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第3部 私達でなければならない

ヘイム様のせいです

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 厳重なる龍門を守る屈強なる門番たちは門に近づいてきた女のその顔を見ただけで門を開きそのまま女は入っていくも門番たちは怪訝な顔をした。

 いつもなら何らかの挨拶をするというのに、それをせずに俯きながら歩いて行くその後姿を眼で追いながら門番たちは一同に目を合わせた。

 あれはどうした? というかさっき少し出ていくときも眼が殆ど死んでいたが。お役目はお辛いのだろうか?

 いやいや龍身様の傍にいると重圧が半端ないのではないのか? うーんだが俺が見る限りあれは違う気がするな。すると? あれはな何か事を起こす寸前の雰囲気だぜ。俺が以前に浮気をした際に……その女は……俺でなく……


 ハイネは階段を昇りながらこの二刻ほど止まずに続く錯綜し散らばった状態なまま思考をまとめることにした。

 そうしなければこの階段は昇り切れぬと。あれ? というかいつの間に階段を? ということは龍門を通った?

 誰も呼びかけも止めもしなかった? まぁどうでもいいこと。

 いま考えるべきことは、とハイネは見上げ見下ろし階段の中腹にいる自分の位置を確かめた。

 ちょっと上寄りの真ん中、ここが私の立ち位置。

 前提としてここに立っている私とは、私とは……龍の最側近。これがハイネ、と自分自身の確認が済んだ後に階段をわだかまりなく昇ることができた。

 中央の没落待ったなしな貴族に生まれ親との折り合いは悪く破綻していてこちらに戻ってからあの耳敏い母親……とは言い難いあの人から定期的に手紙を貰っているけど、まだ一枚も開封していないしこの先に開く予定は、ない。いい気味ってところよ。

 実父が亡きあとソグの全寮制の仕官学校に入学してから継母とはもう縁は切れたとしか思っていないしそれはあっちが望んだこと。

 卒業後は二つほど歳上で学生時代の先輩であるシオン姉様のもとに派遣され、ソグ皇女の御付となった。

 このまま行けば姉様はそのうち結婚し自分が姉様の後釜に座り、その次に来る後輩にその席を譲り……と継承を繰り返し地元の貴族に嫁いでソグ王室を支える一員としてシオン姉様と共に頑張ったのだろう、と。

 そうはならなかったのは例の乱が起こりシアフィル平原からの撤退作戦で死地を脱出したことによってから。

 その際に私はヘイム様を……龍身を命懸けで支え生き残った数少ないメンバーであり、いまの女官の上位職はその者たちで構成されている。ちなみにキルシュは途中からの合流組。

 この前提を考えている最中にハイネは自分が階段の上半分に到達していることに気付いた。

 そうこの調子、ここにいるのは公人であり、私情によって心をなど乱されてなどいない龍の最側近だと意識し直すとハイネの背筋が伸びた。くよくよしている場合ではない。

 ここにいる側近は龍に対する忠誠心は厚く堅硬であり新しき龍の治世のもとでは力の限りを振るって、とハイネは実際に両手を振るが恥ずかしくなって上と下を再び目をやり誰もいないことにホッとした。

