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第二章 なぜ私ではないのか

ジーナが婿養子になれば万事解決

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 ブリアンは飲みながら言った。

「隊長は興味なさすぎたからあっちも楽だったんじゃね? だってこんなに畏まらない人間なんて世界中探したってそうそういないぜ」

 ノイスが続けて言う。

「楽というか面白いというか、まぁとにかくハイネさんはあのソグ撤退作戦で龍身様の警護を担当していたいわば近衛兵です。聞いた話だと追跡による襲撃で側近たちはほぼ全員殉死し生き残ったのがあの二人とあとわずかだとかで、かなり壮絶な体験を生き抜いてのメンバーですので強固な絆で結ばれているはずでしょう。誰を将来の近衛兵長にするのかはシオン様とハイネさんの二人が決定権を持っているとの噂です。そんな彼女がジーナ隊長を近衛兵長にさせるべくこうして頑張っているのなら、拒否はほぼ不可能かと思われますよ」

 何が不可能なんだかと思いつつあの頑張りはその為とかとも想像できた。そこまでしてくれて……という意識に脚が伸びたがすぐに引き首を振る。そんな意思なんて知らない。私には関係なく、あってはならない。

「世の中はそれほど実力至上主義ではないだろ。シアルフィ連合の第一部隊長はバルツ将軍の親族だしソグの貴族だっているんだ。それを差し置いて余所者の西の外国人にそんなに良いポジションにつけるとなったら、一騒動になるはずだ。そんなことを巻き起こしてまで私をつけようとするなんてありえないと思うがな」

 それもそうだな! と酔いが回ってきたブリアンは酔いの一線を超えたのか声がでかくなった。

「キルシュがよぉ、俺にいつもこう言うんだよ。隊長がさ近衛兵長に出世したらあんたが第二隊を引き継いでそのまま出世すればいいとかってよ。俺は恩赦で無罪放免になったら軍を去りたいと言うと何よあんたはあたしが大事じゃないの? とか言って口喧嘩になるし、そんたびに言うんだ隊長みたいな身分が低いどころか無い人間はあんな要職はつけないんだから変な夢見んなって」

 ブリアンは実に正しいとジーナは目を細めた。キルシュが勘違いをするのも仕方がないが、私は軍に残るつもりは毛頭にないと今度伝えないとなと考えていると、斜め前から心臓を握られた。

「それでしたらジーナ隊長が婿養子になれば万事解決ですね」

 誰の? と思いながらジーナが首を横に動くとノイスの視線とぶつかった。

 優男特有の爽やかな表情が花開くのをジーナは見るが、息を呑む。この男は罪人で悪者であるということを思い出しながら。爽やかな瞳で見つめるんじゃない。

「基本的に近衛兵長は指導層の身内のものがつきます。バルツ将軍の親族やソグの王族のもの、と信頼できるものが最重要条件です。この場合においてジーナ隊長が近衛兵長になるとしたらひとつの方法があります。龍身様の最側近のものと関係を持つ。すなわちハイネさんと結ばれ彼女の家の婿養子となる。そうなれば身分的にも完全な身内となりジーナ隊長がもとがどこの馬の骨の罪人とも知れぬひっくい身分であったとしても、どこからも文句は出ません。最側近女官の婿が近衛兵長なのはごく自然なことなのですからね」

「私はそんなつもりでは」

「彼女がそのつもりでしたら、どうします?」

 反論が即座に返されジーナは今度は言葉に詰まる。もしもハイネがそんな意図でこのことを行っていたとしたら?

「ハイネちゃんの考えとかよく分かんねーけどよぉ。じゃあ隊長はよぉ、この勉強にどんな意図があると思ってんだよ? 無償の善意や愛とでも?」

 出来上がりつつあり半ば絡み酒状態のブリアンが後ろからおぶさってきたがジーナは意味不明な言葉に抵抗せずに、返す。

「実はこれは報告書作成のためのものでな。こうヘイム様に前線の報告をするために中央の字を習っているわけで、別にそんな大きな意図があるわけでは」

「それは向うの口実では? ジーナ隊長にはそう伝えて上層部ではそういう流れでこういうことになっているとしたらどうでしょう? これは荒唐無稽な話ではありませんよ。あんなにハイネさんはやる気に溢れているわけですし。つまりは龍身様やシオン様にマイラ卿といったトップ指導層の方々がジーナ隊長のような戦士を将来の身内にしたいとすれば、誰かの婿にいれてしまって取り込む、そんな考えがあってその候補にハイネさんがあげられたとしたら」

 逆玉の輿!? どこが玉やら輿とやらとジーナは焦った。

「待て待て落ち着けノイス! いくらなんでも空想に走りすぎだ。だいたいハイネには男友達が沢山いてだな」

「その男友達ですけど、ハイネさんはジーナ隊長に話したり紹介されたりしたことありますか?」

 ない、とまた言葉の接ぎ穂がなくなりノイスの表情が和らぐ、やめてくれその顔は、なんだか追い詰められる。

「あーキルシュから聞いたがハイネさんの友達といっても大貴族はいないな。だいたいが地元の知り合いや兵学校時代の同級生といったやつで、幼馴染か悪く言えば取り巻きレベルの連中だってさ。そうだから出世候補を探したら隊長が結構いいからそれに賭けてるんじゃね?」

