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第二章 なぜ私ではないのか
出発点とは終着点
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「君は体力があって羨ましいかぎりだ」
「私からするとルーゲン師のタフさには驚かされましたね」
「それは僕が青白い僧であるからそうみたのかな?」
「僧であるというよりもルーゲン師の線の細さからですね。その身体のどこにそんな力があるのやら」
「言い方に嫌味が無いのが人徳というものですか。もっとも君からしたら大半の男は細身の優男かもしれませんけれど」
手紙を書いているルーゲン師の手がゆったりとした慎重な動きから、急に荒々しい動きへと変わったのを見てジーナは最後の署名だとわかった。
「もしも僕にタフさというものがあるのならそれは、精神の力といえるものでしょう」
「信仰心の力ということですか?」
手紙を封筒に入れているルーゲンが振り返りジーナを見つめながら薄い笑みを浮かべた。
歪んだ笑み。
歪み、ルーゲンの元から非対称的な左右の眼もそれに合わさってそれはいまにも崩壊しそうな積木のような顔だとジーナには感じられた。
バラバラなものがなにかによって繋がっているような無秩序な統合。
「もちろん、それも含めての精神の力ですね。信仰心にそれと……」
歪んだままルーゲンは停止した。崩壊寸前な家屋が傾いたまま奇妙な角度で留まっているような不安感をジーナは抱かずにはいられなかった。
いまここで少しでも動いたら壊れる、かといってこのまま停止し続けるわけにもいかない、ジリジリと意識が追い詰められる焦燥感のなか、ジーナは目を離さずにいたルーゲンは突然歪みを一切消滅させた。
その瞬間に何もかもが元に戻り秩序が回復したように感じられルーゲンは今のは嘘だったというかのような声で、こう言った。
「復讐心だとしたら、君はどう思いますか?」
東西南の龍の護軍の同時攻勢によって勝利を収めたあの戦いの後に会議が開かれた。
「殲滅といった決定的勝利とは行かなかったがこの兵力差で敵を撤退させたのならば良しとしよう」
参謀や隊長らに対してバルツは謙虚にこう語ったものの誰もがその言葉は勝って兜の緒を締めよ的なものだと分かっていた。
客観的に見て大勝利である。本来なら南下してきた中央軍の圧力の前に敗走か良くて膠着状態となるしかない戦闘前の情勢のなかで、敵の攻勢を跳ね返し敗走させただけではなく、大損害を与えることができたとは楽観的な参謀すら考えもつかなかった。
「中央軍も彼我の兵力差を見て一気にかかればこちらを崩せると判断したのが命とりとなったな。しかしその判断は妥当であり指揮を執るものなら誰もがするだろう、俺だってそうする」
攻勢をかけ深く入り込む予定であったために東西からの挟撃に半ば恐慌状態となり本来の力を発揮できずに敗走となった中央軍。
「油断せぬように」
重ねて訓示をしたものの中央軍の背骨をへし折り砕いたとはいかずとも、ひびぐらいは入れたというのが衆目の一致するところであった。
捕虜からの報告も中央の士気は著しく低下しており今度の戦いに賭けるものが大きくそれを頼りになんとか意識を保ってきたが、この惨状だ。
中央軍の指揮官は軍の精神的支柱と言うべく御方であったが側近と共に戦死し、その点も兵隊たちは意気消沈しており我々としてはもうこれ以上どうしたらいいのかわからない、と言った証言も数多く出されてもバルツは表情を変えなかった。
「この度の戦いに勝利し東西両軍と合流したことは喜ばしいことだが、これで以ってようやく巨大な中央軍と互角もしくはやや劣るといったものだ。諸君ら指揮をとるものは努々おごることなく次の戦いに備えるように」
大勝利には浮かれることなく身を引き締めよと繰り返すのを聞きながら、ジーナは将軍の修練を積んで来たもの特有のその姿に感銘を受け改めて見直していると目が合い、睨み付けてきた。
