龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

文字の大きさ
150 / 313
第二章 なぜ私ではないのか

あなたといると死ぬほど疲れる

しおりを挟む
 それでもジーナの手が動かずにいるとハイネの笑い声がし耳元で囁かれる。

「言ってくださいよ。でないと姉様に、あっシオン様ですよ、ジーナに罵倒されて泣かされましたと訴えますよ。シオン様はあなたのことを悪い男だと見ていますからね。罵倒された以上のことが起こったと拡大解釈してくれるはずですが、いいのですか?」

「面倒なことになるからやめてくれ。だけども」

 その心を現す言葉を自分は言うことも思うこともできないとしたら、とジーナは思うもそれでも紙を取り出し机に置くと、筆を取る手の上にハイネの手が添えられた。

「自分で書けないのなら、私が書くか、それとも私と書くか、どちらかを選んでください」

 右肩にハイネの顎が置かれたのか重さが来てそれから言葉が届くとジーナは迷わずに選んだ。

「一緒に書いてもらいたい」

 肩への重みが増し手に力が籠った。動かしづらそうだがジーナはそうさせた。

「それでどうします?」
「嫌いとはどう書くんだ?」

 一瞬の間ができたがハイネは何も言わずに手を動かしジーナは導かれその文字に到達する。
見覚えのないその模様と組み合わせに。

「今日はよくその言葉が出ますね」
「大事な言葉だからな。それでその反対も教えてくれ」

 今度も間が生まれるもハイネは息を呑む感覚が肩越しに伝わってきた。

 先ほどのよりも長い躊躇いの後に手が動き出しその言葉が書かれていく、半ば禁じられているようなその言葉が。

「はいこれがあなたが口にするのも聞くのも嫌いな言葉ですよ」

 当てつけがましく言われるなかでジーナはそれが嫌いという字に似ていると感じた。

「何を書くつもりだとは聞かないのか?」
「私は言いました。あなたがなにを書こうが、それを通すと。それだけですよ。でも言いますが、まさかこれを出すつもりではありませんよね?」

 その二つの異なる文字を見ながらジーナは左手を胸の部分に当てた。その静かな鼓動を手に取り、思うと同時に声が出た。

「これじゃない」

 ハイネは安堵の息を吐きジーナは紙面から眼を離した。近いがこれじゃない、もっと近くに、そのままの心を伝えたい。

 伝えなければならない……

「憎んでいる、と。そう私は何度もあの人に対して言ったんだ。私はあなたのことを憎んでいると」

 独り言のように言うと背中にいるハイネは覆い被さり肩を手に身体を預けるようにしてきた。

「……それはこう書きます」

 非難も反論もしないハイネをジーナは不思議に思いながらも重なり強く握られた手が動き始める。

 はじめて形となっていく自分の心を筆先で指先で、手で腕で身体全体で、心で感じ取っていくもジーナには分かっている、限りなく近いがまだ違うと。

「これが、それですよジーナ」

 一文が綴られていた。自分の字であるのにどこか他人の字のように見えるそれ。これだけを送るとしたら、それは誤りであろうしまさに誤解だとジーナは改めて感じ、その先に行くことに決めた。

「これだけではまだ遠いんだ。足りないし届かないし、見えないし伝わらない……同じ言葉を、いや全く違う言葉を、いや」

 ジーナは語りながら一心に今の文章を見つめる。

『私はあなたのことを憎んでいます』

「同じ言葉を、だけれども似て非なる心を書きたい」

 相反する言葉かもしれないのにジーナにはその行為への矛盾は感じられなかった。むしろそれは最も近く正しく、真実に近いとも。

「ハイネ、分かるか?」
「私に、聞くのですね」

 掠れた声がしジーナは何故か知らないがたじろぐも口を閉ざさなかった。

「ハイネに聞くんだ。他の誰でもなくハイネにだけ。そうじゃないと分からない」

 どうして分からないのですか? とジーナは返ってくると身構えるも見えず聞こえもしないのにハイネが笑った気がした。

「では私と書くのですね」
「そうしないと書けない。ハイネ、頼む」
「私が、書く」

 今度こそハイネはくぐもった笑い声をだし堪えていた。

「失礼笑っちゃいました。でもこれはあなたにではないですよ」
「私を笑うところだとしか思えないのだが」
「あなたを笑う人なんてどこにもいやしませんよ。私は自分に対して笑ったのですよ、それだけ」

