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この世界で生きていく……。10
しおりを挟む夜ではあったが、まだ時間が浅く、外の街灯と部屋から漏れる灯りでそれなりにバルコニーは明るかった。
風が少し吹いているが、寒くはない。
今日は、バルコニーに机は出ておらず、ただ広い空間が広がっていた。
「クレア」
柵に寄りかかるようにして、外を眺めていたローレンスは、振り返りもせずに私の名前を呼ぶ。適当に歩みを進めて、彼の隣に向かう。
「よく来たね。そのドレス、よく似合っているよ」
流し目でこちらを見て、それから、また下階に視線を落とす。「ありがとう」と返しつつも、ローレンスの視線の先を追った。
そこには校門付近に生えているふたつの大きな桜の木があった。
入学当時に下から見た大きな桜の木、ここからでは少し小さく見えるけれど、それでもとても立派な木だと言う事実は変わらない。
風が吹くと、その花びらが舞い散る、風に煽られて、桜吹雪が舞い上がった。
その光景は、強く前世を思い出させてどうにも感傷的な心地になる。前世でもただでさえ、桜を見ると浮かれ気分と共に、すぐに散ってしまうその花に寂しさというか悲しさというかそういう感情が呼び起こされるのだ。
卒業式などには、いつも決まってどこかで咲いていて、今まで当たり前だった日常が、変わってしまう。私の中で桜はそんな、別れの象徴のような花なのだ。
「パーティでは、すまないね。君はまだどうあっても、クレア・カトラスと言う平民の身分だから」
「ううん……大丈夫、こうして二人で話せる時があれば十分だよ」
学園街の灯りの方へと、視線を移す。今日あたり、学園街の方でも宴会やパーティーが歓迎会だとか送迎会として開かれているのでは無いだろうかと思う。
「…………君は望まないね。地位には興味が無いのだとしても、あるに越したことはないんだよ、クレア」
「……うん、うーん」
「私の役に立ってくれるんだろう?」
「それは、もちろん。……ねぇ、ローレンス、私が必要になりそうなことは無い?」
役に立ってくれると言う話題から、何となく、団体戦の時の事を思い出して聞いてみる。
あの時から、私はローレンスが安心できるように、力をつけて彼のそばで生きていこうと決めた。
この世界、この場所、結局いちばん最初に提示された私の居場所。それを仕方なくではなく、自ら望んで選びとった。
「……無いね。何せ、ララが呪いの継承者を二人も抱え込んだのだし、君の露見した固有魔法は、誰だって喉から手が出るほど欲しい物のようだから、今は……忙しくしているよ、留まっている淀みは感じない」
「そっか。じゃあもっと強くならないとね。貴方がいつだって、大丈夫なんだって思えるように」
それでいつか、そんなものがなくても、ただ平和が続くだけの日々に、幸せが感じられるようになったらいいと思う。
「……もっと……か。どうだろうね。今日は君にひとつ朗報があるよ」
そんな言葉と共に彼は今日初めてこちらに体を向ける。それから、嫋やかな金髪を風になびかせて、柔らかく微笑む。ローレンスは一歩進んでて、私を優しく抱きとめた。
久しぶりの彼の体温に思い切り抱き締め返したくなるが、朗報というのが気になって、首を上に向けて、ローレンスを見上げる。そうすると、少し強く抱かれて、彼は魔法を使う。
「…………」
それから、小さなナイフを出現させた。
……なにか怒らせることしたっけ? もしかして、ローレンスまでララのようにドレス姿を晒したと怒るのだろうか。
そんな事を途端に考えて、身を固くすると、ローレンスはふふっと笑って、背後の窓からの光を反射するようにナイフの刀身を光らせた。
「あ……色が……」
「君を脅すのも楽しいけれど、今日はこれを報告しようと思ってね」
「…………」
