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第3部 私達でなければならない
さようならジーナさん
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例の龍が討たれてから幾日あまりの時が経った。戦争の痕跡は皆の努力によって日に日に取り除かれ修復され治療され、消えていく。
元に戻らないものはいくらでもありそれに対して嘆き悲しむも、それでも人々は今日を生き明日も生きようとの意思を表していた。
ただこの人は違っているな、とハイネはジーナを無言で見おろしながら思った。この人はやはり戦争と共に死んだのでは?
報告書によるとジーナは龍の間における戦闘で負傷し意識不明となったとのこと。
けれども傷の程度は深くはない。傷口が腐敗したり毒が入ったという痕跡もない。
同様の怪我を負ったブリアンはその日のうちに意識が戻ったというのに、この人は、まだだ。
「ショック性によるものかもしれない。無理もない話だ。龍にそのようなことをするとは、心理的葛藤も凄まじいことだったろうしな」
バルツ将軍の同情心に溢れた言葉を思い出すとハイネは鼻で笑う。
この人はそういう人じゃないのですけどね。むしろ喜んでいたのではないかと。
「それってヘイム様のためになるから張り切っていたんですかぁ?」
ハイネは一昨日あたりから語りかけの最中に意図的にあの人の名前を出すことにしていた。目蓋が開いているのなら絶対に言えないその言葉にその名前。
禁忌に触れるその行い、とはいってもこれはあくまでハイネの中での禁忌であり他の誰もこのことを知らないだろう。このジーナでさえも。
ハイネだけは自分はその名を可能な限り言わないようにしていた、それだけである。
ごくごく個人的なことに過ぎない。
いくら語りかけても反応を示さないためにこの間その名を突然放った。自分にとっての禁忌を放てば、もしかして……
だけどもそんな自分だけにとっての禁忌など力などあるわけもなく言葉は受け止められずに跳ね返り宙に浮き、そのまま胡散霧消する。
逆に目が覚めたようにハイネはからかうために積極的にその名前を出すことにしていた。
それはある意味で自棄的で破壊的な、冒涜的な終わりへ向かうための片付けでもあるように。
「あなたがこのまま死んでしまいましたら……私達はおしまいですね」
当たり前すぎて失笑ものな台詞も実にしっくりくるなとハイネには思えた。死がおしまいなら、もう今もおしまいなのでは?
もう語り合うことも触れ合うこともなく、すんなりと終わる。あとはなんにも残らない。残るはずもない。
あの戦闘前の「私がいますからね」は無視されぞんざいな扱いをされ別れたあれが最後だとしたら……
「とても私達らしいですね。結局何にもなれず半端な存在としてのお互いがあった」
あなたは私を愛している、けれどもその愛を自ら拒絶する……ハイネは苛立ちと共に思い怒り呆れる。
いったいなにゆえに? 謎であるこのことが何であるのかを知りたくて、ここまで苦労したとなるとなんとも馬鹿らしい。答えることはついになく自分を最後までコケにし尽くしたこの存在。
「ヘイム様のことを愛している癖に私のことも愛するとか、あなた私のこと馬鹿にしてます?
していますよね、でなきゃそういうことをするわけがないし。だからこうやって私の全てを無視とかするんですよ」
喋れば喋るほど感情が昂ぶりで箱の蓋が外れ漏れ出るは黒く粘ついた感情。乾いていく意識、醒めていき戻っていくその心。
「自分はそういうつもりはないといった顔をしてのあの狼藉。あんなことやこんなことをしている癖に、俺はあなたを愛することができないなんて顔しちゃって、自分が良い男だと勘違いしないでくださいよ。そう冗談は顔だけにしなさい」
誰にも言えない胸にたまり続けた鬱憤を物言わぬ本人に投げてぶつけて続けるとやがて箱の底が見えだし、そこにあるものをハイネは手に取った。ひどく小さい自意識の箱。
「私はどうしてあなたのことをこんなに拘るのでしょうね?」
どうして私がこんな男に? 箱の底にあるその感情をハイネは久しく忘れていた。
あまりにもその上に沢山の感情があり過ぎたからだろうか?