「そんな馬鹿な」

 とジーナはこの台詞をさっきも言ったなと慌ててしまい込もうとするとノイスが逃さず捕える。

「そんな馬鹿なですか、ほう? するとハイネさんの何が馬鹿でお嫌なのですか?」

「彼女のことではなくて、こっちのことでな。私みたいな男が人に馬鹿だの嫌だのいえるわけがないだろう」

「でも嫌だと言うんですよね?」

 意地の悪い詰め方になってきたなと思うとジーナの意固地さが立ち上がってきた。

「だって向うに悪いだろうし」

「悪いと思わなかったらいいじゃないですか」

「いや悪いし」

「何を言われるのかなこの御方は。ならたとえばハイネさんが結婚してと言われたらどうします?」

「そんなことはありえないし、あってはならない」

「なんか隊長の言っていることがよくわかんねぇな。俺達はこう可能性の話をしているのに有り得ないの一点張りで会話になってねぇ。前々から気になっていたけど誰も聞かねぇから俺がここで聞くけど、なんで隊長ってハイネさんのことを呼び捨てにしてんの?」

「お前はちゃんづけだろう。これはあっちがそう言えと」

 ブリアンは酒を吹き出しノイスを咳込みしばらく何かに堪えているように震えていた。少しすると呼吸を整えながら二人は見合わせ軽い打ち合わせをした。

「そうかハイネさんってなかなかに頭は良いな」

「少なくともジーナ隊長がどのような人物かはよく把握していますね」

 ひそひそと何やらよからぬことを相談する声のトーンとなりジーナは不安となった。まるで自分のあずかり知れぬところでなにか陰謀が進展しているように。

「ここは論点を変えますかね。広い視点から見させれば納得してくれるかもしれない」

「ここは搦め手でいこうか、よしそうしよう。あのよ隊長、例えばの話だ。隊長が門だとする」

「私は門ではないぞ」

「黙って聞いてくれよ。その門を攻略するに際してはさ、真っ直ぐ正面からぶつかったとしたら、隊長の非論理的かつ理不尽な強さの前に誰もが弾き飛ばされるよな? あんたはやるといったら頑としてやる男だ、そうだろ」

 どんな話をしようというのかよく分からないままジーナは同意を告げると、ノイスが左右の手を机の上に這わせ左右に散らばらせた。

「そうでありますからその門をいきなり攻撃対象にはせずに攻撃しやすそうな箇所を攻め、周囲を囲みまたは裏門を攻める。これが基本的な動きでしょう。つまりはジーナ隊長を攻略するとしたら、自らの有利な状況を作りだしていく方に力を入れた方が良いということです。そうですよね?」

「……うん、もっともだな。自分で言うのもなんだが強い敵にわざわざ正面から挑んで倒されるのはあまりに芸が無いだろうし」

 机上に指を這わせているノイスの手が大きく飛跳ね椅子に移動した。

「そこまで考えるのなら敵は囲むと同時にジーナ隊長の意識の外の大切なものにも手を伸ばすでしょう。たとえばそうバルツ将軍に」

 バルツ将軍? その名を聞くとジーナは脳内回線は即座に繋がりだした。そういえば最近のハイネの話では。

「ハイネさんとバルツ様が最近会談の頻度が多くなっているということにジーナ隊長はご存じでしょうか?」

 そうだ多くなっているしハイネの口から出るバルツ将軍の名がよくあがるが、それは仕事で。

「もちろん二人とも上役でありこれからの方針などについて大切な話し合いがあるだろうが、そんなのはごく普通なことだ。問題は隊長、あんたのことでよ、バルツ様はああ生真面目一徹の紳士だ。奥様のことはもとよりご婦人方にも親切なのだが、裏を返すとこれは紳士でない男は嫌いだということだ、分かるか隊長?」

 分からないもののジーナは想像をする。よく知るあの二人が会合し議題が一段落ついた時に出てくる話題は共通問題である、自分ではないかと。

 例の分からず屋はどうしていますかな? 黙々と勉強をしております。それを自らの懲罰に架しているかのように。でもご安心を。あれは一つの信仰心の現れです。あの御方に向けてのお手紙のための修行ですもの。なにとぞ寛大な御心で……

「これは要するにですね何も犠牲を払って門を突破できずともあの手この手を用いれば中の人が降参して負け戦ってことです。ジーナ隊長を陥れたいのなら、中の偉い人にこう言えば良いのです……聞いてください私はあなたの部下に誑かされたのです、と」

 ノイスの声色はジーナの耳にハイネの声として入り頭の中でバルツの怒声が響き渡った。

 なんだと! 親切心につけ込んであいつがそんなことをするだなんて……いつかやると思っていたものの許せん! このまま逮捕で公の席で裁いてくれるわ。

「社会的地位や公的な人格や評判を鑑みましたら残念ながらハイネさんの方がジーナ隊長よりも遥かに上にあり、そのためにでっちあげて訴えを起こすというのは誰も思わずに誰もが真実だと思うでしょうね、ただ一人以外は」

 こいつは人の心をまた読んでいると完璧な思考の続きを口にするノイスに恐怖の一瞥を与えると彼は微笑んだ。無機質的に。

「まぁよ、とにかくだ、隊長はハイネちゃんに優しくするんだな。それ以外何もしなくていいぜ。キルシュもそうだけど大抵の女は男にそれを期待してるんだからよ。だいたい強さ以外なにも持っていない隊長なんかはさ。女に提供できるものなんて何も無いのに良くしてもらってんだから、それぐらいだそうぜ。心がけ次第なんだからよ」

「ブリアンの言う通りで優しくだけすれば他の全てが許される男というものも存在します。いまのジーナ隊長はその存在になりつつあるでしょう」

 正直最低な存在だなという言葉をノイスの前であるから呑み込みジーナは乾いた笑い声をあげた。今の心の声を読んでいるようなノイスの顔から目を背けながら。
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