“足りない”令嬢だと思われていた私は、彼らの愛が偽物だと知っている。

ぽんぽこ狸

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「こんな簡単な曲を弾けた程度でどうしてそんなに得意げになっていますの? バカバカしい、努力を怠っていたくせに周りからの評価の著しく低い人間が少し頑張った程度で認められるなんてどうかしているわ」

 彼女は怒鳴りつけるようにしてレーナを睨みながら続ける。

「ああ、もしかしてそうなるように仕組んでいたんですの? クレメナ伯爵令嬢は貴族らしい知能を持たない愚鈍な令嬢だと思わせておいて、わたくしのアーベルをだましたのね?」
「そんなことはやるデメリットとメリットを考えると圧倒的に効率が悪いです」
「ちょっとうまくいったからって調子に乗って王都までやってきて、本当に腹立たしい。お前なんて所詮は母親が頭の悪い障碍者だったから少し普通に近づいただけで皆がもてはやしているだけのただの普通以下の女のくせに!」
「ルビー様?」
「ちょっと、誰かおとめして!」

 彼女は唾を飛ばしながら猛烈にまくし立てる。その優雅ではない剣幕に周りの令嬢たちは彼女の対面を守るために動き出す。

 そして、丁度いいタイミングで、応接室の扉が開かれる。

 そこへと入ってきたのは、ルビーを止めるための使用人でも、兵士でもなく兄のアンドリューだった。

「いつもそう、まったく普通以下の人間たちにわたくしの人生は邪魔されてきた! ……愚鈍で何もできないくせに。お兄さまだってそうよ、わたくしよりも劣っていてどうしようもない人間以下のクズのくせに。アベールがうまくやっていればわたくしはお父様からも認められるはずだったのにぃ」
「……ルビー、見苦しいからそのぐらいにした方がいいと思う」

 興奮してまくしたてる彼女の肩を掴んで平坦な声でアンドリューは彼女を呼んだ。

 するとルビーはびくっとして目を見開きそれから油をさしていない機械の様な動きで、ゆっくりと兄を振り返った。

「お、お兄さま。わたくし、お兄さまの事をよんで、い、いませんわよ?」
「ああ、そうだけれど」
「い、いやですわ。いまのは全部、そこの足りない馬鹿な女に言っていたんですの」

 彼女は、兄に対して今の言葉を聞かれたくなかったようで、必死に取り繕ってそう口にする。

 自分が跡取りの地位を狙っていることも、兄の事を定期的に演奏会に呼んで身内で馬鹿にしていることも、兄の事を心の底では見下して馬鹿にしていることのすべてを彼女は隠しているつもりでいた。

 そして陰ながら馬鹿にして貶めることで自分の自尊心を守ってきた。

「それになんで突然、こ、こんな場に、いつもなら━━━━」
「僕は、君が僕の事を馬鹿にしていて、笑いものにして楽しんでいることぐらい、知っているよ」
「ば、馬鹿になんて……」
「ルビー様は問題を抱えている人間がお嫌いなのでしょう。私も意図的に貶められるようなことをされました」
「お、お前っ、何を」
「自分が得意なことを誇って人に示し、高め合うのは良い事だと思います。しかし問題があってできない人間を連れてきて貶めるのは醜い事だと思いませんか」

 レーナは自分が持っていたハープをそのままアンドリューに手渡す。

 彼は「ありがとう」お礼を言い、笑みを浮かべて今までレーナが座っていた席に座り直す。

「それに、足りない事があるのなら、いろいろなもので補えばいいんです。皆様もどうかそれを知ってください。同じように努力をしていることを見過ごさず、受け入てほしい……とまでは言いませんが、せめて認めてください……魔法道具の調子はどうですか」
「うん、大丈夫。せっかくなら、一曲、披露しますから、聞いてください」

