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第一章 なぜ私であるのか
両者の合意がある場合のみこれを受け取ることができる
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罠で、あったのか。東の女の意地の悪さは底なしだなとジーナはまた感心した。土壌が悪いのかな。
粗末なものを用意しそれを相手のものだと認識させ屈辱を耐えて屈したところで、とりあげる。なんという残酷非道。だがそれでいい、もっとそれでいい。先日のあれは全て幻であり、無かったことにしてもらいたい。
そうすれば私のこの迷いにも似た感情も消え入るはずだから、とジーナはそう思い込むことで気を楽にしヘイムの手の動きを眺める。自分の上着を弄くるその動きを。
ジーナから見ても手が遅かったがその理由は考えなくても分かる。自分が誰よりも知っている。
「そんな滅相もない。おやめください、あなた様がそのようなことをする必要はございません……とか訴えにならないのでしょうか?」
興味深げにしながらシオンはジーナの隣に立ちヘイムの手の動きを一緒に見た。
「私がこんなことを訴えたところヘイム様は間違えなくお聞きいりになりませんよね。絶対にやると言ってきかないし無駄です。それにいまこんなに精神を集中させてているのですから気を散らさせたくはありません」
「フフフッさすがは一緒に散歩をした仲ですね。ヘイム様の性格を多少は分かっていて、よろしい」
ジーナにはシオンの言葉が耳に入らない。彼もまた精神を集中させヘイムを注視していた。その指先のもどかしい動きを見つめる。
右側だけであるが左側の片目と欠けた指が動きを精確な動きを不可能とさせ鈍らせ苦労させる様子が目にありありと写る。
そうであってもジーナはそこまでやらなくていいとは言わなかった。やらなくてはならない理由があるから針と糸を手に取った、としか思えない。
懸命に縫う動きを眼で追いながらジーナは考える、どこで破れたのかを? 縫っている箇所は恐らくは左脇下だけれどいったいどこで?
当日に点検した際はそんなところに破れはあるはずはなくだいたいその上着はそこまで古いものではなかったので自然に破れた筈はない。
あの日のどこかで左手になにか……とジーナは思い返すと、突然宙に浮いた瞬間の衝動が再び足に訪れた。その左腕にヘイムの重みがあり着地する際に力が入り、そうだ聞こえた、なにかが破れる音が。それが、そうだったのかと。
ここでやっと終わったのかヘイムは裁縫道具をしまい上着を畳み振り返るとそこにジーナはがおり、目が合い思う。自分がその破れがどこによるものかを気づいたが、あちらは本当のところはどうなのだろうか? ただ破れた場所を縫う親切さを見せた……はずもないかとジーナはそうしてもらって当然だと心中に抱くとヘイムは笑い言う。
「ほれ縫っておいてやったぞ。ありがたく受け取るがよい」
「ありがとうございます」
手渡してで受け取る際にジーナはなんのわだかまりもなく感謝を述べられたことに我ながら驚きながら頭を下げた。
「これでもう一度耐えられるということだな」
やはりそうだったのか、とジーナは今一度その青黒い瞳を見ながら答える。
「いいえご勘弁をお願いします」
「いいじゃないですかもう一度ぐらいは」
なにがもう一度? と意味が分からずジーナはそう言ったシオンの方を見ると得意げな表情がそこにあった。それにしてもこの人はやけに今日は表情豊かだな。
「聞きましたよ上着の件を。なんとまぁ西には不思議な習慣があるものですね。ヘイム様に上着の手入れをなどさせるのは言語道断ではありますが、礼節の問題を出されたのなら大目に見る他ないでしょうし、冷たい岩の上にじかに座るのはお身体に悪いという点を考慮すれば総合的には素晴らしいことです。でもまぁ内輪の話だけに留めておきましょう。うるさいのに気付かれたらあなたも面倒なことになりますからご内密に」
「こんなこと絶対に他言しませんよ」
「そうですよね。まさかあなたみたいなタイプの男がこんな婦人を敬う行動を躊躇なく行うなんて、体面を考えたら言いませんよね。けれど、ここ的には問題はありませんよ。ヘイム様のお身体と心の安定のための何かは全てにおいて優先されますもの」
だったら私なんかを任命させるのが全てにおいて筆頭的に駄目だろうとしか思えるも黙るしかなく、ジーナはまたこの世の不条理さを嘆いた。あなたたちは全員致命的かつ決定的に間違えている。
しかしながらシオンはこの上着の破れを座った時に出来たものとも解釈をしているようだ。すると跳んだという話はしていないのだろうか? 危険であるから? そうだろう。あれは重大なミスであり責任問題だ。シオンに話したとしたらこのような対応はされずに……ここには出禁となるどころか私はクビになるどころか処罰を受ける。だが、そうすればいいのではないのか?
