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ルーン文字の意味 8
しおりを挟む……神、人間、守護、人、与える、贈り物、死、変化。
それがナオにきざまれているルーン刻印の主な意味だ。あの紙を見ただけでは、様々なルーン文字に色々な意味があるのだと思うだけだったが、この並びを見ると、うすら寒い予感が生まれる。
確かに、俺は何かはあるとは思っていた。こちらに来てあの英文を見た時から、なにかあるのだと知っていた。
……嘘だった、すべて、逃げてください。
その言葉も、俺たちに向けられた言葉なのだとしたら納得がいった。というか不審だった出来事のすべてがパズルのピースみたいにきれいにはまって、腑に落ちる。
ルーン文字の意味を無理やりに変えて、他の意味を理解することだってできないこともない。
文字自体の意味を教えてもらっただけであり、きちんと解読の方法を知っているわけではない。それに万が一の可能性としてサラが誤訳を俺に教えたという可能性もなくはないが、それをすることのメリットが思い浮かばない。
しかし、信じられないという気持ちが俺の中にないかと言われれば嘘になる。
目の前にいるルシアンはナオのピンを止め直してやって、朗らかに笑っているし、ナオだってルシアンには気を許しているようで、リシャールだって俺たちに良くしてくれている。
そんな可能性はありえないと、思いたい。思いたいと自分が思っていることだけは理解ができて、しかし、変えようのない事実なのだとしたら。
ルシアンは俺の視線に気が付いて、それから、少しかがんで俺と目線を合わせて聞いてくる。
「どうかしたのか?リヒト」
いつもの声だった。そう、当たり前のいつもの声。しかし、その声は俺たちに対する親しみが込められていて、彼は真面目でそれでいて優しい。それなのに、俺たちの用途を知っているはずで、知ったうえでの彼のこの対応のはずなのだ。
ルシアンは今でも俺が自分の用途を知らないままであると疑わないような顔をしていて、つい凝視した。
言葉が出ない。今までの穏やかな時間を取り乱すことはもうできない。
フラッシュバックのように今までの事を思い出す。俺は最初はこの男の事をそれなりにきちんと、警戒していたし、距離を置いていた、いつからだろうか、そんなことを忘れて、ぬるま湯に浸っていたのは。
いつからだっただろうか、ルシアンの俺によこしてくれる命の暖かさに、気持ちまで溶かされて彼の事を受け入れていたのは。
良くないとわかっていても、日々が続くと不気味さを忘れていた。それに、帰るために動くことは大切であると思っていたし、そのつもりだった。しかし、そうも言ってられない事態らしい。
そんな戯言を言っていられる事態じゃない。この場所は俺たちに牙をむく。
守らなければならない者がいる。俺にはその義務がある。さもそれを俺と一緒に背負っているかのような顔をしていた二人は、俺の信用を得るためにそうしていたのかもしれない。
そして、この男の献身はただの献身ではなく意味のある打算だった。可能性が生まれてきて、彼は弱者ではなく、正真正銘俺たちにとっての敵であり、俺たちから奪う者だったのだ。
……奪われれば何も残らない。
きっとこの世界は、どれほど俺やナオが苦しんでも、回っていくし誰も助けたりしないだろう。
奪われてはダメだ。俺は持つ者でなければ、居られない。元よりそういう性質だったはずだ。
今までやっていたのはごっこ遊びだ。そうだそれでいい、その方がいい、彼らにだって俺たちと過ごす裏で、秘めたものが結局あったのだから、それは茶番だった。
ルシアンと話しをした夜の事を思い出す。どんなにそれらしいことを言ったって、人間が背負う物は変えられないし変われない。所詮は彼らにとって俺たち召喚者は過ぎ去るものなのだろう。
人間らしくありたい、人らしくありたい、優しげでありたい、しかし、そちらがその気ならば、俺は奪う側に、また人からとる側に回ることは必然だ。
「……リヒト?」
「……」
口を開いたら「だましたな」と恨み言を吐きそうだった。言っても意味がないとわかっていても言いたくなるのは、自分がそれなりに怒っているからだと思う。
……ナオが同じ召喚者だったのも、悪かったのだろうな。つい、楽しい時間を過ごした方がいいなんて思ってしまっていた。
こんな風に考える世界は、そういうものの見方は、味気なくて色もなくて、つまらないけれども、俺は死にたくない。誰にも何も持っていないと思われては終わりだ。
すべてを失う。
嫌な光景を思い出した。良く晴れた葬儀の記憶で、それは俺の葬儀だ。
「なんでもない」
彼から視線を外さずに目を細めて口角を上げてそういった。ルシアンは俺のその返答に「そうか」と言って笑顔を見せて、なにやらまたナオと話をし始める。
それを凝視して、息が詰まるのを感じた。窒息してしまいそうなほど、苦しいけれども、それが気のせいだということも知っている。
……うまくやろう。丁度、今は国から離れている。
頭の中で算段を立てて、灰色で重たくなっていく世界にため息をつきながら、自分も案外単純だったのだと思った。
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