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第二章 なぜ私ではないのか

微笑み返しをして欲しい

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「隊長、綺麗な御方が参りましたよ」
「ジーナ隊長、中央の良い女が会いに来ましたよ」
「あれが噂の隊長のあれでしょうか」
「俺は聞いちゃいましたよそうしたらふわっと微笑みまして」
「ふざけていないで訓練に戻れ。視察だぞ今は龍の側近という地位として来ているのだから」
「今はってことはあとは何になるのですか?」
「うるさい」

 宿営地前方において第二隊は訓練をしておりハイネがルーゲンに代わる案内役を伴ってやってきた。

 間が悪く丁度その時の第二隊は訓練の間の休憩時間に入っており、指示から訓練を再開しだしたが、明らかにだれた空気が出てしまっていた。

「俺達の訓練なんてあちらは見たくはないでしょうし、こっちは訓練していますから隊長はあちらの方とお話したらよいのではないでしょうか?」

「ごゆっくり御休憩していてください」

 各々が勝手なことを言いだしその度にジーナは怒鳴っているとハイネがいつの間にか、傍に来ていた。

「ずいぶんと統率できていないのですね」
「いまは訓練の合間ですのでハイネさん」

 音が急に消え反応どころか気配すら消してしまっているハイネを見返した。

「あの、勅使としてきたのですよね?」
「いいえ違いますよジーナ」
「えっ?」

 ハイネは視線を合わせず前を向いたまま言う。

「あなたに会いに来ました」

 辺りからは冷やかしの声は上がらずに感嘆の声が小さく起こる。

 皆が自分に注視していることを感じながらジーナは思わずいられなかった。

 なんでこんなに距離感がおかしいのかと。

「あの、案内人の方が戻っていますけどどうしました? この先は?」

「私が帰らせたのですよ。交代ということで。この先はあなたが案内すればいいのですから」

 ジーナは言葉を失っているとここまで無反応であったノイスが立ち上がり隊員らに告げた。

「では休憩終了。ここから俺の指揮のもと動いてくれ。さっきの続きからやろう」

 ノイスがそう言うと隊員らは何も聞かずに無言で行動を開始しだした。

「おっおいノイス」

 呼びかけにノイスは無視し次々と指示を出していた。そこには付け入る隙がなくジーナも邪魔ができないぐらいであった。

「訓練の邪魔をしてはいけませんよジーナ」

 背中でハイネの注意を聞きジーナは息を吐き振り返ると視線が合った、あの日の夕焼け色の瞳。だからジーナは諦めた。

「それでは勅使ハイネ氏。どこをご案内いたしましょうか?」

「あなたが遥か彼方と思える場所へ私を連れて行ってください」

 小山に陣取った宿営地の先、その山頂付近では遥か彼方までは見通せない。

 もっと高い山が眼の前にあり視界を遮り、せいぜいその周辺を見渡せるのが限界であった。

「視野が狭いですよ。こういうところで暮らしていましたらきっと視野狭窄な人になってしまうでしょうね」

「私の故郷はこんなところでしたが」

「道理で……いいえ私はそのことを知らずにあなたへの悪口を言ってしまいましたね。ごめんなさい、本当のことを言ってしまって」

「全然謝っていませんね」

「あっ怒りました? 怒りましたよね? でも勘違いしないでください。私は故郷の人達は視野狭窄と言ったのではなくて、あなたがあまりにも近視眼的なものの見方しかできないことを詰ったのですよ。そう、あなたは何も見ていない」