あなたは私を憎むべき理由がありその理由もまた正当であるのだからそうすればよいというのに。
「茶を入れてきてくれんか」
ヘイムの命令を受け心を無にしたジーナはいつものようにねじまき人形の如くに最適な動きで給仕室へ行き茶の準備をし戻ってくると、あの粗末な椅子の上になにやら服みたいなものが乗っておりジーナは茶を乗せたお盆を机の上に置きながらそれを見つめる。
こんなものはさっきは無かったはずだが?
「その椅子はジーナが座る椅子であるのか?」
不可思議な問い掛けがなされジーナはヘイムを見ると微笑んでいた。その頬を邪気の色で染めながら。やはり悪意というのは目に見えるものらしい。
「言葉の意図は分かりませんが、椅子の様子と前回と同じ位置を考えると私のために用意されたものであると考えます」
「理屈っぽい言い方だが、そうだ。それはそなたのために用意した椅子だ。武骨そのものな椅子だが幅が広いからそなたの尻のサイズにも合おう。なんといってもここにある椅子はどれも細身なもののためのサイズばかりでな、そなただって窮屈な思いをしたであろう。シオンだってギリギリというものであるのだから」
「あのちょっと私をそこで例に出す必要ってありませんよね?」
「楽しげにニヤニヤしているのが悪い。それでそなたのために龍の間を探した結果、これが発見されたわけだ。どうだいいだろう」
居心地が悪そうなのは椅子のせいじゃないと思いながら椅子を見るとやはりボロであり、体重をかけて座ったら壊れるのではないかと心配になってきた。自分でなく椅子が。しかしこの布ってなんだろう? 二人とも何も言わないのもおかしい。
「……あの、では座らせていただきます」
と座ろうというポーズをとると異なる二つの空気が二人の間から走りジーナを通り過ぎて行った。
その白い布の件は無視しようとすることにシオンが堪えられずといったところであろうか、声を掛けた。
「あのジーナ?それは気にならないのですか?」
「シオン!」
ヘイムの声を無視してシオンは続ける。
「気にならないかもしれませんけれど、それはですね、ヘイム様の上着です。ですからその」
言い難そうにしているシオンよりもジーナはヘイムを見ると憮然とした表情で視線を合わせない。
「勘違いするな。聞いたら答えることにしていただけだ。なにも罠とかそういうものではない。第一になにも聞かずに座る方が、おかしいのだ。そうだろうに」
そうだな、とジーナは納得する。たしかにおかしいのは私ではあるがそれに負けず劣らずにおかしいのはそちら側でもある。
「こう答えるつもりであった。座る箇所がささくれておるから妾の上着を敷いてやるため座るがよい、とな。分かっておろうがこの前の返礼だ、そういうことだ」
「まぁそういう意思表示ということであって、実際に座ることはありませんからね」
意外だな、とジーナは思い右の方からも似たような空気を感じた。
「ここに敷布を用意しました。こちらに致しましょう。そちらに婦人からのこのような返礼の仕方はございますか?」
ある、とジーナはすぐに思い出したが途中でやめ、誤魔化すことにした。
「逆の立場であるのなら……婦人側がそれを望むというのなら受けるという例はありますが、でも何故こんなことを」
「そうですか。でも間に合ってよかったです。じつのところここまでやったのはこちらの女の気質というものでしてね。ソグは女の社会的地位が高い国でして」
「お二人を見ればとてもそこがよく理解できます」
「フフッ西基準からするととんでもなさそうですが、これでも中立的で親切な方ですからね。
我々としては一方的に何々されるというのは性には合いませんので、ここまでのことをしました」
そういうことか、とボロ椅子の上にかかっている白い布を見ると、光を放っているような輝きを見せていた。綺麗でも不快さを覚えるその光り。
「お気づきかもしれませんが、それは中央にいた頃に下賜された龍の一族にのみに与えられる上掛けです。当然ですが衣装に関してはこの龍の間にあるものでは最上級に値するものです。あなたが座ったらどうなることかさっきは心臓が止るかと思いましたよ」
