上 下
185 / 313
第二章 なぜ私ではないのか

龍の騎士の一族

しおりを挟む
 遠くのどこかの隊による吶喊の雄叫びが聞こえているというのに、この空間は奇妙な静けさに満ちているとジーナ及び第二隊の隊員達は思った。

「歓迎しているわけはないのにどうしてこうも容易く入って行けるのだ?」

「ここが龍の間の入り口になるからですよ」

 ルーゲンは腕を抑えながらそう言った。その声には苦痛の色がまるでないことにジーナは逆に心配となった。

「他の負傷兵も下がっております。ルーゲン師もやはりご一緒に」

「まだそんなことを。僕は下がりませんよ。こんな矢傷程度で使命を放棄できない、君も同じ傷を負ったらそう言うはずです」

 城内に突入した第二隊は第一隊や第三隊らの援護を受けながら奥へ奥へと進んでいった。
 
 戦闘中にルーゲン師は何度も眼の前にいる敵の装備や徽章を確認しながら喜び叫んだ。

「あれは龍の側近の近衛隊です。しかも完全な礼装で挑んできている、つまりここが最終防衛ラインです」

 そのルーゲンの言葉通りに敵は頑強かつ勇敢であるために戦闘は熾烈を極め負傷者が続出し、途中でルーゲンの腕に矢が当たるも呻き声すらあげなかったことをジーナは見ていた。

 ここでも声を、自然に上げない人なのかとジーナは感心とおかしな恐怖心を覚えた。

 戦闘は第一隊と第三隊の左右からの挟撃と第二隊による正面攻撃により近衛隊も突撃に移り、玉砕。

 ジーナを先頭に第二隊はそのまま突破に成功した。第一隊と第三隊は着いては来ずそれで第二隊の彼らは理解していく。ここから先が龍の間となることを。

「負傷者は残してきたがこの先もしも戦闘が続くのならば応援を頼んで」

「ここからは今いる我々だけで進まなければなりません」

 ルーゲンがそう宣言すると錫杖で床を突き先端につけられた幾つもの鈴の音を鳴らす。

 その音は薄暗い龍の間の奥にまで広がっていき、いつまでも消えずに果てしなく小さく響渡っていく。

「それが僕たちの任務であり使命です。後続の部隊もそれを知っているのでいくら助けを呼んでも、来ません」

「私達の任務は分かっているが、この先に護衛のものがいたとしたら」

「いることはあまりないでしょう。先ほど戦った近衛隊が実質的に最後だと、あの時の言葉は嘘ではありません」

 しかし、とジーナは龍の間の広さを見た。照明の小さな灯りのみの為に奥行きは見えなく、また上に登るための階段の向こうは闇に閉ざされていた。

「この広さに兵隊がどこかに潜んではいないかと心配でしょうが、繰り返しますが有り得ません。龍の御前では武器を携えてはならない。これは古来より徹底された掟です」

 龍の前では武器を持つな……ジーナの耳の奥でシオンの声が甦り同じ疑問も甦った。

「掟というがこの状況下でもか?」

「もしくは龍直々の許可がなければできません。この様子では許可が降りてはいないのでしょう」

「ならどうやって龍は自身を守る?」

 言った瞬間に我ながら間抜けな質問だと思ったがルーゲンの表情にそういった嘲りは少しもなかった。

「龍自身が、守るのですよ」

そうだな奴らはそれができる……それは自分がこの場にいる誰よりも知っていることだ。

「ジーナ君」

 再びルーゲンが錫杖を鳴らし闇の向うに目をやっていたジーナの目をそちらに向けさせる。

 目を戻すとルーゲンと隊員達がまだ棒立ちになっている。というよりか誰も口を開かない。

「君は感じていないみたいだが、我々は今つよいプレッシャーの中にいます。これは龍の間において武器を持つ掟を破ったためのものであり、これによって我々の動きや思考が停止もしくは鈍化するのです」

 たいした龍の自己防衛能力だ、とジーナは内心で舌打ちをする。中央に来たらこんな能力まで手に入れたのか? それとも元々有していたのか? そんな能力は一度だって聞いたことはない。その力ならむしろ……

「ソグの僧が杖を持つのはそのためなのか?」

「ご明察の通り。我々僧が杖を常備するのはこれについては龍の許可が降りているからです。
龍を倒すことは不可能ですが人を制圧することは可能です」

 ソグ僧の杖術は捕縛術の技術も合わさりとてつもないものであるとジーナはその訓練中の光景を思い出した。

 その決して平和的ではなくかなりの暴力的な技の数々を。そしてこのルーゲンは杖術の達人でありそのいった意味での師と呼べる存在である。

「今回特別につけたこの鈴は龍の圧力を一時的に除け、気を取り戻すためのものです。君は分からないでしょうがあとちょっとしたら三度目の鈴を鳴らしみんなを動けるようにさせます。武器携帯にこれからの目的が目的なだけに内にある龍への信仰心が制御させるのでしょう。引き返せと」

 若干の苦しさを表情に滲ませるもそれでも淡々と語るルーゲンを見ながらジーナは思う。

 武器を持っていないとはいえこの人は僧であるのにあまり制御がかかっていないのだなと。修行の賜物か?