 何だ今日は随分と絡むなと景色を見るのをやめてジーナはハイネを正面に立ちその方を引き寄せて、見た。

「私を見て、と言えばいいことをどうしてそうややこしくするのです?」

「だってあなたはこうでも言わないとそこまでしてくれませんよね? 今日は察しがある程度良かったですけど、いつもはもっと悪いですよ」

 向き合ったままジーナはハイネの眼の瞬きを数度見た。鳥の鳴き声が途切れがちに聞こえて消え、また鳴く。

「ねぇジーナ私に会いましたら嬉しい顔ぐらいしてくださいよ」

「そんな不機嫌そうな表情していたらそんな嬉しい顔をするだなんて」

「人のせいにしないでください。私がイライラしているからそんな顔なんですか?」

「まぁそうだなとは、思う」

 ジーナがそう答えると仏頂面なハイネの顔がまた険しくなり眉間にしわが寄り顔全体が中央寄りのしわ面となった。

 何とも不細工な、とジーナが思った次の瞬間に、華が開いた。ハイネの表情から光が放たれ眩しいばかりの笑みが溢れジーナは一歩引いた。

「どうですかこれ。あなたの望んでいた笑みですよ。人に好かれる笑顔で特に男の人が喜びを感じのものですが、どうしましたジーナ? 深刻そうな顔をしちゃって」

「……私は初めて見たが」

「だってあなたにするこういう顔をする必要はありますか?」

「……まぁないが」

 そこで会話が途切れハイネの表情から目を離せないでいると眼はそのままで口が開いた。

「ほらやっぱり人のせいにしただけでしたね。あなたの顔に笑顔が現れません。私はこうしているというのに」

 綺麗に整った笑顔がまた再び歪みだした。

「先ほどまでは隊員の前でしたからあなたの立場をある程度は尊重しました。隊員達の前ではそういうことしたくないのは分かります。それはからかわれて恥ずかしいからということも分かります。私はそういうのは気にしませんが、あなたはするというのことは分かります。だからこうしてちょっと離れたところでこうして一緒に来たわけです」

 一気に言い切ると笑顔が消え真顔が現れた。ジーナがいつも見るハイネの顔であり息苦しさが緩和され息をつくとその眼は釣り上った。

「逆になんでホッとしているんです?」

「いや、どっちかというとそっちの方が安心する」

「普通男の人は女が微笑むのが好きなのですけど。というか人間は微笑み返すものですからね」

「私はあまりそういうことができない」

「何か呪いでもかけられているのでしょうかね。ああなんでこんなやり取りをしないといけないのですか。ねぇジーナ、私は多くは望みませんよ。純粋に真っ直ぐに感情の交流を望んでいるだけですあなたとの間にはこんなに濁り曲がりくねった感情のすれ違いしかありません。擦り合って、痛々しいものしかない」

 ハイネの口から嘆声が漏れ顔を逸らし空を見上げそっちに語りかけるようにして言った。

「めんどくさいのです」

 それはこっちの台詞だとジーナは思いながら返した。

「私以外の男とすればいいのに」

「分かっていませんね。あなたとしたいのです」

 その言葉にジーナは胸に温かみを覚えた気がした。だけれども笑みは浮かばなかった、笑み、呪い。

「はぁ、あなたと話すと相変わらず疲れます。いい加減座りたいので上着を脱いでください。」

 やれやれと思いながらジーナは上着を脱ぎ、丁度いいところにあった座り心地の良さそうな岩の上に掛け、手で示すどうぞおかけなさいと。

 ありがとうと言いながら座るその微笑みの表情にジーナは心の片隅で安堵した。

 そこには自然しかなく意図が無いことに、だが次の瞬間不穏が心を占めた。

「そうこれ、ほらこれ、これですよこれ。私の言いたいことは分かります?」

 なんにも分からない、とジーナ首を振った。ハイネと会話をするとだいたい分からないことしかなく、そもそも私は他人の話が分かったことなど一度もあったのだろうか、とジーナは自問自答による暗い気分に陥った。

「いつも不思議に思うことがこれです。案外にあなたは素直で親切なところ。かなり押しつけがましいところに目をつぶってもです。それに加えてあなたは私にしそうでしないことが結構ありますよね、分かります? って分からないのでしょうから、列挙しますね。あなたは、怒って帰ったり逆に帰れと言ったりめんどうだから適当にあしらったり思考を停止してこちらに全てを預けたり、といったことはしませんよね。こちらとしては別にそうしてもいいのですよ。なんとなくこっちは察しますからこっちはそこまで、馬鹿じゃありません。あなたが私のことを面倒で嫌いならばそうすればいいのです。男女のというか人間関係というのはそういう見切りも大切ですし」

 言葉を切りハイネは左隣に座った男を見上げる。その表情にジーナは暗さと悲しさを感じた。

 明るい口調であったためになおのその顔色は強調されジーナは思う。

 この人は自分の今の表情がなにか、把握しているのかどうか、と。

「でもあなたはそういったことをまるでしない。私のことを嫌っているのに」

 声と表情が一致した。だからおそらく自分もその二つは一致しているのだろうとジーナは思った。

「嫌いじゃない」

 ハイネの顔は変化を堪えているように見えた。どちらの変化はわからないが。

「でも、めんどくさいですよね」
「めんどくさい」
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