「この度の戦いは主に二組の隊の活躍が目覚ましかった。まず敵総司令官を多大なる犠牲を払いながら討った第一隊。流石は筆頭部隊だと先ず俺がその名誉を讃えよう」
天幕にいたものたちが拍手をすると第一隊長が顔を真っ赤にしながら涙を流し出した。
シアフィル解放戦線の最古参かつ最精鋭の第一隊。本来なら軍の要となる部隊であるはずであったのに解放戦線の老幹部から一族可愛さのあまり温存されがちであり、その代わりに第二隊が最前線に立ち数々の名誉を授かるのを見続ける屈辱を味わい尽くしていた彼らだが、この戦いでは全隊員からの志願により最前線に立ちどの隊よりも犠牲を払いどの隊よりも戦果を得た、
このたびの戦いにおける正真正銘の英雄的な隊であるとジーナは思いながら手を叩いているとバルツの声が続いた。
「その次はルーゲン師及び第二隊のものたちによる東西両軍への共同作戦要請の成功だ。これがなかったらこの度の戦いはどうなるか不明だった。特にルーゲン師には深く感謝する。第二隊もご苦労であった」
これにも大きな拍手が起こりルーゲンは挙手で答えジーナは頭を下げた。
「昨日龍身様からこの度の戦いにおける祝勝のお言葉を戴いた。勅使も派遣され後日に訪問なされるが、予定通り我々は前進する。前に、北へ、中央へ、世界の中心にだ」
戦いが明けて幾日かの間で陣営のなかは戦闘の興奮がだいぶ下がり平静さが戻っているとジーナには感じられた。
「バルツ将軍は第一隊の面子を重視しましたね」
傍らを歩くルーゲンが些細な天気な話からいきなりあの話に戻した。
「客観的に今回の功績筆頭は我々の他ないのですが、内部の政治をとったと僕は見ます」
「互角かあるいは第一隊が最優秀だと私には思えましたね」
切り替えしにルーゲンは反発をせずに満足気にそれを受けとめた。
「君ならそう言うと思った。謙遜ではなく心の底から思っているとね。だからバルツ将軍も第一小隊を最大限に立てこちらを最小限に立たせた。損失的にあちらを立てなければならなかったのだろうことは僕は了承していますが、君は何かお褒めの言葉を戴かなかったことについては不満はありません?」
「私を褒めたところで何も変わらないし無駄ですからバルツ様は賢明です。最前線で戦った第一隊の活躍こそ讃えられるべきだ」
「男の前だと聖人君子ですね本当に。君は自分に自信があるからそのような言葉は必要ないのかもしれませんが、ではハイネ君から褒められたらどうです?」
ジーナは足が止まりそうになったが、踏み止まりというか踏み止まらずに前に歩いて行くと隣にルーゲンはいなかった。
「あのジーナ君? ここでお茶にする話だったじゃないか。どこに行くんだい?」
振り返るとルーゲンは茶屋の屋外テーブルに手を乗せて立っていた。そうだ、二人で祝杯をしようという誘いでここまで来たのだとジーナは思い出し足を戻し、席に座りいつの間にか頼んだのかグラスが二つもう並べられてあった。
「来たら出すように前以て頼んでいてね。どうです? 僕の用意周到さは」
お道化ながら言うルーゲンにジーナは笑った。最近のこの人は私をよく楽しませてくれると。
「野暮を承知で言うのですが、僧が酒を呑んでもいいのですか?」
「呑んだ後に言わないあたりが野暮の骨頂感が著しいですね。あれですよね? そうやって要らぬことを言って婦人の御不興を買うのがジーナ君の特殊な趣味なのですよね? 怒らせて相手を素直にさせて仲良くなろうという諸刃之剣的手法。大丈夫です、僕は分かっていますから」
「何が分かっているのですか。私にはそんな趣味など、あっ!」
半端に持ち上げられていたグラスにルーゲンは自分のグラスを当てて乾杯をとり、そのまま一気にそのグラスの酒を呑み込んでしまった。
呆気にとられているジーナに向かってルーゲンは口調を変えた。
「僧が一気飲みなどしていいのですか? 全く君というものは野暮に野暮を罪重ねて野原にひと山築くおつもりでしょうかね」
「そんなことは言ってはいません。呑んで良いよりもあのルーゲン師はお酒の類はその」
