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この世界で生きていく……。5
しおりを挟む「それで、全部?」
「……」
「ローレンスが思ったこと全部?」
震える声で聞く。彼は、黒いナイフを弄びながら、少し逡巡して「そうだよ」と答えた。
先程、切られた頬から血が一筋流れ落ちる。組み敷かれて、馬乗りになられているというのに、なんだか妙に、危機感がなかった。
彼の語った言葉は、とても分かりにくかった。けれどそれと同時に、なんでもないような顔をしているけれど、まったく消化出来てなどいないのだと、言わないことがある彼のことを見て、何となく察しがついた。
……だって、まったくどうでもいいなら、全部終わった事だとは思うのなら、やっぱり火種が必要も無い事も、ローレンス自身の考えがあってもいいことだって、わかるはずだ。
それが矛盾なのかもしれない。それが彼にとって終わったような、気にしていないような顔をしていても、彼自身が終わらせる気が無いと言うのが、それがローレンスが抱える矛盾。
そこを指摘しようかずっと迷っていたけれど、ただ違うと思った。
そんな、理性的なことよりもずっと、私が思って言いたいと思うのは、もっと別の事だ。
ローレンスの過去として、先程の話は聞いてはいた。そういう事実があったというのは理解していた。けれど、本人から聞くというのは、解像度がまったくちがう。
艶めかしくて、恐ろしくて、小さなローレンスがいる過去に戻れるのならば、守りたいほど可哀想で悲しいのだ。
今だって小さい。小さくて、自分のことを肯定して信じてあげられなくなってしまった子なのだ。
彼に向かって手を伸ばす、それでも私はやっぱり、そんな人を抱きしめるぐらいしか出来なくて、矛盾だとか、彼を変えるだとか、明らかにしなければならない事を私は、かなぐり捨てた。
彼の腹部に顔を埋めるようにして、きつく抱きしめる。
そんなことはどうでもいい。そもそもそんな、理屈で他人を変えられるわけが無いのだ。
「…………何のつもりかな、今ので全部だよ。私の話、聞いていただろう?君は生きたいんだろう、私を言い負かして見ればいい」
「…………」
「クレア」
「もういい、ちがう。ローレンス」
彼から見ればいい意味不明だったのだろう、少したじろいで、彼は私の上から降りる。それから、私は起き上がってソファに座り直したローレンスの両手をとった。
「私、言いたいことだけ言うから、聞いて」
「…………なにかな」
薄闇の部屋の中、少しだけ心細く揺れる翡翠の瞳を捉えて、口を開いた。
「私、ローレンスが好きだよ。最初は、酷い人だと思ってたし、理解できない所がいっぱいあった。でも、割と……本当に、接していくうちに段々、わかることも増えてきて、難解だけど、私、ローレンスの事が好きなんだ」
「…………」
だから、彼自身が必要ないなんて言わないで欲しい。私はローレンス自身が好きだ。それだけは言える。
「……私が言っても、貴方に取って意味なんかないかもしれないけど、貴方の本心、どんなに私にとって都合が悪くても私は聞きたいよ、貴方自身が大事だよ」
表情ひとつ動かさない彼に、私はまったく伝わらないような気がして、こんな言葉も彼にとっては、意味もなく過ぎ去るだけのものだと思われてるきがしてきて、辛くなってくる。
でも、伝えるには言葉にする以外は無くて、態度で示すには時間が足りなさすぎる。
「だから、眠れないのなら眠れないって言って欲しいし、苦しいのなら苦しいって言って欲しい。いつだってローレンスは自分の欲求も自分の事も話さないけど、私は聞きたい」
こんな言葉なんかで、長年の週間も、そうするに至った経験もローレンスの中で変わることなんて、ないのかもしれないけれど、それでもいい。
というか、私が今ここで言わなければ、他の誰かにローレンスがそのことを話して、別の人から意見を得られるとは到底思えない。
届かなくても、そういう風に、ローレンスを愛したっていう事実がある方がきっとずっといい。
