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この世界で生きていく……。4

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 私は私自身がおかしいことを一応は自覚している。

 ただ、先程彼女が言った通りだ。それを全部言い当てられて、人の感情として吟味され、考察されて辻褄を合わせられたら、私は人格の破綻を起こしていることを認めざる負えない。

 けれど、そのすべてというのは、事実とともに、私の中にしかないものがある。

 だから、私は、彼女に変えられることなど到底ないのだと、決め込んでいたが、なぜだかこうして、全部を話そうとしてしまっている。

 ……そもそも、なぜ私はこんなにもクレアを許すのだろう。媚びもしない、可愛げもない、ただ昔の婚約者の皮を被った化け物、それに、私は意図せず、名前を与えた。

 そうすると彼女は、クレアという確立した存在にこの世界で成った。周りにはいつの間にか人がいて、当たり前に学園生活を送る少女になった。

 そして彼女は私を愛しているという。小鳥が生まれたとき、初めて見たものを親として愛するように、名づけをしたのが何かしら彼女に影響を与えたのだろうか。

 ……あぁ、ただそれは、私が彼女を許す理由にはならないね。そちらから私の今の挙動を説明するとすれば、それによって絆されたと言う他ないだろう。

 しっくり来ない。そもそも、クレアは私に委ねるという判断をしたが、やっぱり強請るでもなく、服従するでもない。

 ……強いて言うならば、与える側のような素振りをいつもする。

 それを私にやったのは、おばあ様だけだ。

 子供時代の幼く愛情を欲する私の欲求をおばあ様は満たしてくれた。

 子供の遊びに付き合い、時には勉強を教えて、夜は共に眠る。そういう与えるだけの情を与えて、私が信頼しきったとき、その夜に。

「……やはり、美しいひとだったとはいえ初老の女だったからね、香水でかくしていても、老いの香りがするというか、死の近い匂いがするんだ。彼女に抱かれると」
「っ、……」
「そうしていると、次第に汗の匂いと、それからカサついた、手が私をなでて、少年だった私の短い四肢を押さえ込んで行為に至った。そういう日々が続いていたよ」

 そうやって、私は愛される事への見返りを、返した。それが私に望まれた事だった。

「……少し顔色が悪いね」
「だ、大丈夫」

 ……そうは見えないけれど、まあ、これから死ぬ相手の体調を気遣うなんて馬鹿らしいだろう。

 そう割り切って、彼女に話す続きを考える。過去、私はそうして愛された、そして、その周りの大人達の反応すべてが、今の私の根源として鮮明にその時の気持ちが思い出せる。

「そして暮らしているうちに、わかったんだ。おばあ様は、私の瑞々しい肌や顔つきを見て、若き日の自分を見ている」
「自分……」
「そうだよ。使用人達は私のことを見て、おばあ様の顔色を伺っている」

 話が変わり、クレアは顔を上げる。それから、よく分からないという顔をした。

 ただこれはよくある現象だ、というか大体の場合には、話をする時、誰かと行動を共にする時、その人間の事を見てなどいない。

 中の性格や本人にはさして興味が無い。必要なのは、その後ろにいる人物やその人間が持っている繋がり、はたまた金や力だ。

「国王陛下も同様に私を見て、おばあ様を見ている。エリアルも同様に。つまり、私はおばあ様の所有物として、すべての私の周りの人間から見られ、私という人間はその場所に存在していなかった」
「……うん」

 ここまで言えばわかるだろう。君が、話をする時に、どうしてか私自身に話をさせようとする。

 それはまるで意味が無い。私という存在は、あってないようなもの、そして、私は主張するべきではないと思っている。

 おばあ様の愛情に異を唱えてしまえば、そこでそもそも私の価値はなくなり、エリアルたちのようにいじめ抜かれて、殺されるに違いなかった。

 知られてはならない、決して私は、老婆に陵辱されるのをどのように思っていたのか、その事実がまず、私の生死に関わる重要な問題だった。

「だから、私は主張をしなかった。いまだに、自らのというものを他人に伝える事に嫌悪感がある。君は、それは分かっていただろう?」
「……得意じゃないのは……知ってた」
「そうだね。……そうして日々を過ごしていたがね、ある日、エリアルが母親の復讐のために剣をとった」
「うん」
「おばあ様は、それほどまでにエリアルを追い詰めていてね、私もそれは理解していた。ただ、私もその周りも、父親も、おばあ様には逆らわなかった。このままでいいと、誰もがどうしようも無い事に目を瞑って、停滞を何より、恨みつつ、同時に望んでいた」
「…………」

 望んでいたのは確かだ、多くの人がそれを望み、私には、私というものがなく、ただ、愛されるだけの日々を過ごしていたのだから。

 ……本当は辛く、苦しく、死んでしまいそうなほど惨めで、夜が来るのが恐ろしかった。

 けれど、そう思う事を私は許されてはいなかった。長らく、そうして自らを殺していたせいで、そう思っているのかどうかもその時には自覚できなかった。

 そう言葉にして、クレアに伝えられたら、とてもわかりやすくて良いのだが、今そう考えるだけでも、根拠の無い危機感が体を包んで、言葉にするのを断念する。

 ……幼少期の出来事というのは本当に、いつまでたっても消えないものだね。

「エリアルは、緻密に計画を立てた、当時、王城で一番の権力者だったおばあ様を敵対してきたエリアルが殺害するのは、とても骨が折れる作業だったはずだか、彼はやり遂げた」
「……」
「ちょうど、おばあ様が私に重なっている時でね。おばあ様は魔法使いでもあったから、魔法玉を外して私を楽しんでいる時が一番狙い目だったようだよ」

 当時のことを思い出す。
 それはなんの前触れもなかった。いつの間にか、おばあ様の背後に人影を見つけて、首を傾げた。

「享楽に浸っていたおばあ様の体から、突然の刃が突き出したことには心底驚いたよ」
「……見てたの?」
「そうだよ。私はおばあ様に組み敷かれて真下で見ていた、その剣は、夜だったからか、もしくはおばあ様の血が人間のように赤ではなく黒だったのかもしれないが、とにかく、私のずっと停滞していた時を切り裂いて、前へ進めてくれたのは、あの、黒い剣なんだ」

 魔法を使って、固有魔法の剣を取り出す。いつだってこの刀身は私を安心させてくれる、あの人の黒さのままだ。

 おばあ様の真っ黒な血が滴る、私の剣。

「エリアルには感謝しているよ、彼は私に教えてくれた。留まってはいけないと。停滞してはいけないと、動かさなければならない、そうでなければ、私は幼少の日々のように、動くことが出来なくなってしまう」
「……」
「だから、必要なんだ、常に火種が」

 おばあ様がしていたように私は彼女の髪を引いて組み敷く。慌てて、けれど、あまり抵抗せずに私を見あげる彼女の頬に、刃先を滑らせる。

 その傷口からは、真っ赤な宝石のような血が肌の上で球になりながらじわじわと滲んできて、剣先ですくい取る。

 ……赤いね。あの人とは違って。



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