シオンは止めたが、しかしヘイムは……とジーナはまたそちらを見るも視線は逸らしている。何も言わずにそのままにさせようとしていたその意図とは? それにしても龍の上掛けか……龍の……ジーナが思案に耽りだすとシオンが敷布を手に立ち上がり交換しようと近づいてくるが、ここでヘイムが制する。
「取り変える必要などないぞ。妾は意思表示のためにするなどとは言ってはおらん」
「ヘイム様、それはあまりにも常識に外れております。神聖なる龍の一族の証のひとつをこのような返礼に使うことは過大にもほどがあります」
わがままは許さないといった響きを伴っているがヘイムもまた譲る気配はなかった。
「その男は礼装を敷いたのだ。自分にとって最も高価なその上着をな。ならば妾も同じようにしなければならぬであろう」
「お言葉ですが、立場が比べようもなく違います。ヘイム様というよりかは、龍とです。返礼のために龍を用いるということは私の立場としては許容できるというものではございません。
ご用意したところ申し訳ありませんが、これは取り変えさせていただき……えっ?」
シオンの椅子に伸ばした手はジーナの手によって防がれた。身体は勝手に動いたものの頭はなにも動いていない。今の動きはいったい? 自らを考えるより前に、シオンの睨み付ける顔がやって来た。
「邪魔をした理由を述べなさい」
理由など何もなかった。ただ手が動いただけであって……つまりヘイムの意思が伝わりそれに応じて私は……
「ひとつ、嘘をついていました。返礼の件ですけど」
そっちなの? という顔になったシオンに対してジーナはわけもわからず喋りだしていく。
「婦人がこのような返礼をする場合は、男はまず断ります。手拭とか敷布の場合は良いのですが上着の類は、規定が厳格です」
満足気に頷くシオンの顔を見ながら背中には冷たい何かが流れているのを感じる。
「結構。ではなぜ止めたのですか?」
「まだ話の続きがあります。その厳格な規定なのですが、男は礼装でなければならないというのがまず絶対的な条件です。ところが今のこの私の格好はというと」
「敢えて何も言いませんでしたがちぐはぐさが凄まじいですね。それでは座ることはできない、でいいですか?」
「はい、その通りです。いまの私はここに座ることができません。できないのです」
言いながらジーナは身体を反転させるとヘイムの顔が目に入って来る。その右側だけ。何も語らずに自分を見ているだけの顔。
ジーナはその顔がどのような感情を現してるのかが分からないでいた。それはただの無表情であるに過ぎないかもしれないし、なにかを物語っているのかもしれない。これは自分以外の勘の良い男なら察するのだろう。
だがそこにある感情を私は理解することも察する必要すらない。あるわけがないだとジーナは思う。そこは分かっている。
「分かりました……では、上掛けは回収しますね」
「駄目です」
シオンの言葉を拒絶しそれからジーナは告げる。
「シオン様、失礼致します」
一気に上着を脱ぎ机の置いてあった礼装の上着を手に取った。
「ですから座るためには返礼として綺麗になった上着を受け取り着用することであり、そして」
素早く正確に上着を着ていく最中にジーナはヘイムの顔を見る。
感動を伺わせない無表情ながらも陽射しがかかり光が広がっているかのように見えていた。
「両者の合意がある場合のみ」
こう言った時にジーナはヘイムが光の加減でか笑ったように見え、身体を反転させ身体を傾けさせた
「これを受け取ることができる、ということであります」
ジーナが椅子に座り大きな何かに乗ったなと思いながらシオンを見ると、止めようと動くも時既に遅しで凍結した姿がそこにあった
「シオン、礼儀に適っている以上は問題は無いぞ」
静かながらも声を弾ませながらヘイムは終了宣言をしシオンの凍結を解除させ瞼を閉じさせた。
椅子の座り心地は、悪くはないとジーナは感じた。
粗末なものを用意しそれを相手のものだと認識させ屈辱を耐えて屈したところで、とりあげる。なんという残酷非道。だがそれでいい、もっとそれでいい。先日のあれは全て幻であり、無かったことにしてもらいたい。
