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6 救いの手
しおりを挟む「あ、少し待ってて、丁度いいものがあるから」
そういってヴィンセントは、軽快に走って馬車へと戻り彼の様子に事態を察していたらしい従者がすぐに彼にフワフワとした毛皮を差し出す。
……とても、仕事が出来る従者がいるんですね。
彼の動きに感心していると、それをもってヴィンセントはすぐに戻ってきて、若干申し訳なさそうな顔をしながら「俺ので悪いけど」と一言添えて、寒々しい格好をしている私の首にそれをぐるぐると巻いた。
白い毛皮はどうやらマフラーだった様子で、もふもふとしていて肌触りがいい。
後ろから彼の様子をみていた魔法使いのブローチをつけている護衛の男たちもやってきて、物珍し気にこちらを見ていた。
彼らはガタイが良く、女性三人のこちらからすると多少の威圧感を覚える。
けれどヴィンセントがとても、優し気というか私に気を使っているような雰囲気を感じるので、怖いという感想は思い浮かばなかった。
お礼も言えずにまじまじとヴィンセントの様子を面食らって見つめていると、彼は私の戸惑った表情に気が付いたらしくハッとして、それから近すぎる家族みたいな距離からバッと離れる。
それから目を見開いたまま、手をしきりに開いたり閉じたりして、何かを思案している様子だった。
「……その、ありがとうございます。見るに堪えないほどこの時期に見合わない恰好をしていた、という事ですよね?」
突然、手に触れ、マフラーをぐるぐると巻いた彼は、少々度が過ぎたおせっかいをしたということになる。
私はそれをあまり気にしたことはないが、貴族同士だとあまり公衆の面前で触れ合うことは夫婦や婚約者以外では喜ばれない。
彼の従者に対してのメンツもあると思うので、そう言う行動をとった彼をフォローするためにそれらしい理由を口にして、私はすでに驚きで引っ込んだ涙をぬぐって顔をあげた。
「あ……ごめん。気を使わせてしまって、俺は……少しばかり混乱していて、馴れ馴れしくしすぎてしまった」
「いいえ、この気温ですから仕方ありません。大変助かりました」
「……そう」
言いながら、マフラーに手を添える。本当に一つ防寒具があるだけで体の冷える速度がまったく違うように感じる。
それに彼が握ってくれた手はとても温かかった。
私の不健康な手のひらと違って人らしい温度を保っているのだなと思った。
それから見上げてみると、彼が吐き出す息が白くなっていて今更寒さを感じたのか、体の前で手のひらを合わせる。
それにしても一応のお礼は言ったが、彼の最初の質問について、私はまだ答えを返すことができていない。
彼は次の言葉を考えている様子で、会話が進展するまでに時間がかかりそうだ。
自分が防寒具を頂いたからと言ってここで長話をして時間を浪費すると、侍女たちに風邪を引かせてしまうことになるだろう。
そんなことにならないように、先ほどの質問について、取り繕わずに正直に話をすることにした。
うまい事を言って、彼をだますように一晩の宿を借りることもできない事はないだろうが、こうして身を案じてくれた恩もある。それにどうやら見る限り、私に用事があったのだろう。
私がヴィンセントの事を覚えていたように、彼も私の事を知っているそれならば、小細工はきっと無意味だ。
「それで、なぜここにいるのか、と最初に問いかけましたね。質問に率直にお答えするならば、恥ずかしい限りですが、見限られたからということになります」
「……それは、具体的にはどういうふうに?」
こう答えれば、面倒事を背負いたくない人はすぐに立ち去るだろうと考えたし、多くの場合そうするだろうとも思っていた。
しかし彼は口元に手を当てて少し考えてから腑に落ちないような様子で聞いてきた。
「具体的にですか……昼に婚約を破棄され、屋敷を追い出され、実家に出戻ったところ、私を……っ、養うつもりはないときっぱりと言われてしまいました」
途中で……多分、寒さで声が震えてしまって、息をのんで少し声を大きくして言う。
「ですから居座られないように、屋敷の中にも入れないと家族に言われてこうして途方に暮れていた。という事です。マフラーのお礼にはなったでしょうか」
首をかしげて問いかけると、柔らかい動物の毛皮が頬を撫でて少しくすぐったい。
笑みを浮かべると、ヴィンセントは口をへの字にして、とても微妙そうな顔をした。
しかしこれ以上言えることはない。何にせよ、少しだが気持ちが切り替えられた。とにかく行く当てが無いのだから、もう少し図太くならなければならないだろう。
実家に直談判して馬車を貸してもらい、ロットフォード公爵家にもどってどんなふうにしてでも助けてもらう。
それ以外にはない。たとえどういう目に遭おうとも。ローナには私の道具一式と、宝石類を渡して、次の就職先を探してもらうしかない。
結局、泣いてもできることは変わっていないし、やったようにしか物事は動かないのだ。
しばらく沈黙する彼は、きっとどういうふうにこの場を切り抜けようかと考えているに違いない。だからここは私から言うべきだ。
「それでは、私はこれからこの状況を打破するために、実家の方に戻りますから、ヴィンセント様もどうか私のことはお気になさらず、心配してくださってありがとうございました……ローナお願い」
「は、はいっ」
彼女を振り返ると、急いで車椅子のグリップを握る。
しかし、その言葉に反射するように彼は車椅子の肘掛け部分に手を置いて、とても必死そうな表情で引き留めた。
「っ、それは! ……それは、よくないと思う。こんな寒空の下に、君を放り出すような人たちなんだろう。彼らに君がどんなに誠意をもって頭を下げても、通用しない」
ローナは物理的に私を引き留められてとても戸惑った様子で、手を離す。
「たとえその願いが通ったとしても、君の事をないがしろにする人間だということは根本から変わったわけじゃない。どんな目に遭うか……あ、いや、君の家族を悪いふうに言いたいんじゃないんだ」
こうされると、動くことが出来ずに、言い募る彼の事を見上げた。
「ただ、とても最善策とは言えない行動だと思う。ただでさえ君の体の状況はよくないんだから、きちんと尊重してくれる人間の元にいるべきだ」
そう断言して、真剣に見つめてくるヴィンセントに私は強く思う。
……では、どうしろと?