それがいま全部投げ出したあとに胸に去来するこの寂しさは、いったい自分のものかこのジーナからのものか、それすら分からなかった。
「……愛しているとでも?」
それだけではなにか間違いな感じがした。
「私になびかないことに対する意地?」
そうであるかもしれないが何かが足りない。
「それともヘイム様の護衛として?」
それも正しいだろうが、なにか違う。この三つを合わせても欠けている。
建付けの悪い扉のようにほんのわずかなズレによって閉まらないように、見た目は正しくても間違いなあのもどかしさ。
扉といえば、とハイネの意識は過去に飛んだ。まだあなたというものを名でしか知らなかったあの頃。
着替えを終え扉を開くと不意の手応え。跪く男。あのあんまりな出会い。でも恋なんかには落ちていません。変な人だなとしか思えなかった。
あれが無かったら……つまりはもう少し前に扉を開くか遅れてから扉を開いたらあのようなことにはならず、このようなことにならなかった。
扉に額をぶつける、ここから始まり今に到る。私の行動にズレがあったとしたら……そのまま私は龍の側近として問題なく過ごせた。
ヘイム様に対するこんなおかしな感情も生まれずに、迷わず清らかなはずでいられた。正しさの中にいられた。
とするとこれは? とハイネは変わらず横たわるジーナを見る。
「あなたは私を迷わせ曲げて汚した、ということですね。あなたが私をそうさせたのです」
この人がいなくなれば自分はあのころに戻れるのだろうか? ハイネは自分に問いかけると、答えはすぐに返ってきた。
自分を取り戻せる、と。たまたま知り合った男に気紛れで少しのめり込んだ……
こんなのは季節の変わり目にある気まぐれな気分に似ているものであり、よくある話としてこのまま済んでしまえばどうってこと無い話で終わる代物。
自分の中でけりが着けばいまからでも無かったことになる、とハイネは自分の気持ちに整理をつけ息も整え自らのために笑顔を向け頷く。
あなたは正しいと。これはとても正しい判断だと。実に私らしいものだとも。
「じゃあいつもより早いですが私はもう行きますねジーナさん」
返事を待たないつもりのようにそそくさと椅子から立ち上がると扉へと歩いて行く。
あちらの扉は建付けが良い。開くも閉じるも支障なくピタリと寸分の狂いもなく閉まる。
その音を確認したらもうここには来ない、とハイネは自分に言い聞かせ扉を開き身体を半分いれると、止まった。
もしかしてと思考をしだしそれが全身に回った。いまここで身を起こしこちらを見ているとしたら……
そう思いながら振り返るとハイネは苦笑いし自嘲する。
「そうですよねそうですとも。あなたと私はそういうことでした。劇的なものじゃない」
ジーナの姿勢は一切変わっていないことを確認しハイネは前に向き直り扉の外に出た。
「やはり私では私の声では反応しないのですよね……さようなら」
扉は心地良い音をたてながら閉じられた。
元に戻らないものはいくらでもありそれに対して嘆き悲しむも、それでも人々は今日を生き明日も生きようとの意思を表していた。
ただこの人は違っているな、とハイネはジーナを無言で見おろしながら思った。この人はやはり戦争と共に死んだのでは?
報告書によるとジーナは龍の間における戦闘で負傷し意識不明となったとのこと。
けれども傷の程度は深くはない。傷口が腐敗したり毒が入ったという痕跡もない。
同様の怪我を負ったブリアンはその日のうちに意識が戻ったというのに、この人は、まだだ。
「ショック性によるものかもしれない。無理もない話だ。龍にそのようなことをするとは、心理的葛藤も凄まじいことだったろうしな」
バルツ将軍の同情心に溢れた言葉を思い出すとハイネは鼻で笑う。
この人はそういう人じゃないのですけどね。むしろ喜んでいたのではないかと。
「それってヘイム様のためになるから張り切っていたんですかぁ?」
ハイネは一昨日あたりから語りかけの最中に意図的にあの人の名前を出すことにしていた。目蓋が開いているのなら絶対に言えないその言葉にその名前。
禁忌に触れるその行い、とはいってもこれはあくまでハイネの中での禁忌であり他の誰もこのことを知らないだろう。このジーナでさえも。
ハイネだけは自分はその名を可能な限り言わないようにしていた、それだけである。
ごくごく個人的なことに過ぎない。
いくら語りかけても反応を示さないためにこの間その名を突然放った。自分にとっての禁忌を放てば、もしかして……
だけどもそんな自分だけにとっての禁忌など力などあるわけもなく言葉は受け止められずに跳ね返り宙に浮き、そのまま胡散霧消する。
逆に目が覚めたようにハイネはからかうために積極的にその名前を出すことにしていた。
それはある意味で自棄的で破壊的な、冒涜的な終わりへ向かうための片付けでもあるように。
「あなたがこのまま死んでしまいましたら……私達はおしまいですね」
当たり前すぎて失笑ものな台詞も実にしっくりくるなとハイネには思えた。死がおしまいなら、もう今もおしまいなのでは?