「とても弱いですね。いまみたいな呑み方をしたのは生まれて初めてですしこの先がどうなるのか、未知なる体験でしょう。でもねジーナ君。僕たちは生きて帰ってきたのですよ? これぐらいやって自らを祝っても良いでしょう。僧である前に僕は人なのですから」
祝杯か、とジーナは普段付き合い程度でしかやらないためにルーゲンのテンションの高さにようやく気づき、任務中のことも思い出した。
息つく間もなく移動に継ぐ移動に眠るにも眠れず意識朦朧とするその旅。
解放から事後処理、とその何もかもが終わったのがそういえばさっきのバルツ将軍の会議であったと。
ルーゲンの顔が若干赤くなった。酒に弱いのかそれとも顔に出るタイプか、そのどちらでも良くジーナは自分の杯を呷るとルーゲンの顔が輝いた。
「各々でいま祝杯をあげましたので次は一緒に呑み干しましょう」
「野暮天山と言ってしまいましたが君は実に粋だ。そうしてくれると思っていましたから続けてもう一杯づつ注文しておきました」
言葉通りに店員がやってきて杯に酒を注いで奥へと引っ込んでいった。
「私がそう言うとまた予想していたとは……あの、私ってそんなに分かりやすいでしょうか?」
「あるところはそうですね。けれどもとても分かりやすいところと全く理解できないところが混在しています。単純さと複雑さ、あたかも朝と夜でありまたは光と闇と相矛盾するものを君は抱いていると僕には感じられる」
「でもそれは人の性質というものがそういうのでないでしょうか?」
「一般論ではそうだろうが、君のはやはり不思議だ。真っ直ぐに行けるはずの道を回り道どころか反対の方へと向かい、どうしてか真っ直ぐの道と同じ場所に辿り着くことができる、そういった理解できないところがある」
「そんなおかしな話があるはずありませんって。反対の方に行ったら反対の場所に着くだけですから同じ場所になど絶対にないです」
言いながらジーナは自分の後ろを振り返り遥かへと続く春の長閑な空を見てから前を向き、ルーゲンの背後に広がる同じ色の空を見ながら自信を込めてもう一度言う。
「例えばルーゲン師が前を歩きだし私がこのまま前を歩きだしたら正反対ですよね? どこまで歩いても出会えるはずがない」
反論不能と思えた言葉に対しルーゲンの表情は変わらず余裕があった。
まるで全てが分かっているものの顔であり、ジーナには理解できないその表情が言った。
「この世界とは一つの輪になっていると考えてみてはどうでしょう? 世界の果てには壁などは無くどこまでもどこまでも道は続き、そう世界の果てなどなくあるのは出発点だけであり、よって出発点とは終着点であると。さすれば僕と君が正反対の方を歩き出したら同じ場所で合流するのですよ、つまりここです」
なんてありえない馬鹿馬鹿しいことを言うのか。そうなったら自分とルーゲン師が同じく一つになると言っているようなものではないかとジーナは苦笑いすると同時に分かった。
この人は今、すごく酔い始めているのだと
「冗談はよして祝杯といきましょう。せっかくルーゲン師が呑むと言っているんですから、付き合いますよ。その仮説を受け入れるとしたらこの席が終着点だといいですね。そうしたら旅路の終わりはこうやって呑めるのですから」
受け入れたことに気を良くしたのかルーゲンは笑い杯をあげて祝杯をあげ、同時に呑み、同時に杯を机の上に置いた。
「やはり君は良いね。その提案は僕は受け入れるよ。出発点がここで終着点はここ。呑んだ別れ再会した二人は酒をまた呑み交わす……案外に君は詩人でロマンチストだ。でもそういうのは男の僕にではなく女の人にやった方がいい。例えば……」
ルーゲンは口を閉ざしジーナはわざと言葉を切ったと、みた。そして同時に頭の中に思い浮かべるその名は。
「例えば、なんです?」
「なんで僕に聞くのかな? 聞かなくても君は分かっているじゃないか」
そんなのは分かっているとジーナは頭の中に浮かんだ二つの名を消そうと心中で叫び声をあげるも、すぐに途切れまた同じ二つの名が現れて心の面積を占める。
