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2 無神経な女
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「都築さん。悪いけど、これ却下」
定時が過ぎたころ、木庭さんに無表情で叩き台を返された。これでもデータを出しながら結構考えながらやったものだったのだが。
さらに木庭さんは、マウスを握る私の手の近くに、蓋のついたペンの先をトン、と突いた。
「なんか自分の頭で考えてないね。都築さんてそんなんだったっけ。入社時はもうちょっと覇気あったように思うんだけど…そんな受け身だった?」
「……」
「ま、いいや。過去に頼るのもいいけど、もうちょっと流れとか、構成を自分の頭で考えて。早いけど雑」
木庭さんはそう言い残して、さっさと自席に戻ってしまった。
そんなに私、自分の頭で考えてないのかな。バカだと連呼されているような気分になり、いたたまれない気分になる。
バカで、不倫もしてて、木庭さんにはどんな奴だと思われてるんだろうか。
ちょうど、会議から帰ってきた部長が、私の席の後ろを通り過ぎようとし、肩に手を置いた。
「残業?」
「あ、は、はい」
つい、木庭さんの目が気になり、上を向けずに答えたが、部長は気に留める様子もなく部長席に戻って行った。
斜め向かいの木庭さんをちらりと窺うと、まったくこちらなど見てもいなくて、さらに溜息が深くなった。
なにやってるんだろう……私は。
――仕事しなきゃ。
デスクの引き出しからヘアゴムを取り出して髪をひっつめ、ニットの袖をまくって、よし、と気合を入れて仕事に臨んだ。
部長は、私の仕事の実力については何も言ったことがないし、そういう話はしない。体は触られても、誰にも秘密のセックスはしても、仕事で評価されているとは感じたこともない。そもそも、レベルが違いすぎる。
でも、木庭さんにはバカだと思われたくない……。
気がついたらもう9時前だった。退館しないといけない時間だ。
ぱっと顔を上げると、周りにいたのは木庭さんだけ。部長は接待があるそうで、6時ごろには退勤していた。
「……できたの?」
木庭さんは、頬杖をつきながら私に尋ね、ノートパソコンを閉じていた。もう帰るようだ。
「はい、今、データ送りました」
「ああ。もうパソコン切っちゃった。明日朝イチでチェックするよ」
「お願いします!」
はあ。どう言われるかはわからないけれど、できた! 完成!
仕事で心地よい達成感を感じられるなんて久しぶりだった。私もパソコンの電源を落としていたら、コートを着た木庭さんが、デスクに腰掛けてじっとしている。
「木庭さん、帰らないんですか?」
「帰るよ。女性置いて帰るのはマズいかと思って待ってたのに…ひどい言い草だよね」
「あっ、そうなんですね、ごめんなさい」
電源が完全に落ちた音がして、私も立ちあがってバッグを肩に掛けた。
木庭さんはグレーのコートのポケットに手を突っ込みながら、「帰ろう」と言った。
最終退勤者名簿に名前を書いてオフィスの電気を消すと、思ったより真っ暗になって、「わあ!」と驚いてしまった。すると、木庭さんはちょっと驚いた風に私を凝視する。
「え? 都築さん、最終退勤、初めて?」
「は、はい、お恥ずかしながら…」
「…ま、女子はそうか。つーか、なんで恥ずかしいんだよ」
苦笑する木庭さんに、少し落ち着かない気持ちになりながら、にこと愛想笑いをする。
廊下は普通に電気がついているので、いそいそと出てエレベーターのボタンをカチリと押した。
遅れて出てきて私の斜め後ろに立つ木庭さんをちらっと見たら、鋭くしっかりした目線が返ってくる。
人をどきりとさせるまっすぐな目をしていて、なんでも見抜かれてしまいそうで、少し怖い――。
ポーン、とエレベーターが到着する音が聞こえて、ハッと我に返った。
電車は違う沿線なので、一緒に帰ると言っても駅までの間だ。そして特に会話はない。でも、離れずに二人で歩いてはいる。
何か、何か話題を探した方がいいのかな……。
そわそわしながら歩道橋を歩いていたら、木庭さんの携帯が鳴った。
「鳴ってますよ?」
「んー」
……出ないの?
