死神と乙女のファンタジア

川上桃園

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噂の二人2

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 ヨハンがカルロッタと必ず離れる時間がある。月に一度、大公家の伝統として宮殿付きの礼拝堂で礼拝を行う時間だ。参加者は大公家と特別に同席を許された最側近のみ。まして、カルロッタは昔から「祈る」という行為が苦手なようで、ラザロにいた時もほとんど教会に入ることさえ嫌がっていた。ヨハンに誘われたとしても拒んでいるはずだ。
 ヴィオレッタは以前から大公から礼拝への参加を誘われている。非公式の行事であるから気軽に参加してほしいと。
 これまでは遠慮して断っていた。だがカルロッタに邪魔されることなくヨハンと話すためには礼拝の時間がうってつけなのだ。ヴィオレッタは覚悟を決め、礼拝に参加することにした。
 当日、ヴィオレッタは目立たないように黒のヴェールをつけ、シンプルなラベンダーのドレスを着て、礼拝に参加した。大公の隣にはいても、何も話すことなく、あくまで愛妾らしく粛々と祈りを捧げる。背後には常に死神《アンクー》の気配もあった。
 礼拝堂の高い天井に、司祭の祈りの文句が朗々と響き渡る最中、ゆらりと死神《アンクー》の黒い影が動き、礼拝堂にある祭壇へ進んでいく。黒い外套を身に付けた彼が祭壇の前で跪き、礼拝堂内にいるだれよりも熱心に祈っている。
 彼の姿はヴィオレッタ以外のだれにも視えていない。礼拝はつつがなく進行していく。
 ……ああ見えて、死神《アンクー》は教会や礼拝堂には出入りできないかと思いきや、ヴィオレッタが知る限り、彼は信仰深い。
 昔、祈る彼にヴィオレッタが理由を尋ねたことがある。

『祭壇では神に問いかける』
『どんなことを?』
『……いつまで罰が続くのかと』
『罰? 死神《アンクー》は何か罪を犯したの?』
『人を、殺した』

 死神《アンクー》が珍しく自らのことを語ったから覚えている。
 彼はいつから祈っているのだろう。何十年? いや、何百年?
 死神《アンクー》は優しい。彼が殺人を犯したのだとしても、それ相応のわけがあるのだろうと思っている。
 ――『罰』とは、地上を死神《アンクー》として彷徨い続けること?
 いつかは聞いてみたい。けれど、踏み込んでいいものか迷う境界線でもある。
 ヴィオレッタはいるかどうかわからない神の存在をどこか疑っているが、傍にいる『死神《アンクー》』のために祈ることにしている。彼の苦しみが少しでも和らぎますように、と。
 ヨハンに声をかけられたのは、礼拝の時間を終えた後だった。一番に礼拝堂から出ていこうとする少年の正面に、ヴィオレッタは回り込んだ。

「ヨハン様」

彼女の顔を目にした途端、ヨハンは不愉快そうな表情をあらわにした。無言で彼女の横をすり抜けようとした彼の前に再度、立ちはだかる。
 遠目には、大公が他の人びとを礼拝堂から先に出ていくよう促しつつ、静かに様子を見守っていた。

「……おまえのような者と話すつもりはない」

 ヨハンは低く唸る。歓迎されていないのは百も承知ではあるが、ヴィオレッタは折れそうな心を叱咤して、話し続けた。

「差し出がましいことかとは存じますが、どうか周囲をよく御覧になってください。ご自身にとって本当に歩むべき道は、ヨハン様もよくご理解なさっているものと思います。勝手ながら、ここ最近のヨハン様は、心配です」

 フン、とヨハンは鼻で笑った。以前はもっと卑屈な素振りをする少年だったのに。

「言い方が回りくどい。こういえばよいではないか。カルロッタと、別れろ、と」
「……あの子は猛毒です。周囲を不幸にしかしない子です。私はあの子と同じ血が流れております。あの子を知る者としてヨハン様に警告いたします。残念なことですが、カルロッタはヨハン様を愛しているわけではございません」
「馬鹿なことを! 私はカルロッタと愛し合っている!」

 カルロッタより年下の少年は顔を真っ赤にして憤激した。ヴィオレッタを指さして、泡食ったように叫んだ。

「あなたがどういう人間か、カルロッタから聞いている! あなたはカルロッタに嫉妬し、今になって復讐しようとしているのだ。私は騙されない」
「片方だけの言い分だけを聞いて判断されるのですか? わたしの話も聞いてくださってもよいのではありませんか」

 ヴィオレッタは口からこぼれそうになる言葉をよくよく吟味しながら答えるも、

「聞く必要はない。信じないからだ」
 
 ヨハンはにべもない。
 たしかにカルロッタに復讐しようとしているのは事実。だが事実を告げたところで火に油が注ぐだけだ。愛は愛する者の目を曇らせる。自分の都合のよいようにしか物事が見られない。――愛とはなんとうとましい。
 言い争ううちに、二人は礼拝堂の外に出ている。

