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Introduction

1. ブルースは二度死ぬ

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「New Portlandのカバーで『CRACK』でした。ありがとうございまっす…………えー、改めて……八宮waveプレゼンツ、自主企画「ハチミヤ・サンライズ」第7回、足を運んでいただいてありがとうございます、シノザキユーマですっ……」

 二曲目を終え水分補給を挟み、ギターを腰に携えたままMCへと移る。消え入る呟きに合わせたような疎らな拍手。

 とっくに受動喫煙防止法が施行されたというのに、依然として喫煙が黙認されているキャパ30人の小さなライブハウス、八宮waveにこの日訪れた観客は実に20名超。普段は二、三人が当たり前のイベントとは思えない大盛況ぶりだ。


「えー……じゃ、あの曲……例の曲、やりたいと思います。すいません待たせちゃって……えー、まぁ、一曲だけやって終わりじゃチケ代と交通費の元取れないと思うんで……割といつも通りのセトリでやらせてもらってます、すんません」

 先ほどよりも少しだけ大きな拍手。大した違いだ、初めの二曲はほぼなんのリアクションも無かったというのに。


「有難いことに投稿サイトの方で、えー、昨日の時点で5万再生ってことで……ありがとうございます。いやホント、PVもなんも無しで歌詞だけのつまらん映像がね……5万回も見られてるって思うと、ね。ちょっと不思議なんすけど」

 スタンディングの観客席からザワザワと何かを期待するような声。この反応で予感は確信へと変わった。
 間違いない、いつもの冴えない自主企画と違って、これだけ多くの観客が入ったのは……俺のことを、俺の新曲を待ち侘びているからだ。


(まさかあんな曲がねぇ……)

 改めて水を含みギターのチューニングを合わせる。学生の頃から使い続けている安いモデルだ。どれだけ音作りに拘ってもロクな音色を奏でやしない。


 シノザキユーマ。本名は篠崎佑磨。
 売れないミュージシャンだ。

 令和の始まりを彩るニューロックスターを夢見て上京し早三年。ライブとアルバイトを繰り返す確立されたルーティーンのなかで、俺の生み出した音楽が陽の目を浴びることは無かった。

 何度か知り合いとバンドを組んだりもしたが、ドラムが一週間で失踪、ボーカルが痴漢で逮捕される、試しに加入させたキーボードはド素人だった……などなどしょうもない出来事も相次ぎ。

 人付き合いで苦労するのはもう勘弁と、一年前からギター一本でソロミュージシャンとして活動している。


「なんていうか……ああいう音楽をみんなも求めているんだなって、凄く勉強になった一曲です。今までだったら絶対に避けて来たんですけどね……まぁ売れるためならなんでもやりますよ。南極で上裸ライブとかやったら話題になりますかね」

 漏れる失笑。そう、幾ら一人で自由に活動したところで、俺の音楽や人となりはこの程度だ。どこにでもいる無名のシンガーソングライター。

 事実、動画投稿サイトでオリジナル曲を発表してもほとんど反応が無かった。今日のセットリストだって、今から演奏する曲以外はすべてカバー曲だ。


 ところが二週間前。事態は急転した。

 誰からも見向きされない現状に嫌気が差し、音楽仲間との飲みの場で「媚び売りまくりのゴミみたいなラブソングで売れてやらァ!!」と息巻いた結果。本当にゴミみたいなバラードを作ってしまった。

 これまで築き上げて来た音楽性と180度異なる妥協の産物に呆れるばかりだったが、約束してしまった手前お蔵入りさせることも出来ず。適当にリリックビデオを付けて動画サイトに投稿。

 これがまぁビックリするくらい数字が伸びた。今までの曲は二桁、良くて三桁の再生数が当たり前だったのに、僅か二日で1万再生を超えてしまったのだ。ごく一部の界隈ではあるが、ちょっとだけバズってしまったわけである。


(よし、今日も来てるな……)

 もう一つ、どうしても気になることがあった。

 誰からも注目されていなかった俺にも、たった一人だけ熱心なファン。追っかけの子がいる。

 その名は、すばるん。
 年齢、性別共に不詳。

 活動を始めた初期の頃から熱心にライブへ足を運んでくれていて、ライブ後はSNSへ詳細なレポートを上げてくれて。新曲を投稿すれば誰よりも早くコメント欄に現れ、喜びの声とおおよそ好意的なリアクションを残してくれる。

 俺みたいな無名ミュージシャンにとっては神みたいな存在だ。ただ、一つだけ不思議な点があるとすれば……。


(今日こそ拝んでやるぞ、すばるん……!)