「いいんですか?」
「うん。後で……彼女だから」
「あ。そうですか……」
彼女……。そうなんだ。いるんだ。へえ。
かっこいいもんね、結構……なんか、つかめない人だけど……。
「何その顔。そんな意外?」
木庭さんは私を見降ろしながら、ふっと微笑む。笑うのは珍しいように思う。
「いえ、特に意外では……木庭さん、かっこいいと思いますし」
「何言ってんの」
冷たく返されて、あははと愛想笑いをして駅で別れた。
いや……ほんと何言ってんの。私は……。
不倫も知られてるのに、ただの男好き(しかも仕事できない)って最悪だ。
今のじゃ媚びてるみたいだし、そりゃあ冷たくされるよ。怪しすぎる。
嘘でも媚でもなく、普通の本心なんだけど……言わなきゃよかったなぁ。
反省しながら、誰も出迎えない一人暮らしのマンションに帰る。
どさっとバッグを置いてシャワーを浴びた。熱めのお湯を顔から浴びて、乾いて冷えた髪が温まっていく。
……木庭さん、どこで気付いたんだろう。私と部長のこと……。
あの様子じゃ、誰にも言わないだろうけど……。
この家に部長は来たことがない。来るつもりもないらしい。
「玲の場所を侵したくないんだ」と言っていたけれど、それは自分の場所を侵さないでほしいという現れだろうと思っている。
定時が過ぎたころ、木庭さんに無表情で叩き台を返された。これでもデータを出しながら結構考えながらやったものだったのだが。
さらに木庭さんは、マウスを握る私の手の近くに、蓋のついたペンの先をトン、と突いた。
「なんか自分の頭で考えてないね。都築さんてそんなんだったっけ。入社時はもうちょっと覇気あったように思うんだけど…そんな受け身だった?」
「……」
「ま、いいや。過去に頼るのもいいけど、もうちょっと流れとか、構成を自分の頭で考えて。早いけど雑」
木庭さんはそう言い残して、さっさと自席に戻ってしまった。
そんなに私、自分の頭で考えてないのかな。バカだと連呼されているような気分になり、いたたまれない気分になる。
バカで、不倫もしてて、木庭さんにはどんな奴だと思われてるんだろうか。
ちょうど、会議から帰ってきた部長が、私の席の後ろを通り過ぎようとし、肩に手を置いた。
「残業?」
「あ、は、はい」
つい、木庭さんの目が気になり、上を向けずに答えたが、部長は気に留める様子もなく部長席に戻って行った。
斜め向かいの木庭さんをちらりと窺うと、まったくこちらなど見てもいなくて、さらに溜息が深くなった。
なにやってるんだろう……私は。
――仕事しなきゃ。
デスクの引き出しからヘアゴムを取り出して髪をひっつめ、ニットの袖をまくって、よし、と気合を入れて仕事に臨んだ。
部長は、私の仕事の実力については何も言ったことがないし、そういう話はしない。体は触られても、誰にも秘密のセックスはしても、仕事で評価されているとは感じたこともない。そもそも、レベルが違いすぎる。
でも、木庭さんにはバカだと思われたくない……。
気がついたらもう9時前だった。退館しないといけない時間だ。
ぱっと顔を上げると、周りにいたのは木庭さんだけ。部長は接待があるそうで、6時ごろには退勤していた。
「……できたの?」
木庭さんは、頬杖をつきながら私に尋ね、ノートパソコンを閉じていた。もう帰るようだ。
「はい、今、データ送りました」
「ああ。もうパソコン切っちゃった。明日朝イチでチェックするよ」
「お願いします!」
はあ。どう言われるかはわからないけれど、できた! 完成!
仕事で心地よい達成感を感じられるなんて久しぶりだった。私もパソコンの電源を落としていたら、コートを着た木庭さんが、デスクに腰掛けてじっとしている。
「木庭さん、帰らないんですか?」
「帰るよ。女性置いて帰るのはマズいかと思って待ってたのに…ひどい言い草だよね」
「あっ、そうなんですね、ごめんなさい」
電源が完全に落ちた音がして、私も立ちあがってバッグを肩に掛けた。
木庭さんはグレーのコートのポケットに手を突っ込みながら、「帰ろう」と言った。
最終退勤者名簿に名前を書いてオフィスの電気を消すと、思ったより真っ暗になって、「わあ!」と驚いてしまった。すると、木庭さんはちょっと驚いた風に私を凝視する。
「え? 都築さん、最終退勤、初めて?」
「は、はい、お恥ずかしながら…」
「…ま、女子はそうか。つーか、なんで恥ずかしいんだよ」
苦笑する木庭さんに、少し落ち着かない気持ちになりながら、にこと愛想笑いをする。
廊下は普通に電気がついているので、いそいそと出てエレベーターのボタンをカチリと押した。
遅れて出てきて私の斜め後ろに立つ木庭さんをちらっと見たら、鋭くしっかりした目線が返ってくる。
人をどきりとさせるまっすぐな目をしていて、なんでも見抜かれてしまいそうで、少し怖い――。
ポーン、とエレベーターが到着する音が聞こえて、ハッと我に返った。
電車は違う沿線なので、一緒に帰ると言っても駅までの間だ。そして特に会話はない。でも、離れずに二人で歩いてはいる。
何か、何か話題を探した方がいいのかな……。
そわそわしながら歩道橋を歩いていたら、木庭さんの携帯が鳴った。
「鳴ってますよ?」
「んー」
……出ないの?
「いいんですか?」
「うん。後で……彼女だから」
「あ。そうですか……」
彼女……。そうなんだ。いるんだ。へえ。
かっこいいもんね、結構……なんか、つかめない人だけど……。
「何その顔。そんな意外?」
木庭さんは私を見降ろしながら、ふっと微笑む。笑うのは珍しいように思う。
「いえ、特に意外では……木庭さん、かっこいいと思いますし」
「何言ってんの」
冷たく返されて、あははと愛想笑いをして駅で別れた。
いや……ほんと何言ってんの。私は……。
不倫も知られてるのに、ただの男好き(しかも仕事できない)って最悪だ。
今のじゃ媚びてるみたいだし、そりゃあ冷たくされるよ。怪しすぎる。
嘘でも媚でもなく、普通の本心なんだけど……言わなきゃよかったなぁ。
反省しながら、誰も出迎えない一人暮らしのマンションに帰る。
どさっとバッグを置いてシャワーを浴びた。熱めのお湯を顔から浴びて、乾いて冷えた髪が温まっていく。
……木庭さん、どこで気付いたんだろう。私と部長のこと……。
あの様子じゃ、誰にも言わないだろうけど……。
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