家族の愛情に見返りなんか必要ないのだ。そのローレンスのおばあ様はローレンスに嘘を押し付けた。その人は初めからローレンスのことを愛してなんかない。
「それに、好きって気持ちに見返りは必要ない。私は私の何かを満足させるために貴方を使ってるんじゃない。ただローレンスと今まで過ごしてきた過去の積み重ねが、その感情を作ってるんだから、見返りが必要なわけなんかそもそもないんだっ」
当たり前すぎて、バカバカしいようなことをいう。それすら、彼には誰からも言われたことがないのでは無いかと思って。
「ただ、これからもそばに居たいって、好きって感情が生むのはそういう行動原理だけだ。だ、だからっ、……だから、おばあ様は別にローレンスを愛してない、嘘だよ!それは嘘で、だから、ローレンスはその人に義理も返さなけばならないものだってない」
だから、ローレンスは、嫌だったと言っていい。
「嫌なことは嫌でいい、それがそれが言えない状況で、それでずっと貴方が我慢をして、その状況を打破してくれたのが、人殺しだけで、エリアルが行った復讐だけで、どうしても貴方が、その黒い剣をずっと手放せないみたいに、停滞が起こらないように、トラブルを望むって言うなら」
どうしても、それでしか心の安寧を得られないと言うのなら。
きっともう、嫌なことを嫌だと言えないような、状況を飲み込むしかないような、無力な一人ぼっちの子供では無い、とローレンス自身が納得できるまで。
「…………本当は、ローレンスは、そんなものなくても、貴方はきっと幸せに生きられると、思うけれど」
「……」
「ローレンス、どうしても、ローレンスが、火種と状況を打破できる手段が欲しいなら」
彼の両頬を、両手で包み込む。そのままキスを返す。
「私が手段になるよ。ローレンスのためなら、私が貴方の黒い剣になる」
ローレンスを一番に考えるし、貴方のことを何よりも大切にする、もし、ローレンスが、どうしようもなく、辛い状況になるのなら私が、それをその状況を壊す人に……なる。
魔法玉を服の中から引っ張り出す。そして、ローレンスに見せる。
「親愛の誓い、ずっと放置していてごめん。今しよう、私の命貴方が握っていて」
「…………」
「……?」
彼はじっと私を見て、それから、なんとも言えないような表情をする。憂いのような悲しいような、なんだか読み取れない表情。
「……君が……火種ね。君は確かに人智を超えた化け物だけれど、それほど有用かな」
「……が、頑張る。ま、魔法ももっと上手く使えるようになるし! い、色んな発明品とかつくる!」
「……君はそうやって私のために生きるから今、殺さないで欲しいと?」
そう言われて、あ、そうだった。と思いだす。
必死で言葉を紡いでいたせいか、すっかり自分の命が風前の灯火だと言うのを忘れていた。
顔にも出ていたのか、マヌケな顔をする私にローレンスは「馬鹿だね。君は」とどういう感情なのかそう言って、不意に私の首に手をかける。それからくっと気道を締める。
「クレア、苦しい?」
そう聞く声は間違いなく、機嫌がよくて、コクコク私は頷く。
そんな私を見てローレンスは、少し満足したみたいに微笑んで口を開く。
「……君の愛情、ほんの少しだけ理解ができた気がするよ。矛盾を突くだとか、説得されると思っていのに、急に愛について説き始めたから、ついに頭がおかしくなったのかと思ったけれど、存外、参考になる話だ」
「っ、うっ、……っ」
「ただね、やはりどんな風に説得されても、私は私自身を言い当てられると癇に障る、それを知った上で、やる時には私に殺されない程度にしておくようにしてくれ」
「っ、かはっ、ゴホッ、ごほっ、っ、っつ」
首を離されて、そしていつの間にか、魔法玉に魔力が注がれ始める、今日はもう魔法玉の起動は四回目だ。
いよいよ限界に近いと言うのに、ローレンスの魔力量が多くて目が回る。
「っ、うぅ。っまって、無理、ゆっくりっ」
