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しおりを挟む婚約破棄を言い渡されてから、しばらくはいつもと同じ日々が続いた。それほどすぐに様々な手続きは終わらないだろうし、婚約破棄についての書状は届いたがサインはしていない。
サインが必要だということは、約束が有効に働いてるのだと思う。
最終的にはサインしなければならないような手段をとってくるのだと思うが今はまだその段階ではないだろう。
二人ともルーシャの事をなめきっていて、あのごく潰しをどうやって追い出そうかと思案をしてると思う。
……でもきっと大丈夫ですよ。すぐに天罰が下ると思います……。
彼らの憎たらしい顔とルーシャの事をやさしく呼ぶユリシーズの顔が交互に浮かんで、なんとも悲しい気持ちになる。
あの優しい彼が多分、一番最初に傷つくだろうと思うといい気分じゃない。
それでも憎しみの炎を絶やしてはならない、あんな風に言われて与えられた苦痛を返すまでは許さない。
そう思ってアンジェリカとクリフが二人でルーシャを馬鹿にしているときの顔を思い出した。そうすればきちんと二人の事が憎いという感情が顔を出す。
それに少し安心しつつも、クリフが来るときに使っている一番大きくて作りの凝った応接室のテーブルに、今朝届いたばかりの花を置く。ブーケになっている物を花瓶に活けただけだがそれだけでも随分と映える。
すると小さなノックの音がして扉が開いた。
ちらりと開いた扉の隙間から使用人が見えたので、彼女がここまで案内してくれたのだと思う。
中に入ってきたのは、クリフよりもかっちりとした装飾の多い格好をしているサイラス国王陛下だ。
クリフとよく似た整った顔つきをしているが、国王らしく貫禄がある。
「サイラス様! 早く到着されたんですね」
ルーシャはいつもはあまり動かさない表情を精一杯微笑ませて彼の元へと向かう。
あまり表情を動かすのには慣れないが、懐かしい人に会えるととてもうれしくて目を細めた。
「ああ、ルーシャ。予定を伝えておいたのにすまなかった。つい其方に会いたくて早く来てしまったんだ」
サイラスは笑い皺を深くしてルーシャにそう告げる。その言葉が純粋にうれしくてすぐに元気よく返す。
「私も会えてうれしいです。どうぞ座ってください」
彼に向ってソファーを勧めて、男性らしく両こぶしを膝の上で握って座るその姿がかっこよく映った。なんせクリフは王子のくせに結構だらしない所があるのだ。
それに、その座り方はとてもルーシャの実父に似ていた。もう記憶も曖昧な父親だが、存在していたという事だけは確かで、おこがましいとわかっていてもルーシャはサイラスを少しだけ父に重ねていた。
「それでお話というのは何でしょうか? サイラス様」
少しだけでも長くいてほしいと思うけれど、ここから出ないルーシャには彼を楽しませるような話題はない。せめて有意義な時間を過ごしてもらえたらいいと思って話を振る。
「……ふむ。そうだな。さっそくで悪いが、クリフの話だ」
サイラスは短くそろえている口ひげをなぞりながら深刻な顔をする。
……やはりその話ですよね。
このタイミングで会いに来るということは、そういう事だろうとルーシャも知っていた。しかし、悪い気はしない。だって彼はルーシャの後見人といってもいいぐらいルーシャに近しい人だ。
いずれ義父になるのだからとクリフとユリシーズ以外と会えない幼いルーシャに昔はよく会いに来て、父親の真似事をしてくれた。
……サイラス様の存在にはずっと助けられていました。
そんな信頼があるからこそ、この話はすぐにクリフの望む悪い方向に簡単には転がらないと思える。
「あの愚息は自分の力を過信し、自分の好いている相手と結ばれたいと考えているらしい、どうやらアンジェリカの生家であるファリントン公爵家の方からも話を回していて、少し厄介なことになっているんだ」
「……そうなんですね。私に魅力がないばかりに申し訳ありません」