「それでジーナ君。強がりとかでなく君は本当に龍の力の影響を感じないのか? この凄まじいプレッシャーを君は」

 言われてみてジーナは手を動かし足を前に出し元々回転数の低い頭を回し確認してから答えた。

「まるで感じないです」

 答えにルーゲンが嬉しいためか微笑みジーナもまたいつものように満足感を覚えるも、思う。

自分がそうするならともかく、どうしてこの人が微笑むのだろうか、と。あなたと私は違うというのに。

「なら安心しました。ここにきて君に制御が掛けられましたら予定が狂いかなりの苦戦となるところでしたからね。予定通り君が中心となって動き」

「俺は、動けるぜ」

 隊列からブリアンが一歩前に出た。

「僕もです」

それからアルにノイスも出て来るも三人ともに苦痛を顔に浮かべている。

「二度目の段階で動けるようになるとは……これは心強いですね」

「次は一度目で動くように、する。その次は鳴る前に動く」

 ブリアンは途切れつつそう言うと後ろから来たアルとノイスがその身体を支えた。

「無理をするなブリアン」

「無理じゃねぇ。そうすれば二番手として同行して龍の前に行ける」

 何故こいつは私の邪魔をしようとする。私は一人で、いいというのに……ジーナはそう思うとノイスと目が合った。

 ノイスは無言であったがその視線に非難の色を感じジーナは後ずさりをする。

「ブリアンの強がりはともかく僕とノイスは後続としてついて行きます。僕は旗持ちですからこの場合は特に役には立たないでしょうが」

 アルの言葉を聞き頷いたルーゲンは三度目の鈴を鳴らし隊員達は動き出した。

 それは再びの出発の合図であり走ることが不可能なため一同は歩きだす。場に相応しくないぐらいにゆったりとのんびりと。

 事前の説明で間取りは聞いていたももの暗さのために更に広さを感じ、また歩きのためにどこまでも広大なものと感じさせた。

「……まるで龍が歩けるようになっているような広さだな」

「それはそうですよ。龍となったものが住む場所なのですから」

 独り言をつぶやいたのにあまりにも静かすぎるために隣のルーゲンに聞かれジーナは恥ずかしさを覚えた。

「なんとも間抜けなことを言ってしまい失礼。静かにしないと」

「いえいえいいのです。こんなに重っ苦しい雰囲気なのですから気を紛らわすために話ができるのならした方が良いのです。あちらのほうはこちらの侵入を既に把握しているでしょうし隠しても仕方ありません」

 その声も小さいはずなのに静寂さから跳ね返されたように大きな音として耳の中に入ってきた。

 まるで音に餓えた耳が全ての音を拾っているかのように貪り食らいつく。

「しかしそういったジーナ君の感想は新鮮ですね。我々にとって自明なことを言うので驚きと発見がありまして……ああそうだ君ですから説明しませんでしたが、この先に武器を携帯している戦士がただ一人だけいます」

 重大すぎることだというのにその声と言葉はあまりにも軽く些事であるかのようでありジーナは言葉を失った。

「龍の騎士ですよ。何故龍の騎士というものがいるかといえば、これは常識なので誰も敢えて言いませんが、龍を護衛するためです。だからこそただ一人武器を持つことが許されている」

 龍の騎士と聞いてジーナはシオンを想像し、あの日の長廊下での寸止めの衝撃が胸によみがえった。あの時の言葉とはこの掟のことであり、だから常に帯刀しているのかと。

「あの、それは言い忘れてはならないことなのでは?」

「どうでもいいと思いまして」

「そんなわけないでしょうに!」

 一体どうしたのだこの人は! とジーナはルーゲンを凝視するとあちらは振り返って笑った。

「フフフッ申し訳ない。言い忘れてはいません。わざとですよ。龍の間に入ってから話そうと思っていました。龍の騎士といいましても、偽龍のようにそれもまた龍の偽騎士です。シオン嬢の足元にも及びません。シオン嬢にとっては不肖の兄で、ご両親からは放蕩息子、それが彼です。ジーナ君はシオン嬢から兄の話をお聞きしたことは?」

