どうせ去るなら爪痕を。

ぽんぽこ狸

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19 アウレールと子猫

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 エミーリエとアウレールは庭園の端の方で二人並んで子猫がミルクを飲むのを眺めていた。

 ぺちゃぺちゃと音を立ててヤギのミルクを飲む姿は愛らしく、途中、みゃ、みゃと短い鳴き声を漏らすのを見るとどうしても頬が緩む。

「……」
「……」

 けれども二人はニコニコしているだけで、あまり会話をしない。こうして何度も交流しているけれど、いまだにアウレールの事は少し謎に包まれている。

 疑問をぶつければ言葉が返ってくるし、どうしても何もしゃべらないわけではないのだが、常にユリアンの後ろから鋭い瞳で彼を傷つける人がいないかと睨みを聞かせている姿が印象強く、気軽に接するというのはどうにも難しい。

「……子猫というのは」

 しかしアウレールが珍しく話し出して、エミーリエは子猫を見るのをやめて彼女に視線を向けた。

「子猫というのは本来、母猫が用意した家のような場所から基本的には出てきません。

 ひな鳥などと同様に、兄弟と団子のように集まって丸まって母猫が戻ってくるまで静かで安心する暗い場所で過ごすと言われています」

 何かと思えば猫の雑学だった。

 突然の話題にエミーリエは瞳を瞬いたけれど、子猫を見ているからには突然の話題ではないのだろうか。
 
 それでも話をしてくれたこと自体は嬉しくてエミーリエは「はい……」と子供みたいに呟いた。

「何度か引っ越しをするときに外にも出ますが、狩りを学んだりするために活発に活動するまでにはまだかかると思います」

 そう言ってぺちょぺちょとミルクをなめる子猫をアウレールは見つめたままつづける。

「ですが、この子はここにいる。これは自分の予想ですが、この子は少し野性的な本能が弱い子なのではないでしょうか。

 屋敷の人間が面倒を見ているとは言っても野良猫です、子猫が一匹で動いていてはカラスなり、キツネなりに狩られてしまう。

 でも、お腹が空いてなんとなく家から出てきてしまうのですから、この子が無事に大人になれるか自分は少し心配しているんです」

 そう最後まで聞いてから、エミーリエはやっと今目の前にいるこの子について話をしていたのだと気が付いた。

 そしてたしかに言われてみれば、エミーリエはアウレールが子猫を可愛がっているのを見て、自然と可愛いと思っただけで、この子の状況にまで考えが及んでいなかった。

 子猫がいるならば母猫や他の兄弟が近場にいて、ミルクをやったら寄ってくるのが自然だろう。

 そうならずにこの子一人でいるということは、家から離れて一人ここまで来て、帰っているという事だ。

 野生でそれが危険なことなど知識としては知っていても、意外と目の前にいると当てはめて考えることは難しい。

「けれど、心配したところで自分は、すぐに家に帰るように食事を与えるぐらいしか出来ないのであまり意味などありませんし、野生で生きるということは苛酷な環境を乗り越えるという事です。

 この子にはぜひ、たくましく強い猫になって欲しいものです。もう少し大きくなったら鶏肉を食べさせましょう。タンパク質が豊富です」

 ……そんなに心配していても、飼うとは言わないんですね。

 子猫を強くしようと考えているアウレールに、エミーリエは自分にはない感覚でちょっとばかり不思議だった。

 そんなことに気が付いてしまったら自分だったら飼うしかないかと思うし、なにより自由で過酷な環境よりも、かりそめでも優しい世界と幸せがあった方がいいのではないかと思う。

 そしてそう思ってから、一つ間を置いてそれは人それぞれかと思う。

 エミーリエは動物だから後者でいいだろうと思ったが、世の中には人間にもそれをやる人がいる。

 それと同じように動物にでも、本当の意味での自由で過酷だとしても生きた方がいいと望む人もいるのだ。

 ……それに、フォルスト伯爵やエトヴィンの事がまったく自分はわからないし、理解もできない気持ちでいましたが案外、誰の中にもそう言う気持ちがあるものなのかもしれません。

「そう、ですね。鶏肉を食べて育てば強い猫になると思います。将来は屋敷の納戸を守るネズミ捕り猫として大成するかもしれませんし」
「ネズミ捕り猫として大成……ですか。エミーリエ様は面白い事を考えますね。……ちなみに大成すると、この子にとってどんな利点があるんでしょうか」
「え? そ、そうですね。クッションなどを進呈しようと思います」
「名案ですね。聞いていましたか、ぜひ、頑張ってください」

 アウレールはエミーリエの言葉に控えめに笑って、それから子猫に話しかけた。

 エミーリエからするとアウレールの方が変わったことを言う人というイメージなのだが、流石に猫が大成するかもという話はエミーリエの方がおかしかったらしい。

 きりっとしている彼女が優しく微笑む姿は、なんだかとても素敵に見えて、エミーリエはもっと話をしていたい気持ちになる。

 しかし、いつの間にか子猫はミルクを飲み終わり、パンパンにしたお腹でみゃあと鳴いた。

「よし、そろそろ戻らなければなりません。主様が待っていますから」

 ミルクのお皿を片付けて、アウレールは気持ちを切り替えキリキリと歩き出す。

 すっと背筋が伸びていて、かっこのいい後ろ姿だ。
 
 エミーリエが子猫の現状に気がつかなかったように、彼女には彼女の視野があり考えがあり世界観が存在している。

 あまり、その世界観はエミーリエやユリアンとは交わらない。別の視点から、この屋敷の事も状況も静かに見つめて様々なことに思いをはせている。

 その気持ちをもう少し知りたいと思うけれど、それはまた後日、仕事の休憩にここに来るときに、だ。

「そうですね。二人ともここにいてはユリアンが退屈でしょうから」

 エミーリエはそう言って彼女を追いかけたのだった。


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