 自嘲する理由をジーナは分かるはずもないためにある可能性を考えた。

「分からないとか?」
「分かっていますよあなたの心ぐらい。おかしいですか? だってこんなに近くにいるのですよ。私には聞こえますが、あなたは聞こえないとでも?」

 聞こえないの? と問われジーナは瞼を閉じ耳を澄ます。遠くから鼓動が聞こえ、迫って来る。この知っている音は。

「私も聞こえる。声ではなくてハイネの心臓の鼓動だけどな」

 言うと鼓動が一つ高い音をたて、すぐに元に戻った。

「その鼓動の音がなんだか分かりますか?」

 心音であること以外を問うているのであろうが、そんなことは分からず

「急に高い音を立てたことは分からない」
「分からないのですか?」
「分からない」

 遠くに響く規則的な鼓動を聞きながらその音がまた少しずつ高くなり、また近づいてくる予感の中で右手に熱がついた。

「つまりはですね、こういうことですよ」

 ハイネから伝わる弾けるような高音の連続音につられ手が動き出す。ゆっくりとだが何よりも早く長く確実に。

 指先から手に腕が呑み込まれそのまま全身が落下していく感覚の中で筆の動きをジーナは追っている。

 その動きをジーナは知っている、さっきの文章と同様の構文であり感情の軌跡を追うように筆先が紙上を走る。

 途中までは同じであり、そこから違和感があるはずだとジーナは身構え、止める覚悟すらあった。

 ハイネの鼓動は同じ高音で鳴り続けている。この音と自分の心が同じでなければ、筆先が止まる。意識的でなく無意識に。

 たとえその字がなんであるのかをわからなくても分かる、と。すると筆先がさっきと違う動き紙上に刻んだのをジーナは感じるも、だが止らなかった。同じものだと捉えた。

 違うものであるのに、違わないとは。それはどんな言葉であり感情であるのか?

 手が止まりハイネの鼓動が遠ざかっていくなかでジーナは瞼をあげるとハイネの覗き込む顔がそこにあった。

「お願い、見ないで」

 呪文のように瞼は自然と降りまた消えゆく音に耳を傾けた。紙を畳む音が聞こえ、仕舞う音?

 それらの音が途切れるとジーナの眼は自然に開かれるも眼の前には書いたはずの紙が無く、机の木面しか目に入らなかった。

「封筒に入れましたのでありませんよ」

 中腰ではなく完全に立ち上がっているハイネが手にしている鞄の中に何かをしまいながら言った。二つ?

「二通か?」
「一通です」

 突発的に湧いた疑問を即座に否定されたせいでジーナは口が閉じる。

「私の手でシオン様にお渡しします」

 有無を言わさぬ口調で言った後ハイネは身体を小刻みに動かしているように見えた。

「あなたといると疲れますね。すごく疲れる。死にたくなるぐらいに」

 文句ではなく完全な独り言としか聞こえない声でハイネがぶつくさという。

「身体中が痛くなります。鈍い痛みや鋭い痛みが全身のあちらこちらに起きて、身体がバラバラになりそうなこともたびたびありますよ。ねぇジーナは私をそんな風にさせているといった自覚はありますか?」

「そんなものはない」

 返事に対してハイネは鼻で笑った。

「短文二つでこんなに私を痛めつけて苦しめても自覚なし。分かっていますよあなたがそういう人だってことは。誰よりも私が……それどころか」

 言いながらハイネはジーナの方へ顔を向ける。彼はおかしなものを見る。呪詛に近い言葉を吐くのに、満ち足りているものの顔を。

「あなた自身よりも分かっている。そう思いません?」
「たった一部だけでそんな顔をされても困る」
「それは一部は認めたと解釈していいのですよね?」

 微笑まれジーナは後ずさりをする。この女は私の何を分かったといっているのか?

 その疑問はだが、扉へ向かうハイネの歩く際に生まれる風が吹き飛ばしていった。

「しばらく忙しくなりますからこちらには来ません。その代わりに勉強は続けてくださいね」

 あっという間に扉を開くハイネの背中にジーナはいつもよりかは小声で言う。

「ハイネありがとう」
「何についての感謝です?」

 止らずに扉の外に出ようとするその背中にジーナは言った。

「ハイネのその心の」
「自分で痛めつけといて労いのの言葉とかやめてくださいよ。そんな言葉一つではあんまり癒されませんよ」

 そのまま彼女は扉の外に出て手だけが隙間から見えそれが言う。

「どういたしまして」

 その言葉はドアが閉まる音と重なったのに、はっきりとジーナには聞こえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...