 ここでは、自分一人。新しく昇ってくるものも降りてくるものはいない。天地の狭間にあるのは我のみ。

 だからこそ考えはまとめられる、完成することができる。ここで意識を整えることができたのなら、より高みに、解決へ向かえる。

 よってここで先ず自己解決とその対策を煮詰めなければならない。煮詰めという言葉の意味は余分な水分がなくなるまでとことん突き詰めることである。

 ハイネは瞼を閉じ闇のなかしばし心を無にした後、開眼し心に浮かびそれを、言葉にした。

 ……この龍の側近には最近懸念事項がある。龍身様ことヘイム様と龍の護衛であるジーナの件である。

 ここでハイネは階段を思考に合わせるようにして昇りだした。

 二人の仲は再会後急速に進んでいる。

 だがこれは傍目からでは分からない。この件に関して何故か鈍感なシオン姉様はもとより龍に畏怖しっぱなしなキルシュや女官たちもそのことは見抜くことはできないだろう。

 なんといっても彼はソグの龍の館時代とまるで一緒のことしかしていないのだから。受け答えから反抗するタイミングまでまるで成長していない。

 その点であの人も一切変わってはいない。わめいて説教して嘆いて疲労する。

 ほぼ新しい女官たちはこのことでとても衝撃を受けて動揺しているが、そこは古い女官らがカバーしているから事なきを得ている。

「いつものことだから。龍身様もああいうやりとりでストレスを発散させているから問題は無いのよ。いわば王様の傍にいる道化みたいな関係」

 その道化役があの戦争の英雄という点であるのが不可解なものの、それ以外に考えようが無いために女官たちはここのところは落ち着き、挙句の果てには「そうか。この人がいなかったら龍身様から説教されるのは私達かもしれないのね」と眼前で繰り広げられる怪奇現象に対して合理的な結論を無理くりに出して納得する心理となり、幾分かの感謝の気持ちを含めてジーナを見るかもしれない……いや、そうじゃない、断じてそうではないとハイネはいつも彼女たちに説明したかったが堪えた。

 堪えざるを得ない。何故なら私は、と階段の先にある空に向かって呟いた。

「龍の最側近だからです」

 言えども蒼天は何の反応も答えもしない、それ故にハイネの心は少し楽になった。そういうことにした。

 まさかジーナがヘイム様に懸想をしてあの人もジーナに懸想をしているだ、などあってはならないことであり、誤りが起こる前に内部で処理しないといけない。

 誤りとは、なにか? このキーワードを思い浮かべるとそれと一緒にハイネは胸に錐が刺しこまれ回転するような痛みが生じるが、耐えた。

 ただの女官ではなく龍の最側近であるから耐えられる。

 それは以前に見た白昼夢。閃光のように脳内でパッと輝き脳裏に残影として焼き付いたようなあのイメージ。

 ハイネは見た。ジーナがヘイム様を連れ去っていくその姿を……けれども最近ではそれは誤りだと覚りだした。

 連れ去るのではない。ジーナは無理矢理に連れ去りはしない。

 ただ一緒に行くだけなのだと。合意の上での、駆け落ちだと。

 そしてこれはジーナの心の問題ばかりではない、むしろジーナはかなり堪えている。抗っている。そこを私だけは理解しているし、この私が保証する。

 唇は熱を帯び肺は熱くなる。私の身体は覚えている。

 最大の問題は……そう! ハイネは足裏を階段に力強く踏み込んでから口に出した。

「あの人の、ヘイム様が問題というよりかは原因である」

 完全な仮定になるけれどもしもジーナの心があの人に靡かずに取りつく島がないほどに無関心かつ冷たい態度をとっていたのなら、間違いなくジーナはあれ以上自分の心を相手には押し付けはしないだろう。

 彼はそういう男であり、だから護衛を一端は退職し遠くに行こうとした。それは素晴らしい判断だった。

 自らが引く……それができる男なのが彼だ。まぁ色々とあってか彼は戻ったわけだけど、そこに非は無い。

 バルツ様やシオン様に要請されたら彼もこれ以上は断り切れなかった、そういうところだろう。

 こうして辛い思いをするであろう場所に帰ってきた彼に対して、あの人はソグの龍の館時代と同じ態度をとろうとしている。

 まるでいなくなっていた頃のことを忘れあの頃の続きを気にせずに再会せよというかのように……もう、そんな、段階では、ないというのに! まことにもって許しがたい。

 あの人は鈍感などではなく鋭すぎる感性を持つ人だ。龍身になってからは言葉少なになったものの心の中は沢山の洞察による言葉が溢れているだろう。

 それならばジーナの心を想像するなどいとも容易く想像できるというのに、そんなジーナの心を敢えて無視してそんなことをするなんて……信じられない。

 もしかしたらあの人は理性を失いつつつあるのでは? 龍への重責に耐え切れなくなった可能性もなくはない。

 自らに架せられた宿命への癒しを一人の男に求めるということもあろう。だがその対象がどうしてあんな男であるのか。他のでいいはずなのに。

 ひょっとしてそれは始めから? 出会った時からジーナへの愛に目覚めていたとか……

「ちょっと……冗談じゃない! 彼は私と! 違う! 待ちなさい! 私情を挟むな!」

 自分で言った言葉に激昂しハイネはハイネを叱った。

「あなたは龍となるものです。その私情は、大罪です」

 宙に向かってお説教をし、興奮を冷ますためにかハイネは階段を早歩きで昇りだした。

 いったいぜんたいに龍となりルーゲン師と一緒になる、それのどこに不満があるというのか?