ローレンスの胸に抱かれたまま、そのナイフに私は吸い込まれるようにして手を伸ばした、触れてみて、それから指を滑らせる。
ピリッとした痛みが走って、指先が切れた。当たり前だ、刃物なのだから、ほかのナイフと同じで切れる。
そんな事も、今だけは忘れるほど、それがとても綺麗な物のように見えていたのだ。
「……たまに君は驚くような事をするね。大丈夫かな? それほど傷は深くないように思うけれど」
「…………ローレンス、これ、どうしてかって自分でわかる?」
今まで真っ黒だった刀身は、プラチナでできているかのように白く美しい刃となっていた。私は、彼のその黒い刃が何を表しているのか、彼に教えて貰っていた。
そして、それが変わることがあるだなんて、まったく考えていなかった。ローレンスの心に根深くこびりついて離れない、そういうものだと思っていた。
「…………さぁね。ただ、先日出した時にはこの色だったのだから、自然現象だろうね」
「そう……なんだ」
「……ただだからといって、君がどこかに行っていい理由にはならないよ」
教えてくれた割には、不安なのか、ローレンスはそんな風に続ける。そんな事、考えるわけが無いだろう。
少し背伸びをして、彼の唇を塞いだ。
驚くローレンスに私は感情を隠さずに、言う。
「良かったね、ローレンス。良かった。少しづつでも、貴方の傷が癒えているのがわかって嬉しい」
「……」
「ローレンス、きっといつか、すっかり嫌なことは忘れて、私と、ララと、ドラブルもない平穏な日々で思い出をいっぱいにする時が来たらいいね」
ローレンスに言っていると言うより、これは自分自身の目指す先だ。そして何かがあった時には、自分が安寧を手に入れるために戦うべきだ。
守るもののために、手を尽くすべきだ。
彼の胸板に頭を預けて抱きしめる。
そうすると緩く頭を撫でられて、上から声が降ってくる。
「……君は、馬鹿だね。随分と頭が悪い」
「ひ、酷い……」
「こんな男に生涯を捧げて、今でものうのうと笑っている、本当に」
一度、間を置いて、きつく抱き直される。
「愛おしい」
その言葉に私は何も言えずにただただ、ローレンスの胸の中で、目を瞑った。
言葉にこもった熱が何よりも本音だと言うことを伝えていて、嬉しさと愛おしさに顔が熱くなる。
彼の胸のかなでモゾモゾと動いて、桜の木を眺めた。前世、私は、何もなかった。死ぬ時にすら、なんだったんだと思う様な、ただ流されるだけの人生。
変えようとして、踏み込んで生きる事の面倒くささや、やりづらさ、結局ぶつかるだけのときだってあった。
……でも、ああ、やっぱり、正解だった。
この場所にいて、そしてきっと私でなければダメで、私もローレンスでなければダメな、そんな関係がここにある。
きっと私が死ぬ時、なんだったんだなんて虚しいことは思わない。きっと、まだ死ねないと抗って生きようとするんだ、そう出来る、そうしたいと自然と思える、居場所がある、関係がある。
それが何よりも嬉しくて、涙が視界を歪ませる。
ぽたぽたと流れた涙にローレンスは気がついて、少し声を出して笑って、緩く私の背中をさすった。
暖かさと、嬉しさと、達成感と、それからもう、数え切れない複雑な感情に、涙が止まらなかった。
良かったと思う。私はこの世界にやってきて、良かった。
春の風に煽られて桜が散っていく、暖かな鼓動と、耳触りのいい私を呼ぶ声。
私はこの世界で生きていく、そう心の中で決めて、あとはただ心地のいい時間に身を委ねた。
応援ありがとうございます!
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うわ〜!王太子が胸糞!脅迫、暴言、暴力の最低クズ男!処刑が枕詞か?王太子のとこだけ飛ばしたいくらい。そんなに魔法が欲しいのなら、嫁になるララに頼めばいいんじゃない?
感想ありがとうございます。これからクズな理由まできちんと書けたらと思います。頑張ります。