 レーナがアンドリューに問いかけると、彼は耳につけている魔法道具に少し触れてそれから前回と同様にハープを奏でる。

 その演奏はレーナの簡単で付け焼刃の演奏と比較するまでもなく圧倒的に今までの誰よりすばらしい、指使いも滑らかでプロのような熟練度を感じる。

 今までの全員の演奏が前座に感じるほどにアンドリューの演奏は見事なものだった。

 楽器の演奏を深く知らないレーナですらそう思うのだから、令嬢たちの衝撃は想像以上のものだろう。

 手を口元に当てて驚いている子もいるし、緊張した面持ちで顔を赤くしている子もいる。

 自分の過去の言動を恥じているのだろうか。

 たしかに、前回聞いた彼の演奏はうまいとは言えないものだった。しかしそれにはきちんとした理由があった。

 リリーから話を通してもらって彼に会うと、彼は想像していたよりもずっと多くの事を察している様子でそれでも、血のつながった妹だからと目をつむっていたらしい。

 それに自分の性質に対しても負い目があった。

 アンドリューは聴覚障害を持っている。

 その原因は魔力的な障害か身体的なものかという二つの分類に分かれていてさらに細かく様々な症状に区分されるが、彼の症状はとても分かりやすく、小さな音が聞き取りづらいというものだ。

 幼いころから音に鈍感で人と違う言動をとってしまう事や話がかみ合わない事、反応が遅れることがままあったそうだ。

 それに加えて、貴族たちは様々な娯楽を持っているが楽器の演奏は今のブームだ。

 しかし、自分で音を敏感に感じ取れない事もありいくら楽譜を読んで練習をしてもうまいとは言えない演奏になってしまう。

「……綺麗な音色」

 誰かが呟くように言って、いつの間にかいろいろな思いを抱えていた令嬢たちも素直に演奏に耳を傾ける。

 レーナもとても素敵な特技だと思う。

 耳にすんなり入ってきて人を癒すようなそんな音色だ。優し気な彼によく似あっている。

「……嘘よ。……嘘よ、こんな。……出来損ないに……」

 けれどもルビーだけはそれを受け入れられずにぶつぶつと言葉を繰り返している。

「わたくしが……負けるわけ……」

 自分の兄よりも上だというアイデンティティーを否定されて、ぶるぶると震えている彼女はとても惨めだ。

 マイリスと同じで自分よりも下がいることに安堵して自分を保ってきた。その自分の保ち方はひどく危険なものである。

 最後まで弾き終えると、間もなく令嬢たちから拍手が上がる。

 今まで笑いものにしていたという事実があっても、彼女たちはその演奏のすばらしさをたたえたいと思ったのだろう。

 ……これで思い知らせることが出来ましたかね。

 本当に、特別な本を読ませてくれたヨエル様に感謝しなければいけません。

 レーナは頭の中でうまくいったことを喜びつつ、ヨエルの事をあがめていた。

 なんせ、難聴に対する効果がある魔法の使い方や民間の伝承をレーナが知っていたのは、ヨエルが図書館にも公開していない貴重な魔法の書を見せてくれたからだ。

 そこには、歳を取って耳が遠くなった老魔法使いが編み出した拡声器の魔法道具をアレンジした補聴器が載っていたのだ。

 もともとの障害を持っている人間に対して有用かどうか、その拡声器の魔法道具自体手に入るかどうかなど様々な懸念があった。

 しかしアンドリューのそばにぴったりと仕えている従者が彼に聞こえづらかった部分をすぐに補足している様子から、考察してレーナはすぐに話を持ち掛けることができた。

 幸い彼は、いろいろと話題の付いて回っているレーナにもリリーの紹介という事も相まってとても真剣に対応してくれた。

 そして今回、ルビーに一泡吹かせるために手を貸してくれたというわけだ。

 ……さて、これで一番の被害者であった、アンドリュー様がきっちり叩きのめして終わりにしてくれるでしょう。

 そう思ってレーナは彼の方を見た。

 しかし彼も同じくレーナの方を見ていて、小さく首をかしげる。どうやら、彼の方からするとそれはレーナの仕事らしい。

 せっかくここまで来たので、レーナはルビーの方へと向き直ったのだった。


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