そうすれば私のこの迷いにも似た感情も消え入るはずだから、とジーナはそう思い込むことで気を楽にしヘイムの手の動きを眺める。自分の上着を弄くるその動きを。
ジーナから見ても手が遅かったがその理由は考えなくても分かる。自分が誰よりも知っている。
「そんな滅相もない。おやめください、あなた様がそのようなことをする必要はございません……とか訴えにならないのでしょうか?」
興味深げにしながらシオンはジーナの隣に立ちヘイムの手の動きを一緒に見た。
「私がこんなことを訴えたところヘイム様は間違えなくお聞きいりになりませんよね。絶対にやると言ってきかないし無駄です。それにいまこんなに精神を集中させてているのですから気を散らさせたくはありません」
「フフフッさすがは一緒に散歩をした仲ですね。ヘイム様の性格を多少は分かっていて、よろしい」
ジーナにはシオンの言葉が耳に入らない。彼もまた精神を集中させヘイムを注視していた。その指先のもどかしい動きを見つめる。
右側だけであるが左側の片目と欠けた指が動きを精確な動きを不可能とさせ鈍らせ苦労させる様子が目にありありと写る。
そうであってもジーナはそこまでやらなくていいとは言わなかった。やらなくてはならない理由があるから針と糸を手に取った、としか思えない。
懸命に縫う動きを眼で追いながらジーナは考える、どこで破れたのかを? 縫っている箇所は恐らくは左脇下だけれどいったいどこで?
当日に点検した際はそんなところに破れはあるはずはなくだいたいその上着はそこまで古いものではなかったので自然に破れた筈はない。
あの日のどこかで左手になにか……とジーナは思い返すと、突然宙に浮いた瞬間の衝動が再び足に訪れた。その左腕にヘイムの重みがあり着地する際に力が入り、そうだ聞こえた、なにかが破れる音が。それが、そうだったのかと。
ここでやっと終わったのかヘイムは裁縫道具をしまい上着を畳み振り返るとそこにジーナはがおり、目が合い思う。自分がその破れがどこによるものかを気づいたが、あちらは本当のところはどうなのだろうか? ただ破れた場所を縫う親切さを見せた……はずもないかとジーナはそうしてもらって当然だと心中に抱くとヘイムは笑い言う。
「ほれ縫っておいてやったぞ。ありがたく受け取るがよい」
「ありがとうございます」
手渡してで受け取る際にジーナはなんのわだかまりもなく感謝を述べられたことに我ながら驚きながら頭を下げた。
「これでもう一度耐えられるということだな」
やはりそうだったのか、とジーナは今一度その青黒い瞳を見ながら答える。
「いいえご勘弁をお願いします」
「いいじゃないですかもう一度ぐらいは」
なにがもう一度? と意味が分からずジーナはそう言ったシオンの方を見ると得意げな表情がそこにあった。それにしてもこの人はやけに今日は表情豊かだな。
「聞きましたよ上着の件を。なんとまぁ西には不思議な習慣があるものですね。ヘイム様に上着の手入れをなどさせるのは言語道断ではありますが、礼節の問題を出されたのなら大目に見る他ないでしょうし、冷たい岩の上にじかに座るのはお身体に悪いという点を考慮すれば総合的には素晴らしいことです。でもまぁ内輪の話だけに留めておきましょう。うるさいのに気付かれたらあなたも面倒なことになりますからご内密に」
「こんなこと絶対に他言しませんよ」
「そうですよね。まさかあなたみたいなタイプの男がこんな婦人を敬う行動を躊躇なく行うなんて、体面を考えたら言いませんよね。けれど、ここ的には問題はありませんよ。ヘイム様のお身体と心の安定のための何かは全てにおいて優先されますもの」
だったら私なんかを任命させるのが全てにおいて筆頭的に駄目だろうとしか思えるも黙るしかなく、ジーナはまたこの世の不条理さを嘆いた。あなたたちは全員致命的かつ決定的に間違えている。
しかしながらシオンはこの上着の破れを座った時に出来たものとも解釈をしているようだ。すると跳んだという話はしていないのだろうか? 危険であるから? そうだろう。あれは重大なミスであり責任問題だ。シオンに話したとしたらこのような対応はされずに……ここには出禁となるどころか私はクビになるどころか処罰を受ける。だが、そうすればいいのではないのか?
