龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

文字の大きさ
309 / 313
第3部 私達でなければならない

そうではないもの

しおりを挟む
 ヘイムの言葉にジーナは振り向き、目が合う。見えなくても、見えた。その瞳はいつものように静かで透き通った色なのであろう。

 しかしそれは命が失われていくようなその色を見ているとジーナは憎悪が湧き怒気を抱いた。

「そうしたらそなたの願いが叶うな。ここまでご苦労であった。そなたは龍に会うために、龍を討つために、ここまで妾を導いてくれたようだが、それでも妾は数々の武勲に対し感謝をしている」

 力が抜けるのをジーナは感じヘイムの手を強く握ることができなくなっていく。

 少しでも動いたら離れてしまう、そんな限界が迫っていく儚い繋がりがそこにあるかのように。

 だがヘイムはそのことに一切気を遣わずに、語り続ける。

「妾らがいまいる場所が分かるか? ここが龍と人の間となるのだ。ここから下が人であり、ここから上が龍だ。妾は、そうなるためにここを上ってきた。上るためにここに来た。そなたもまた、同じことをしに来たのだろう」

 そうだ、とジーナはヘイムの言葉を肯定するも、首は頷かない。止めている。

 何かが止めている。

「そうであるからそなたもまた、ここから下が人であり、ここから先が討つものとなる。妾の中にいる龍を、討ちにな。ある意味でそなたも、龍だ。討つものという、龍」

 ああ、とジーナは何かを悟ったような気がし、手の力がまた抜ける。

 私の中にある、何らかの意思がそれを告げる。そうであると。

 それが真実であると。それに従えと……龍に従えと。

「よって、ここにいるのだ龍を討つものよ。妾はここから一人で階段を上り、龍となり、そなたと相対峙する。それが互いの使命であり、互いに望み続けたものであり、互いの宿命だ。相違ないな?」

 相違ない、とあの声が湧き身体を縛り付けてくる。ヘイムの手の力が更に緩まっていく。

 同意の言葉を声に出し手を離したら、それは終わりであり始まりであり、それから始まり終わるのであろう。

 そのためにここに来たのだから、受け入れろ、とジーナは心の中で言った。

「受け入れるよ」

 ジーナの口から言葉が漏れ、もう手と手ではなく、指と指、そして指先へと離れていく中でジーナは見上げる。

「なら手を離せ」

 もう離れだしているのにヘイムはそう言った。言われなくてももう離れ別れる。そして階段を上がり龍となる私は……

「もう離している……」

 ジーナは口から出た自分の声に違和感を抱く。これは、誰の声だ?

 自分の声ではない、自分はこんな……涙ぐんだ声を出さない、出すはずがない。するとヘイムの表情が脳裏に浮かんだ。

 見えていないのに、いまの声すら聞こえていないのに、ヘイムは無言で泣いている。涙の音はしない、だがそうであるはずだと。

 その涙は私に対して? 私の涙に対して反射して? それなら、そうであるのなら、いまこうして手が離れていくのは……自分の意思によるものだとしたら、だからジーナは……男は、右手を印に当て、爪を立て刺した。

 自分の内からうめき声が聞こえ、左手の指が、左手が伸び、微かに力が入り掴む。そのヘイムの手。

「手を離せ」

 ヘイムは言ったがジーナは首を振る。

「手を離せ。手を離せと言っている」

 だがヘイムは口でそう言うのみで手を振りほどこうとはしなかった。出来るはずだ。

 この僅かな力でしか握れない手だとしたら、ヘイムにだってできるはずだ。

「ヘイム、聞いてくれ」

 なにを言うのだ、とジーナは我に返った。私は何を伝えたいのか?

 ヘイムは沈黙のまま待っている。私を、私の言葉を待っている。

 なにを望んでいる? それは分からない。逆に自分は何をヘイムに望み欲しているのか?

 ここまでして歩き、手を掴み、行かせないようにする、その意志とはなにか?

 分からない……この闇のように、何も見えない。だが歩き続けてきた。

 ひとつの目的のために……あと一歩まで来た。なにをヘイムに言う? 言うことは一つしかなかった。

 私は一本の道しか歩いてこなかった、だから、とジーナはもう一度言い、語る。

「ヘイム、聞いてくれ。私は無限の試練を乗り越えここまで来た。それは龍を討つためにだ」

 ヘイムが無言のまま頷いているのを感じた。

 こんなに分かり切った話であるのに、何も言わずに初めて聞くかのように。

「私は使命のために生きてきた。西の地から砂漠を渡り内乱に参加し幾度もなく戦い血を全身に浴びながら戦い、殺し合い勝利し続けてきた。けれども、私にはなにもかもが耐えられた。それは私が選ばれたものであり、使命を背負った戦士であり、それが栄光であるからだ」

 まだジーナは分からない。この自分の言葉の意味が、なにを、なにを、なにをヘイムに伝えようとしているのか?

