」
「……面倒ですか」
「うん。面倒くさい。傷ばっかり作ってないで早く治して、自分の幸せを探した方がずっといい。それが一番めんどくさくないと思う」
喧嘩をしたらお互いが傷つくんだ。傷つくと疲れる。特に、力が拮抗している相手だとずっと長引く。その相手をするだけ無駄だと思う。
そう考えてから、グレースは、はたと彼がアルファだという事を思い出した。グレースのようにめんどくさくないのが一番だと思ったとしても、アルファは皆プライドがある。
「それに、俺から見て、あの喧嘩はベクレル公爵より、シルヴァンの方が強かった」
「喧嘩ですか」
「うん。喧嘩だった。だから勝ち逃げでいい。シルヴァンはこれ以上戦わなくていい、俺があとは、負けたあの人と適当に付き合うから」
グレースなんかの彼は勝っていたという言葉だけでシルヴァンが溜飲を下げてくれるとは思えなかったが、物は試しにそんな風に言った。実際、親子喧嘩に勝ち負けなんてない。
みんな自分が一番傷つけられたと思ってるから、いつまでも終わらない。
「……だから、止めた。勝手に、して、ごめんなさい」
すべて説明し終えてそこにたどり着いた。自信満々に持論を披露したけれども、納得してくれなかったらどうしようと少し不安に思う。あの時はとても怖い事もされたし。
「……」
何も言わないシルヴァンを伺うように見ていると、彼は、ぽつりと聞いてきた。
「……勝ってましたか、俺は」
それにすぐに大きく頷く、そう聞いてくれて安心した。グレースから見たシルヴァンの事をシルヴァンが気にしてくれるなら、少しはグレースも重要視してくれているという事だ。
「そうですか」
それに、シルヴァンも少しだけ纏う雰囲気を緩ませて、長考してから、いつものように笑みを浮かべた。ちょっとだけいつもより嬉しそうに。
「これ以上、思い悩むのは……”面倒くさい”ので止めることにします」
「うん」
「それよりも、番としてこれからどうしていきたいかをグレースと話していた方がずっと気楽ですね」
そういって彼は、テーブル越しにグレースの手を取った。それから軽く口づける。
それを嬉しいとグレースは思ったけれどもなんだか、ヒート前とがらりと雰囲気が違う彼に心臓がどきどき音を立てて、顔が熱くなる。
「……」
急に黙って、視線を逸らす。
……これはこれで面倒なことになった?……いや、これは、面倒くさくない方の面倒というか。
支離滅裂な気持ちになって手の甲をやさしく指で撫でられて、思考はパンクした。これから恋や愛みたいな厄介なものに翻弄される日々が待っているが、それはまたいつかの話。
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