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第18章、村上編
【1】心月
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「懐かしいっすねー!あゝ紅葉~こうよう~♪紅葉~が~く~いん~♪まだ歌えますよ!わははは!」
「堤……ボリューム下げろ」
「村上先生!冷たいっすよ!先輩後輩じゃないですか!」
夏。珍しい奴から連絡が来た。
懐かしの翠学園で、俺が研究所に戻ることになった年、新任だった堤だ。
こいつとは縁があるのか、中高も一緒だった。
但し、年齢は10以上離れているので在籍期間は被ってはいない。
堤とは、引継をするにあたり、研究所に戻ってからも連絡を取り合ってはいた。
あれから9年経ち、いま堤は生徒指導担当になっていた。
そんな彼とふたり、居酒屋で仲良く肩を並べて酒を酌み交わしている。
堤は新任の頃には考えられなかったほど貫禄も出てきていて、恰幅までも良くなっている。
「僕なんて……今、生徒たちに毛虫のような扱いされてね、生徒に嫌われてね!藤田先生の辛さがわかりましたよ!僕は生徒に慕われたいですよ!」
嘆く堤に多少同情しつつも、懐かしい名前に苦笑する。
「藤田さん元気なのかなぁ…」
「あ、ご存じないんですか?翠学園お辞めになったんですよ」
「え。なんでまた?」
「詳しくは明かされてませんけど、噂はいろいろありますよ~!」
「噂ならいらねーわ……」
俺は、本人の口から聞いたことしか信じないことにしている。
あの世代は噂も好きだし、今思えば職場も少し閉鎖的だ。
まぁ、研究所も思いっきり閉鎖的だが。
ビールを飲み干し、次は何を頼もうかメニューを見ていると、堤が溜息をつく。
「変わりましたよ、翠学園も。今は普通の共学校ですよ。スポーツ科は数年後には廃止だそうです。今は新校舎の建設でグラウンド一個潰されてますよ」
「へえ…なんかもう懐かしい……」
「他人事っすね!」
研究所に戻って10年目になる。
恋愛らしい恋愛もせず、あの家は売り払い、今は別の人が住んでいる。
「夏休みにね、同窓会に呼ばれたんですよ。◯年卒の特進A組、村上先輩のクラスです。覚えてます?」
ぱらぱらとメニューをめくる手を止めた。
A組の懐かしい面々が思い浮かび、俺はメニューから堤へ視線を向けた。
「みんないい顔してましたよー。大体が上京してましたけど、盆休みで戻ってきてて。あいつらの中じゃあ僕は『堤君』なんですよ。わかんないことだらけで、がむしゃらにやってたあの頃の僕のままなんですよ」
もう、堤は俺の教師歴を越えている。
そうなるまでの月日は、あっという間だった気もするし、長かったような気もする。
「いい時間を過ごせたんだな。よかったじゃん。呼ばれて」
「そうですね。思ってたより、彼らの中に僕が存在していたことが嬉しかったです」
堤の発言にふっと微笑み、煙草を取り出して火をつける。
ガラスの灰皿を引き寄せて、フィルターに口を当てた。
堤は、少しだけしんみりとした後、椅子に置いてあった彼の鞄に手を突っ込み始める。
俺は頬杖をつき、煙草をふかしながら再びメニューに目を移していると、そのメニューの上に一通の白い手紙が置かれた。
「その同窓会の帰りに、『もし村上先生に会う事があれば』と託されました」
「え、誰?」
その封筒の裏を見ると、「旧姓・白川碧」と書かれていた。
「結婚したそうですよ。相手は、僕は知らない生徒でしたけど、同級生らしいです」
「……浅野かな?」
浅野しか思いつかず、自然と笑みがこぼれる。
封筒は頑丈に糊づけされていたので、この場で開封するのは控えた。
「懐かしいな。ありがとう、堤」
「僕、村上先生に素直にお礼言われたの初めてな気がします」
「そんなことないだろう……人聞き悪いな……」
失礼な奴だが、最後は互いに労い合って「また飲もう」と解散した。
10年近く経つと、駅前の雰囲気が違う。
デパートはあるし、タワーマンションも建っている。
寂れていたロータリーは、タクシー乗り場、バス乗り場共にピカピカの電飾に変わっていた。
バスに乗って行けば、昔と変わらない風景が広がっているのだろうけれど……
とまっているタクシーに乗り込み、行き先を告げる。
「すいません。市外なんですけど、お願いします」
現在は、この街よりも都会で暮らしている。
研究所の近くで、仕事に没頭しながら。
家に着き、さっきの白い封筒を開けた。
中には、三つ折りの便箋と写真が2枚入っていた。
写真は、ジャージを着た白川が子供たちの端で笑っている姿と。
雑然としたデスクの前で振り向く、白衣を着た浅野の姿がそれぞれ一枚ずつ。
二人の眩しいほどの笑顔に胸を熱くしながら、便箋を広げた。
――この手紙が、先生の元へ届くことを願いながら書きます。
村上先生、お元気ですか?