「そういえばさっき僕の言葉を無視してどこかに行こうとしたけどハイネ君の名を聞くのは嫌だとか?」
「私からするとルーゲン師のタフさには驚かされましたね」
「それは僕が青白い僧であるからそうみたのかな?」
「僧であるというよりもルーゲン師の線の細さからですね。その身体のどこにそんな力があるのやら」
「言い方に嫌味が無いのが人徳というものですか。もっとも君からしたら大半の男は細身の優男かもしれませんけれど」
手紙を書いているルーゲン師の手がゆったりとした慎重な動きから、急に荒々しい動きへと変わったのを見てジーナは最後の署名だとわかった。
「もしも僕にタフさというものがあるのならそれは、精神の力といえるものでしょう」
「信仰心の力ということですか?」
手紙を封筒に入れているルーゲンが振り返りジーナを見つめながら薄い笑みを浮かべた。
歪んだ笑み。
歪み、ルーゲンの元から非対称的な左右の眼もそれに合わさってそれはいまにも崩壊しそうな積木のような顔だとジーナには感じられた。
バラバラなものがなにかによって繋がっているような無秩序な統合。
「もちろん、それも含めての精神の力ですね。信仰心にそれと……」
歪んだままルーゲンは停止した。崩壊寸前な家屋が傾いたまま奇妙な角度で留まっているような不安感をジーナは抱かずにはいられなかった。
いまここで少しでも動いたら壊れる、かといってこのまま停止し続けるわけにもいかない、ジリジリと意識が追い詰められる焦燥感のなか、ジーナは目を離さずにいたルーゲンは突然歪みを一切消滅させた。
その瞬間に何もかもが元に戻り秩序が回復したように感じられルーゲンは今のは嘘だったというかのような声で、こう言った。
「復讐心だとしたら、君はどう思いますか?」
東西南の龍の護軍の同時攻勢によって勝利を収めたあの戦いの後に会議が開かれた。
「殲滅といった決定的勝利とは行かなかったがこの兵力差で敵を撤退させたのならば良しとしよう」
参謀や隊長らに対してバルツは謙虚にこう語ったものの誰もがその言葉は勝って兜の緒を締めよ的なものだと分かっていた。
客観的に見て大勝利である。本来なら南下してきた中央軍の圧力の前に敗走か良くて膠着状態となるしかない戦闘前の情勢のなかで、敵の攻勢を跳ね返し敗走させただけではなく、大損害を与えることができたとは楽観的な参謀すら考えもつかなかった。
「中央軍も彼我の兵力差を見て一気にかかればこちらを崩せると判断したのが命とりとなったな。しかしその判断は妥当であり指揮を執るものなら誰もがするだろう、俺だってそうする」
攻勢をかけ深く入り込む予定であったために東西からの挟撃に半ば恐慌状態となり本来の力を発揮できずに敗走となった中央軍。
「油断せぬように」
重ねて訓示をしたものの中央軍の背骨をへし折り砕いたとはいかずとも、ひびぐらいは入れたというのが衆目の一致するところであった。
捕虜からの報告も中央の士気は著しく低下しており今度の戦いに賭けるものが大きくそれを頼りになんとか意識を保ってきたが、この惨状だ。
中央軍の指揮官は軍の精神的支柱と言うべく御方であったが側近と共に戦死し、その点も兵隊たちは意気消沈しており我々としてはもうこれ以上どうしたらいいのかわからない、と言った証言も数多く出されてもバルツは表情を変えなかった。
「この度の戦いに勝利し東西両軍と合流したことは喜ばしいことだが、これで以ってようやく巨大な中央軍と互角もしくはやや劣るといったものだ。諸君ら指揮をとるものは努々おごることなく次の戦いに備えるように」
大勝利には浮かれることなく身を引き締めよと繰り返すのを聞きながら、ジーナは将軍の修練を積んで来たもの特有のその姿に感銘を受け改めて見直していると目が合い、睨み付けてきた。
「この度の戦いは主に二組の隊の活躍が目覚ましかった。まず敵総司令官を多大なる犠牲を払いながら討った第一隊。流石は筆頭部隊だと先ず俺がその名誉を讃えよう」