もう語り合うことも触れ合うこともなく、すんなりと終わる。あとはなんにも残らない。残るはずもない。
あの戦闘前の「私がいますからね」は無視されぞんざいな扱いをされ別れたあれが最後だとしたら……
「とても私達らしいですね。結局何にもなれず半端な存在としてのお互いがあった」
あなたは私を愛している、けれどもその愛を自ら拒絶する……ハイネは苛立ちと共に思い怒り呆れる。
いったいなにゆえに? 謎であるこのことが何であるのかを知りたくて、ここまで苦労したとなるとなんとも馬鹿らしい。答えることはついになく自分を最後までコケにし尽くしたこの存在。
「ヘイム様のことを愛している癖に私のことも愛するとか、あなた私のこと馬鹿にしてます?
していますよね、でなきゃそういうことをするわけがないし。だからこうやって私の全てを無視とかするんですよ」
喋れば喋るほど感情が昂ぶりで箱の蓋が外れ漏れ出るは黒く粘ついた感情。乾いていく意識、醒めていき戻っていくその心。
「自分はそういうつもりはないといった顔をしてのあの狼藉。あんなことやこんなことをしている癖に、俺はあなたを愛することができないなんて顔しちゃって、自分が良い男だと勘違いしないでくださいよ。そう冗談は顔だけにしなさい」
誰にも言えない胸にたまり続けた鬱憤を物言わぬ本人に投げてぶつけて続けるとやがて箱の底が見えだし、そこにあるものをハイネは手に取った。ひどく小さい自意識の箱。
「私はどうしてあなたのことをこんなに拘るのでしょうね?」
どうして私がこんな男に? 箱の底にあるその感情をハイネは久しく忘れていた。
あまりにもその上に沢山の感情があり過ぎたからだろうか?
それがいま全部投げ出したあとに胸に去来するこの寂しさは、いったい自分のものかこのジーナからのものか、それすら分からなかった。
「……愛しているとでも?」
それだけではなにか間違いな感じがした。
「私になびかないことに対する意地?」
そうであるかもしれないが何かが足りない。
「それともヘイム様の護衛として?」
それも正しいだろうが、なにか違う。この三つを合わせても欠けている。
建付けの悪い扉のようにほんのわずかなズレによって閉まらないように、見た目は正しくても間違いなあのもどかしさ。
扉といえば、とハイネの意識は過去に飛んだ。まだあなたというものを名でしか知らなかったあの頃。
着替えを終え扉を開くと不意の手応え。跪く男。あのあんまりな出会い。でも恋なんかには落ちていません。変な人だなとしか思えなかった。
あれが無かったら……つまりはもう少し前に扉を開くか遅れてから扉を開いたらあのようなことにはならず、このようなことにならなかった。
扉に額をぶつける、ここから始まり今に到る。私の行動にズレがあったとしたら……そのまま私は龍の側近として問題なく過ごせた。
ヘイム様に対するこんなおかしな感情も生まれずに、迷わず清らかなはずでいられた。正しさの中にいられた。
とするとこれは? とハイネは変わらず横たわるジーナを見る。
「あなたは私を迷わせ曲げて汚した、ということですね。あなたが私をそうさせたのです」
この人がいなくなれば自分はあのころに戻れるのだろうか? ハイネは自分に問いかけると、答えはすぐに返ってきた。
自分を取り戻せる、と。たまたま知り合った男に気紛れで少しのめり込んだ……
こんなのは季節の変わり目にある気まぐれな気分に似ているものであり、よくある話としてこのまま済んでしまえばどうってこと無い話で終わる代物。
自分の中でけりが着けばいまからでも無かったことになる、とハイネは自分の気持ちに整理をつけ息も整え自らのために笑顔を向け頷く。
あなたは正しいと。これはとても正しい判断だと。実に私らしいものだとも。
「じゃあいつもより早いですが私はもう行きますねジーナさん」
返事を待たないつもりのようにそそくさと椅子から立ち上がると扉へと歩いて行く。
あちらの扉は建付けが良い。開くも閉じるも支障なくピタリと寸分の狂いもなく閉まる。
その音を確認したらもうここには来ない、とハイネは自分に言い聞かせ扉を開き身体を半分いれると、止まった。
もしかしてと思考をしだしそれが全身に回った。いまここで身を起こしこちらを見ているとしたら……
そう思いながら振り返るとハイネは苦笑いし自嘲する。
「そうですよねそうですとも。あなたと私はそういうことでした。劇的なものじゃない」
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