『ヴィオレッタ。……時間切れだ』

 背後にいた死神《アンクー》が前方へ注意を促した。目に飛び込んできたのは、陽光にきらめく金髪の。ラザロの海のような青の瞳。

「あら、お姉さま! ごきげんよう」

 ヨハンとヴィオレッタの間に、カルロッタが割り込んできた。表向きは楚々として足取りで、あくまで貴婦人らしく。

「ヨハン様と何を話されていました? もしかして、わたくしの噂話でしょうか? ヨハン様、お姉さまは真面目でいらっしゃるから、ぜんぶおおげさにお話ししがちなのです。お姉さまは、わたくしのことを心配なさらないで」

 カルロッタはヴィオレッタだけにわかるように顔を向けた。真顔で。

「わたくしはお姉さまに愛されていますもの」

 背筋にぞわっと寒気が走る。顔はきっと蒼褪めていただろう。
 カルロッタの豹変にはまったく気づいていないヨハンはヴィオレッタから恋人を守ろうとヴィオレッタの前に出た。ヨハンは怒気をあからさまにし、ヴィオレッタを睨む。

「ヨハン様? もう礼拝は終わったのでしょう? また部屋で遊びの続きをいたしましょう?」

カルロッタはころりと表情を変えて、ヨハンに太陽のような微笑みを浮かべた。

「だがカルロッタ。あなたはそれでいいのか? この女は無礼な真似をしたのだ」
「それでもたったひとりのお姉さまですもの。許して差し上げて」

 頬と頬を寄せ合うほどに親密に囁き合う二人。
 ヴィオレッタは自分の気持ちを落ち着かせるために息を小さく吸った。

「カルロッタ。あなた、ヨハン様とどういう関係なの」

 問いただすと、カルロッタは指を顎に当ててかわいらしく考えこんでから、

「とてもよくしてくださっているわ。昼も夜も仲良しで」

 ヨハンは顔を真っ赤にした。
 わざと曖昧な言い方をするカルロッタにヴィオレッタは拭いきれない苛立ちを感じるが、つとめて表には出さないようにした。

「わかりました。ヨハン様、警告はさせていただきましたよ。本日はこれで失礼させていただきます」

 ヴィオレッタは観念して、立ち去った。
 背後からついてくる死神《アンクー》に言わずにはいられなかった。

「私にはヨハン様を止められないのね」
『ああ』
「カルロッタへの恋がそうさせるのかしら。理性を失うほど?」
『あの少年が自ら選んだ道だ。他人の運命を変えることなど、だれにもできない。本人の心が変わらない限りは、道はひとつの終着点へとまっすぐ伸びるのみ』

 カルロッタは周囲の人間に対しては悪魔的だ。彼女はたくさんの人に愛されるが、彼女は本当の意味でだれも愛さない。ヨハンと関係しているのも、ヴィオレッタが不快に思うと知っているからだ。今のヨハンはだれの忠告も耳に入らないのだろう。静観するハインリヒの言葉が結局正しかったのかもしれない。
 ヴィオレッタがつけていたヴェールがふともちあげられ、ここ数年で見慣れてきた死神《アンクー》の青白い顔が目の前にあった。

『本来の恋や愛はとても素晴らしく、美しいものなのだ。恐れるようなものではない。君には幸福な道を歩んでほしい』

 ヴィオレッタはふと気弱になった。

「……私は、あなたにも幸せになってほしいわ」

 ヴィオレッタは死神《アンクー》の視線から逃れるように大公の傍らに行く。ハインリヒが先ほどから道の先で彼女を待っているのを知っていたからだった。


 深夜のことだ。廊下を慌ただしく駆け回る足音で目を覚まし、ガウンを羽織って自室から出た。行き来する侍女のひとりに事情を尋ねると、彼女は口ごもっていたが、実は、と打ち明けてくれた。

「陛下が殿下を叱責なされたのです」
「叱責? どうして?」
「……陛下がたまたま殿下にご用事があったとかで部屋を訪問された時、殿下が女性の方と同じ寝室にいらっしゃったものだから」

 ヴィオレッタの反応をおそるおそる伺うに、ヨハンと共にいた女性は間違いなくカルロッタなのだろう。もちろん「同じ寝室にいた」というのは文字通り以上の意味を持つはずだ。

「陛下は大層なお怒りです。ヨハン様が、その方への愛を告白され、結婚したいと言い出されたから。陛下は、お二人に対して二度と顔を合わせてはならぬ、と警告されました」

 侍女はぶるりと震えた。普段は派手な怒りを見せることがないハインリヒが激しく感情をあらわにしたのだ、周囲の者が震えあがるのは無理もない。侍女の瞳がヴィオレッタに救いを求めていた。