天幕にいたものたちが拍手をすると第一隊長が顔を真っ赤にしながら涙を流し出した。
シアフィル解放戦線の最古参かつ最精鋭の第一隊。本来なら軍の要となる部隊であるはずであったのに解放戦線の老幹部から一族可愛さのあまり温存されがちであり、その代わりに第二隊が最前線に立ち数々の名誉を授かるのを見続ける屈辱を味わい尽くしていた彼らだが、この戦いでは全隊員からの志願により最前線に立ちどの隊よりも犠牲を払いどの隊よりも戦果を得た、
このたびの戦いにおける正真正銘の英雄的な隊であるとジーナは思いながら手を叩いているとバルツの声が続いた。
「その次はルーゲン師及び第二隊のものたちによる東西両軍への共同作戦要請の成功だ。これがなかったらこの度の戦いはどうなるか不明だった。特にルーゲン師には深く感謝する。第二隊もご苦労であった」
これにも大きな拍手が起こりルーゲンは挙手で答えジーナは頭を下げた。
「昨日龍身様からこの度の戦いにおける祝勝のお言葉を戴いた。勅使も派遣され後日に訪問なされるが、予定通り我々は前進する。前に、北へ、中央へ、世界の中心にだ」
戦いが明けて幾日かの間で陣営のなかは戦闘の興奮がだいぶ下がり平静さが戻っているとジーナには感じられた。
「バルツ将軍は第一隊の面子を重視しましたね」
傍らを歩くルーゲンが些細な天気な話からいきなりあの話に戻した。
「客観的に今回の功績筆頭は我々の他ないのですが、内部の政治をとったと僕は見ます」
「互角かあるいは第一隊が最優秀だと私には思えましたね」
切り替えしにルーゲンは反発をせずに満足気にそれを受けとめた。
「君ならそう言うと思った。謙遜ではなく心の底から思っているとね。だからバルツ将軍も第一小隊を最大限に立てこちらを最小限に立たせた。損失的にあちらを立てなければならなかったのだろうことは僕は了承していますが、君は何かお褒めの言葉を戴かなかったことについては不満はありません?」
「私を褒めたところで何も変わらないし無駄ですからバルツ様は賢明です。最前線で戦った第一隊の活躍こそ讃えられるべきだ」
「男の前だと聖人君子ですね本当に。君は自分に自信があるからそのような言葉は必要ないのかもしれませんが、ではハイネ君から褒められたらどうです?」
ジーナは足が止まりそうになったが、踏み止まりというか踏み止まらずに前に歩いて行くと隣にルーゲンはいなかった。
「あのジーナ君? ここでお茶にする話だったじゃないか。どこに行くんだい?」
振り返るとルーゲンは茶屋の屋外テーブルに手を乗せて立っていた。そうだ、二人で祝杯をしようという誘いでここまで来たのだとジーナは思い出し足を戻し、席に座りいつの間にか頼んだのかグラスが二つもう並べられてあった。
「来たら出すように前以て頼んでいてね。どうです? 僕の用意周到さは」
お道化ながら言うルーゲンにジーナは笑った。最近のこの人は私をよく楽しませてくれると。
「野暮を承知で言うのですが、僧が酒を呑んでもいいのですか?」
「呑んだ後に言わないあたりが野暮の骨頂感が著しいですね。あれですよね? そうやって要らぬことを言って婦人の御不興を買うのがジーナ君の特殊な趣味なのですよね? 怒らせて相手を素直にさせて仲良くなろうという諸刃之剣的手法。大丈夫です、僕は分かっていますから」
「何が分かっているのですか。私にはそんな趣味など、あっ!」
半端に持ち上げられていたグラスにルーゲンは自分のグラスを当てて乾杯をとり、そのまま一気にそのグラスの酒を呑み込んでしまった。
呆気にとられているジーナに向かってルーゲンは口調を変えた。
「僧が一気飲みなどしていいのですか? 全く君というものは野暮に野暮を罪重ねて野原にひと山築くおつもりでしょうかね」
「そんなことは言ってはいません。呑んで良いよりもあのルーゲン師はお酒の類はその」
「とても弱いですね。いまみたいな呑み方をしたのは生まれて初めてですしこの先がどうなるのか、未知なる体験でしょう。でもねジーナ君。僕たちは生きて帰ってきたのですよ? これぐらいやって自らを祝っても良いでしょう。僧である前に僕は人なのですから」