 あの人の心はいま混乱の真っ只中であるのかもしれない。

 ルーゲン師がいたらルーゲン師に、ジーナがいたらジーナに、と共に居る相手によって態度が極端に変わるその支離滅裂さ。なに? 浮気性?

 ここのところ、というか偽龍討伐後は心が安らいだのか一切不明であるもののルーゲン師に急接近し仲が深まっているのは心の底からありがたいが、そのルーゲン師がいない時はジーナにべったりと……さっきだってそうだ。

 あの荒れ果てた庭園をわざわざ歩いていたのは人目を避けてのことであり、そこを選んだのはヘイム様に違いない。

 あそこで将来の相談を、駆け落ちの話をしたのかもしれない……いやしていない?。

 していないが、なにかそれに類した重要な話はしているはずだ。

 そうでなければ二人が私を見た時の雰囲気や眼の色があんな妙なものになるわけがない。

 これは私にしか分からないことであり、私であったから察することができたこと。

 間違いがあるはずがなく、そうであるからこそ主体的に私が解決する問題。

 あのまま二人を一緒にいさせてしまうと仲が進んでよからぬことが発生する可能性が極めて高い。

 厄介なことに……認めるのに抵抗があり心苦しいがシオン姉様はいまの関係を心のどこかで望んでおられていて、ある日突然にあの人の口から天地崩壊的なとんでもないことを打ち明けたとしても、姉様は苦い顔をしつつも仕方がありませんね、と容認してしまう姿を簡単に想像できてしまう。