あなたは私を憎むべき理由がありその理由もまた正当であるのだからそうすればよいというのに。
「茶を入れてきてくれんか」
ヘイムの命令を受け心を無にしたジーナはいつものようにねじまき人形の如くに最適な動きで給仕室へ行き茶の準備をし戻ってくると、あの粗末な椅子の上になにやら服みたいなものが乗っておりジーナは茶を乗せたお盆を机の上に置きながらそれを見つめる。
こんなものはさっきは無かったはずだが?
「その椅子はジーナが座る椅子であるのか?」
不可思議な問い掛けがなされジーナはヘイムを見ると微笑んでいた。その頬を邪気の色で染めながら。やはり悪意というのは目に見えるものらしい。
「言葉の意図は分かりませんが、椅子の様子と前回と同じ位置を考えると私のために用意されたものであると考えます」
「理屈っぽい言い方だが、そうだ。それはそなたのために用意した椅子だ。武骨そのものな椅子だが幅が広いからそなたの尻のサイズにも合おう。なんといってもここにある椅子はどれも細身なもののためのサイズばかりでな、そなただって窮屈な思いをしたであろう。シオンだってギリギリというものであるのだから」
「あのちょっと私をそこで例に出す必要ってありませんよね?」
「楽しげにニヤニヤしているのが悪い。それでそなたのために龍の間を探した結果、これが発見されたわけだ。どうだいいだろう」
居心地が悪そうなのは椅子のせいじゃないと思いながら椅子を見るとやはりボロであり、体重をかけて座ったら壊れるのではないかと心配になってきた。自分でなく椅子が。しかしこの布ってなんだろう? 二人とも何も言わないのもおかしい。
「……あの、では座らせていただきます」
と座ろうというポーズをとると異なる二つの空気が二人の間から走りジーナを通り過ぎて行った。
その白い布の件は無視しようとすることにシオンが堪えられずといったところであろうか、声を掛けた。
「あのジーナ?それは気にならないのですか?」
「シオン!」
ヘイムの声を無視してシオンは続ける。
「気にならないかもしれませんけれど、それはですね、ヘイム様の上着です。ですからその」
言い難そうにしているシオンよりもジーナはヘイムを見ると憮然とした表情で視線を合わせない。
「勘違いするな。聞いたら答えることにしていただけだ。なにも罠とかそういうものではない。第一になにも聞かずに座る方が、おかしいのだ。そうだろうに」
そうだな、とジーナは納得する。たしかにおかしいのは私ではあるがそれに負けず劣らずにおかしいのはそちら側でもある。
「こう答えるつもりであった。座る箇所がささくれておるから妾の上着を敷いてやるため座るがよい、とな。分かっておろうがこの前の返礼だ、そういうことだ」
「まぁそういう意思表示ということであって、実際に座ることはありませんからね」
意外だな、とジーナは思い右の方からも似たような空気を感じた。
「ここに敷布を用意しました。こちらに致しましょう。そちらに婦人からのこのような返礼の仕方はございますか?」
ある、とジーナはすぐに思い出したが途中でやめ、誤魔化すことにした。
「逆の立場であるのなら……婦人側がそれを望むというのなら受けるという例はありますが、でも何故こんなことを」
「そうですか。でも間に合ってよかったです。じつのところここまでやったのはこちらの女の気質というものでしてね。ソグは女の社会的地位が高い国でして」
「お二人を見ればとてもそこがよく理解できます」
「フフッ西基準からするととんでもなさそうですが、これでも中立的で親切な方ですからね。
我々としては一方的に何々されるというのは性には合いませんので、ここまでのことをしました」
そういうことか、とボロ椅子の上にかかっている白い布を見ると、光を放っているような輝きを見せていた。綺麗でも不快さを覚えるその光り。
「お気づきかもしれませんが、それは中央にいた頃に下賜された龍の一族にのみに与えられる上掛けです。当然ですが衣装に関してはこの龍の間にあるものでは最上級に値するものです。あなたが座ったらどうなることかさっきは心臓が止るかと思いましたよ」
