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第3部 私達でなければならない

『痛みと苦しみと共に甦る』

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 苦しみが薄れているのは意識を失っているからなのか? とあの時はそれを思った。

 もはや時間の感覚は無く周囲の声も聞こえては来ない。

 シオンの声や叔母上の声すら大昔のようにはるかに遠ざかり、うるさいぐらいに自分を取り巻いていた音はいまでは何も聞こえず、苦しみで呼吸すら耐えきれなかったというのにいまでは何も感じず、むしろ安らかであった。

 死が自分を迎えに来るのだろう。

 暗い夜の底に果てしなく落ちていく感覚の中にいて、声が聞こえる。ずっと聞こえる。

 それは人の言葉どころか声ですらないのに聞こえてきた。その死と血の臭いと共に。

 考えもしない、考えられないものが湧いてくるときはそれが伝えてきているのだろう。

 それは伝えてくる「龍となれ」と。繰り返し伝えて来る「龍となるもの」になれと。

 自分にはその資格などない、と思うもそれは重ねてくる。龍はここにいる、龍はここにしかいない……

 もしもそれが龍であるのなら……これが龍命であるのなら……

 沈みゆく闇の中で左手を伸ばすと何かが指先に触れ、それから左半身に激痛が走り、息を一気に吹き悲鳴をあげる、と懐かしい声と顔が辺り一面に広がっていたものの、意識を失った。

 痛みと苦しみと共に自分は甦る。

 そこから再び目覚めると世界が全ての意味において変わったことを知った。

 多くのものが失われていた。自分の左半分は失われ自分のものではなくなっていた。

 これは誰のもの? とは左手を右手で触った時にすぐに分かった。あの時に自分の中にいた龍、それがここにいると。

 それはもはや語りかけてもこないが、何故自分はこうなり何をすべきかは目覚めた時から分かっていた。

 中央に行き龍となる、その使命。そうであるから自分は生き返り龍を宿しているのだと。

 だけども分からないものが一つ、あった。怒りがあった。意味不明な感情があった。

 憎しみ、この行き場のない不可解な憎しみはいったい……

 その心は胸の奥底に沈めその使命のもと闘い祈り続ける日々の果てに、区切りがあった。

 ソグの龍の館にて一人の男を待ち、そして訪れたその時。

 あの男の姿を顔を見たとき、印を見つめるとあれが目を背けた時に分かった。

 あれが、それなのであると。憎まねばならぬ相手であると。

 けれども自分はそれと同時に抱いた。その懐かしさ……愛しさを。

 そして気づいた……このうちにもとより宿りし龍の……このものへの感情も。
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