言われなくてもそんなことは理解している。良い手ではない。しかし、私の未来は先細りしていくしかないのだ。
体が悪くなっていくのにつれて状況もどんどん悪くなっていった。
しかし悪くなった中でもどうにかしないといけない事がある。
それが今だ。工夫してやれることを全力でやれば未来は好転するという言葉はよく聞く、しかし、それは正しくない。
好転する”可能性”があるだけで必ずしもそうなるとは言えないのだ。しかし、それでも生きていかねばならないから、覚悟を決めて歩みを進めるしかない。
「…………」
しかし黙った。私の身を案じて言ってくれていることはわかる。そんなヴィンセントを責めたって意味がない。
だとしても彼の言葉は無責任だ。……だからこそ、これ以上そうして引き留めるなら……。
……なら、あなたが、私を助けてくれるんですか?
「俺に君の手助けをさせて欲しい」
そう言ってしまおうと思った途端の事だった。
どうせ、それとこれとは話が別だと言われると思ったのに、端からそういうつもりだったとばかりに彼はそう言って、やはり地面に膝をつき私を見上げるようにして言った。
「ごめん、嘘を言った……本当は手助けなんて言えない。けれど、君を……俺は、今そんな危険なことをする前に連れていきたい。俺は君にその……価値を感じているから、とても。だから、君を尊重するし、凍えないようにまずは屋敷に案内して」
「……」
「それから、部屋を用意して。後は、健康にいい食事も出すし、いろいろと、配慮する」
真剣に言う彼の瞳は、猫みたいな金色の目をしていてキラキラ輝いているように見える。
その言葉に嘘はないような気さえする。それに私が今一番望んでいることだ。
そうしてくれるならばとても嬉しいしありがたいし、これ以上ない話だと思う。
けれどそう思うからこそ、私は彼が悪魔のように見えた。
「だから一緒に来てくれないか、苦労はさせないし、もちろん俺の正式な相手として優遇する」
……絶対に、嘘ですね。だってタイミングが良すぎる。
甘い言葉を囁いて、私をだまそうとしていることは明白だ。
けれども、後ろには凍えて行く当てのない侍女もいて、私を一度みかぎった人たちに頭を下げにいくのは先ほど彼が言ったように、どう頑張っても勝率が低いうえに危険性もある。
ならば、どうするべきかと私は必死で頭を回転させて、震える吐息を吐き出してそれからぐっと体に力をいれて、拳を握って出来る限り強く彼をにらみつけた。
「……私の侍女たちの身の安全と生活を保障してくれるなら、そしてそれをあなたの使う契約の魔法で約束してくれるなら、話に乗りましょう。それが出来ますか?」
「出来る」
「……わかり、ました」
即答されて、自分が言ったのに驚いてしまって私はたじろいで返事をした。
それに彼は笑みを浮かべて「よかった」ととても安心したように言った。
契約の魔法はとても強力なものだ。そして魔法協会とのつながりがあるベルガー辺境伯家なら、侍女二人の生活の面倒を見るなどお安い御用だろう。
疑わなくてもその契約は、きっと履行されるだろうと思う。
「じゃあさっそくやってしまおう。冷えると君の体に障るから一刻も早くね」
そういって魔法を使う彼に、私はぎこちない笑みを返す。
なにが目的なのかは、この時点ではわかりそうもない。しかし、今日の夜を温かく過ごすことだけは出来そうだと思ったのだった。
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