「そうではない、其方は孤独に耐えてクリフの事をよく愛してくれている。それは私が一番知っているよ」
彼は優しい声音でそういってルーシャに温かなまなざしを向ける。そんな風に直球に褒められることも多くないので、ルーシャはすこし座りが悪くて目をそらして「ありがとうございます」と返す。
……やっぱりわかってくださっていた。良かった。クリフがどんな勘違いをしていようと事実を知っていてくれる人がいる。
ユリシーズやサイラスのようにそれを知っていてくれる人がいるというだけで、少しだけは報われるような気もする。
「……ただ……しかしな。言いづらい事なのだがルーシャ」
ここ最近の鬱屈とした気持ちがマシになって、これからどうするのかをまともに話せるかもしれない、そんな風に思った矢先、サイラスが顔を曇らせて部屋は緊張に包まれた。
「其方はとてもよくやっているが、やはりクリフがあれほど其方を嫌っていては手の打ちようがないというのが本音でな」
サイラスはとても深刻そうな声、深刻そうな顔で言っている。そう見えるし、ルーシャ以外が見てもそうだと思うだろう。しかし、妙な違和感があってルーシャは首を傾げた。
……何にも変なことを言っていないのに、なんか違和感がありますね。
そんなことを思いつつも彼の提案を最後まで聞けばわかるかと思い直してルーシャも真剣な顔をした。
「しかし、其方がこの場所にとどまり第一王子のクリフに成人するまでの間に加護を与え続けた場合には、報酬として王族としての生活を約束するという契約だっただろう、覚えているか?」
「ええ、しっかりと覚えています」
彼の問いかけにはっきりと答える。
王族としての生活とはすなわち、加護を与えた相手との結婚だと言語外に言っている。だって加護を与える条件が愛情なのだからクリフを愛してそのまま結婚する。それが一番、まっとうな解釈だろう。
説明も受けていたし、婚約破棄とはこの約束を破棄するということになる。加護は受ける、しかし、王族としての生活は与えられない、それでは契約の不履行だ。
だからルーシャの承諾が必要。
筋の通った話だろう。
「王族としての生活つまり、王室に嫁として入るという事だが……クリフが其方を迎え入れることは無いだろう」
はっきりと言われて、愕然とする気持ちもあるが、それが事実だろうとも思う。どんなに加護を与えていたのだとしても、あんな風に呪いのような言葉を言った相手を彼だって妻になんかできない。
……それはここ数日で落ち着いて受け止められるようになりました。だからこそ、それならそれで話し合いの必要があると思うんです。
ルーシャの気持ちは天罰で何とか収めるとして、具体的なその後のルーシャの生活や仕事について、家族について、そういう事を決めなければならないだろう。
教会にいきなり入れというのは横暴だ。ここまでやったからには、それが認められるような報酬の一つでも欲しい。
「そうですね。……この契約を破棄するのなら、どのように生活をして行ったらいいのかを━━━━
「いや、契約を破棄しない」
未来について話を進めようとしたルーシャに、すぐにサイラスは言葉をさえぎって、熱意の籠った瞳でルーシャを見た。
その瞳は今まで見たことがないような感情に染まっているようで、優しく微笑んでいるのに何故か目が怖くてぞっと悪寒を感じる。
「ルーシャ、其方はひとつ勘違いをしている」
「……え?」
サイラスは言いながらゆっくりと立ち上がる。ぎっとソファーが音を立てて軋んで、嫌な雰囲気だった。
いつだって知的で理想的な国王である彼は、ルーシャに取っても理想的な父親像そのままだった。
「王族の生活を報酬として与えることが出来るのは、何もクリフだけではないだろう?」
…………。
意味が分からない、クリフ以外にこの国に王子はいない、王女なら何人かいるが、結局国王となれる男の子はクリフだけだ。
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