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第3部 私達でなければならない

小さきもの

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 シオンが告げるとヘイムは硬い表情を見せた。

「……そうか」

「彼も覚悟を決めているということで以前のようにこき使ってあげましょう」

「うむ、そうだな……」

 これか、とシオンは唇を噛む。元気がなくこんなヘイムは嫌だとシオンは見る。

 これ以上その話を発展させる気がないとアピールしているのか車窓から外を眺めている。

 自分はヘイムのことを多く知っている。殆ど知っている、または推測ができるとシオンは自負していたが、

 いまはそれが不可能となっている。心が読めない、分からない。

 ルーゲンとのあの一件以来その話題を避けているようなその態度には手が届かない闇を感じさせた。

 ヘイムとジーナ。あの男は意味不明なことばかりするが、今そこはあまり問題ではない。

 いきなり出ていったときは問題であったが、帰ってくるのならその問題は消えてなくなったので考える必要はあまりないだろう。

 ハイネの件に関しては考える点は大いにあり、龍の護衛復帰もハイネ絡みだったらどうしてくれよう……とも頭を回転させるも、そこも置いておこう。

 だってヘイムには関係ないことだから、とシオンは心の底からそう思い信じていた。

 以前までのヘイムはあの変な男を嫌ってはいないし疎んじてもいない。これはシオンの眼から見て確実と言えるものであった。

 そしてこれだけで貴重だった。それは嫌だとはっきりヘイムが言える存在。文句を直接言える存在。

 反対に反論してくる存在……他にそんなものはいない、いるはずがない。

 このことはバルツに対しては固く口をつぐんでいるが、ばれたらどれほど彼は怒られるのか……まぁめげないとは思うが、切腹とか命じられたら面倒なので黙っているものの、これは自分の意思や方針というよりも、ヘイムの意向、雰囲気を察してのこと、それを反映してのやり方である。

 ヘイムに龍身に何かを言えるというのはせいぜい自分ぐらいでありたまにマイラであり次は……と指を折りながら数えると、すぐに他の指がそのまま直立不動でお辞儀などしない、そんな状態なのである。

 もちろんヘイムは自分自身を律することができるものであり、放埓や堕落の危険性は低いとはいうもののこの先も無いとは言いきれない。

 その為には近くに諫言をするものがいなくてはならない。

 忠義がある……あの男には忠義の欠片もないはずなのに行動がいちいちヘイムのためになっているのがおかしく、変な男だとはシオンは思うも心のどこかでその点だけを信用している自分もまたおかしいと思っていた。

 ハイネ関連は信用が絶対零度的だというのに。

 ヘイムも彼といる時は楽し気で、口には絶対に出さないが、楽しく逆にジーナは辛そうなのが妙な話だが微笑ましく本当の意味で休憩をとっていたようにも見えた。

 彼が最前線に奔ったあとも様々なものが護衛の代わりを務めたり話し相手になったりしたが、代わりになるものは一人としていなかった。

 彼以前もそのようなものがいなかった、これからも現れることはないなど知れ切ったことであり、期待する方が愚かなのだろう。

 そのような存在だった。間違いなくそういった意味では貴重で代役など存在しないぐらいに。しかし今ではそれが過去形になろうとしている。

 いまヘイムはジーナを避けだしている。私が言わなければ護衛という任務も就かせなかった可能性もある。

 逆に今ではルーゲンの方を……駄目だ、どうしても話がそこに戻ってしまうが仕方がない、一周回ったということ。

 このままの流れだとかつてのジーナの役がルーゲンとなりルーゲンの役がジーナになる……そんなにクルクル回り代わっていいものなのだろうか?

 ルーゲンが龍を導くものとなるからそちらの方に力を入れる。人の心はそれほどまでに不可解なほでに単純で切り替え容易で残酷なものなのか?

「……シオンは嫌か?」

 不意にヘイムは声を掛けてきた。何について? など考えもせずにシオンはすぐに察した。

 ヘイムもヘイムでこちらのことは殆ど知っているだろう。私の知らないところまで知っている可能性がある。

 ならそちらも不審さを感じ悩み考えるはずだ、シオンは最近なにかおかしい、と。

 そうだと気付くはずだ。この私がそっちをそう思っているのだから伝わっている、だからそう言ったのだと。

「嫌ですね。最近のヘイムはどこかおかしくて辛いです」

 シオンはそう言うとヘイムは車窓から顔を外し、前を向いた。

 その顔には苦悶が浮かび瞼は閉じられている。見てはならないのだろう、誰かのために……龍のためにか?

「そなたはそう言うであろうな。だがな妾には二つの意思と魂がある」

「ええ分かっております」

 けれども……シオンは不敬だと思いながらも心の中で否定し、抵抗した。そのような事実に対して。

「ですから龍身様の際とヘイムの際は使い分けております」

「以前ならそれで良かったのであろうが、この先は分かることは無くなるであろうな。龍とは妾のことになり、これから一つになるのだ」

 ヘイムは言いながら瞼を開こうとしたのを見たシオンは逆に瞼を降ろした。何も見たくないと。

「身も魂もな。龍化は進んでおる刻一刻と少しずつ中央に近づくのと比例してな」

 私が瞼を閉じる理由なんてないはずなのに、どうして閉じた?

 シオンはヘイムの言葉を聞きながら闇の底へと思考で以って手を伸ばす。

「はい、分かっております。それでも私にとってのあなたは」

 冷たいものが指先に触れ手に乗せるとそれはなにか小さなものであった。

「なに……自然に変わっていく。シオンはそれがただ他人よりも遅いだけだ」

 掌に載せた小さなそれは自然に風化しているようにますます小さく軽くなっていくのをシオンは感じる。

 砂でできているように、儚く消え去っていき、何も残らないことが約束されている存在の如くに、そしてそれとは……

 叫ぶ代わりにシオンは瞼を開きヘイムの右手を強く、握った。

 だがヘイムの眼は驚きも何も反応を示さなかった。これを予測していたのか? それとも認識が追い付いていないのか? それとも……

「なんだ寝ぼけたのか? あれであろう? 高いところから落下する夢でも見て縋りついたところだろ? 違うか?」

 夢? とここで初めてシオンは自分が眠っていたかもという可能性に気付いた。あの意識が遠ざかったのは、眠ったのだとしたらあのイメージは……

「あっごめんなさい。眠ってしまったようで。高いところから……いや、まぁそんなものです」

「なんだ歯切れが悪いな。そっちを向いたら瞼をつぶって寝ているのかなと思ったらいきなりガバッでガシッだ。妾で無かったら悲鳴をあげとるぞ」

 どこからが現実と夢だったのか? そんなことはシオンには分かりようが無いものの、それよりもどうしてあの夢のことを言えなかったのか?

 言えないということはそれはつまりあれはそれだと自らが認めているようなもので……

「もう到着しそうだな。それでは案内を頼むぞ、龍の騎士シオンよ」
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