「こんな程度で、根をあげないでくれ、親愛の誓い、やるんだろう?であれば多分相当に苦しいはずだよ」
「へ?……あ、つっ、」
引き寄せられて、ローレンスの胸板に体を預けるようにして倒れ込んだ、そのまま彼の膝の上に乗せられて、魔法玉を持っている彼の手の方を見れば、ローレンスの翡翠の魔力がトクトクと水がコップに溜まっていくように波打って蓄積されていく。
「っ、え、っ、わ、私っ結局どういうっ」
殺すような素振りを見せてみたり、親愛の誓いをすると言って見たり、何がしたいのか分からずにローレンスを見あげる。
そすると彼は、優しく私の頭を片手で撫でて、今まで見たことないような、優しい顔をする。
「…………君の思う通りになるのは、癪だけれど、殺さないであげるよ」
「ほ。本当?」
「嘘はつかないよ。…………本当にきっちり殺す気でいたんだけれどね。……どうにも……今ここで殺してしまったら勿体ないと、思ってしまってね」
魔力が溜まって、魔法が発動する、けれどローレンスは魔法玉に魔力を込めるのをやめない。
私は、体の奥底からじわじわ別のものに塗り替えられる感覚に吐き気を覚えながらも、殺されなくていいらしいということが嬉しいんだかなんだか分からずに、ぽたぽた涙がこぼれていった。
「……それほど苦しいのなら眠ってしまっていいよ」
「ううん…………大丈夫」
達成感も何もあったものじゃないが、魔法玉を、塗り替えるというのは一生に一度も無いはずなので、起きては居たい。
頭を撫でてくれていたローレンスの手が、いつの間にか私の頬の傷をつつっと撫でて、痛みに体がびくつく、上を見上げれば彼は、相変わらず機嫌が良さげだ。
彼の癇に障ることを何もしていないはずなのに、痛いことをされる意味がわからないと私が困惑していると、ローレンスはそのはちみつ色の声で、ぽつりという。
「…………それなりに私も君が好きだよ。クレア、ひとつ約束してくれ」
「う、うん」
「君は私の物で、私の火種になると言ったね」
「うん」
「私自身を愛しているんだと大口を叩いたね」
「……うん」
「……もし、その言葉を違えて、どこかへ行くような事があれば簡単には死なせないよ、約束できるかな」
珍しく、本音も本音だ。好きという言葉も、それから逃がさないということも、飾らない彼の本心だ。
「……約束するよ」
「なぜそれほど嬉しそうなのかな? 脅し以外のなんでもないと思うのだけど」
「……ん、うん、そうだね」
本音が聞けたのが嬉しい、とただそれだけなのだが、そういうことを指摘すると、また、ローレンスに怒られそうだったのでやめておく。
それに、それは脅しになっていない、そもそも、逃げ出すなんてそんな選択肢は私の中には一切ない。
結局、この場所で、ローレンスから与えられた場所で生きていくと、とうの昔に決め込んでいるんだ。
私の愛情を理解したとローレンスは言っているけれど、まだまだだ、もっともっと私の愛情は重たい。
……ローレンスの方こそ、呆れ返って捨てないでね。
「……貴方の方こそ、っ、……捨てないでね」
「……時と場合によるね。しかし、君がいつまでも私に取って有用でいてくれるなら、そんな心配はいらないよ」
辛辣な答えだ。けれどこれが彼の本当の言葉なんだろう、甘ったるい愛の言葉だったり、知りもしない無条件の愛情を向けるような、うっすぺらな言葉じゃない。
それが私にとってより心地よくて、嬉しくて笑った。そすると、彼は不可解というように、首を傾げてしばらく、辛辣な返答ばかりだが、本音を話してくれる彼と、何気ない会話をして、私の魔法玉は翡翠の色へと変化した。
魔法も使っているので私の魔法玉はドーナツ状の空欄もうまって、私の魔法玉とローレンスの魔法玉はまったく同じ色になって、彼の手の中に収まっている。
それがどうにも、神秘的で、心の底から嬉しくて、私はその光景をいつまでもきっと忘れはしないのだろうなと思った。
応援ありがとうございます!
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