 ライブにも来てくれているというのに、一度も話をしたことが無い。今の今まで当人も「自分がすばるんです」と名乗り上げたことさえ無いのだ。


 ただ実際のところ、誰がすばるんなのかは目星が付いている。どんなライブにも現れるのだから、観客が一人しかいなかったら確実にすばるんだし。

 その人物はいつも真っ黒なパーカーのフードを深く被り、一度もステージへ目を向けず身体を揺らしている。今日も客席の一番後ろ、右端に陣取っていた。間違いない、あれがすばるんだ。

 体格からして女の子……それもかなり小柄な部類に入ると思うのだが、いったいどんな顔をしているのだろう。気になる。普通に。ライブの出来より気になる。


(あんがとな、すばるん。これからはもっと大きなライブハウスで……俺の曲、聴かせてやれるかもな)

 ずっと応援し続けてくれていたすばるんも、この曲への反響に喜んでいることだろう。これまでの曲とは全然違うタイプなんだけどさ。それは本当にごめん。

 仕方ない。仕方ないんだ。
 個性を貫いたところで、何になる。

 売れなきゃ。受け入れられなければ、意味が無いんだ。例え自分の好きな音楽じゃなくたって、結果さえ残せれば……。


「シノザキユーマで『Stand By You』……」

 不愉快極まりないスローなアルペジオ。
 皆うっとりとした表情で耳を傾けている。

 一方、この空間にたった二人だけ不満げな顔をした奴がいた。一人は歌い手たる俺自身。そしてもう一人は…………。





(キッツイなぁ……っ)

 スタッフと共演者への挨拶回りを終え、今日の取り分を財布に詰めライブハウスを後にする。

 疲労によるものか背中へ掛かるギターの圧力によるものかは定かではないが、足取りは馬鹿みたいに重い。打ち上げに参加する気力は残っていなかった。


(終わった瞬間あれはマジでねえよ……)

 そう。例の曲。投稿サイトでバズったクソみたいなラブソング『Stand By You』を歌い終わったところで、大半の客が帰ってしまったのだ。

 まるで「この曲が聴きたいだけでお前自身にはクソほども興味無い」と言われているようで……いやまぁ実際そうなんだろうけれど。

 こうも分かりやすく突き付けられると中々にダメージだ。何がいけないんだ、顔出しで活動しているからか? 不細工だからか? 金髪が似合わないのか? 死ぬぞ?


「……ん?」

 すぐ近くの八宮駅に向けて歩き出すと。スマホを忙しなくスワイプさせ、何やら必死に文字を打ち込んでいる小柄な人物が目の前に立っている。

 黒いパーカー、深く被ったフード。
 もしかして……すばるん?


「あの……もしかして、すばるん?」
「……はい。そうですけど」
「うわっ、ビックリした! あの、いっつもライブ来てくれたり、サイトのコメントとか、ホントありがとうございます! どっかでお礼言いたくて……今日もありがとうございます!」

 どっちがファンなのか分かったモノではない。差し出した右手を素直に握り返し、素顔を晒さぬまま、すばるんは深々と頷く。

 白くて小さな掌……すばるん、こんなに幼い子だったんだ。声はちょっと低いけど間違いなく女の子だよな……こんな子が俺の追っかけなんだ! やっと話が出来た!


「珍しいっすね、いっつもライブ終わったらすぐ帰っちゃうのに。もしかして出待ちとかしてました? すいません、だいたいそのまま打ち上げ行っちゃうんで、そもそも誰も待ってないっすから……」

 取り繕いの言葉を前に、すばるんはこれといってリアクションも示さずただジッと握られた手を見つめ続けている。
 いやどうなんだろう。フード深く被り過ぎてまったく分からんな……ていうか、どうしたんだ?


「…………シノザキユーマさん」
「は、はい?」
「いつも、応援してます」
「あ、はい。ありがとうござ……」
「いえ……応援してました」
「…………えっ?」

 次の瞬間。すばるんは素顔を覆っていたフードをバサッと外して…………えっ? 予想していた数倍は幼い! 高校生……いや、中学生くらいか!?

 ん。ちょっと待て。
 そうじゃなくて。

 すばるん、今なんて?


「ガッカリです……失望しました。売れるためとはいえ、あんな中身スカスカのゴミみたいなラブソング……最悪です、絶望です……ッ!」
「いや、あの、え?」
「まだ間に合います。二度とライブであの曲、歌わないでください。こんな売れ線狙いの駄曲、ユーマさんに相応しくありません……ッ!!」


 なんで俺、ロリに説教されてる?
 え、なに? え?

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