去年、浅野君(今は広瀬ですが…)と入籍しました。
忙しいので式は挙げていません。
私は、○○短大を卒業後、いまは幼稚園教諭として働いています。
私も今、たくさんの子供たちに「先生」と呼ばれるようになりました。
高校の先生とはちょっと違いますが、子供たちが歩む人生の通過点にいる大人として、彼らが成長していく手助けができればと思いながら、日々過ごしています。
あの頃の、村上先生のように。
先生は今、研究所でたくさんお仕事されているのでしょうね。
お体だけはお気をつけて、いつまでもお元気でいらしてください。
いつかまた、お会いできますように。
私も遥も、そう願っています。
広瀬 碧
――追伸
遥は今、小児科医目指して頑張っています!
「小児科医……」
便箋を折り戻し、再び写真を見た。
「あいつ、結局医者目指したのか……」
今はまだまだ修行中の身だろうが、その姿、似合っているじゃないか。
白川に至っては、しっかりと地に足をつけている様子で、教育者としての貫禄も出てきている。
あんなにふらふらして、俺の目を覗き込むようにしていた不安な面持ちなどもう感じさせない、強い意思がその瞳から見てとれる。
目頭に熱いものが込み上げ、しばらくの間目元を指で押さえた。
記憶は風化する。
ただ空回りしていただけかもしれない、と思うようになっていたのに、あの頃の熱意と心配は、無駄ではなかった。
この手紙を見る限り、彼らの心の中に残っている。
封筒の裏には、住所が書いてあり、今はこのあたりには住んでいないことがわかった。
便箋と写真を丁寧に封筒に戻し、箪笥の一番上の引き出しにしまう。
――いつか、また。
笑顔で会える日まで。
研究をして、論文書いて、少しばかり昇進もして。
忙しいけれど今はやりたいことをやれていて、充実感もある。
裸足にサンダルを引っかけてベランダに出た。
胸ポケットから煙草を出し、火をつける前に夜空を見上げる日課はずっと続いている。
教職なんて俺には向いていないと思っていたのに、教壇から見えていた風景を思い出すと、胸の奥が熱い。
「いつも、あいつらには触発されるな……」
ふっと笑いながら、咥えた煙草に火をつけて、燻らせる。
眩しい彼らの笑顔に当てられて、まだ、何かやれるんじゃないかと奮い立つ自分がいる。
現状で満足していたはずなのに、また、誰かの心に何かを残せたら、と欲が出る。
美しい明月を見ながら、たなびく雲のような煙をふかす。
夢に終わりはないのかもしれない。
もし終わるとしても、その終わりを決められるのはきっと自分だけだ。
曇りのない澄み渡る心で夜月を眺めながら、新しい目標が出来たことを、密やかに喜んだ。
走れるうちは走り続けたい。
俺も、負けてはいられない。
「堤……ボリューム下げろ」
「村上先生!冷たいっすよ!先輩後輩じゃないですか!」
夏。珍しい奴から連絡が来た。
懐かしの翠学園で、俺が研究所に戻ることになった年、新任だった堤だ。
こいつとは縁があるのか、中高も一緒だった。
但し、年齢は10以上離れているので在籍期間は被ってはいない。
堤とは、引継をするにあたり、研究所に戻ってからも連絡を取り合ってはいた。
あれから9年経ち、いま堤は生徒指導担当になっていた。
そんな彼とふたり、居酒屋で仲良く肩を並べて酒を酌み交わしている。
堤は新任の頃には考えられなかったほど貫禄も出てきていて、恰幅までも良くなっている。
「僕なんて……今、生徒たちに毛虫のような扱いされてね、生徒に嫌われてね!藤田先生の辛さがわかりましたよ!僕は生徒に慕われたいですよ!」
嘆く堤に多少同情しつつも、懐かしい名前に苦笑する。
「藤田さん元気なのかなぁ…」
「あ、ご存じないんですか?翠学園お辞めになったんですよ」
「え。なんでまた?」
「詳しくは明かされてませんけど、噂はいろいろありますよ~!」
「噂ならいらねーわ……」
俺は、本人の口から聞いたことしか信じないことにしている。
あの世代は噂も好きだし、今思えば職場も少し閉鎖的だ。
まぁ、研究所も思いっきり閉鎖的だが。
ビールを飲み干し、次は何を頼もうかメニューを見ていると、堤が溜息をつく。
「変わりましたよ、翠学園も。今は普通の共学校ですよ。スポーツ科は数年後には廃止だそうです。今は新校舎の建設でグラウンド一個潰されてますよ」
「へえ…なんかもう懐かしい……」
「他人事っすね!」
研究所に戻って10年目になる。
恋愛らしい恋愛もせず、あの家は売り払い、今は別の人が住んでいる。
「夏休みにね、同窓会に呼ばれたんですよ。◯年卒の特進A組、村上先輩のクラスです。覚えてます?」
ぱらぱらとメニューをめくる手を止めた。
A組の懐かしい面々が思い浮かび、俺はメニューから堤へ視線を向けた。
「みんないい顔してましたよー。大体が上京してましたけど、盆休みで戻ってきてて。あいつらの中じゃあ僕は『堤君』なんですよ。わかんないことだらけで、がむしゃらにやってたあの頃の僕のままなんですよ」
