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この世界で生きていく……。3
しおりを挟む何から話そうか、そう思考を巡らせる。私の過去には様々な分岐点があった。
ただ、あとから聞いてそのことを知っているだけで、当時はまだ、ただの王子という肩書きがあるだけの子供だったのだ。
その分岐点を自分で選んで選択した訳では無いと言うことは確かだ。
考えながら、私の手に少し怯えつつも、体を預けてくるクレアの頬を親指で擦る。
……この子は私の置かれた状況をおおかた知っているのだろう。そうなれば、お母様とおばあ様の関係については省いてもいいだろう。
「自分の過去を赤裸々と語るのは趣味では無いからね、簡潔に話すよ」
「うん」
「……エリアルが私の実兄であることは知っているだろう?」
彼女はコクリと頷く。それから私は、適当に手癖で彼女の乱してしまった髪を緩く手櫛で整えながら前提条件として過去に王城であった事実を並べる。
「エリアルは罪を犯した。そして逃亡を図り、今は世捨て人となりこの場所にとどまっている。その罪。それは、国王陛下の母上つまり、私のおばあ様の殺人だね」
「ローレンスの……おばあ様」
小さな子供のように私の言葉を復唱する姿が、血まみれの服を着ているというのに、妙に幼く見えてそのアンバランスさに、変な心地を覚えつつ続ける。
「理由として、エリアルは母親を奪われた。エリアルの母親は正式な妃でね、たった一人の王妃だ。私の母親でもあるよ」
「……」
「第一子である、エリアルは母親によく似ていてね、国王陛下の血縁としての繋がりは、あまり感じられなかった。黒い髪、瞳は深緑の色だったが、顔立ちも母親譲りだった」
「……ローレンスは父親似?」
「そうだよ。おばあ様は随分それに、お喜びになっていたよ」
「そっか」という彼女は、少し、しょげていて、せっかくこうして私が自らのこと、誰にも話をしたことが無い事を話してやっているというのに、優越感も喜びもひとつも感じられない。
何かが不満なのか、それとも、やはり私への情などそれほど深くないのか、検討がつかなかった。
「話を戻すよ。エリアルの母親は体の弱い人だった。美人薄命とはよく言うだろう。それを体で表したような人でね。子供を産むのはひとりが限界だったんだ……けれどそれをおばあ様は許さなかった。まったく国王陛下に似ていないエリアルが王座につくのを、とてもじゃないが許せなかったのだと思う。……あの人はあの人で嫁に来た人だったからね。自分の息子が王座についてやっと、報われた人だから、他所から来た女の子供が王になるのが許せなかったのだと思うよ」
「…………ややこしいんだね」
「……そうだね」
あまりよく理解していないような顔で、クレアはそう言って、難しい顔をする。多分、彼女には理解ができない感性だったのだろう。
たまに、同じ年頃では持ちえないような忍耐力や博識さを持っているように感じるクレアだが、母親になる者の気持ちや、それに伴う親類関係の知識や共感性は低いようだった。
……君が、そんな事まで理解できるような人でなくて、良かったよ。
素直にそう思った。どうせこれから殺すというのに、これから先あまりにも得体がしれなさ過ぎると、恐ろしくなるのでは無いかと思ってしまっている自分がいたからだ。
「だから、おばあ様は私をエリアルの母親に産ませた。そして、彼女をいびり抜いた。産まれた私は、おばあ様に育てられた」
「ひとつ、質問」
「いいよ」
「お父さん……ローレンスのお父さんは何もしなかったの?」
「しなかったよ。そういう人だからね」
彼女は眉間に皺を寄せて、苦い顔をする。あからさまな、嫌悪感を表した表情に、少し意外だと思った。
クレアは看過しがたい乱暴でも、それほど嫌悪感を示さずに許す傾向がある。
だから、あまり他人が他人を害すると言うこと、そしてそれを黙するということも、それほど嫌悪していないと思っていたが、どうやら違うらしい。
「……エリアルの声、どうしてああなったか知っているかな」
「……知らない」
「おばあ様がね、エリアルに毒を盛ったからだよ。何かは忘れたが、触れるだけで肌が爛れるような毒物を飲ませたのだと聞いている」
「…………」
その時の事は一応覚えてはいる。別々の人に育てられているとはいえ、兄は兄らしく、私と同じ教育を受けていて、ひとつ先の段階にいた。