「私は、使命のなか恍惚さに包まれていた。撤退戦のなかソグ山の決戦のなか私は叫び続けた。自らの罪を討つために龍の元に行くと。そうだヘイム。私は龍を討たない限りどこにも行けない、帰れない。そういう存在なんだ。この身の全てをその使命に捧げていた。それ以外に、無いのだ。無なのだ。私はそういった意味では……本質的な意味では……」

 言葉が詰まり息も止まろうかというぐらいの苦しみがジーナを襲うも、ヘイムは手を握り返した。

 さっきの自分と同じ力で以て。それでジーナは息を吸った、吸えた。そして息を吹き返しながら言った。

「私は死んでいる」

 ヘイムは首を振った。振ったと想像できた。激しく早く、言葉に対して拒絶し。

「そなたは生きている。生きているではないか。いつ死んだというのだ? 妾はずっとそんな風に思えたことは無かったぞ」

「あなたに会ってから……より正確に言えば、あなたに会わなければならなくなったその時から。予感と疑惑はあったがそれは気のせいかもしれなかった。違うものであるかもしれないと。だがあの日のソグの館のあの時、私はあなたと出会い予感は的中した。あなたこそ私が討たなければならない龍であった……」

 ヘイムの手の力が強くなりジーナは自分の中に温かい何かが溢れて来るのを感じた。

 死とは遠い何かが、この語りから反する何かが、自分は死の話をしているというのに。

「ヘイム、私は龍となるあなたを討ちに来た」

 告白に対しヘイムの反応は無く、ただ掌の温もりだけがあった。

「その為にあなたに会った、けれど出会わなければよかった。それは会う前から、会った瞬間から、そしていま別れようとしているこの時も思う会わなければよかった。そうしたら私は苦悩することなく完全なままでいられた。完全なるものとなれた」

「それは妾も同じだ」

 返事が届きジーナの思考は停止する。ただ手は震えていた。理由は不明のまま震え、目尻が熱くなる。

「だけど私はいつも思う、いつもいまも、思う。私は何に対してここまで苦しみ悩んでいるのかと。闇なんだよヘイム。私は分からないことばかりあり、何も見えてこない。今のこの状況と同じで、語る内容もそうで、出口が見えない……迷って悩んで苦しんで。あるのはヘイムの手と言葉だけだ。その他はなにもない」

「そなたがいるだろうに。思い考え語るそなたがそこにいるではないか」

 それとヘイムの手を掴むその力、とジーナはその手を取る。

 いまは微かな繋がりではなく互いの全てを包みこむ握手となり、外れるようには思えない。

 どちらかの意思がそれを放棄しない限りは。

「私は、その使命のために生きてきたというのに苦悩だなんて……死と同じではないかと思う」

 流れ続ける内なる想い。それを呑み込み喰らい続ける闇と静かに待つヘイム。

 なにを待っているのか? 私の語りの果てにある、なにを待つというのか?

「私は使命と共に生き、使命と共に死にたかった。ジーナとして生きて死ぬ。そういう存在であったのに。けど、いまの私を見てくれ。これがあなたと出会ってから今に至る私の姿だ。あなたと出会わずにいたらジーナは……龍を討つものはこのようなことにはならなかった。意識や苦悩などせず、無意識と恍惚のなかで戦い続け、いまここであなたが龍となることを待機し、そして……」

 ジーナは……ジーナのその後姿を想像した。あの日のように、あの時のように、龍に飛び込む討つものの姿を。

 だがそれは自分の背中ではなく……

「ではジーナ……いいや、そうではないものよ」

 そうではない自分、とジーナは……男は呼びかけに固まった。

「それでは今は何を思っておる?」

 思ってはならないことを思っている……いや思ってはいないのだと男の思考は闇と同化し、無となった。

 思うことは許されないことだだから思う前に、言葉にする。

 苦悩や迷いなどせずそのまま言葉にする。

「ヘイム、私はな、私はこのままひとつになれたら、と思う。共にいられたら共に歩めればいいと。だから……だから……」

 語りながら意識が遠ざかっている、と男は感じ闇へ落ちていくように手から力が抜けかかると、その手は引っ張られた。

 闇の果てからヘイムが、引き寄せている。このヘイムがいなかったら、ヘイムがいなかったら……私は、私こそが死ぬのだろう。

 私は……男は朦朧とした意識の中で逆に手を引きその存在の全てを闇もろとも引き寄せた。

「ヘイム、龍にならないでくれ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...