 そうなったら私は……いや、私のことなどはどうでもいい。どうでもいい! 私は気にしていない。

 優先するは世界の秩序と平和。あの人の浮気な願望は世界の秩序の崩壊と戦乱を巻き起こす悪そのもの。

 アナーキーな選択肢をとられそうな状況を指をくわえて眺めていることは許されない。私は龍の最側近なのだから。

 けれども、まだ救いはある。例のジーナとルーゲン師が二人が同時にいる時はこれも理由は不明だが、あの人はルーゲン師により近づく事が多くジーナをほとんど無視する。

 一方のジーナもあの人からちょっかいを出されなければ進んで何かを言うことも起こすこともない。

 だからもろもろの原因はあの人に、なる……この調子だ。原因さえ明白に掴めれば対策も立てられる。

 この場合におけるシンプルな解決策はルーゲン師とあの人を結ばせる。

 まぁこんなのはずっと前から分かってはいたけれど、ちょっと悠長すぎた。まさかここまで手こずるだなんて思ってもいなかった……

 衆目一致で誰一人として反対など……一人反対しそうだけど……するわけがない組み合わせで時間の問題だと油断しぎた感がある。

 御進講の時だけだなんてもうそんなことになどせず、龍の婿としてヘイム様の夫としルーゲン師は四六時中傍にいるべきだ。

 朝も昼もついでにそのまま夜も一緒にいればいい。そうすれば晴れて立派な夫婦となり子供も出来たらそれは秩序ある世界の証となるのだ。

 あの人がそうなればジーナは自動的に……そちらがそこまで望むのなら私は我慢してあげますけど、こっちに来る。

 世界の秩序の為なら仕方がありません。私は、世界の為なら自分を犠牲に出来る女ですから、大丈夫です、無理などしていません、受け入れます。

 ハイネは長い息を吐き見上げるともう階段の最上段が目前となっていた。この先に戦いが待っている、と掌を固く握った。

 私は、間違えてなどいない。そもそもの話、本当の本当にあの人とジーナが結ばれることなど、有り得ないのだ。

 それなのに二人とも……何をしているのやら? いいかげん正気に戻っていただきたい。

 胸の中に秘めているだけならこちらは我慢してあげますけれど、それを表に現すことなどあまりにも目に余る。けどそこもまだ堪えられます。

 だけどもその先は……ハイネは自分の言葉の強さに耐えるかのように歯を食いしばり倒れないように足に力をいれる。

 ここで倒れたらおしまいだ。私自身の命はもとより世界の秩序と平和も、それに加えてジーナも。

 あなたは龍となるものであり、その使命を背負うのだから、その使命を放棄しジーナを愛しここより彼方へ行ってはいけないのです。

 なんのために我々はここまで命を賭けてきたのか。その選択肢をとることは大罪であり死で以って償う他ない。

 そう、私は何ひとつとして間違えてなどいない。一点の誤りすらない。

 全て間違えているのはあの人にジーナそしてシオン姉様なのです。

 自らの言葉に頷いたハイネはもう考えず階段を昇りだし、次第に見えて来る前方の龍の休憩所に目をやると、全員がいた。

 本来ならもう御進講の時間は終わっておりいまは休憩の終わり頃なはずである。

 そうであるのにまた御進講が行われている。いつもであるのならまずないことであったが、その理由をハイネはすぐに察した。

 例の荒野と化していた庭園の件が尾を引いているのだろう。ということは私が去ってからもあの二人はなんらかの遅滞行為をして……

 ハイネは眉間に皺が寄り目端が痙攣したが、一転笑顔となった。これは好機だと。

 重要な役目がそれぞれにある私達は基本的に会議の時以外には全員集合することなどないように調整されている。

 今日の場合は私が到着したらもうルーゲン師は下がっているし、明日は一日中ルーゲン師はいない。

 ごくたまに私とルーゲン師がここにいても、代わりにシオン様がいない日もある。当然ジーナがいるというのも見逃せない。あなたの前でしなければならない。

 まさかあの有り得ない事件のおかげで一同が会する時が生まれるとは……これは一つの導きと見做してもいいのだろう。

 全員がいる、またはこの際は邪魔な他のものもいないという特殊な空間など次回以降いつ起こるかどうかも分かりはしない。

 有るといえないのならそれは無いということだであり、その可能性にすがることは、避けねばならない。

 ルーゲン師は御進講が終わったのならすぐに帰ろうとするはずであるから一緒にいられる時間は短くはたしてどれほどか?

 いいや留まって貰えば良い。師にとってはいまというかその人生でこれ以上に重要なことなどありはしないのだから。

 目配せをすれば察してくれるはずだ。師はジーナと違ってとても勘が良いのだから通じる。

 通じて少し時間をいただくも、どう切り出すか……ふっ構うものか一気に切り出して進めばいい。当たって砕けろな体当たりというところだ。

 ハイネの足は階段を昇り切り平場に立ち進むも、まだこちらに誰も気がついてはいない。

 ルーゲン師が語り龍身様が微笑みながらそれを聞き、なにか話している。とてつもなく良い兆候だとハイネも釣られて微笑んだ。

 いまの龍身様はルーゲン師にあからさまなほどに好意を示している、これに乗じればいい。

 思えば、とハイネはヘイムを見ながら一つの寂しさを覚えた。あの人はある意味で哀れな心理状況にありいわば混沌の中にいるのだな、と。

 光と闇、正しさと誤りの狭間でもがき苦しんでいる。正しき方へ導き救わなければならない。それができるのは私とルーゲン師だけだろう。

 足取りが早くなるハイネは朗らかなルーゲンと龍身の左右にいるシオンとジーナに目を向けた。

 シオンは会話に参加しているが、どこか暗い雰囲気を漂わせており、まだこちらにには気づいてはいない。

 ジーナは、そう気付いている。目が合っていないというのは言い訳に過ぎない。あなたは私にはじめから気付き、気づいていない振りをしている。

 だってそうですよ、とハイネはさらに笑みを投げかける。あなたの見るものはいまどこにも無いのですから。

 見ますか? その二人のことを。見れませんよね。だから他の何かを見なければならない。

 だから前方の空を見るのですが、同じ風景から私が現れたことをあなたはきっと驚きと同時に喜びましたよね?

 ほら、目が合った。はじめて合ったふりをしているけどそれは何度目でしょう?

 広場半ばまでくるとシオンがハイネの登場に気付き嬉しげに手を振り、そこからやっとルーゲンと龍身が振り返り、慌てだした。

 時間を忘れていたのだろう。それぐらい楽しかったとアピールをしているわけである。誰に対して? それはその隣にいる……

 ここでやっとジーナがこっちにはじめて気づいたように会釈をした。なんて下手な演技なのか、他愛もない。

 大丈夫ですよジーナ。私があなたを救いますから、とハイネは会釈と共に心の中で伝えた。

 自分の行動は全てみんなのためになりひいては彼のためにもなり、私達のものになると。
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