祝杯か、とジーナは普段付き合い程度でしかやらないためにルーゲンのテンションの高さにようやく気づき、任務中のことも思い出した。
息つく間もなく移動に継ぐ移動に眠るにも眠れず意識朦朧とするその旅。
解放から事後処理、とその何もかもが終わったのがそういえばさっきのバルツ将軍の会議であったと。
ルーゲンの顔が若干赤くなった。酒に弱いのかそれとも顔に出るタイプか、そのどちらでも良くジーナは自分の杯を呷るとルーゲンの顔が輝いた。
「各々でいま祝杯をあげましたので次は一緒に呑み干しましょう」
「野暮天山と言ってしまいましたが君は実に粋だ。そうしてくれると思っていましたから続けてもう一杯づつ注文しておきました」
言葉通りに店員がやってきて杯に酒を注いで奥へと引っ込んでいった。
「私がそう言うとまた予想していたとは……あの、私ってそんなに分かりやすいでしょうか?」
「あるところはそうですね。けれどもとても分かりやすいところと全く理解できないところが混在しています。単純さと複雑さ、あたかも朝と夜でありまたは光と闇と相矛盾するものを君は抱いていると僕には感じられる」
「でもそれは人の性質というものがそういうのでないでしょうか?」
「一般論ではそうだろうが、君のはやはり不思議だ。真っ直ぐに行けるはずの道を回り道どころか反対の方へと向かい、どうしてか真っ直ぐの道と同じ場所に辿り着くことができる、そういった理解できないところがある」
「そんなおかしな話があるはずありませんって。反対の方に行ったら反対の場所に着くだけですから同じ場所になど絶対にないです」
言いながらジーナは自分の後ろを振り返り遥かへと続く春の長閑な空を見てから前を向き、ルーゲンの背後に広がる同じ色の空を見ながら自信を込めてもう一度言う。
「例えばルーゲン師が前を歩きだし私がこのまま前を歩きだしたら正反対ですよね? どこまで歩いても出会えるはずがない」
反論不能と思えた言葉に対しルーゲンの表情は変わらず余裕があった。
まるで全てが分かっているものの顔であり、ジーナには理解できないその表情が言った。
「この世界とは一つの輪になっていると考えてみてはどうでしょう? 世界の果てには壁などは無くどこまでもどこまでも道は続き、そう世界の果てなどなくあるのは出発点だけであり、よって出発点とは終着点であると。さすれば僕と君が正反対の方を歩き出したら同じ場所で合流するのですよ、つまりここです」
なんてありえない馬鹿馬鹿しいことを言うのか。そうなったら自分とルーゲン師が同じく一つになると言っているようなものではないかとジーナは苦笑いすると同時に分かった。
この人は今、すごく酔い始めているのだと
「冗談はよして祝杯といきましょう。せっかくルーゲン師が呑むと言っているんですから、付き合いますよ。その仮説を受け入れるとしたらこの席が終着点だといいですね。そうしたら旅路の終わりはこうやって呑めるのですから」
受け入れたことに気を良くしたのかルーゲンは笑い杯をあげて祝杯をあげ、同時に呑み、同時に杯を机の上に置いた。
「やはり君は良いね。その提案は僕は受け入れるよ。出発点がここで終着点はここ。呑んだ別れ再会した二人は酒をまた呑み交わす……案外に君は詩人でロマンチストだ。でもそういうのは男の僕にではなく女の人にやった方がいい。例えば……」
ルーゲンは口を閉ざしジーナはわざと言葉を切ったと、みた。そして同時に頭の中に思い浮かべるその名は。
「例えば、なんです?」
「なんで僕に聞くのかな? 聞かなくても君は分かっているじゃないか」
そんなのは分かっているとジーナは頭の中に浮かんだ二つの名を消そうと心中で叫び声をあげるも、すぐに途切れまた同じ二つの名が現れて心の面積を占める。
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