それはたしか幼心からか、はたまた、彼には綺麗で優しげな母親が味方についているのが羨ましかったからか、おばあ様にエリアルへの恨み言を吐露したことがあった。
それから数日空いて、久しぶりに授業で会ったエリアルは完全に声を失っていた。
一応はあれでも回復した方だ。昔はあれ以降、一言も私とは口をきかなかったのだから。
「そんなような、いじめ、というか虐待が続いてね。エリアルの母親はエリアルを残して早くに亡くなったよ」
「……」
「私は私で、おばあ様にそれは、もう、とても“愛されて”育った」
私の一言に、彼女はグッと拳を握る。その言葉の意味をクレアは正しく理解しているらしい。
……エリアルは、正しく私のすべてをクレアに話したのだね。
本当は、賭けのつもりだった。それも私は、勝てる賭けをしているつもりだった。
エリアルもクラリスも、私を許せはしないだろうと、思っていた。だから、クレアが私を変えようと情報を集める時、彼らはまず協力などしないだろうと踏んだ。
だから本当は、クレアとこんな話をするつもりもなかった、ただほんの少し、もし彼女の側に奇跡でも起こったら、こんな事も有り得るだろう、とほんの少しの可能性として、考えているぐらいだった。
だから私は、本当は、気に入った女性にこんなグロテスクな愛情の話などするつもりも無かったんだよ。クレア。
「おばあ様が私をどんな風に愛していたのか、話をしようか?」
彼女が動揺しているのをわかっていて、あえて誘いをかけるように聞いてみる。
気丈に分かりやすく、私を理解したいという顔をして、けれど自らの好奇心や欲求を満たすために聞きたいと言うのか、それとは逆に、そんな事は話さなくていいと私を気遣うような振りをするのか。
そういつもの通りに予測を立てて、クレアのことを覗き込む。
クレアは、私とは目を合わさずに瞳を伏せたまま「ローレンスが、望む方で……いいよ」と言う.。つまり、クレアは話を聞きたいわけでも、聞きたくないわけでも、ない。
……そういう、ところだ。それがいつも私の癇に障る。
ただ、いつもの通りに乱暴をしても、今の彼女は、多分抵抗もしないし、話が進まなくなるだけだ。
「……ちがう」
私の機嫌が悪くなったのを察したらしい彼女は、そう口にする。私に興味は無いのに、どうにもこの子は人の機微に聡い所がある、それもまたクレアの嫌いなところだ。
……何が違うというのかな。
「どっちでもいいって言ってない。ローレンスが嫌じゃなければ、ローレンスのことを知りたいけど……問題がデリケートだから話すことを強要したくないって……」
視線を上げて、クレアは私を見上げてくる。
その視線はどうにも媚びるみたいで、私に嫌われるというのは、嫌なのかと一応は納得出来る。それでも、そうであるなら、もっと分かりやすくするべきだ。
「そう思った、だけ」
「……考えすぎだね」
「……」
「クレア、君が思うほど、私はおばあ様との生活について心に傷を負っていないよ」
……おばあ様は私を愛した。元々、国王陛下である父親にも同じようなことをしていたのだと思う。
多分、あの人が本当に愛していたのは、自分だけだったのでは無いかと今では思う。
自らの腹から生まれてきた息子、その息子の血を色濃く継いだ孫。そんな、小さな少年の体に欲情して、性愛を向けられるのだから、余程のナルシストだったのだ。
「体を重ねても意味などない年頃だったし、意味も理解はしていなかったよ。……おかしな事だとは薄々勘づいていたけど」
「…………」
頬杖をついて、クレアの反応を見つめる。彼女は拳を握ったまま、下唇を強く噛んで、口を開いては閉じる。
……言いたいことが山ほどあると言う顔だね。でも君は、私にそれを押しつけはしない。
おばあ様との濃密な関係と愛情について、自分は何も思っていないと言いながらも、きっと言われたくない言葉、言われたら気分を害する言葉があるのだと、彼女は悟ってるのだと思う。
そして彼女の反応を見て、たしかに自分の心がそう繊細なのだと気がつく。
…………それは。そうだろう。誰だって、下品に暴き立てられたら嫌な事のひとつもある。そのはずだ。
それを、普段まったく人になど話す必要さえないことを話しているのだから、自分を再認識する機会になってもおかしくは無い。
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