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第3部 私達でなければならない

龍に会いたい

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 ジーナはルーゲンの方に近寄るとその顔に緊張の一瞬走り、すぐに消えた。

「せっかくなので私と歩いていただけませんか? なに軽く一周程度ですが」

「もちろん良いですよ。せっかく毎日待っていたのですからね。もっともここを歩くとは想定していませんでしたが」

 ルーゲンが傍らに来ると香の匂いが立ち昇った。儀式の最中であったのだろうか、それなら今は休憩中であるのか?

 いやそれは無いなとジーナは聞かずとも判断した。いま、この人は、私に会うことが何よりも大切なことであり、それは呪龍も許可を与えているのだろう。

「会いたかったですルーゲン師」

 ジーナはルーゲンの手を取り、告げた。その掌は一度大きく反応をし、それから小刻みな震えをジーナは感じ取る、それこそそのまま手に取るようにして。

「僕も、会いたかったですよ」

 緊張を含んだ声で返ってくるのを聞きながらジーナは自分がこんなに落ち着いているのは何だろうかと少し考えた。逆ではないのかと。

 いま自分は敵の中にいるというのに、いま自分は呪龍の最側近の待ち伏せを喰らっているというのに、一切の懸念は無かった。

 思うまでもなく、自分はこれまで一度もこの人を敵だと思ったことはなかった。いまも感じず敵意すらない。しかも互いに。

 戸惑うとしたらこれなのだろう。私も、そちらの、そうルーゲンも。

 互いに反対側の存在であるのに、この先、敵として相対峙するというのに。

 ジーナはそのままルーゲンの手を引き歩き出す。ルーゲンも抵抗なくその手を握り横に並び、歩いた。

 その手は自分の手とはまるで違うというのに、他人のものとは感じられなかった。

 靴の裏に草の残り茎を踏みながら二人は無言で歩いた。空はまだ陰鬱な灰色。

 ずっと、晴れない。あの日からだとジーナは覚えている。

 自分が龍の護衛の仕事を終えた日は晴れであった。そこから先、空には青が戻っては来ない。

「草を刈られたのですね。残るのだと思っていましたから驚きました」

 ジーナは口を開き、まずそこから始める。その脳内にヘイムのあの時の声が再生された。

 ついこの間のことであるというのに、声がとても遠くから聞こえてきた。

「危険だということで龍身様からのご命令です。かなりかかるのかなと思っていましたが、すぐに終わりましたね。ジーナ君は驚いたでしょう? まさかこの狭さだったなんて。僕も驚きましたよ。この程度の空間だったとはね」

 自分が驚いたのはそれだけではない、とジーナは思うも言葉にしなかった。

 このズレは良いなとジーナは思う。自分とルーゲン師は違う。

 この発見をジーナは求めていた。そう望む理由は分からなかったが。

「あの日は長時間歩きましたからもっと広いと思いました。もしかして草のせいで歩くのが遅くなったかもしれませんけどね」

「それはありえますが……」

 二つの草の茎を踏む音が小さく鳴る。

「しかし物事の多くはこういうことの繰り返しですね。実際に行い到達すると、なんだこの程度かと思う。人生はこの積み重ねかもしれないのです。全体が見えないから、見えにくいから広く大きく見てしまう。当然その中にいては全体において、いまいる自分の位置が分からない。これはそのまま自分を見失うということで、迷子です」

「そうならないためにも邪魔な障害物を取り除き、または導き手が必要ということですね」

「ええ、まさにその通りです」

 残っている太い茎を踏みその痛さが靴を貫き足の裏に届くもジーナは歩調を乱さなかった。いまはそれはどうでもいいことだった。

「君は障害物を斬りながら進むタイプだと僕には思えるな」

「あなたはそのまま手を取り導くタイプに見えますね」

「そうは言っても君もいまのように導くもののようなことをするじゃないか」

「私は違いますよ」

 違うのだ、とジーナは嬉しさから苦笑いをする。

「私は、あなたと違ってどこにも導きません。同じところをぐるぐると回るだけです。どこへも、行かない。ここで行う散歩のように、です」

 ジーナはいままで何度もヘイムの手を取り歩いたことを思い出す。

 どこにも連れていってはいなかった。何周か回ってスタート地点に戻る……結局一歩も進んでいない。

「どこかに行かれましたら困りますけどね。まぁ君は切り開いていくタイプでしょう。密林を敵陣をその手で以って切り開き」

「あなたが誰かと手を取ってそこを歩く……そういうことかもしれませんね。いまは、逆ですが」

 ルーゲンは何も返さないためジーナはまた考える。自分は今までずっと切り開いてきた。ただ一つの目的のために、果たすべき使命のために。

 ひたすら進み斬り、ここまで来た。それが、ここなのか? と改めてジーナはこの狭くて小さな空間を見つめた。

 何も、無い。そうだここと同じだと。あと残る一つの龍を斬れば終わる。そしてここを去り一人で……一人で……

「西へ行きなさい」

 突然、ルーゲンが告げジーナは握っているその手を強く握るも、反応はなかった。

「ジーナ君。それが君にとって最もいい」

「ルーゲン師にとっても都合がいいのですよね」

「……そうだ。龍身様もそれを望んでおられる」

「だけども私はそれを望んではいません」

 この答えは予想通りだったのかルーゲンの表情に敵意どころか失望の色すら浮かばなかった。あるのはいつもの表情とその雌雄眼。

「君の望みはなにかな」

 誤魔化すことは簡単であり、そうすべきなのだろうとジーナは分かってはいた。

 だけども嘘の言葉は探れどもどこからも引き出せなかった。

 昔から、そうだった。出会った頃から変わらない。

 自分はどうしてかこの人にだけは嘘をつけない。ついてはならない気が、する。

 意識のどこかがそれを止めようとする。まるで遠い昔に嘘を吐きそれによって大きな後悔が生まれたかのように……

「僕に教えてくれ」

 無言で以って答えたいもののルーゲンは催促する。はじめてこのような催促をされたとジーナは思った。

「君は誰にも今までそれを話していないはずだ」

 そんなことは無い私はいつも言っている、とジーナはルーゲンの瞳を見ながら思う。

「僕にだけは教えてもいいはずだ」

 何を教えるというのだ? 言葉だけならこの人は知っているはずだというのに。

「僕と君との関係なら……」

 それは違う、だがとジーナは思う。この人なら分かるはずだと。

 この人にだけなら分かるはずだと。決定的な響きをここで鳴らせれば……そうだ言わなくては、ならない。

 ルーゲン……龍を導くものよ。私は、あなたとは、違う。それを教えよう。

「分かりました。では龍を導くものよ。一緒に言おう」

 名を呼ぶとルーゲンの眼は微かに見開かれ、現れる瞳は喜色を浮かばせ、一度瞬きをする。

 それが過たず合図だった。

「僕はねジーナ。龍に会いたいのですよ」
「私はなルーゲン。龍に会いたいんだ」
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