「……わかったわ。ありがとう。後で陛下を御慰めにいくわ」

 侍女は明らかにほっとした様子で去っていく。元々、ヴィオレッタに宥め役を期待して話してくれたのだろう。

「昼間はヨハン様に興味がなさそうだったのに」

 ヨハンとの一部始終を報告できたのが昼間のことだ。あの時の大公は黙って聞いているだけであったのだが、実際にはすぐに動いたのだ。

『それだけ、大公の心が君にあるということだ。大公は君の機嫌を取りたくて仕方がないのだろう』
「陛下にはよくしていただいているけれど……まさか」

 背後にいた死神《アンクー》が予想外のことを言い出すものだから首を振る。
 大陸で栄える大公国の君主が、自分ひとりの機嫌を取るために感情のままに動くことなどあっていいはずがない。恐れ多すぎるのだ。

「ねえ、死神《アンクー》、陛下は本当にお怒りだったのね?」
『……ああ』

 死神《アンクー》がいつもの蒼褪めた顔色で相槌を打つ。しかし、その蒼褪め方も常より真に迫っていまいか。

「これでカルロッタも大人しくなると思う?」
『「王となる子を生む」――あの娘の運命はいまだ変わっていない』

 ほんの少し抱いた期待も、死神《アンクー》の言葉は容赦なく打ち砕く。……が。

『今、彼女の傍には彼女の運命を変え得る男がヨハンの他に、もうひとりいる。今後、その男の行動があの娘の運命を左右するかもしれない』
「それはだれ?」
『ロレンツォという男だ』

 ロレンツォ。ヴィオレッタは一瞬、戸惑った。
 もちろん、カルロッタの夫だという記憶はすぐに探り当てた。幼い頃、ヴィオレッタ自身とわずかに邂逅した思い出も。
 戸惑ったのは、彼の名を聞いて思い出したものの、彼自身が公国の宮廷で何一つ、噂が上がってこないことだ。ロレンツォは美男子としても有名だった。故郷のラザロでは、彼の一挙手一投足がすべて噂になったというのに。……ヴィオレッタでさえ、名を聞くまでは彼の存在を忘れていた。

「そうね。彼はカルロッタの伴侶だもの。あの子に影響を与えられるのは間違いないものね」

 ヨハンは、ヴィオレッタの言葉を信じないと言った。ならば、公明正大という評判のロレンツォならば? ――今まさに妻に裏切られ、心が傷ついている彼ならば、ヴィオレッタの言葉に耳を貸す余地があるかもしれない。

「死神《アンクー》。私はロレンツォ様を味方につけるわ」
『わかった』

 死神《アンクー》は答えると静かに闇に溶けていった。


 ヴィオレッタが大公の寝室を訪れると、大公は寝間着姿のまま出迎えた。彼女にソファーを進めると、自分も向かい側に座る。

「まだ起きていらっしゃったのですね」
「そうだね。あなたも、例の騒ぎを耳にしたからここに来たのだろう? 周囲がずいぶんと怖がっていたからね……」

 彼は小さな銀の杯を彼女に進めてくる。温かいホットワインだった。彼も同じような杯を手に持っている。どちらかともなく、杯と杯が、かつん、と音を立てる。
 ハインリヒはいつもと同じように見えた。威厳さえ漂わせる完璧な君主だ。ヴィオレッタに気付くと微笑を口元に浮かべる。

「私の口から何があったのか、聞きたいのかね?」
「いいえ。陛下がお話ししたくないものは私も伺うつもりはございません。ただひとつ、こうしようと決めたことがあり、参りました。それと……もしや、寝付けないのではないかと思いまして」

 御明察、とばかりにハインリヒは杯を掲げてみせた。

「慰めに来てくれたのかな。子どものように抱きしめてくれる?」
「え?」
「冗談さ」

 彼は杯を呑みほした。夜中のせいか、彼の気分は高揚しているように思えた。

「それで、あなたが決めたことを教えてくれるかな」
「はい。実は、カルロッタの夫と話をしようと思うのです。今であれば、彼を味方に引き込めるかもしれません」
「もちろん、あなたなりの勝算はあるんだね?」
「はい」

 ヴィオレッタは首元にかけた小さな鎖を外して、中心にあったものをハインリヒに見せる。蛇と蔦模様が組み合わさった銀の指輪。ハインリヒからしたらいくらでも手に入るものだが、持つ者で意味合いは大きく変わる。

「彼の心を動かせるものです。これを使うべき時が来たと思っています」
「あなたの復讐に必要なことなんだね?」

 ヴィオレッタが軽く事情を話して頷けば、「なら仕方ないね」と大公は微笑んだ。おもむろに手を広げた。

「おいで」
「え、と……。これはどういう?」

 普段にない態度に戸惑った。すると、大公は自らソファーから立ち上がり、彼女の方へ回り込む。彼女の背にハインリヒの両腕が回った。

「あなたの復讐の道先に幸運がありますように」

 抱きしめられた耳元で低い声が心地よく響く。たしかに「心地よい」のだが――熱を帯びているように聞こえて仕方がなく、彼女を落ち着かない気持ちにさせたのだった。
 
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