 それはなかった。ただ初めてシオンに会った時にそのことで妙の反応をされたことをジーナは思い出す他なかった。

「ありませんね。色々な雑談をしましたが今までシオンの兄の話が出たことはほぼ皆無なのではないかと」

「そうでしょう。シオン嬢もあなたが自分の兄のことに一切知識も興味もない人であることがかえって気楽だったかもしれませんね。彼女は自分の兄について話すのがすごく嫌なようでしたから」

「話を聞くにかなりの駄目な人なようですが、それでも龍の騎士という称号を持つからにはそこそこに腕はあるのでは」

「君は実に話しやすい。その腕と手ですが、杯か女の身体を触れること以外のことをしたことがまずないというのが専らの評判でしたね。武具はおろか剣すら子供の頃に持ったことがあるぐらいでしょう。あの細腕で剣が振れるのかどうか。おそらくシオン嬢よりか身長が低くて体重も軽いでしょうね」

 そんなのだったらシオンを龍の騎士にすればよかったのに、とジーナは考えるとルーゲンが顔を見ながら微笑んだ。

 いま、心を読まれたなとジーナは勘付いた。

「彼女が龍の騎士になれなかったのが疑問でしょう。そう考えるということはジーナ君の故郷は男女がある程度は同権傾向にあるのでしょうが、中央の一部の貴族はそうではないこともあります。特にシオン嬢の一族は男に権力を集中させる家父長制でして、龍の騎士は長男でないとならないというのが初代からの掟です。彼女は始めから龍の騎士になる可能性はありませんでした」

「けれどシオンの剣技の腕を見るに次は自分の番だとずっと研鑽を積んで来たものとしか思えないのだが」

 ジーナはあの日の剣先の冷たさが胸によみがえった。

「そうです。男子一系といいますがこの制度はかなり無理をして続けてきましたからね。ここ二代は身体が壮健で無いものが続きまして、本来は龍の警護役であるのにその任を果たせるのかと周りから心配されるという始末でしたからね。幸いもなにも無いですが龍の身を脅かすものなど絶えていなかったのでそれで問題はありませんでした。平和な時代でしたから任務のほとんどは龍の相談役というかお喋り相手にもなっていましてね。だが一族の間で三代目もその方向で行くのは良いのだろうか、と話合いが途中でありましたようで」

  お喋り相手か、とジーナはヘイムとシオンの日常を思い出した。そしてそれがとても昔のことのように、もう無いもののように感じ、慄然とする。そんなはずはないというのに。

「それもシオン嬢がかなりの見込みがあると一族のものが見なしたからでしょう。議論も煮詰まって来てとりあえず一代は特別に女に交代させ、シオンの様子次第で次代からより適性のある方に龍の騎士を継がせる、ここまで辿り着きました。みんなは驚きましたね保守頑迷の最強硬派だった龍の騎士の一族がそのような結論を出すとはと。これで一件落着としたいところでしたが、そうはならなかったのは我々のいま知るところです」

「……龍がその方針に対して横槍を入れたとか?」

「はい。正確には龍の皇子がですね。兄が泣きついたのでしょうが皇子は長子継承派の方に親書を送り、土壇場で逆転させたようです。手紙の詳細は不明ですがシオン嬢では駄目だとはっきりと書いてあったのでしょうかね。騎士よりも悪友を選ぶとは偽龍に相応しい決定ということでしょう。これでシオン嬢の継承の芽が無くなり従来通りに皇位継承者の侍従として、はこちらはもうあらかじめ決まっていましたけどね」

「あの御方の側近としてソグに来たわけか」

「そういうことです。ここについてからもシオン嬢は修練をやめたわけではなく日々重ねてきました。周りから無意味だと見られていましたが、習慣ですし今更やめようもなかったのでしょう。ところがそれが生きたのがシアフィル草原であり、あの撤退戦は龍の騎士の誕生から始まったようなものです」

「龍がいて騎士がいたのではなく、騎士がいたからこそ龍がいたということなのか」

「そうですとも。シオン嬢は自分の従姉妹兼親友が龍となるものになるとは、その時は全く予想だにしなかったでしょうし」

 龍の騎士がそうだとすれば、とジーナは左頬に触れて自らを思う。では龍を討つものは龍の後か前か。

 そんなのはすぐに結論が出た、龍がいるからこそ討つものが生まれた、と。

 あまりにも明瞭な答えのすぐ隣に疑問が待ち構えていた。疑問は口を開き、問う。

 何故そのようなものが生まれたと。龍の騎士は龍を守るものでありそれ自身が存在理由である。

 しからば龍を討つものとは誰にとっての存在理由であるのか?

 すると頬に熱が籠りだしジーナの左手が離れ、声が聞こえた。そこに触れるなと。考えるなと。

ジーナはただ、龍を討ち続ければいいのだと言うかのように……
しおりを挟む

処理中です...