シオンは止めたが、しかしヘイムは……とジーナはまたそちらを見るも視線は逸らしている。何も言わずにそのままにさせようとしていたその意図とは? それにしても龍の上掛けか……龍の……ジーナが思案に耽りだすとシオンが敷布を手に立ち上がり交換しようと近づいてくるが、ここでヘイムが制する。
「取り変える必要などないぞ。妾は意思表示のためにするなどとは言ってはおらん」
「ヘイム様、それはあまりにも常識に外れております。神聖なる龍の一族の証のひとつをこのような返礼に使うことは過大にもほどがあります」
わがままは許さないといった響きを伴っているがヘイムもまた譲る気配はなかった。
「その男は礼装を敷いたのだ。自分にとって最も高価なその上着をな。ならば妾も同じようにしなければならぬであろう」
「お言葉ですが、立場が比べようもなく違います。ヘイム様というよりかは、龍とです。返礼のために龍を用いるということは私の立場としては許容できるというものではございません。
ご用意したところ申し訳ありませんが、これは取り変えさせていただき……えっ?」
シオンの椅子に伸ばした手はジーナの手によって防がれた。身体は勝手に動いたものの頭はなにも動いていない。今の動きはいったい? 自らを考えるより前に、シオンの睨み付ける顔がやって来た。
「邪魔をした理由を述べなさい」
理由など何もなかった。ただ手が動いただけであって……つまりヘイムの意思が伝わりそれに応じて私は……
「ひとつ、嘘をついていました。返礼の件ですけど」
そっちなの? という顔になったシオンに対してジーナはわけもわからず喋りだしていく。
「婦人がこのような返礼をする場合は、男はまず断ります。手拭とか敷布の場合は良いのですが上着の類は、規定が厳格です」
満足気に頷くシオンの顔を見ながら背中には冷たい何かが流れているのを感じる。
「結構。ではなぜ止めたのですか?」
「まだ話の続きがあります。その厳格な規定なのですが、男は礼装でなければならないというのがまず絶対的な条件です。ところが今のこの私の格好はというと」
「敢えて何も言いませんでしたがちぐはぐさが凄まじいですね。それでは座ることはできない、でいいですか?」
「はい、その通りです。いまの私はここに座ることができません。できないのです」
言いながらジーナは身体を反転させるとヘイムの顔が目に入って来る。その右側だけ。何も語らずに自分を見ているだけの顔。
ジーナはその顔がどのような感情を現してるのかが分からないでいた。それはただの無表情であるに過ぎないかもしれないし、なにかを物語っているのかもしれない。これは自分以外の勘の良い男なら察するのだろう。
だがそこにある感情を私は理解することも察する必要すらない。あるわけがないだとジーナは思う。そこは分かっている。
「分かりました……では、上掛けは回収しますね」
「駄目です」
シオンの言葉を拒絶しそれからジーナは告げる。
「シオン様、失礼致します」
一気に上着を脱ぎ机の置いてあった礼装の上着を手に取った。
「ですから座るためには返礼として綺麗になった上着を受け取り着用することであり、そして」
素早く正確に上着を着ていく最中にジーナはヘイムの顔を見る。
感動を伺わせない無表情ながらも陽射しがかかり光が広がっているかのように見えていた。
「両者の合意がある場合のみ」
こう言った時にジーナはヘイムが光の加減でか笑ったように見え、身体を反転させ身体を傾けさせた
「これを受け取ることができる、ということであります」
ジーナが椅子に座り大きな何かに乗ったなと思いながらシオンを見ると、止めようと動くも時既に遅しで凍結した姿がそこにあった
「シオン、礼儀に適っている以上は問題は無いぞ」
静かながらも声を弾ませながらヘイムは終了宣言をしシオンの凍結を解除させ瞼を閉じさせた。
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アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
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