もう、堤は俺の教師歴を越えている。
そうなるまでの月日は、あっという間だった気もするし、長かったような気もする。
「いい時間を過ごせたんだな。よかったじゃん。呼ばれて」
「そうですね。思ってたより、彼らの中に僕が存在していたことが嬉しかったです」
堤の発言にふっと微笑み、煙草を取り出して火をつける。
ガラスの灰皿を引き寄せて、フィルターに口を当てた。
堤は、少しだけしんみりとした後、椅子に置いてあった彼の鞄に手を突っ込み始める。
俺は頬杖をつき、煙草をふかしながら再びメニューに目を移していると、そのメニューの上に一通の白い手紙が置かれた。
「その同窓会の帰りに、『もし村上先生に会う事があれば』と託されました」
「え、誰?」
その封筒の裏を見ると、「旧姓・白川碧」と書かれていた。
「結婚したそうですよ。相手は、僕は知らない生徒でしたけど、同級生らしいです」
「……浅野かな?」
浅野しか思いつかず、自然と笑みがこぼれる。
封筒は頑丈に糊づけされていたので、この場で開封するのは控えた。
「懐かしいな。ありがとう、堤」
「僕、村上先生に素直にお礼言われたの初めてな気がします」
「そんなことないだろう……人聞き悪いな……」
失礼な奴だが、最後は互いに労い合って「また飲もう」と解散した。
10年近く経つと、駅前の雰囲気が違う。
デパートはあるし、タワーマンションも建っている。
寂れていたロータリーは、タクシー乗り場、バス乗り場共にピカピカの電飾に変わっていた。
バスに乗って行けば、昔と変わらない風景が広がっているのだろうけれど……
とまっているタクシーに乗り込み、行き先を告げる。
「すいません。市外なんですけど、お願いします」
現在は、この街よりも都会で暮らしている。
研究所の近くで、仕事に没頭しながら。
家に着き、さっきの白い封筒を開けた。
中には、三つ折りの便箋と写真が2枚入っていた。
写真は、ジャージを着た白川が子供たちの端で笑っている姿と。
雑然としたデスクの前で振り向く、白衣を着た浅野の姿がそれぞれ一枚ずつ。
二人の眩しいほどの笑顔に胸を熱くしながら、便箋を広げた。
――この手紙が、先生の元へ届くことを願いながら書きます。
村上先生、お元気ですか?
去年、浅野君(今は広瀬ですが…)と入籍しました。
忙しいので式は挙げていません。
私は、○○短大を卒業後、いまは幼稚園教諭として働いています。
私も今、たくさんの子供たちに「先生」と呼ばれるようになりました。
高校の先生とはちょっと違いますが、子供たちが歩む人生の通過点にいる大人として、彼らが成長していく手助けができればと思いながら、日々過ごしています。
あの頃の、村上先生のように。
先生は今、研究所でたくさんお仕事されているのでしょうね。
お体だけはお気をつけて、いつまでもお元気でいらしてください。
いつかまた、お会いできますように。
私も遥も、そう願っています。
広瀬 碧
――追伸
遥は今、小児科医目指して頑張っています!
「小児科医……」
便箋を折り戻し、再び写真を見た。
「あいつ、結局医者目指したのか……」
今はまだまだ修行中の身だろうが、その姿、似合っているじゃないか。
白川に至っては、しっかりと地に足をつけている様子で、教育者としての貫禄も出てきている。
あんなにふらふらして、俺の目を覗き込むようにしていた不安な面持ちなどもう感じさせない、強い意思がその瞳から見てとれる。
目頭に熱いものが込み上げ、しばらくの間目元を指で押さえた。
記憶は風化する。
ただ空回りしていただけかもしれない、と思うようになっていたのに、あの頃の熱意と心配は、無駄ではなかった。
この手紙を見る限り、彼らの心の中に残っている。
封筒の裏には、住所が書いてあり、今はこのあたりには住んでいないことがわかった。
便箋と写真を丁寧に封筒に戻し、箪笥の一番上の引き出しにしまう。
――いつか、また。
笑顔で会える日まで。
研究をして、論文書いて、少しばかり昇進もして。
忙しいけれど今はやりたいことをやれていて、充実感もある。
裸足にサンダルを引っかけてベランダに出た。
胸ポケットから煙草を出し、火をつける前に夜空を見上げる日課はずっと続いている。
教職なんて俺には向いていないと思っていたのに、教壇から見えていた風景を思い出すと、胸の奥が熱い。
「いつも、あいつらには触発されるな……」
ふっと笑いながら、咥えた煙草に火をつけて、燻らせる。
眩しい彼らの笑顔に当てられて、まだ、何かやれるんじゃないかと奮い立つ自分がいる。
現状で満足していたはずなのに、また、誰かの心に何かを残せたら、と欲が出る。
美しい明月を見ながら、たなびく雲のような煙をふかす。
夢に終わりはないのかもしれない。
もし終わるとしても、その終わりを決められるのはきっと自分だけだ。
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